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昭和:平成:次の元号は何になるんでしょうか?
元号を用いてる国は、世界で日本だけだそうです。
私は昭和生まれです。元号三代に亘って生きられるでしょうか?
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プロローグ
福島県猪苗代町秋元湖に流入する小倉川、その源流は、深山幽谷の流域である。勿論、地図に掲載されている林道は下流約5㎞迄で、その林道の延長は獣道であり、地図には記載も無い。その獣道を、鉈で藪を打ち払いながら源流域に歩を進める高藤隼人(60歳)、
その後に続く佐々木尚子(26歳)の姿があった。彼らの目的は、小倉川源流に生息する「天然岩魚」を釣ることである。平成二十九年八月十五日(火)午前6時10分、高藤隼人は、獣道から20㍍下の激流に向かって空中を飛んで、頭骨陥没で即死した。突き落としたのは、同行の佐々木尚子である。佐々木尚子はその時点を境に、殺人犯となった。所轄は、福島県猪苗代西警察署である。捜査を担当したのは、熊沢和重解剖医(46歳)と、刑事の網島健一(30歳)である。二人が「奇妙な矛盾」を感じたのは、死体保管室から始また。
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プロローグ
神崎京介(45歳)は、津輕ラーメンを5店舗を経営するオーナーでありであり、妻初子(44歳)長女夏奈(なな)(17歳)長男良介(16歳)の家族四人で順風満帆に暮らしていた。しかし父京介には。妻の知らない秘密があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35年前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時10歳だった神崎京介は、友達の工藤義人とその兄和重と三人で、ねぶた祭りの初日八月二日に海に泳ぎに行った。しかし低気圧の接近で海は荒れ気味、波にのまれた京介を和重が助けるが、和重は波にのまれて死亡した。和重の月命日八月二日には、和重の墓には、35年間、必ず両手をあわせに行っていた。それは、京介の両親遺言でのあり、自分の命は、和重から頂いた運命的な重いものであった。そんなある日、和重の弟の義人が倒産の危機に見舞われた。和重から命を貰った京介が、命の恩返しを行ったが・・・そのことから、京介一家の苦難の人生がはじまる。
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第三部:最終章 08:過去 09:供述の矛盾
10:裁判 11:奇妙な矛盾
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08:過去3
和重と健一は、東京総武線の水道橋駅のホームにいた。
駅のアナウンスが、後楽園ドーム球場に向かう客に、帰りの乗車券売り場は混雑するため、乗車券を先に購入して球場を向かうよう知らせていた。
ホームの混雑に押し出されるように、和重と健一は東口に出た。
総武線に沿って流れる神田川を渡り、白山通りの水道橋交差点を渡って、右手の狭い一方通行の道を右に入ると、宝生能楽堂がある。その能楽堂に隣接して、讃岐金比羅宮の東京分社があった。
和重はその讃岐金比羅宮に手を合わせて行こうと言った。
無神論者的? 健一の意志は、多少面倒くさいと思ったが付き合った。そして、物は序(つい)でと言うこともある。せっかく両手を合わせるんなら、早期にこの事件を解決して渓流釣りに行きたいと言うお願いをしようと思った。本物の無神論者なら、体面を保つために一応両手を合わせるが、願い事をしないはずだと思った。
義理で葬儀の参列を余儀なくされた場合は、形式的にではあるが、焼香をし両手を合わせる。しかし待てよ、その死者が、もし親兄弟であれば、知人・・・不謹慎ではあるが、解剖先生であれば、両手を合わし、心底から悲しみ、冥福を祈る。
無神論の一般的解釈では、神の存在を否定する思想だ。
仏陀を肯定する思想は無神論者ではない・・・のか?
健一はふと思った。人の死の悲しみは、神仏を超越した「心」にあるかも知れない。
超飛躍論であるが、死体保管BOXに入っている高藤隼人の胸部温度の異変も、今までは、そのことをあえて否定せず、本心は聞き流したていたが、常識を越えた超常現象かも知れないと、ほんとに思いは始めた。
健一は、金比羅宮に参拝ことで、無神論の定義を葛藤する羽目になった。
和重が、金比羅宮の参拝で、何を祈ったのか聞かなかった。
変な聞き方をすると、無神論議に触れることになったら、面倒になると思った。
佐々木尚子の住所は、金比羅宮の裏の高台で、東京ドーム球場が見渡せる場所にあった。
表札には「佐々木」と記されていた。
インターホンを押すのも、ちょっと躊躇するような豪邸である。
和重が健一に聞いた
「どうする?」
「どうするって、尚子と言う女性に会うしかないでしょう」
「馬鹿! 会う方法だよ。最初から警察の印籠を見せて会うのか? 会ってから見せるのかそのタイミングを聞いてんだ。お前刑事だろ。こう言う場合どうするんだ?」
「解剖先生、印籠を見せずに名前だけ言って門を開けてはくれません」
と言ってインターホンを押した。
女の声で「どちら様ですか?」
「福島県猪苗代西代警察の網島と言います。尚子お嬢様にお会いしたいんですが? いらっしゃいますか?」
「お前、お嬢様なぞと言う敬語知ってんだ」
「お前じゃありません網島です。元々俺は誰かさんと違ってお坊ちゃま育ちですから」
大きな門が自動で開いて和重と健一顔を見合わせ入る。
背後に門が閉まる音がして振り返る。
隼人の声「知らなかった。尚子はこんな豪邸のお嬢様だったのか? 俺には下町育ちで、両親は交通事故で死亡、自力で大学を出て東都電通でアルバイト、自由に休めるから渓流に・・・何故こんな嘘を!?」
立派な応接間に通された。立派と言うより豪華と言う方が適切だと二人は感じ、かしこまっていた。
お手伝いさんが、如何にも高そうなカップに入れた紅茶を、うやうやしく持って来た。
健一が、丁寧に印籠(警察手帳)を見せて
「福島県猪苗代西警察署の網島健一です」
「同じく熊沢です」
質問は健一に任し和重聞き役に徹した。
「尚子さんのお母様でいらっしゃいますか?」
「ええ母です。邦江と申しますが、尚子が何か?」
「尚子さんいらっしゃいますか?」
「尚子に警察の方がどのようなご用でしょうか?」
「ある事故の目撃者である可能性がありまして、そのお話を伺いしたくお邪魔しました」
「それでしたら今尚子は一人暮らしですから、ここにはいません」
「住所、教えて頂けませんか?」
「それはいいですが、今勤めに出ていますから、マンションにはいないと思いますが?」
「お勤め先を教えて頂けませんか?」
「東都銀行の太田支店です」
「大田区の太田支店ですか?」
「そうですが・・・名前は工藤尚子と言う名前で融資課に勤務してます」
「えっ! 工藤さんですか?」
和重と健一は驚いて思わず顔を見合わす。
「佐々木尚子では色々と差し障りがあって、本人が気を遣いますから」
「お堅い銀行でそんな事が出来るんですか?」
「主人が東都銀行の頭取ですから・・・私は反対したんですが・・・」
和重が初めて口をはさんだ。
「お母様、工藤と言う姓は、何故あえて工藤だったのでしょうかか? 何かご事情がおありようですが? 是非お話をお聞かせくださいませんか?」
「尚子も希望ですから私には分かりません。事情を聞くのは構いませんが、尚子の心に傷をつけないようにお聞きください」
M隼人の声「何という偶然だ! いや、偶然ではないかも知れない? しかも東都銀行の融資課と言えば俺の元の職場だ。しかし工藤という名字は記憶にないが? それにしても尚子が頭取の娘とは? 自由に休める謎が解けたが? 工藤ね・・・」
佐々木家を辞した和重と健一は、必然的に白山通りを春日町交差点の方向に足を運んでいた。
和重が「お前、スマホで何見てんだ?」
「名前は、福島県猪苗代西警察署、網島健一刑事です。スマホで文教区役所の位置を検索しています」
「馬鹿! それならそうと早く言えよ。此処の壱岐交差点を左折して後楽園沿いに歩6分だ」
「だったら早く言ってくださいよ」
「お前は何処に行くとも言ってないじゃないか。俺は網島健一殿のあくまで助手だからな」
「解剖先生も尚子の戸籍を調べる必要を認識してたから、僕にのこのこついて来たんじゃあないですか?」
「あくまでも俺は健一刑事の助手だ。聞かれれば答えるが、捜査の指導権は君だ」
「何でいつもこんな会話になるんでしょうね?」
「相性が合わないからです」
「相性の定義は何だ」
「共に何かをする時、自分にとってやりやすいかどうかの相手方の性質ではないですか?」
「だからお前は単細胞なんだ。特に刑事の相棒ってのは、相性がよくない者同士の相棒がいいんだ。自分にとってやりやすいかどうかの相手方の性質は、同じ発想しか生まれない。異質な相棒は、異質な発想がある。違う観点からの指摘があると言うことだ。この俺が相棒になった偶然を感謝しろ! 行くぞ文教区の戸籍係へ」
和重と健一は、そんな相棒論議をしながら文京区役所に着いた。
二人は、佐々木尚子の戸籍を調べた。
尚子の戸籍、やはり養子だった。しかも文京区の養護施設で、佐々木夫妻の養女としての記載あった。
いくら親が頭取でも自分の娘が名字を代えて就職するなんてどう考えても変だ。しかも融資部? 引っかかる・・・
和重と健一は養護施設に向かった。
和重と健一は、文教区小百合養護施設の園長室にいた。
園内の子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。
園長が語り始めた・
「市役所職員の方と民生委員の方が、ご一緒に、姉の尚子ちゃんと妹の章子ちゃんが2004年・・・たしか平成16年8月18日だと記憶しています。尚子ちゃんも章子ちゃんも小学校一年生の時です。双子の姉妹でした。そのあと縁あって、姉の尚子ちゃんは佐々木家に養子、妹の章子ちゃんは、お父さんの親戚の方に引き取られました」
和重が聞いた。
「姉妹が養護施設に来た理由は分かりませんか?」
一応記録はありますがと言って、書庫から書類を出し、和重と健一に広げた。二人は黙読した。
「平成16年5月、尚子と章子の両親は、電子基板製造の孫請けをしていたしていた。工藤電機と言う従業員五人の零細企業で、ある日、工藤電機のメインバンクである東都銀行融資部課長の高藤隼人氏から、東西電機の課長丸長光彦氏を紹介された。東西電機から毎月500万稼げる仕事を出すから、この東都銀行から一億の融資を受けないかという話を持ちかけられた。取り引きのある東都銀行の話でもあり、全財産を担保に融資を受けた。それから三ヶ月後、発注元の東西電機が倒産した。そのあおりで工藤電機も連鎖倒産。東都銀行融資部課長の高藤隼人氏は、融資資金の回収を幹部から迫られ、その債権をヤミ金に転売した。ヤミ金の厳しい取り立に絶えられず平成16年8月15日、工場で首をくくって両親は自殺」
園長が一通の手紙を差し出しこう言った。
佐々木尚子ちゃんが、六年生を卒業する時、私のくれた手紙です。
加奈子園長先生様
お母さんお願いだからその川を渡らないで
お父さんお願いだからその川を渡らないで
川の底には魔物が住んでいます
その魔物にもいじめられます
どうして勇気の斧を振りかざし、戦わないのですか
どうして勇気を涙の洪水にして、戦わないのですか
戦わないのは優しさの涙ですか
戦わないのは優しさの愛ですか
手をつないで行かないのは
お母さんの涙ですか
手をつないで行かないのは
お父さんの勇気ですか
お母さん
教えてくださいその川を渡るわけを
お父さん
教えてくださいその川を渡るわけを
お母さんお願いだからその川を渡らないで
お父さんお願いだからその川を渡らないで
平成16年8月15日
「書いてあるのはこの詩だけでした。尚子ちゃんが養子に行ったのは、たしか小学校二年生の時です。何故四年もたって六年生の卒業する時期に、ただ唐突に前文もなく、この文書を書いて私宛によこしたのか? その理由が分かりません。最後の日付を見てください。平成16年8月15日は、ご両親が自殺した日付です。しかもお盆です」
隼人の声「俺としたかとが、何故工藤と言う名前を思い出せなかったのだ? 考えて見れば当時の銀行は利益至上主義で、融資の未回収でも出せば子会社に飛ばされて後はお払い箱だからな・・・尚子は俺の復讐のために近づき、俺を空中に飛ばした。俺はピエロだ。復讐に燃えた尚子を、真実一路で愛した。旅館でもテントの野営でも俺を拒んだ。しかし俺は尚子の心を待った。許されぬ心を俺はひたすら待ち続けた。しかし、俺を空中の飛ばした尚子を許す。許さなければならない。当然だ! 俺は尚子の両親を殺した。反省しても、悔やんでも、後悔しても、謝罪しても、賠償金を払っても、神が与えた過去の時間は復元出来ない。時間は、苦悩と憎悪と、復讐心に変化した。しかし今の俺の魂は三途の川を渡れない。尚子の無罪を見届けるまでは」
09:供述の矛盾
和重と健一は、尚子と共に猪苗代西警察署の取調室にいた。
尚子の前に健一が座り、和重は壁際の椅子に座っていた。
「佐々木尚子さん、今あなたは福島県猪苗代西警察署にいます。逮捕容疑の令状を読みあげた時、あなたも確認しています。改めてあなたの逮捕容疑です。平成29年8月15日(火)福島県小倉川源流で高藤隼人さんを崖から突き落として殺害した容疑で取り調べます。その前に言っておく事があります」
「あなたには黙秘権がある・・・でしょう?」
「分かって頂いて手間が省けます」
「TVドラマでよく見ていますから。質問が一つあります。私の取り調べは、可視化されていますか?」
「可視化されています」
「そうですか? 間違いありませんね」
「間違いありません」
「それでは佐々木尚子さん、あなたは、平成19年8月15日(水)に、福島県小倉川源流で、高藤隼人さんを崖から突き落とし死亡させた。間違いありませんか?」
「間違いありません」
「ほんとに間違いありませんか?」
「間違いありません」
「どうやって突き落としたんですか?」
「私が隼人さんの手にぎり、その手を私の胸に当てた瞬間突き飛ばしました」
「あなたが手を握った理由は何ですか?」
「早朝の深山幽谷の光景に感動したからです。私にとっては初めての体験ですから、隼人さんの手を取り、こんなに胸がドキドキしているという事を分かって欲しかったのです」
「あなたが突き落とした理由は何ですか?」
「分かりません」
「あなたに殺意があったから、突き落としたんでしょう?」
「分かりません」
「あなたのご両親と章子さんの復讐心から突き落とした」
「分かりません」
「もう一度聞きます。高藤隼人さんを、あなた佐々木尚子さんが、大倉川の崖から突き落としたんですね」
「間違いなく突き落としました。でも刑事さんがおっしゃる大倉川の崖かどうかは分かりません」
「突き落とした場所はこの地図の何処の場所ですか? 指で指してください。地図を見て思い出したください」
「地図音痴ですから分かりません」
「あなたが感動した深山幽谷の場所の現場検証をします。案内して貰いますか?」
「早朝だったし、方向音痴ですから分かりません。ただ隼人さんに、連れて行ってもらっただけですから」
「あなたは自動車運転免許を持っていますよね。地図音痴、方向音痴、それでよく運転して目的地まで行けますね」
「ナビがありますから。目的地を言葉で言えば道順を教えて貰えますから」
「じゃあ突き落とした場所を言ってください」
「場所が分かりませんから言えません」
「じゃあこうしまよう。突き落とした場所の、現場検証しなければなりません。私たちがその場所へ案内しますから、突き落とした様子を再現して見せてください。あなた、小倉川って知っていますか?」
「知りません」
「ほんとに知りませんか? ほんとは知っているが、知らないそぶりをしている? ご存じなんでしょう?」
「ほんとに知りません。でも・・・」
「でも? 何ですか?」
「刑事さん、私が高藤隼人さんを突き落として殺しました。これは事実です。殺人罪です。自ら罪を認めています。自白の経緯も、刑事さんの強要でもありません。それで良いではありませんか」
「尚子さん、殺人罪で起訴して裁判をするには、証拠が必要なのです。状況証拠だけでは駄目なんです。自白は証拠にならないのです」
「でも私が高藤隼人さんの胸を突き飛ばして転落させたのは、紛れもない事実です。神に誓って宣言します。私のこの手が証拠になりませんか?」
「君! 真面目に答えろ!」
激しく机を叩く!
尚子はあまりの剣幕驚いて手が震え、瞳がうつろになる。
和重が健一の肩を叩き変われと言って、健一と入れ替わる。
和重はしばらく無言で尚子に向かい合い、尚子は首をうなだれてうつむいている。
そのうつむいている瞳から涙が落ちる。
和重がポケットから、ティッシュペーパー取りだし尚子の前に置く。尚子は置かれたティッシュで涙を拭く。
「落ち着きましたか?」
無言で首を縦に振る。
「あなたのお名前と年齢を言ってください」
うなだれたまま「佐々木尚子26歳です」
「ご両親のお名前を言ってください」
「父は佐々木俊夫、母は邦江です」
「あなたのご両親は佐々木さんですね。養子縁組みをされる前のお名前を言ってください」
「分かりません・・・」
「お答え頂きませんか?」
「分かりません・・・」
「それでは、文教区小百合養護施設言う名前をご存知ですか?」
「知っています」
「あなたの妹さんのお名前をおっしゃってください」
「工藤章子です。今は會津にいます」
「妹さんお名前はご存知なのに、何故ご自分の名前を分からないのですか?」
「分かりません・・・」
「分かりました。高藤隼人さんの名前は何処でお知りになりましたか?」
「親戚の人から、両親を自殺に追いやったのは東都銀行太田支店融資課の高藤隼人と言う人だと教えられました。そして、この銀行の佐々木さんの養子になるのも運命だと感じました」
「それでどうされたんですか?」
「東都銀行太田支店の融資課で調べました」
「意識的に調べたのですか?」
「そうです。でも東都銀行太田支店融資課の高藤隼人さんは、5年前に退職してました」
「それでどうしました?」
「融資課後輩の亀田さんと言う方に、住所を聞き、渓流釣りが趣味で、Home Pageも公開していると聞き、佐々木尚子の名でアクセスして、お友達になり、殺す機会をうかがっていました」
「それでどうしました?」
「刃物とか、毒殺とか、殺す方法を考えていました。釣りでテントに泊まる機会もありましたが、恐ろしくて殺せませんでした。
そして8月15日)早朝、悠々館を出発して獣道を一時間近く歩き、休憩した場所で崖から突き落としました」
「突き落とした川の名前は覚えていますか?」
「知りません」
「突き落とした後、どうやって帰りましたか?」
「覚えていません」
「東京の自宅へどうのように帰りましたか?」
「電車だと思います」
「突き落とした場所は行けば分かりますか?」
現場検証で立ち会わせるため、小倉川の獣道を歩き、佐々木尚子に転落場所を指定させたが「分かりません」の繰り返しで、健一が「ここが突き落とした場所だ」と言っても、そうですかと言うばかりで確証は得られなかった。
しかし突き飛ばして崖から転落させた方法ははっきり証言した。
容疑者である佐々木尚子の胸部を触る訳にはいかないので、尚子の証言を元に、和重が尚子役、健一が高藤隼人役で、会話まで覚えていた
「隼人さんにお会いしてなければ、こんな素敵な光景の中に私は立てなかった。隼人さんありがとう。朝明けの空、小鳥のさえずり、この激しい渓流の音、朝もやの中にたたずむ尚子・・・感激だわ。自然の中に埋没している実感・・・隼人さん 尚子の手を握って・・・ほらこんなに胸がどきどきしてるでしょう?」
尚子が隼人の手をにぎり、自分の胸の膨らみに、そっと隼人の手を当てた瞬間、尚子が「おじさまごめんなさい!」と言って高藤隼人の胸部に自分の手を当てて突き落とした。佐々木尚子は詳しく供述した」
付け加えての供述は、平成16年8月15日は、両親が首つり自殺をした命日でもあると言った。
崖から突き落とした具体的な証言には信憑性があった。
殺人罪で逮捕された容疑者の拘留期限は通常10日間であるが、物的証拠を探すため拘留期限を10日間延長したが、証拠は見つからず、自ら進んでの自白を根拠に起訴し、初公判を迎えた。
10:裁判
裁判長「高藤隼人さん殺人事件第一回公判を開きます。それでは検事側の起訴理由を述べてください」
検事「平成19年8月15日(水)! 午前6時10分、福島県猪苗代町秋元湖に注ぐ小倉川の源流で、高藤隼人(60歳)に連れられて渓流釣りに同行した被告人佐々木尚子(26歳)が、連れの高藤隼人を崖から突き落として死亡させた。死因は脳挫傷で即死。犯行の動機ですが、平成16年8月15日、被告人、佐々木尚子当時8歳ですが、両親は工藤電機と言う会社を経営していました。東都銀行の高藤隼人さんが紹介した、東西電機からの受注を計画して5.000万円の融資を受けた。その3ヶ月後、東西電機が倒産、融資の担保であった担保物権を没収され、それが原因で両親が自殺。その復讐心から、崖から突き落とし死亡させたものである。罰条第二十六章殺人の罪、刑法第百九十九条により、懲役20年を求刑します」
裁判長「被告人、それに間違いありませんか?」
尚子「間違いありません」
裁判長「それでは被告人に訪ねます。崖から突き落とした動機はなんですか?」
尚子「復讐です」
弁護人「裁判長。この事件を担当した刑事の証人を申請します」
裁判長「検事、よろしいですか」
検事「どうぞ」
網島健一刑事が証人台に立った。一通り本人確認の人定質問がなされ。証人宣誓が行われた。
弁護人「取り調べの過程の中で、被告人は、高藤隼人が転落死した小倉川のと言う川を認識していましたか?」
網島「認識していません」
弁護人「何故だと思いますか?」
網島「嘘だと思います」
弁護人「被告人は、高藤隼人さんを転落死させたことを、自ら積極的に自白しています。そのことは間違いありませんか?」
網島「間違いありません」
弁護人「矛盾していませんか? 犯行を積極的に自白した被告人が、犯行現場の小倉川の名前を覚えてない・・・矛盾していませんか?」
検事「異議あり! 弁護人は証人の予断を強要しています」
裁判長「異議を認めます。弁護人質問を替えてください」
弁護人「現場検証で崖から突き落とした場所の特定では、被告人は藪が多くて分からないと供述しています。立ち会った警察官が被告人が分かりませんと言っているにもかかわらず、被告人が突き落とした場所はここですよと、誘導しています。間違いないですか?」
網島「犯行現場は、林道の車止めから獣道を歩いて30分ほどかかります。その間転落死するような、藪がなく川底が見えるような場所は一カ所もありません。初めて藪がなく、川底の見える場所は犯行現場だけです。その場所と転落した場所は一致します。確かに、被告人は転落死させた場所は分からないと供述していますが、この場所以外物理的に突き落とすことは不可能です。ですから、この場所ではありませんか? と指摘しました。それが誘導か捜査か否かは、この法廷で判断願います」
弁護人「証人、この場所ではありませんか? と言ったことは間違いありませんか?」
網島「間違いありません」
弁護人「質問を替えます。高藤隼人の死亡時刻は何月何日の何時ですか?」
網島平成29年8月15日(火)午前6時10分です」
弁護人「もう一度確認します。その時刻に間違いありませんね」
網島「間違いありません。転落時、腕時計が6時10分で止まっていました」」
弁護人「犯行現場は、林道の車止めから獣道を歩いて30分ほどかかりますと証言していますが、逆に、犯行現場から下って林道の車止め迄の時間は何分かかりますか?」
網島「男性の足で25分前後だと思います」
弁護人「女性の足ではどうでしょうか?」
網島「下りですからそう大差はないと思いますが?」
弁護人「じゃあ25分プラスマイナス5分程度と断定してかまいませんね」
網島「はい」
弁護人「それでは、林道の車止めから磐越西線の猪苗代駅まで、最短距離で車だと何分かかりますか?」
網島「計ったことはありませんが普通に走れば20分ほどだと思いますが?」
弁護人「分かりました。犯行現場と想定される場所から林道の車止めまで25分、車止めから駅までおよそ20分、犯行現場から磐越西線の猪苗代駅までは45分、急いでいても30分の時間が必要です。裁判長証拠書類一号と二号を提出します」
法廷のモニターに、佐々木尚子画像が表示される
弁護人「この写真の人物は、この法廷内にいますか? しっかり見て名前を言ってください」
網島「被告人の佐々木尚子です」
弁護人「被告人に間違いありませんか? 再度しっかり見てください」
網島「間違いありません」
弁護人「一号写真は、被告人が平成29年8月15日(火)午前6時23分発、JR磐越西線猪苗代駅改札口の、監視カメラの画像です。二号写真は終着駅郡山駅に七時十分に到着した改札口の監視カメラの画像です。高藤隼人死亡時刻は平成29年8月15日(火)午前6時10分です。犯行現場から始発の郡山行きに乗車するには十三分の時間しかありません。この十三分間でどうやって始発列車に乗車したんでしょうか? 証人は説明出来ますか!?」
網島は返答に窮した。
法廷がざわめいた。
弁護人「質問を終わります。次に被告人に質問したいのですが?」
裁判長「異議ありませんか?」
検事「ご随に・・・」
裁判長「被告人証言台の前に」
佐々木尚子が証言台に立つ。
弁護人「被告人に改めて聞きます。あなたは、大倉川の源流で、高藤隼人さんを崖から突き落としましたか?」
尚子「突き落としました」
弁護人「ほんとうは、突き落としてないんでしょう」
尚子「突き落としました」
弁護人「高藤隼人の死亡時刻は6時10分ですよ。突き落とした時間が6時10分であなたが磐越西線の猪苗代駅始発列車に乗車した時間が6時23分です。この13分間でどうやって駅まで行ったんですか?」
尚子「分かりません」
弁護人「ほんとうに分かりませんか?」
尚子「ほんとうに分かりません」
弁護人「裁判長、被告人の精神鑑定を希望します」
突然尚子が、苦しみながら腹部を押さえて床に倒れる。
騒然とする法廷
弁護人や監視がそして和重が駆け寄る。
和重は脈を診て「救急車!」と叫ぶ。
11:奇妙な矛盾
病室の廊下に和重と健一と女性監視がいる。
医者と看護師が病室から出て来ると、解剖医の先生はどなたですかと問いかけた。
三人は立ち上がり
「解剖医の熊沢和重と言います。こちらか網島刑事です」
「救急車で搬送されて佐々木尚子さんですが、妊娠していました」
「やはりそうでしたか」
「二ヶ月でしかも妊娠中毒ですので治療が必要です。しかし不思議な事を話していました」
「何です? その不思議な事って?」
「先生、私一度も男の方との経験がありません。妊娠二ヶ月ってほんとうですか?」
「どう言う事ですか?」
「本人の言葉ですから」
「想像妊娠の疑いは?」
「私の診察では200%その疑いはありません。エコーで診断していますから。画像ご覧になりますか?」
「いや、結構です。想像妊娠では、妊娠中毒の症状は起こりませんですね」
医者「その通りです。一度も性行為の経験がない女性の妊娠・・・あり得ません・・・」
健一が言葉をはさんだ。
「取り調べ中の彼女・・・そう言えば何だか変でした。崖から突き落とした事は、自ら積極的に自供していながら、可視カメラの質問から始まって、分かりませんの繰り返し、弁護人提出の、磐越西線猪苗代駅の監視カメラの画像を、本人である事も認めていません。突き落とし現場の時間と猪苗代の矛盾した時間を、弁護人から聞かれた時も「分かりません」の証言。殺人容疑ですよ。ほんとうに猪苗代駅から6時23分の列車に乗車していれば、何故我々に話をしてくれなかったのか? そう思いませんか?」
「彼女がほんとうに突き落としから、説明がつかなかった」
「不思議な事が多すぎますね。高速道猪苗代IC監視カメラ、犯行当日の国道115号線の監視カメラ、猪苗代駅の監視カメラには、6時23時分発の乗客は、女が一人と男が四人で、女は別人で尚子の画像なかった。それが弁護人の調査では、猪苗代駅の監視カメラには尚子の画像があった。俺の調査では尚子の画像は100%なかった? まさか、弁護人が証拠を偽装?」
「それもないな」
「俺の監視カメラの調査ミス? ですか」
「それもないな」
「それもない、それもない、その根拠を説明願いませんか?」
「この事件、科学的に証明出来ない項目が四つある。一つ目は、高藤隼人の胸の温度。二つ目は被疑者の証言の矛盾、崖から突き落とし事を認めながら、前後の事は分かりませんの繰り返し。三つ目は、崖から突き落とした時刻と猪苗代駅との時刻の矛盾。四つ目はヴァージンでありながらも妊娠した事実。この四つの項目がすべて事実だとしたら? いや事実だ! ・・・そして物理的には説明出来ない何かが動いた?」
「そんな? ・・・何かってなんです?!」
「空間と時間の四次元のエネルギー」
「何ですそれ?」
「平たく言えば高藤隼人の魂のエネルギー・・・まず猪苗代駅の画像を再確認する必要があるな。急ごう」
急遽郡山警察へ、平成29年8月15日(火)猪苗代駅始発午前6時23分発、郡山駅着七時十分着の降車客の中に、佐々木尚子の画像の確認を依頼した。
一方、和重と健一は、猪苗代駅で佐々木尚子のホームに入る姿を、改札口の監視カメラで確認した。
弁護人が提出した証拠の画像と同じであった。
しかし、健一は納得がいかなかった。
見間違いではない。
署長室での初期捜査の報告を思い出した。
「勿論調べました。猪苗代駅始発郡山行き6時23分、乗客は女性は1名4名は男性、次の列車7時6分、乗客20名で男性15名、女性5名、次の列車8時9分では乗客人数は確認していません。いずれにしても、念のため調べただけで、特定された人物がいなくては確認出来ません。しかし画像の保存は頼んであります」
乗客は女性は一名四名は男性と報告した。1名の女性の顔は、佐々木尚子の顔では無かった。「特定された人物がいなくては確認出来ません」と報告したのもミスだった。画像を印刷して保存すべきだった。
しかし、今回確認したのは、紛れもなく佐々木尚子であった。
そんな時和重が「あっ!」と言った。
「何です? 熊沢先生?」
「お前、今熊沢先生と言ったな」
「そんなことはどうでもいいです。我々の捜査能力を否定されている状況ですよ」
「俺はお前の臨時雇いの助手だよ」
「素直な気持ちで何とかなりませんかね・・・お願いしますよ熊沢先生」
「居酒屋で俺が言ってたことを覚えてるか?」
「何を言ってましたっけ?」
「その現象が異常だと分かってくれると思ったからだ。仏さんの転落に直接関係あるとは思わないが・・・もしかして、そのもしかがあるかも知れない」
「何ですかそのもしかって?」
「お前なぁ! 馬鹿じゃないか? 分からないから、もしかって何だよ。分かってたら今言うよ」
「思い出したか?」
「思い出しました。そのもしかして・・・が分かったんですか?」
「どう考えても、高藤隼人の死亡時刻は6時10分は事実だ。今見た改札口の画像も見ての通り事実だ。共犯者がいるな」
「共犯者? 佐々木尚子のそっくりさん・・・あっ! 文教区小百合養護施設の園長の話・・・双子の妹章子!?」
健一は直ちに文教区小百合養護施設の園長に電話して、工藤章子が引き取られた親戚の名前と住所を聞いた。
名前は父親の工藤公明、その姉工藤弥生、その弥生の嫁ぎ先で迫田義家、住所は福島県會津湯川村と教えられた。
湯川村は、猪苗代から磐越道に乗れば40㎞の距離である。
和重と健一は直ちに湯川村に向かい迫田家を訪問した。
迫田家で二人を迎えてくれたのは悲しい現実だった。
迫田夫婦は二年前に交通事故で亡くなり、迫田義家の母君子(70歳)が一人で暮らしていた。
尚子の妹章子も、三年前癌で亡くなっていた。和重と健一は座敷に案内され、仏壇の写真を見た。そこには、迫田夫婦と章子の写真が置かれていた。写真の章子は尚子とそっくりで、猪苗代駅の画像の尚子と、この写真の章子と比較しても、区別が付かなかった。老婆の君子の話だと、親もよく見間違えるほど区別がつかないらしく、結んだリボンの色で判別しているとの話であった。
完全な一卵性双生児であったと思われる。完全と言う単語を使うのも変だが、それほど瓜二つだと言う表現だ。
君子の話によると、章子が亡くなる半年前から、尚子はこの湯川村に移住して、付き添って献身的に看病していたと話した。章子の病は不幸ではあるが、7歳から引き離された姉妹が、一番楽しい時期だったのではないかと君子は話した。
章子が逝った時の尚子の悲しみは、章子ちゃん許して、章子ちゃん許して、と言って号泣していた・・・魂の叫びのように聞こえたと君子は話した。
和重と健一は迫田家を辞した後、帰路の車内で、工藤家が生きた時間の悲しさを感じていた。
「章子ちゃん許して」と言う意味は何だろう・・・と、健一は和重に問いかけた。
「さぁ・・・何だろう、俺にも分からん。署に帰って今回の件冷静にもう一度振り返って見ないか」
「そうですね。検察にも協力して貰う必要が・・・迷惑をかけていますから」
「署長にも、検察にも、協力して貰う必要はない」
「どうしてですか?」
「常識を越えた現象だからなぁ~検証は俺のうちでやろう」
「えっ! 解剖先生の自宅でですか?」
「そうだ」
和重の提案で自宅に向かった。健一が和重の自宅を訪問するのは初めてある。
表札には「小島」と書かれてあった
健一は、表札の「小島」に疑問をいだき質問しようとしたが、和重が「ただいま」と言って玄関を入っ
ていった。
「お帰りなさい」と出迎えたのが、何と、生活安全課の小島夏子だった。驚く健一にお構いなく応接に案内されて。
健一は、和重と夏子の顔を交合に見ながら
「どう言うことですか!?」
「そう言うことだ。結婚している。とにかく署には極秘機密だ。君を信頼している。夏ちゃん整理した項目を見せてくれ」
■佐々木尚子の画像と供述の矛盾
死亡時刻・・・・・・・午前6時10分:殺人自白
猪苗代駅始発時刻・・・午前6時23分:分かりません(不可能)
郡山駅着・・・・・・・午前7時10分:分かりません(不可能)
山形空港JAL 178便・・午後19時00分:佐々木尚子を確認
健一が聞いた。
「この山形空港って?」
「夏ちゃんに、犯行後の佐々木尚子の足取りを調べって貰った」
「夏ちゃん!?」
「そう。生活安全課は暇でしょう。郡山駅・福島駅と空港・仙台駅と空港・山形空港・その山形空港でJAL 178便の東京行きに搭乗しては。その監視カメラの画像がこれよ」
夏子が写真をテーブルの上に置いた。
■説明がつかない超常現象
高藤隼人の胸部温度6度
佐々木尚子の妊娠
猪苗代駅始発時刻・・・午前6時23分
郡山駅着・・・・・・・午前7時10分
■裁判の論点
殺人行為の自白と猪苗代駅始発時刻午前6時23分の矛盾。
検察は、犯行時刻午前6時10分~猪苗代駅始発時刻午前6時23分、この「13分」の矛盾を論破出来ないまま裁判が終了した。
判決は「無罪」
根拠は「自白は証拠にならない。13分間の物理的な根拠の説明がない」その2点だった。
検察は上告を諦めた。
その時点で、佐々木尚子の「無罪」が確定した。
高藤隼人殺人事件は、一事不再理の法律の元で二度と起訴されることは無かった。
一事不再理とは、刑事事件の裁判に於いて、確定判決後は、その事件を、再度起訴されることはないとする刑事訴訟法上の原則があった。根拠は憲法39条、刑事訴訟法337条、338条、340条である。
無罪判決後、和重と健一と夏子は死体保管室にいた。
立て続けに奇妙なことが起こった。
和重が、死体保管BOXから、高藤隼人の死体を引き出し、胸部の温度を測定した。
6度から2度変わっていた。
そこに佐々木尚子が緊急入院した医師から電話があった。
佐々木尚子の妊娠を確認したエコー画像の胎児が、消えていたと話した。
さらに猪苗代駅の駅員から、保管していた8月15日の画像を、消去してもいいかと言う電話が入った。
健一が、念のため佐々木尚子の画像を送ってくれと頼んだ。
健一のスマホにその画像が送られてきた。
佐々木尚子とは似ても似つかない別人であった。
和重が言った。
「胸部の温度・消えた胎児の画像・猪苗代駅の佐々木尚子の画像が別人・・・そしてこの奇妙なことが、死体保管室の中で、連続して現実になった。まるで誰かに指示のされているように・・・」
その時、突然、幻想的な音色が木(こ)魂(だま)して聞こえた。
夏子が「何? この木魂? 和重さん、健一さん、聞こえているよね・・・」
尚子の悲しい声が響いた。
お母さんお願いだからその川を渡らないで
お父さんお願いだからその川を渡らないで
川の底には魔物が住んでいます
その魔物にもいじめられます
どうして勇気の斧を振りかざし、戦わないのですか
どうして勇気を涙の洪水にして、戦わないのですか
戦わないのは優しさの涙ですか
戦わないのは優しさの愛ですか
手をつないで行かないのは
お母さんの涙ですか
手をつないで行かないのは
お父さんの勇気ですか
お母さん
教えてくださいその川を渡るわけを
お父さん
教えてくださいその川を渡るわけを
お母さんお願いだからその川を渡らないで
お父さんお願いだからその川を渡らないで
尚子の声が消え、渓流のせせらぎの音に変わって消えた。
夏子がつぶやいた。
「これって・・・いったい何なの?」
和重がつぶやいた。
「魂の詩・・・」
終わり
第二部(03~07)
03:署長室
署長と和重と健一と刑事A・B・の五人がいる。
健一が口火を切った。
「署長、高藤の転落死どう処理しますか? 事故である証拠もないし、自殺である証拠もないし、殺しと思われる証拠もないですが?」
「署長、ないないづくしでは事故死で処理するしかありませんな」
「殺しの本部をたてる確たる根拠もありません。署長、事故処理の決断願います。人もいませんし、本部をおっ立てれば県警のお偉い人も来ますし面倒です。健一の言った通です。事故死の証拠なし・他殺の証拠もなし・自殺の証拠もなし・隠蔽ではありません。証拠がないのです。気の毒だが、こんな深山幽谷の場所に一人で入るなんて非常識です。最低限でも二人でしょう。刑事はろくでもない健一を含めこの四人です」
「班長、ろくでもない刑事はないでしょう! だったら班長はろくでもあるんですか?」
「班長の目線から見たお前はこうだ。何時も上司に逆らう。命令に逆らう。協調性がない。単独行動に走る。だから相棒になる刑事も毛嫌いする」
「班長、俺の名前は網島健一! お前という名前ではありません! あっ! そうだ署長、生活安全課に小島夏子と言う巡査がいます。俺の相棒として刑事課に異動させてさせて頂きませんか?」
「そんな話は、移動申請書類を本人が出した時点で検討する」
「やはり、署長は今回の相撲何とかと同じですね?」
「何だ、相撲何とかと言うのは?」
「いや! いいです。この話は聞かなかったことにしてください」
「署長、一言いいですか?」と、和重が言った。
「何ですか熊沢先生?」
「殺人にしろ、自殺にしろ、事故にしろ、その証拠を見つけるべきではないでしょうか? 私は解剖医です。死因を特定するのが私の仕事です。この仏さんが事故死であれば、その証拠を確認すべきではないでしょうか? 証拠に基づいて正確な判断をするのが警察の正義です。警察学校の校長時代、私は生徒にそう教えて来ました」
「解剖先生も青臭いご意見ですなぁ」
和重が反論した。
「事故死の証拠もないのに、事故死の処理は青臭くないんですかねぇ?」
「この猪苗代署は、刑事はわずか四人です。遊びの渓流釣りで転落して四人が捜査に駆り出されれるのはいい迷惑です。それとも解剖先生、刑事見習いで応援頂きますかね?」
「署長、不承ではありますが、この網島健一、捜査は二人が基本ですが、私一人でやりますよ。しかし解剖先生が応援して頂けると、二人になりますが? 署長この案如何でしょうか? 解剖先生もどうせ暇なんですから」
「どうせ暇とは何だ! その言いぐさはないだろう。それに解剖先生とはなんだ! 熊沢先生と呼べ」
「網島の相棒は熊沢先生決できまりだな。事故の証拠・自殺の証拠・他殺の証拠・三ない尽くしの証拠を探してくれ
04:居酒屋
その居酒屋は高台にあり、猪苗代湖の夕景が、ゆれる波に幻想的に漂っていた。窓から眺める光景は、居酒屋ならぬ、リゾートレストランと言う雰囲気である。
しかし店内の造作は、完全な居酒屋で、男女問わず客には人気があり、午後六時には何時も満席状態である。
和重と健一は、カンターの端に美しい風景には背を向けて座っていた。その時店員が
「解剖先生お待たせ、特別注文の銀河ビール生です」
「解剖先生って呼ぶなと言ったろう」
「へい! 分かりました解剖先生」
「何だあの野郎! 全然分かったないな」
「いいじゃないですか解剖先生、刑事見習いの解剖先生と、優秀な網島健一刑事に乾杯!」
隼人の声「あんたたち、こんな居酒屋で酒飲んでる暇ないだろう! 俺の転落現場まで行って、尚子の足取りを確認するのが先だろうが」
「健一、これからどうする? 殺しだと言う前提で捜査するのか?」
「初期段階で、前提での捜査はしない。現段階で分かっている事実は、仏さんが高藤隼人60歳、死因は崖から転落して脳挫傷で即死。死体の胸の温度が6度と高い。解剖先生、署長室で胸の温度のこと、何故言わなかったんですか?」
「俺にその原因が分かっていないのに、彼らにどうやって理解出来る説明をするんだ」
「俺にはどうして説明したんですか?」
「その現象が異常だと分かってくれると思ったからだ。仏さんの転落に直接関係あるとは思わないが・・・もしかして、そのもしかがあるかも知れない」
「何ですかそのもしかって?」
「お前なぁ! 馬鹿じゃないか? 分からないから、もしかって何だよ。分かってたら今言うよ」
「どうでもいいけど解剖先生、お前と馬鹿呼ばわりはしないでください」
「お前な! ・・・じゃなかった網島健一君、どうでもよかったら俺に言うな」
「分かった。話題を変えよう。解剖先生の趣味は絵だったな?」
「お前な、解剖先生って言わない約束だろう」
「解剖先生もお前、お前って言わない約束でしょうが?」
「まあいいっか。単細胞のお前だ。しょうがないから許す」
「単細胞のお前って何ですそれ?」
「まあいいから、いいから・・・で、唐突に絵がどうしたんだ?」
「写実派? 印象派? どっちです?」
「えらい難しい質問だな? 強いて言うなら自己流で物まね派だな。しかし基本はデッサンだからな? その質問はどう言う意味だ?」
「似顔絵、描けます?」
「ああ、そう言う意味か。大学時代路上で似顔絵描きのアルバイトしてたからな」
「ああ、絵描きくずれの解剖先生ですか?」
「お前な・・・
「分かりましたよ。熊沢先生」
05:転落現場
翌日、早朝朝もやの立ちこめている中、ヘッドライトを点灯してきた四駆が、林道行き止まりの駐車場所に止まる。
その四駆から和重と健一が降りて来る。
規制線すら張られていない駐車場所を、和重と健一はお義理といった感じで周囲を見て回る。新しい発見は何もない。
高藤隼人の四駆は、猪苗代西署に保管してあるが、一応鑑識が車内を調べたが、これって言った異常がなかった。
「とにかく転落した位置まで行ってみるしかないな」
健一はそう言って、装備を調えて、鉈を腰に、熊よけの笛を和重に渡した。和重は「熊よけって鈴じゃないのか?」と聞いたが、「それが素人の赤坂見附、熊の野郎は、用意どんの笛の音が連続でこだますれば、絶対に近づかない」
「お前、保証するか!」
「お前は保証出来ないが網島健一は保証する」
「じゃあ、網島健一君、行きますか?」
「その前に念には念を入れろと言うこともあります。熊よけの基本作業があります。ちょっと待ってください」
健一は、ポケットから爆竹を取りだし火をつける。
爆竹の音が、大倉川流域に大きくこだまする。
「解剖先生、これで熊の野郎とは200%遭遇しません。保証します」
そう言って健一は鉈を片手に獣道へと入って行く。
和重はその後を追って、健一の背中を見ながらついて行った。
健一の歩く背中の揺れを見ながら、再び死体保管BOXに入っている高藤隼人のことを思い出した。
どう考えても、胸部の温度が6度~5.5度は異常だ。死体保管BOXの温度は2度、プラスマイナス1度に設定して有る。解剖医の資格を取得してから10年、解剖医の経験では10年はまだ浅い方だが、それにしても摩訶不思議な現象であることには間違いない。解剖学会の先輩にも相談したが、「珍しく特異な現象であることには間違いない。解剖学の常識をくつがえす新発見につながるかも知れない。是非胸部を開けて見てはどうか? その場合俺も立ち会わせろ」との見解であった。
しかし、和重は胸部を開けることに戸惑いを感じた。理由は分からないが、何故か、死体の声が、いや死体の意志が、「メスを入れるな!」と叫んでいるような気がした。
他殺死体は、詳細な検体・解剖・鑑識による現場捜査により、死因を特定し、犯人の手がかりと見つける。そのような場合「死体の声を聞け」とよく言われている。
高藤隼人の場合、崖から落下したこと・死因は落下したことによる脳挫傷・即死・衣服その他争った状況はなし・目撃者もなし・
林道に駐車してあった車両も、鑑識の結果異常なし・誰が見ても事故による転落死の状況証拠がそろっている。
但し、和重の引っかかるのは「胸部6度」だ。
その「6度」の数字が、高藤隼人の死体の叫びと思えた。
理屈ではない。和重の感情である。
突然鋭い笛の音が響いた。
和重が健一の背中に声をかけた。
「何だ、驚かすなよ! 熊でも出たか?」
健一が立ち止まって振り返り
「解剖先生、熊と会わないための笛と言いましたよね。黙って僕の後ろについて来るだけではなく、時々笛ぐらい鳴らしてくださいよ」
と、言って前に進み始める。その背中に和重が声をかける。
「岩魚って魚は、こんな奥まで来ないといないんか?」
「養殖なら釣り堀もありますよ」
「だったらその釣り堀で釣れば簡単だろう」
「登山とおんなじです」
「何でおんなじなんだ?」
「そんなことぐらい分かんないんですか?」
「あいにく俺は、山とか釣りとかに興味がないんでね。女性には興味があるが、結果はお前とおんなじだ」
「お前とは何です!」
「失礼。網島健一君と同じだ」
「何が同じですか?」
「常にふられている」
「残念です。僕の場合はその逆、好みの女性がいないから僕の方から願い下げています。端的に言えば、結婚出来ない男ではなく、結婚しない男です」
「なるほど、俺は結婚出来ない男と言うわけか?」
「その通りです。解剖先生」
「お前、熊沢先生と言え」
「熊沢先生、お前じゃなくて網島と呼んでください」
「お前と話していると、何故意味のない次元の低い会話になるんだ・・・どうでもいいから俺の質問に答えろ」
「何の質問だったっけ?」
「馬鹿! 登山とおんなじだ・何でおんなじなんだ? と言う会話だろう」
「あっ、そうだった。1920年イギリス登山家マロリーが「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから」と答えたという逸話は有名です。日本語では、しばしば「そこに山があるから」と意訳されて流布しています。僕の岩魚釣りは「そこに天然岩魚がいるからだ」と言うわけです。登山家マロリーと同じ思想です」
「俺は何故警察官になったんだ? それは悪を正義が正すため・・・と言う訳?」
「解剖先生、もしかして、この僕を揶揄してるわけですか?」
「褒めてんだ。マジで・・・」
転落原因を調べる本筋から遺脱する会話を続けて約30分、高藤隼人が転落した現場に到着した。
林道が切れた車止めから、獣道を大倉川沿いに進み、この転落した現場までは、人の踏み跡だけの道幅は、10㎝~20㎝道しかない。その道の左岸は45度~80度の崖、右岸は垂直の崖で、獣道から約20㍍下に、大倉川の激流が走り、木が生い茂り、川底を見ることが出来ず、激流の音と、小鳥のさえずりだけが聞こえるまさに深山幽谷の世界である。
そんな獣道が開けている最初の場所が、高藤隼人が転落した場所
であった。健一はスケールで道幅を計測した。
道幅:80㎝。
道幅80㎝を維持している距離:120㎝。
川底が見える右岸の路肩:40㎝。
健一が計測を済ませ、和重が写真を撮り、一応簡単な転落場所の検証は終わった。和重が言った。
「俺は解剖医でお前の・・・失礼、網島刑事殿の助手だが、これは他殺だな」
「ほう・・・解剖先生は他殺説ですか?」
「お前、熊沢先生と、尊敬の念を持ってよべ」
「お前の呼称には、今回異議をはさみません。で、熊沢先生、この現場を検証された見立てで、他殺の根拠は?」
「消去法で見立てる
①・事故
不注意で転落した場合、転落防止を阻止した痕跡がない。木の枝を掴むとか、滑り痕とか、転落を阻止した証拠が全くない。さらに決定的なのは、仏様の高藤隼人はお前のような釣りキチと見た。そんなベテランが、こんな場所で心臓発作か脳梗塞でもならないかぎり転落のしようがない。その疑いの兆候がある場合はMRIの検査が必要だが、熊沢先生としては、その要因が認められない。
②・自殺
深山幽谷のこの場所まで徒歩で来て、自殺する理由が見当たらない。不自然である。
③・他殺
事故説と全く同じ状況で転落した場合、転落防止を阻止した痕跡がない。木の枝を掴むとか、滑り痕とか、転落を阻止した証拠が全くない。それらの状況で転落したのであれば、何者かが待ち伏せして咄嗟に突き落とすか、警戒心のない知人が油断をさして突き落とすかのどちらかだ。結論は他殺だ。動機は怨恨」
「さすが熊沢先生、見事な見立てですね」
「お前、異論はないのか?」
「異論はあります。僕は網島です」
隼人の声「さすが解剖先生と田舎刑事だ。ここまでの推理はあってる。しかしここからが難題だな。他殺・怨念・その怨念こそが俺が知りたい問題なんだ。怨念とは、恨み・遺恨・と言う意味に於いては同義語だが、怨念と言う言葉は、気持ち的には幽霊を連想する。尚子が俺の胸を押して突き落とす時に「おじさまごめんなさい」と言った。その「ごめんなさい」と言う理由が知りたいんだ。ああそうそう。解剖先生、俺の胸部の温度が高いのは、尚子の手のひらで強く押されたからだ。尚子の愛が、尚子の手を通して、稲妻のように俺の心に突き刺さった。俺は、殺されたからと言って、決して尚子を憎んではいない。幽霊になってさまよったりもしない。むしろ、尚子の殺意を実現させて、喜ばしいと思っている。しかし・・・しかしだな、尚子が俺に言った「ごめんなさい」の理由が知りたい」
和重と健一は林道の駐車場所まで戻った。
健一が言った。
「ここに死んだ高藤の四駆が駐車していた。で、四駆はそのままになったいた。その四駆に高藤を突き落とした犯人が同乗していた。もしくは、犯人が高藤の車両の跡をつけて来て犯行に及んだ。それとも、高藤がこの小倉川の獣道へ来ることを事前に知っていて、先回りして待ち伏せていた」
「その可能性もあるが? 死体を釣り人が発見したのが午前7時10分、死亡推定時刻は午前6時10分。この場所まで来て待ち伏せするには余裕を見ても5時50分までには犯人はこの場所に到着していなければならない。しかも懐中電灯持参でこの獣道を一人で歩くことになる。いくら釣りキチのお前でも無理なんじゃないか?」
「そう言われて見るとこの優秀な網島刑事でも無理ですね」
「待ち伏せずに高藤の四駆に同乗して来た」
「前日にこの場所に車を用意して駐車する。翌日高藤の車に同乗して来て、犯行後に前日駐車して置いた車で堂々とこの林道を下った?」
「事前にこの山中に駐車すれば怪しまれるんじゃないか?」
「それが怪しまれないんだなぁ~、渓流では、先に駐車している車を先行車と言う。渓流釣りでは、先に川に入った釣り人を先行者と言って、先行者の入った川には原則的竿を出さない。理由は川が足音で荒らされ、魚が岩に隠れて釣れないからだ。危険を察知して岩陰に隠れる魚を、岩の魚と書いて岩魚と言う。そう言う訳で、後から来た車は、先行車の窓越しに必ず車内を見て、釣りか山菜採りか確認する。したがって怪しまれることはない。だが難点は、駐車車両は必ず目撃されます」
「しかし君の説だと、事前に車をこの場所に用意しても、歩いて戻らなければならない。それこそこんな林道をのこのこ歩いていれば怪しまれる。国道までは1㎞もあるぜ」
「解剖先生、初めてお前じゃなくって君と呼んでくれたんだ。どう言う心境ですか?」
「そんな事はどうでもいい。俺の質問に答えろよ」
「歩いて人に会っても怪しまれない方法があります」
「その方法とは何だ?」
「渓流釣りの服装で歩くことです。この小倉川の場合、源流は谷地平でその上は 吾妻山と峰は東大巓(てん)ですが、獣道は登山道として地図に記載されていません。従って登山者は皆無で、この林道を使用する者は、山菜採りか渓流釣りの人かどちらかです」
「なるほど」
「しかし、山菜採りの人は、この林道をのこのこ歩く人はいません。車で乗りつけすぐ山に入りますから」
「渓流の服装をしていると怪しまれることなく自由に歩ける」
「特に竿を片手に持っていれば完璧です」
「その場合、男女の区別はどうかね?」
「一見女性と分かる服装でもしていれば別ですが、サングラスで、男の服で馬鹿長(胸まである長靴)でも履いていれば、必然的に男と見なしますよ。昨今は渓流女子と言う言葉もありますが、この厳しい小倉川では女性では無理です。しかし・・・」
「しかし?」
「この車止めから、獣道を歩くには女性でも充分可能ですから」
「なるほど! お前、いい推理してるな?」
「一応刑事ですから」
隼人の声「なるほど。尚子は俺を空中に泳がせたあと、俺の車を置いて帰ったんだ。乗って帰れば、転落した俺の車がないのはどう見ても不自然だからなぁ~、そう言えば俺の車が駐車する前に車が一台止まっていた・・それが尚子が事前に用意していた車かも知れない」
06:経過報告
小部屋に署長と、和重、健一がいる。
三人の捜査会議である。
署長は後悔していた。署長の権限で、事故処理で終わらせればよかったと思った。何もこのお盆の時期に、県警に内密で・・・いやまだ殺しと分かっている訳でもない。証拠もない。今さら捜査を中断する訳にもいかない。とにかく署長の資質は優柔不断なところである。捜査の進捗も気になって。しかし全体会議を避けたかった。外の刑事の見解も、和重と健一の話が、署長の沽(こ)券(けん)に関わるような話になることを恐れた。だから署長一人で捜査経過を二人だけに聞いた。本人もそのことを理解しているが、どうにもならない。だからいらだっている。署長は健一にふてくされているように質問した。
「高藤の免許書の住所はどうだった?」
「免許書の住所は合っていましたが、十年前から廃屋になっていたそうだ」
「戸籍の住所は?」
「免許書の住所と同じです」
「戸籍の住所に出かけて見る必要はないのか?」
「あると思いますがまだ行っていません」
「高速道はどうなってる?」
「東北道監視カメラの画像を一応調べています」
「その結果は?」
「8月14日午前11時5分、さいたま新都心から入って、15時10
分に猪苗代ICを出ています。運転する高藤の顔が写っていたいましたが、同乗者の顔はありません。ちなみ8月15日)、高藤が転落した当日、猪苗代方面から来た国道115線の監視カメラは、高藤の顔はありましたが同乗者の顔はありませんでした」
「転落した後の、JR磐越西線の猪苗代駅、犯行日の8月15日)午前六時以降の時間は調べたのか?」
「勿論調べました。猪苗代駅始発郡山行き6時23分、乗客は女性は1名4名は男性、次の列車7時6分、乗客20名で男性15名、女性5名、次の列車8時9分では乗客人数確認出来していません。いずれにしても、念のため調べただけで、特定された人物がいなくては確認出来ません。しかし画像の保存は頼んであります」
署長が電話で席をはずした。
署長と健一の会話を黙って聞いていた和重が
「何だか何時もの口調はなかったな? 何故だ?」
隼人の声「そう言えば、当日の尚子はまだ眠いとか言って座席を倒して横になっていたからなぁ~115線の監視カメラに写っていない訳だ。とにかく俺たちは行きつけの旅館悠々館で待ち合わせして宿泊した。ぐずぐずしないで、旅館の方を早くあたってくれよ」
和重が「宿泊先をあたるしかないようだな?」
独り言でつぶやいた。
「解剖先生、この捜査何となく気分的にもやもや感があるような気がするんですが?」
「もやもや感って何だ?」
「何だと言われても、具体的には言えないが、すっきりしないもやもや感だ。そうは感じませんか、解剖先生」
「高藤隼人の幽霊でもついているかな? 死に方も死に方だからなぁ」
「何者かに突き落とされて即死。ごく一般的な犯罪ですよ」
「俺の言ってるのはその現象だよ」
「現象って?」
「胸の温度さ」
「ああ・・・あれですか? 医学的に不可解な現象・・・」
「今朝も死体保管BOXを引っ張り出し、胸部の温度を測定したが5.5度だった。今日で保管BOXに入っているのは三日だぜ。繰り返すが保管BOXの温度2度。どう考えても理屈では説明出来ない現象・・・そのせいでお前に幽霊が取り憑いている?」
「何で俺だけなんですか? 解剖先生には、取り憑いていないのですか?」
「俺の心は死者の幽霊は信じないが魂は信じる。お前は幽霊も魂も信じない。だからもやもや感がある」
隼人の声「解剖先生の言う通りだ。俺の魂が彼のもやもや感だ。彼の無意識で真摯な気持ちが俺の魂を感じてもやもや感になる。俺は当分二人の意識の中には入らない。もやもや感で捜査が遅延したら俺もこまる。三途の川を渡る期限も決まられている。早く尚子を見つけ「ごめんなさい」の訳を調べてくれよ」
07:聞き込み
猪苗代町の宿泊施設施設は65施設もある。リゾートマンションや別荘を含めると宿泊可能な施設の正確な数は分からない。それこそ捜査本部を設置、本部長命令で、一斉に虱(しらみ)潰しであたるしかない。宿泊施設・リゾートマンション・別荘・大きく分けて三つのグループがあるが、常識的に65施設ある宿泊施設から手を着けた。基本的には、聞き込みは二人が原則だが、零細捜査班である。和重と健一は、二手に分かれて聞き込みを開始した。
朝十時に聞き込み開始したが、意外と早く宿泊先が分かった。
猪苗代四季の里がある、別荘村に隣接する「悠々館」と言う個人客専門の和式旅館であった。
二人は、宿泊客の目につかない小さな事務室に通された。
主な聴取は健一で、和重は聞き役にまわった。
健一が高藤隼人の写真を出し、念のため再度確認した。
「この人に間違いありませんか?」
「ええ、間違いありません。高藤隼人様です。この方は、この悠々館の大切な常連のお客様ですから」
「同宿の連れはいませんでしたか?」
「いつも女性の方とご一緒です」
「いつも女性が一緒ですか?」
「ええそうですが?」
「宿帳、見せて頂けませんか?」
「どうぞ」
「高藤隼人、妻尚子ですか?」
「尚子さんは年齢おいくつぐらいの方ですか?」
「それが・・・」
「それが? ってどうしました?」
「年齢が離れている?」
「でも昨今は、歳の差婚って言うのもはやっていますから」
「高藤さんは60歳ですが、その方はおいくつぐらいの方ですか?」
「お聞きした事はございませんが25歳前後かと思いますが? 高藤様に何かあったんですか?」
「ええまあ・・・」
「もしかしたら!?」
「もしかしてとはどう言う意味ですか?」
「高藤様には、8月14日、15日を、ご予約頂いていました。当日はお盆で満室ですが、毎年三ヶ月前に8月14日と15日はご予約頂き、お二人で渓流釣りにお出かけになっていました。でも今年は14日はお二人で宿泊なさいましたが15日は、いらっしゃいませんでした。それで宿帳に書かれていた電話番号に電話してもお出になりません。もしかして・・・新聞で釣り人が小倉川で転落の記事を見ました。お二人はそんな小倉川の源流までは行かないと思っていましたから? お連れ様が女性ですし。心配で番頭さんにも聞いたのですが、女性を釣れて、こんな源流までは絶対行かない、人違いと言っていましたから・・・それに新聞にもお名前の記載がなく、ただ釣り人との記載でしたから・・・」
「転落死されたのは高藤隼人さんです」
「まぁ! 高藤様!」
和重が会話の中に割った入った」
「女将さん一つ質問があるんですが?」
「どのような事でしょうか?」
「女将さんの今のお話ですと、最初お聞きした時(歳の差婚って言うのもはやっていますから)とおっしゃっていましたが、今のお話では(お二人)とおっしゃっていました。何故ですか? 年の差婚との認識でしたら、普通はご夫妻とかご夫婦とか・・・」
「そうですわね・・・私としたことが、女将失格ですわ」
「ご夫婦と言う認識ではなかったから、無意識でお二人と呼んでしまった」
「刑事さんのおっしゃる通りです」
「恋人? それとも不倫?」
「不思議な関係です」
「不思議ってどう言う意味です?」
「普通当館では、男のお客様と女のお客様がお二人で同じお部屋に宿泊される場合は、お布団の間隔はほぼ30㎝、男性の方お二人とか女性の方お二人とか、そう言う場合は約1㍍が決まりです」
「それって理由は何です?」
和重が口をはさんだ。
「お前そのくらいの事、想像出来ないのか? それで刑事よくやってるなぁ」
「解剖(と言いかけて)熊沢先生は分かってんですか?」
「あぁ察しはつくよ。女将さん、このぼんくら刑事に説明してやってください」
健一が女将に見えないように和重の足を蹴飛ばした。
「お布団の間隔が30㎝センチと言う間隔は、お互いに手を伸ばせば届く間隔です」
「よく分かりました。僕は独身ですから参考にさせて頂きます。それで女将さんがおっしゃる、(不思議な関係です)と言う意味は何ですか?」
「それが、お布団敷いた時には30㎝の間隔でしたが翌日お布団がたたまれているは三㍍前後の場所? いつもそうです」
「えっ、布団を自分でたたむんですか?」
「尚子様はいつも、そうしてくださっていました」
「じゃあ二人は夫婦でもなく、不倫でもなく、親子でもなく、男と女の関係でもなく、不思議な関係ですか? 二人はいつ頃からこの悠々館に?」
「三年ぐらい前からです」
「八月十四日の二人は何時頃来館しました?」
「高藤隼人様はお車で午後四時頃、尚子様はタクシーで午後五時頃だったと思います。猪苗代駅からだと思います。その頃に郡山からの電車がありますから」
「そうですか・・・で、十五日は朝何時頃出かけましたか?」
「お二人は釣りですから、鍵はかけませんし、お好きな時間にお出かけですから、時間は分かりません」
和重がスケッチブックを取りだし
「お忙しいとこ恐縮ですが、尚子さんの似顔絵、描かせて頂けませんか?」
その和重が描いた似顔絵で、県警本部に送り顔面検査器で照合してところ、数人がヒット、その数人を悠々館の女将に確認したところ、高藤隼人と同宿した女性は「佐々木尚子」と確認された。
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次回3月11日(日)
プロローグ
福島県猪苗代町秋元湖に流入する小倉川、その源流は、深山幽谷の流域である。
勿論、地図に掲載されている林道は下流約5㎞迄で、その林道の延長は獣道であり、地図には記載も無い。その獣道を、鉈で藪を打ち払いながら源流域に歩を進める高藤隼人(60歳)、その後に続く佐々木尚子(26歳)の姿があった。
彼らの目的は、小倉川源流に生息する「天然岩魚」を釣ることである。
平成二十九年八月十五日(火)午前6時10分、高藤隼人は、獣道から20㍍下の激流に向かって空中を飛んで、頭蓋骨陥没で即死した。
突き落としたのは、同行の佐々木尚子である。
佐々木尚子はその時点を境に、殺人犯となった。
所轄は、福島県猪苗代西警察署である。
捜査を担当したのは、熊沢和重解剖医(46歳)と、刑事の網島健一(30歳)である。二人が「奇妙な矛盾」を意識したのは、死体保管室から始まった。
01:小倉川
その渓流は、福島県猪(い)苗(なわ)代(しろ)町秋元湖に流入する小倉川で、源流は福島県猪苗代町と山形県米沢市との県境に位置する吾妻山である。水は源流の一滴から、海抜1504㍍の湿原谷地平を経て、小滝、大滝を経て、秋元湖に流れ込む全長約15㎞の渓流である。
下流の秋元湖から大堰堤の6.5㎞迄は、堰堤工事のため、車両通行が可能な林道があるが、そこから先の道はない。
と、言っても、地図に記載のない獣道がある。その獣道は、地元山菜採りの人たちか、渓流釣りの天然岩魚を狙うマニアしか知らない。大堰堤から谷地平迄の距離は約5㎞、その流域はまさに深山幽谷の世界であり、獣道の崖下約10㍍~20㍍は、小倉川の激流が流れていた。激流の音と鳥のさえずりが聞こえる早朝、鉈で小枝を切る音が響き、そこに現れたのは高藤隼人(60歳)と佐々木尚子(26歳)の二人であった。
「尚子さん気をつけて、獣道の右側は20㍍の崖だよ」
「了解よ。その崖の下の渓流に、天然岩魚が生息していると言うことなのね」
「そうだよ」
「今まで岩魚と言っても、放流した岩魚ばかり、ほんとうに会えるのね。天然岩魚に? 隼人さんのおかげだわ」
「尚子さんに渓流指導してから三年、この俺もうれしいよ」
「早く会いたいは。天然岩魚さんに」
「そうだね・・もう後一時間ほどでこの下に降りる道があるから。この先で小休止して腹ごしらえしますか?」
「そうね、お腹ぺこぺこ」
「朝の四時起きで旅館を出たからな・・・このあたりで獣道が開けた場所もあったはずだが・・・」
5分ほどで、藪もなく崖下が覗ける獣道の開けている場所に到達した。
二人はリュックを下ろした。
下から激流の音が響く。
尚子が小枝に掴まりながら下を見る。
その視線の先には、小倉川の天然岩魚が生息する激流が見える。
「尚子さん、危ないから崖の縁に立つのはやまめなさい。危険です」
「隼人さん、ちょっと見て」
「しょうがないな」
「この下まで何㍍ぐらいあるかしら?」
「20㍍はあるな、転落したら間違いなく天国行きだよ」
「おじ様さん今日は何日?」
「親子ほど歳が離れていてもおじ様って呼ばない約束でしょう。隼人さんでしょう」
尚子「ごめんなさい隼人さん・・・で、今日は何日かしら?」
「8月15日)のお盆? なんでそんなこと?」
「尚子の記念日なの。隼人さんは覚えていないはね?」
「誕生日は11月27日だし? もしかして僕と最初に出会った日?」
「そうね・・・最初にお会いした日かも知れないわね・・・間接的に・・・」
「何のこと?」
隼人は、尚子がこの疑問の質問に答えなかったことに、多少違和感を覚えたが次の言葉に感動した。
「隼人さんにお会いしていなければ、こんな素敵な光景の中に私は立てなかった。隼人さんありがとう。朝明けの空、小鳥のさえずり、この激しい渓流の音、朝もやの中にたたずむ尚子・・・感激だわ。自然の中に埋没している実感・・・隼人さん 尚子の手を握って・・・ほらこんなに胸がどきどきしてるでしょう?」
尚子が隼人の手をにぎり、自分の胸の膨らみに、そっと隼人の手を当てる。
尚子のふくよかな胸は、暖かくで、愛の鼓動を感じた。
隼人は、静かに、そして激しく、尚子の熱い愛を感じだ。
隼人は60歳である。年甲斐もなくと言いたいところだが、三年間待ち続けた愛の神が、ようやく尚子の心に舞い降りたと感じる。
隼人と尚子の熱い瞳が絡み合う。
その瞬間! 尚子が「おじさまごめんなさい!」と言って、隼人の胸を激しく突き放す。
隼人叫び声が、尚子さん~~~とエコーになって、幻想的に激流の中に木(こ)魂(だま)し、スローモーションのよう、激流に落下し、のみ込まれ、そして消えた。
静けさと、渓流の音と、小鳥のさえずりが戻り、輪郭をぼかした朝日が、あさもやを中の向かうに現れていた。
両親の死も、會津で癌に倒れた章子にも、今ここにいる工藤尚子も、そして工藤家の歴史の時間も、平成29年8月15日(火)6時10分、この時間で終焉を迎えたと思った。
そして、もし・・・もしも・・・神がこのことをお許しになるならば、佐々木尚子として生きようと思った。
尚子は人殺しである。
殺人者である。
しかし後悔はなかった。
過去も~現在も、個人的な殺人は「悪」戦争による「大量殺人」は「正義」とされている。「敗者=悪」「勝者=正義」
チャップリンの映画「殺人狂時代」1967年の映画でそうだ。
「金の為に殺人を続ける極悪人の男を殺した男が死刑。戦争に勝利した大量殺人者が英雄。広島・長崎・太平洋戦争も敗者が悪で勝者が正義だ。
現在の法律では、法は正義である。
仮定の話だが「オウム真理教の麻原彰晃」を、個人で殺せば「殺人罪」、裁判で死刑の判決で国が殺せば「正義」。
加害者は、その行為の結果は法律と言う正義!? で守れているが、被害者を守る法律はない。
工藤家も被害者であった。
加害者に対する怨念、恨み、復讐、憎しみ、憎悪・・・これらの思いが、8歳の頃から、心理学で言う意識下の意識として存在していた。その意識が、佐々木尚子に徐々に自覚され始めたのは20歳すぎた頃だった。
転落した死体は、午前7時10分、福島県猪苗代(いなわしろ)町秋元湖に注ぐ小倉川の源流で、下流から釣り上がってきた釣り人に発見され、猪苗代西警察に通報された。
転落現場に来たのは、解剖医の免許を持つ熊沢和重(46歳)と刑事の網島健一(30歳)、それに複数の警察官である。死体を一見した和重が言った。
「この転落した仏さんの顔、いい顔してるね。まるで笑っているようだぜ・・・死亡推定時刻は6時10分。腕時計がその時間で止まっている。推定死亡時刻ではなく、一番分かりやすい確定死亡時刻だな。子供でも分かる」
刑事の健一がそれに答えた。
「事故死で決まりだな。最近この源流で転落死する釣り人が多いからな」
「お前なぁ、仏さんを持ち帰って一応詳しく調べて見ないと、死亡時刻は分かっても、事故死との断定は出来ないだろう」
「俺はお前ではないです。健一です」
「そうですね網島健一刑事殿。もう一度言います。事故死で断定するのは早過ぎやしませんか?」
「解剖先生、貴方は解剖が専門であって捜査する刑事ではありませんよね」
「解剖先生ではなく熊沢先生と呼べ。僕は46歳君は30歳、先輩を立てるのは日本の文化だ。事故死か、自殺か、殺人かは、検体の結果で判断してくれ」
「了解しました熊沢先生!」
健一が独り言でつぶやいた。
「何が日本の文化だ・・・先輩づらして」
「網島健一刑事君、何か異論でもありますか?」
「いいえ別に・・・」
隼人の声「オイオイ、俺は佐々木尚子から突き落とされた高藤隼人だ。くだらない内輪喧嘩してる暇ないだろう。ろくに調べもしないで事故処理は扱いは勘弁して貰いたいな。警察がそんな怠慢だから冤罪を生み出すんだ。愛する尚子に、何故俺が突き落とされたんだ? その理由も分からないままでは俺は三途の川は渡れないよ」
和重がつぶやいた「何だか変な気分だなあ?」
健一が言った「何が変なんだ?」
和重が答えた「いや・・・別に・・・気のせいか?」
02:死体保管室
翌日、死体検体室に和重と健一はいた。
「検体の結果、毒物らしき痕跡もなく、死亡原因は転落した際、石に頭を強打した脳挫傷。即死だな。しかし、崖から転落した原因の捜査は、そちらさんの仕事だろう」
「勿論だが、小倉川の深山幽谷の現場では、目撃者もなく事故死と考えるが常識、念のため解剖してください」
「解剖までしなくていいだろう。死因は脳挫傷、検体では毒物の反応はない」
隼人の声「解剖は遠慮する。死人でも痛いからな。それに俺は完全には死んでいない。その証拠に、俺の身体には魂が残っている。俺の尚子を愛する熱い魂だ」
「担当刑事としては、転落事故死の証拠が欲しんだ。たとえば足を踏み外した際に足首の捻挫とか何かありませんか?」
「あるのはあるんだが・・・?」
「何がありますか?」
「科学的に証明出来ない不思議なことがある。事故死の証拠にはならないだろうが?」
「何ですそのふしぎなことって?」
「俺も数多く遺体を見てきたが、こんな現象初めての体験だ」
「もったいぶらないで早く言って貰えませんか」
「死体の胸を手のひらで触って見てくれ」
「素手ですかか?」
「そうだ」
「ゴム手袋では駄目ですか?」
「駄目だ。怖いのか?」
「怖くはないですが・・・気持ちが悪い」
健一がいやな表情で胸を手のひらでそっと触る。
「こうですか?」
「もっと強く」
「そうだ。何か感じないか?」
「別に・・・」
「額を同じように触ってみろ」
健一が、和重の指示通り額に触り、首をかしげる。
「どうだ?」
「額の方が冷たくて、胸の方が暖かい気がします」
「小倉川から仏さんを持ち帰り、遺体安置BOXに20時間入れて今朝引き出した。それで改めて検体した結果、足・腹・手首・額・の温度が2度だ。胸の温度が6度、変だと思わないか?」
「どう言うことですか?」
「遺体安置BOXの温度は、解剖対象の遺体はマイナス15度前後、解剖対象外の遺体はプラス2度前後、彼の胸部の温度は、計測結果6度もある。これは医学的にはあり得ない。過去一例の報告もい。彼が心臓の鼓動が停止してから20時間程度経過している。しかも、他の臓器がある皮膚の表面温度は1度から2度、心臓の部分だけは6度・・・あり得ない現象だ」
「ほんとうにあり得ないのですか?」
「ほんとうにあり得ない」
「そう言えば仏さんの顔、優しい微笑みを感じますねぇ」
「この微笑みと胸の温度・・・魂の微笑みだな。彼は幽霊になってこの死体安置室にいるかも知れない」
「先生、脅かさないでくださいよ」
隼人の声「解剖先生の言う通りだ。俺は尚子に心底から惚れている。いや今となっては惚れていたが正解だ。尚子と巡り会ってから三年、渓流を共に楽しむようになった。俺は「渓流の夢尚子」と言う、渓流写真で綴る詩集まで自費出版で本屋に並べた。しかし売れなかった。その事を尚子がどう言ったかって・・・尚子にには恥ずかしくって言わなかった。その俺の愛の心を記した秀作を紹介しよう。魂となった俺の言葉は聞こえない。しかし、デリカシーがみじんもないそこの刑事より、解剖医の先生なら俺の死相の微笑みでご理解頂けるかも知れない。
俺の詩集の一節だ。
源流からの一滴が
滝となって落下する
俺の心の激流は
尚子の心に突き進む
かたくな心の岩盤に
激流だけが泡となる
転落直前に尚子は言った。
「こんな光景初めてよ。朝明けの空、小鳥のさえずり、この激しい渓流の音、朝もやの中にたたずむ尚子・・・感激だわ。自然の中に埋没している実感・・・隼人さん、尚子の手を握って・・・ほらこんなに胸がどきどきしているでしょう? 尚子自らの手で、尚子の胸の膨らみに、俺の手を誘ってくれた。その時、神の時間が俺の脳裏を突き進んだ。テントの中、民宿や旅館、数知れず共に一夜を過ごした。何故か、手すらにぎることなく夜を過ごした。食事をし、酒を酌み交わし、野営のテントで岩魚酒を酌み交わすが、俺は一度も手すら触れたことはなかった。しかし尚子は微笑んでいた。天使のように・・・俺は無理じいを絶対しなかった。ひたすら心がひらく尚子を待った。そう待ち続けた。「隼人さん、尚子の手を握って・・ほらこんなに胸がどきどきしてるでしょう?」俺の手が尚子のふくやかな胸に触れ、胸の鼓動が、熱い激流になった瞬間、俺の「渓流の夢尚子」が、現実の時間となったと思った・・・その時間の中で、俺は空中に飛んだ。飛ばされたことも許せる。脳挫傷で即死した事も許せる。ただ分からない事は、何故、俺が空中に飛ばされたのか、その尚子の心が知りたい」
電話の呼び出し音が鳴った。
健一が電話に出た。
「はい・・・今死体安置室です・・・すぐ行きます」
「事故処理で済ます気か?」
「上はそのようです」
「しかしこれは殺しだな」
「根拠は?」
「分からん・・・が、女がいる」
「勘ですか?」
「証拠は胸の異常な温度と彼の優しい微笑みだ」
「解剖先生、マジですか?」
「熊沢先生と呼べ・・・俺は死者の魂を何となく感じる」
「魂ですか・・・じゃあ解剖先生あとで」
「ぜんぜん分かってないな?」
「何がですか?」
「早く行け!」
健一は死体保管室を出る。
和重は死体に語りかけながら
「幽霊君お聞きの通りだ、安らかに成仏してくれたまえ」
と言って、死体保管BOXの扉を開け、ローラーをすべらせて中に納める。
和重が保管庫に向かって合掌して保管室を出て行く。
その背中を追いかけて、隼人の声が幻想的に響く。
隼人の声「俺を検体した先生、俺は幽霊じゃありませんよ。俺は高藤隼人の魂ですよ。魂は霊魂とも言われ、人の肉体に存在し、生命を保ち、心の原点につかさどる。肉体から 離れても存在し、死後も不滅で神霊になる。又有機体は、生命原理として想定され、肉体にとらわれ、故郷である天上に憧れるものとして、とらえられている。幽霊とは異質のものだ。俺は死者となったが、尚子への愛の魂は消滅していない。幽霊は恨みが原点だが、魂の原点は愛だ。しかし残念ながら、魂は己の心を左右するが、死者の魂は、生命を維持したる者には届かない。しかし感じる事は出来る。言っている意味が分かるかね。命があるなら具体的な意思の疎通がはかれるが、死者の魂と命ある者の魂は具体的に通じない。まして尚子の心の深淵を、具体的に覗き見る事が出来ない。俺を空中に舞う事にした尚子、その心の真因、俺は知りたいだけだ。物事には原因があって結果がある。俺の魂はその原因を知るすべがない。そこで先生と刑事さんに調べて貰いたい。俺の死を他殺と認識すれば、運が良ければ尚子にたどり着き、尚子の心を知ることが出来るかも知れない。その現場に立ち会って話を聞くだけでいい。その結果、俺は尚子を恨んだり、幽霊に化けたりはしない。解剖先生なら俺の切ない魂の心を受け止めてくれるはずだ。この切ない愛の魂、その魂を感じ取ってくれるものと信じている。何故なら、俺は尚子のすべてを許す心を持っているからだ」
和重は廊下でふと立ち止まり
「何だこの感じ? 身体がぞくぞくしてきた。風邪でも引いたかな?」
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次回3月4日(日)に続く
この画像は、平成30年1月1日(月)テレビ朝日のTVの画像を、ニコン一眼レフでシャッターを押した画像です。
カメラとTVの精度の進歩に驚きを感じます。
TV画像が4Kの写真を撮ったら、Webでは実写かTVの画像だか、素人目には判断できませんね。
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