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ラクウショウにそっくりな樹木。紅葉も同様な落葉針葉樹。
アケボノスギなる和名より「メタセコイア」の方が通りが良いかもしれない。
公園や街路樹、ゴルフ場などに植栽され、よく見かける。
原産地の中国では、高さ35m、直径2.5mになるものがあると言われる。
葉は十字に対生し、秋にはレンガ色になって落ちる。
樹皮は赤褐色で縦に裂ける。雄花序は黄褐色で長く垂れ下がる。雌花は緑色。
球果は長さ2-2.5cmの卵状球形で、10月ごろに成熟して褐色になる。
『研究者ノート』(筑波大・加藤雅啓、矢部淳)
メタセコイアは、最初に日本で化石として発見され(発表は昭和16年)、
その後、昭和23年に中国で生きた個体が発見されたことから「生きた化石」といわれています。
セコイアと似ていますが、メタセコイアが落葉樹、セコイアが常緑樹といった大きな違いがあります。
化石の発見でわかるように、かつて日本にもメタセコイアが自生していました。
しかし、自然に起こった気候変化(寒冷化)によって日本から絶滅してしまいました。
現在、人間活動による地球温暖化の問題が取り上げられていますが、
メタセコイアの絶滅は環境変動と絶滅危惧植物の関係を考える一助になることでしょう。(加藤雅啓)
ヒノキ科に属するメタセコイア、セコイア、ヌマスギ(ラクウショウ)は“生きている化石”の代表格です。
どれも日本には自然の状態では生えていない植物ですが、実は日本でも化石が見つかっています。
これらが生きている化石と呼ばれるのは古くから化石記録があるためで、
メタセコイア属はおよそ1億年前、ヌマスギ属やセコイア属はそれよりも少しあと、
いずれも中生代から化石種が見つかっていて、ある時期に現生種が現れ入れ替わりました。
ただし、これらの現生種がいつ現れたかという問いにはまだ統一した見解は出ていません。
“生きている化石”とよばれるメタセコイア・セコイア・ヌマスギですが、
これら3属の歴史は互いに少しずつ違っています。
メタセコイア属は白亜紀後期以降アジアとアメリカに分布していました。
新生代を通じて分布を縮小する中で最後まで残ったのが東アジアで、
日本からはおよそ80万年前に絶滅します。
一方のセコイア属とヌマスギ属は北半球の広い範囲に分布していましたが、
ヌマスギ属が東アジアで早くに衰退し、
新第三紀(2300万年前以降)に入ると化石が見つからなくなるのです。
彼らがなぜ違う歴史を歩んだのか、解決にはさらなる研究が必要です。(矢部淳)
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(以下、産経新聞webサイトより)
昭和天皇が愛した木“生きた化石”メタセコイア…
元大阪市立大教授の発見から来年で75周年、記念イベント計画
太陽の塔の周りに植えられ、紅葉の見頃を迎えたメタセコイア=吹田市
針葉樹なのに落葉する珍しい植物「メタセコイア」が
吹田市の万博記念公園などで紅葉の見頃を迎えている。
道路の並木や学校、公園などでよく見かける木だが、日本人が化石をもとに発見し、
大阪から全国に広まったことは、ほとんど知られていない。その歴史的発見から来年で75年。
昭和天皇もこよなく愛された木の知られざる歴史を知ってもらおうと、
関係者が観察会などを計画している。(上岡由美)
戦後復興と姿重ね
「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」
昭和62年、昭和天皇が歌会始でお詠みになった御製(ぎょせい)。
「あけぼのすぎ」はメタセコイアの和名で、戦後の荒廃から立ち直り、
高度経済成長を遂げた日本を、あけぼのすぎに例えてうたわれた。
この木を「発見」したのは、元大阪市立大学教授の三木茂博士(1901~74年)。
昭和16年、岐阜県土岐(とき)市の粘土層から、
欧米の研究者がセコイアやヌマスギとしていた植物の化石を見つけ、
葉の付き方や「球果(きゅうか)」のウロコの並び方の違いから、
未知のものであることを見抜いて「メタセコイア」(「メタ」は「後の」という意味)と名付け、発表した。
「生きた化石」発見
大阪平野では約100万年前に絶滅したと考えられていたが、
発表から4年後の昭和20年、その植物が中国・四川省で実際に生きているのが見つかった。
当時、日本は戦後の復興が始まったばかりで、
「日本人が化石で発見した植物が生きていた」と世界を驚かせたという。
現地を調査した米国の古生物学者・チェイニー博士が種子を採集。
「生きた化石」を保存するため、中国と気候が似ている日本で育成しようと、
三木博士が大阪市立大に設置した保存会に苗木100本が贈られた。
日本各地の大学や研究所に配布された後、挿し木で苗木を増やし希望者に配布。
成長が早い上、新緑、紅葉とともに円錐(えんすい)形の樹形が美しく街路樹などとして全国に広まっていった。
皇居吹上御苑にも
皇居吹上御苑にはチェイニー博士から昭和天皇に献上されたメタセコイアが植えられている。
大阪市立大学理学部付属植物園(交野市)には、100本のうちの1本である「導入木」が残るほか、
大阪市立長居植物園(同市東住吉区)や万博記念公園などでも見られる。
植物の化石に詳しい市立自然史博物館(同区)の主任学芸員、塚腰実さん(56)は
「絶滅したはずのメタセコイアが発見されたのは戦争直後だったにもかかわらず、
日・米・中の研究者が協力して保護に取り組んだおかげで世界各国に広まっている。
『人類の進歩と調和』のシンボルである万博記念公園の太陽の塔の周りに
メタセコイアが植えられているのは象徴的」と話している。
来秋、75周年を記念して市立自然史博物館と付属植物園で講演会や観察会、標本展示が予定されている。
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カイノキ(楷の樹);
後ろのメタセコイアにもまして濃い朱色が美しい紅葉。
ハゼノキ、ヤマハゼの仲間で中国原産。
中国の孔子廟に植栽されていた木の種から育成、
大正時代に日本各地の儒学に関係ある学校等に配られた。
孔子の弟子がカイノキの杖を孔子の墓前にさし杖し
芽吹き成長したとの言い伝えで「学問の木」と呼ばれる。
和名は、葉が揃っていることを楷書にみたてた。
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今年は、法律を学んだものには感慨深い歴史的変遷の年となったように思う。
法哲理にもとづき、法とは・・・とりわけ「憲法」とはなんぞや・・・と再考する年になった。
世人は、違憲・・違憲と、いとも簡単に言っているが、法とは何のためにあるか。
而して、今ある法は、現実的に・・現状的に適しておるか、真摯に深刻に考えるべきが今である。
学識者も「違憲」と簡単に言ってほしくない。現法典・日本国憲法条文からすれば正しく違憲だろう。
何回ものたもうてきたとおり、違憲故に現状に見合った自主憲法的修正是非を国民投票すべきである。
戦後70年の歳月を以って、日本の立ち位置、隣国との問題、更には国際情勢。
極論を言えば、米国軍隊の傘に護られてる日本国土がある。
米国に従属するのではあるまい“安保関連法は。今ある日本国をいかに守るかであるはずだ。
“60年安保”“70年安保”と時代背景、国際関係は、違うではないか。
今在る隣国の思想背景、教育の歴史は、流れ方として日本と同じと映る(方向は違うが)。
日本の戦後義務教育が、一貫してある方向を向いて流れてきたのと同じように。
保守・革新と言った思想的問題で対立させているマスメディアのあり方にも疑問がある。
{立憲主義に立って今を真摯に考えたい」2016年は、憲法を考えてみよう!!
日本と隣国との違いは、「表現の自由」の有無ではなかろうか。
日本には、「表現の自由」「思想信条の自由」は、完璧に保証され思想統制はない。
だが、政治の世界では、体制、反体制的二極化になり下がりつつある。
「戦後70年談話」を表明した安倍総理の内容は、敗戦国からの脱却表明と受け止めたい。
此の70年間に経済成長と軍事国家への反省・懺悔行脚を真摯に処してきたと思うのだ。
歴史的経緯の中で現日本国憲法は、時代背景・国際関係に乖離すると考える。
「化石」であってはならない。ましてや敗戦国的自虐史観は、もういいだろう。
目の前のメタセコイア並木を眺めていると、樹々の成長と日本の成長が重なる。
幸なるかな今の日本国内・・・のんきに「戦争法案反対!!」などと言っていられる。
国土を守る・・・防衛ってどういうことか???もっと真摯に考えるべきだ。
現実を如何にすべきか? 我が身に火の粉が及ばないと分からないのだろうか!?!
隣国から脅威を受けてる石垣・八重山諸島の現実を!!!
なぜに沖縄の首長は、県民の現状に手を差し伸べないのか?
沖縄本島だけが平和に向かえば良いと言ってるにしか見えない。
戦後70年を以って、憲法改正の期は熟したと思って止まない。
離島の小笠原周辺での隣国の暴挙。日本海・東シナ海にして然りではないか。
岸信介元首相が死去した時、かつての全学連委員長が・・・!
弔辞的に述べた「岸さん、貴方は・・・正しかった」この言葉が思い出される。
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「相模原市・相模原公園」
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