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2025/02/22 朝の随想

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 真夜中に目覚め1時間以上読書を、面白い記事を見付けメモを、再就寝。今朝の目覚めは6時過ぎ、起床、身支度を整えて外へ。外気温度は-2℃。西跨線橋を渡り終えて、6時40分。帰宅は7時1分、軽体操を休んで部屋へ。
 
 真夜中の読書で下記の内容を見付け、低視聴率の「大河ドラマ べらぼう」の表題にいくらか知識を得ました。
 
『森銑三著作集第一巻』283頁 「銅脈先生」
「饗庭篁村集」所収の「蜀山人と銅脈、蕪坊」と題する一文には銅脈から南畝に寄せた書簡一通載せてあり内容にて『本丁文酔』出版のことの見えているのによって天明六 1768(閏月)十月であろうと推測せられる。
その中に
 「玉作拝見奉候。先便にも数篇拝見。一々感吟仕候。菊、桐、秋盡、素寒貧の詩を僕に書かせて、是全く李白の詩を杜子美(春の誤植か)書いたと同然だと、洛中の【べら坊】共大いにもてはやし毎度被書困入候」と【べら坊】を表現しています。【ベランメェ~】から派生した言葉と伝わっています。
今から約260年前に江戸や京都でも【べら坊】が膾炙していたことに驚きを覚えます。
 なお、江戸・太田南畝と京都・銅脈は「狂歌」で有名でした。
 
 能登地震の影響を地元紙は「海の森 紡ぐ緑」を連載しています。これを拝見し、個人的に経験した事実を。佐渡の海岸線を徒歩にて数回周遊した記憶に、外海府の「願」の集落で赤銅入りの海女が小さな水褌を着けて海産物の収集をしていたのを、秋の彼岸に遭遇したのは、70年以上前。30年位前には海岸線、210Kを宿無し、食堂無寄で歩き通し、外海府の「岩屋口」に野営で地区の区長(名前を失念)から伺った話は、以前、能登の舳倉島から「願」集落に海女が出稼ぎにやって来てその内の数人が地元の人間と所帯を持っていたと。
 江戸時代の現在の「新潟島」の住宅絵図には「のと・ノト」を称する家屋が相当数散見されています。安政六年の外国船が来航した「チラシ(号外)」の発行元は「のとや傳右衛門」でした。
 
 朝から歴史談義を。明るく元気に楽しくスタートしましょう。

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