スパルタスロン
6月
25日
(3km走るつもりが、300mしか走れなかった。)
この時は、まさかレースに出るなど考えてもみなかった。
初レースが2009年06月07日の金ヶ崎マラソン10km。
この時点でフルマラソンなど無理だと思っていたが、
練習方法などあまり分からないまま、とにかく走る事だけ意識して
長い距離や山間の温泉ロードなどを走って、どうにか、
2009年10月11日の北上マラソン完走。
2010年06月13日のいわて銀河50km完走。
100kmも行けるんじゃないかと思い、
2011年06月12日のいわて銀河100km出場も、77.5kmでリタイヤ。
2012年06月10日のいわて銀河100kmにようやく完走。
2013年06月09日の100km完走、
2014年の100kmは57kmでリタイヤ、
2015年06月14日の100km完走。
どうにか今年(2015年)で100kmは3回完走。
意識して走るようになって9年。
ムリだと思っていたフルマラソンやウルトラマラソンも
どうにか走れるようになった。
昔は、ゲームとかインドア中心の生活だった。
今、ゲームをやるって考えられない。
ある意味、自分が「走る」という名のゲームの
プレイヤーにでもなった感じでもある。
初レースの10kmレースに出るまで3年かかっているけど、
この3年の間に怪我を連発して3ヶ月走れないなどして、
きちんと走る事に向き合う時間が長かった。
それが今に活きている。(走る前後のケアがものすごく大事!)
敢えて、無理なんじゃないか?! という目標を掲げると、
人間の身体はそれに向かって進化する。
はなからムリだと思えばそれまで。
どうやら人間は70歳まで超長距離は進化するようにできているらしい。
我が家、代が進むにつれ短命となる事実。
70歳まで生きられるのか微妙になってきた。
1歳で発症した5000人に1人の病気になったり、
もろもろ病を抱えながら、まぁ、それなりに生きてきた。
祖母に付けてもらった名前のとおりになれなかったが、
走る事で名前に近づいた気がする。
どれだけ頑張った?という判断は自分しかできないので、
何をどれだけ頑張った?というのも自分で定めないといけない。
仮に60歳で絶命するなら、その前に何かを成す基準を作りたい。
おぼろげに考えていた「スパルタスロン」というギリシャの大会。
10年後の2025年09月に完走という目標を立ててみる。
(ギリシャは2015年06月現在、経済破綻の危機だが、大会は残るだろう)