“慰霊碑”《襍観 ・/・古往今来313》



夕暮れ迫る稲村ヶ崎に建つ慰霊碑。
1世紀も昔の逗子開成中学校のボート遭難事故の碑である。
1910年1月23日、休日に無断で学校所有のボートを海に出した生徒ら12人。
七里ヶ浜沖で遭難し、全員死亡するという悲惨な事故であった。
追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌」が歌われたとある。
この歌は、後に「真白き富士の根」として今なお歌われているので御存知かもしれない。
この石碑は、1964(昭和39)年、東京オリンピックの年に建立された。
記念像の台座に以下の文言が記されている。

≪みぞれまじりの氷雨が降りしきるこの七里ヶ浜の沖合いでボート箱根号に乗った逗子開成中学校の生徒ら十二名が遭難転覆したのは一九一〇年(明治四十三年)一月二十三日のひるさがりのことでした。
前途有望な少年達のこの悲劇的な最期は当時世間をさわがせましたがその遺体が発見されるにおよんでさらに世の人々を感動させたのは彼らの死にのぞんだ時の人間愛でした。
友は友をかばい合い、兄は弟をその小脇にしっかりと抱きかかえたままの姿で収容されたからなのです。
死にのぞんでもなお友を愛しはらからをいつくしむその友愛と犠牲の精神は生きとし生けるものの理想の姿ではないでしょうか。
この像は「真白き富士の嶺」の歌詞とともに永久にその美しく尊い人間愛の精神を賞美するために建立したものです≫


実を言うと、この碑が建立された時より、美談であってはいけないって思ってきました。
「英霊」「悲劇」「美談」。。。一寸疑問に感じます。
先般の異国で起きた事件にしても事の本質を踏まえての論評が少なかった。
同時に、隣国都の諸問題にして然りです。
こんなことを記してる爺!! 偏見・偏屈でありましょうか??
碑の向こうに映る夕焼け、余りにも綺麗。 それだけに何かわびしく感じます「碑」が。


2/09日誌「鎌倉市・稲村ヶ崎」

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