やっぱり日本は「ハイ・コンテクスト」な国?

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こんにちは!「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお、です。

今朝、娘たちと朝食を摂りながら、ひょんなことから真ん中の娘が、こんなことを言い出した。

「私は自分の名前を、みんなの前で言うのがとっても恥ずかしい」

親として、ちょっと捨ててはおけない発言。妻と色々考えた上で付けたファーストネームなのに!

「実は、私もそう感じることがある!」

末娘も姉の発言に同調する。

「最近、大学の卒業制作でゼミの仲間や先生たちに、プレゼンする機会が多くなっている。そのプレゼンの冒頭に必ず自分の名前を伝えるんだけど、それがめっちゃ恥ずかしい。」

うーむ、なぜそんな風に感じるのだろうか?私のくぐもった表情を感じ取って末娘は続ける。

「名前の良し悪しじゃないよ、お父さん!英語で話す時の方が、気が楽というか.....

英語で自己紹介する時は、恥ずかしいなんて全く思わない。むしろ堂々と話せるような気がするの!」

これはどう理解したら良いのだろうか?

そして、スウェーデンに留学経験のある末娘が続ける。

「スウェーデン人の友達に、実は一度訊ねたことがあるの。スウェーデン人って英語もかなり堪能なので、母国語であるスウェーデン語で自己紹介するのと、英語で自己紹介するのと違いはあるのかって。」

なるほど、それは鋭い質問。

「そのスウェーデン人の彼女の答えは、あんまり変わらないって。そこで彼女に、私が英語で自己紹介するのと日本語でするのを、実際に観察してもらって、どちらが堂々としているか、を見てもらったの。」

この結果は私も上の娘も興味津々。

「そうしたら、英語の時の方が堂々としているように見えたって。」

うちの娘たちは、私に連れられて海外へ移り住み、5年間を現地校で過ごした経験がある。

もちろん日本語が母語だが、英語も本場仕込みなのでかなり手繰れる。特に末娘は日本での小学校1年の途中からの5年間、現地校に通っていたので、日本の小学校の記憶は全く無い。

その後、中学入学時点で日本へ戻って来たので、高校を卒業した時点で日本での生活が6年が経過し、日本語が英語に追いついたイメージなのだ。

そんな娘たちの感想を聞いて、私は自分なりの仮説を頭の中で打ち立てていた。しかしそれを口に出す前に、娘たちに問い掛けてみた。

「日本語で話す時に、どうしてそう感じるんだろうか?」

上の娘が口を開く。

「日本語で話す時って多分、そもそもどんな表現が良いんだろうとか、敬語の度合とか色々なことに気を付けないといけない。そこがとっても疲れる。

それに比べて英語は楽。私たちは英語のnative speakerで無いので、様々な表現を知らないという点はあるかも知れないけれど、変なことを考えずにストレートに口に出して良い、という安心感がある」

私は娘たちの話を聞いて、こんな風に感じていた。

日本は周りの状況や相手とかによって、表現・態度・表情などを切り替えることを無意識に要求している社会なのかも?子供たちはそれを肩苦しく感じているんだな!

そして、やはり日本は

「ハイ・コンテクスト」な国。

つまり、暗黙の了解(前提となる、知識やカルチャー)が多く、行間を読むようなコミュニケーションを要求されている。

これは勿論一つの文化。良い悪いの問題ではない。しかし、この文化が海外から見て、一つの参入障壁になっていたら、どうだろうか?

少子化が加速する日本、一方、これだけグローバル化が進んでいる世界。
今後、我々はどういう舵取りを求められるのか?

様々なことを考えさせられる、朝食での話題でした。

ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお

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