7月
20日,
2022年
呟き:洗濯物を毎朝干しながら思うこと
我が家では、未だ家に居る20代の2人の娘たちと共に
「家事シェアリング」
の仕組み?が導入されている。
夕食準備や食器洗い、ゴミ出し、洗濯物、部屋の掃除機掛け、などなど、いわゆる「家事」を私も含めて家族4人でシェアリングしているのだ。
私は毎朝の洗濯物担当。もちろん夕食も週2回ほど作るし、食器洗いも週3回くらいはしている。
なぜ洗濯物担当なのか?
単純に洗濯が好きだから!
毎朝、ベランダで洗ったばかりの、びしょびしょの洗濯物を一つ一つ干して行く。
1年365日、毎朝洗濯物を干している。大晦日もお正月も、お盆休みも、自分の誕生日も。
達成感とか、充実感などと言う壮大な意識はない。しかし
なぜか、洗濯物を一つ一つ、淡々と干して行く、と言う行為が好きなのである。
そしてまた今朝は、新たなことに気が付いた。
干して行く過程で、色々な事を「内省」している自分に、だ!
「自分は何のために毎朝、洗濯物を干しているのだろうか?家族にありがとうと言われたいからだろうか?」
「洗濯物を私がもし干さなければ、何が起こるのだろうか?」
「これまで、妻はどんな想いで洗濯物を毎朝干していたのだろうか?」
「洗濯物を干す意味ってなんだろう?」
自分がしている行為を家族から大きく評価して欲しいなんて、これっぽちも思っていない。ましてや洗濯物を干すことなんて簡単なことだし、殆ど苦労することもない。
でも、いつも清潔で綺麗な服を着ることで、得られることはあると思う。しかし、それを目指して毎朝、律義に洗濯物を干している訳でもない。
何が自分をして、洗濯物を干させているのか?
自分でも見えていない答えだが、明日の朝もまた、洗濯物を干している自分に気付くだろう。
ではまた次回!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお
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