リニモの陶磁資料館南駅の前に新しい建物ができていた。この横の道を通って陶磁資料館へ行くのだが、昨年は工事中だったので、良く判らなかった。なんの建物だろう..
この記載から、明治27年に寄付されたことが判ります。
こんな感じで両側に常夜燈が設置されています。左側は見えないかな..
いけない、いけない、忘れていた!長野の出張で、ちょっと善光寺へ寄ったときに見つけた瀬戸焼の常夜燈です。対で両側に2本あります。明治27年に寄付されたようです。実は、これ、前の週に瀬戸蔵ミュージアムへ行ったとき、善光寺に寄付された瀬戸焼の染付の常夜燈がありますという解説を何気なく読んでいたので、気がついたのです。面白いものですね。たぶん、瀬戸蔵ミュージアムへ行っていなかったら、気がつかなかったでしょう。何かの力が善光寺へ染付の常夜燈を見に行くように仕向けたのかな..
尾張瀬戸に泊まっていたときに、近かったので瀬戸蔵ミュージアムへ行ってきました。とても素晴らしいミュージアムでした。瀬戸の陶磁器に関わるものがすべて展示してあり、とても勉強になりました。なかでも、2階の企画展「瀬戸のやきもの文明開化~明治・大正の瀬戸の産業と工芸美術」と3階の19世紀後期「輸出の開始と万国博覧会への参加」の展示物にとても興味を持ちました。まず、瀬戸でも明治時代に結晶釉を制作していたことに驚きました。おそらく、北村彌一郎が名古屋へ行っていますので、その時に伝授したのかもしれません。そして、1878年のパリ万国博覧会に4色(青、小円子(ピンク)、緑および茶色)の釉下彩を出展していたことに、とても驚きました。ちょっと、信じられなく、館長さんにケースの扉を開けてもらい、じっくりと見たのですが、やはりわかりませんでした。青と小円子は釉下彩だと思いますが、緑と茶はイングレイスにも見えました。まあ、割って断面を見ないと判りませんね。窯跡の破片が残っていないのかな..
やっと、家に帰ってきました。これで、出張続きの9月がやっと終わりました。長かったな。今週末、土日は、久しぶりに何もありません。ゆっくり休もうっと!火曜日は人間ドックですからね。体調整えないと..
長野は道路が広いところには、自転車道路がちゃんと整備されていました。しかし、あまり、走っていなかったな。コペンハーゲンは凄かったけど。
ホテルの部屋にいると花火の音が聞こえたので、外を見たらビルの谷間に花火が上がっていました。何これ..
ちなみに、写真は大きくなる前の花火です。大きいのがたくさん上がっていたのですが、大きくなると暗いのではっきり写りません。なかなか撮影が難しい。
そして、窓から見える夜の長野駅です。夕方まで下痢は続きましたが、夕食(おにぎり2個とバナナ)を食べた後、下痢は止まりました。午後に学会大会で行った論文発表も無事に終わり、今ホッとしているところです。
長野のホテルの部屋から見える長野駅です。今朝、まだ下痢が止まらなかったので、医者に行き、薬を貰ってから東京駅に向かいました。新幹線に乗る前にトイレに行き、新幹線の中は薬を呑んだからか眠れて、無事長野に到着しました。
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