市街地での濃霧です。さいたま市では珍しい現象でした。
突然さいたま市のビル群が雲海の下に・・・?
珍しい光景をTVでやってました。
福島県甲子温泉へ通じる阿武隈川の渓流沿いの一枚です。
制御不能と言われています。
本当に制御不能なのでしょうか?
発症している多くの国々の貧困が、制御不能にさしているのではないでしょうか?
国連は何をしているのでしょうか?
私たちのできる事は、ただ赤十字に貧者の金銭を寄付することだけです。
空しい現実です。
今日本国は、国会が開かれています。
国会審議の話題は、もっぱら大臣のウチワの話題と歌舞伎座の政治資金がらみの話題だけです。
TVも、三流週刊誌並になってしまっています。
唯一ホットする記事です。
安部政権も、たまにはいいこともするんだ?と言う記事の紹介です。
日本経済新聞Internetサイトの引用記事
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS16H23_W4A011C1PP8000/
首相、エボラ熱対策の支援強化 日伊首脳会談
【ミラノ=地曳航也】安倍晋三首相は16日午前(日本時間同日夕)、イタリアのレンツィ首相と会談し、エボラ出血熱への対応を強化するため、支援策を追加する考えを示した。これまで4000万ドルの資金支援を決めているが「さらなる強化も考えている」として医薬品や防護技術の供与で貢献する意向を表明した。
安倍首相はエボラ熱に関し「国際社会の一致した対応が非常に重要だ。さらに事態が深刻になる前に食い止めていくことが必要だ」と指摘した。
両首脳は安全保障協力の強化でも一致。事務レベルで具体策を検討する方針を申し合わせた。
このDataは下記のサイトの引用です。
http://matome.naver.jp/odai/2138810565441862401
【2014年9月23日時点での情報(疑い例含む)】
●国別感染者
[強烈な伝達]
ギニア 1350人(死亡778人) - 致死率57.6%
リベリア 4076人(死亡2316人) - 致死率56.8%
シエラレオネ 2950人(死亡930人) - 致死率31.5%
合計 8376人(死亡4024人) ※ - 致死率48.0%
[初期の局地的な伝達]
ナイジェリア 20人(死亡8人)
セネガル 1人(死亡0人)
イギリス 1人(0人) 感染者の治療に当たっていた看護師
アメリカ合衆国 1人(1人) リベリアからの渡航者が発症、死亡
合計 23人(死亡9人)
●疑い感染者の出ている国 ※2
マリ(6人) 2014年4月4日時点。詳細は不明で、誤報の可能性が高い。
フィリピン(7人) シエラレオネ帰りの労働者。詳細は不明で、誤報の可能性が高い。
ウガンダ(詳細不明) 詳細は不明で、誤報の可能性が高い。
●以前に疑い感染者の出た国(現在は感染者無し、疑い感染者は別の病気だった例)
カナダ(合計2人)、アメリカ(1人)、中国(1人)、サウジアラビア(1人)、ベナン(2人)、シンガポール(誤報)、ドイツ(1人)、アラブ首長国連邦(1人)、ベトナム(1人)、ミャンマー(1人)、モルドバ(2人)
これが中国です。コメントしません。画像を見てください。
(MSN WEB News より引用)
今私記述している作品の台詞です。
家庭の主婦も、今日加奈子先輩に連れて行ってもらった居酒屋『祥(さち)』の料理も、材料も、料理方法も、味付けも、盛りつけも、自らの創作です。その結果が、食べる人の評価につながります。誰にも束縛されることなく、自由奔放に作れますから、それが魅力です。朝食に定番の卵、一般的には目玉焼きは誰にでも出来ます。フライパンに油をしいて卵を割って出来上がりです。しかし、油の種類、サラダ油、オリーブオイル、ゴマ油、バター、火加減が小・中・大、水を入れる、水なし、蓋をする、蓋なし、その他選択肢は数え切れないほどあります。その選定の自由が魅力なのです。たかが目玉焼きですが、されど目玉焼なのです・・・すいません!長々と・・・申しわけありませんでした。
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レシピの手順は記しましたが、材料の量・炒め時間・等々全て私の感です。感では、均一した味が出せません。
そこが、家庭料理人の良さです。
その繰り返しが、均一したお袋の味なのです。
■この料理のレシピ
1.もやしをサット塩茹でにします。
2.茹でたもやしをランダムに約10㎜程度にカットします。
スプーンで食べやすくする目的です。
3.玉ねぎをみじん切りします。
4.ピーマンを四角くカットします。
5.3 の玉ねぎをバターで簡単に炒めます。
4 をその玉ねぎにいれて、まぜること60秒程度。
炒めた玉ねぎは、そのまま置いておきます。
6.カボチャの皮をそぎ、0.5㎜程度に薄切りにします。
7.電子レンジで「チン」します。(柔らかめ)
8.チンしたカボチャを鍋に移し潰します。
9.水を少量入れて強火でスープ状にします。
10.そこへ牛乳を入れて沸騰させて、置いてあった「5」全部入れます。
11、塩こしょうで味を調え、チンした冷凍お握りを上にのせて出来上がりです。
平成26年9月7日(日)
この文書の記載は、平成26年9月7日(日)午前1時の記載ですが、9月6日(土)の私の1日の行動です。
シニアタレントの募集の公告が、週刊文春の広告に記載されていました。
それに応募しました。
「私の履歴書」と言うタイトルで応募しました。
77歳の老人です。シニアの年齢の定義は分かりませんが、取りあえず、私の人生の価値観を求める応募でした。オーデションの審査があります。
99.999%は、オーデションを受ける基準から外れるでしょう。
何事も挑戦です。
履歴書を、郵便ポストに投函した後、PCのMailを開くと次の内容のMailが入っていました。
「岩魚太郎」さんの大嫌いな「皇太子(年齢は推定45歳の禿げです)」が来店します。
と言う内容の、居酒屋店主からのMailでした。
「皇太子」は、居酒屋のマイフレンドです。
激しい降雨の中、せっかくのMailですので、居酒屋に向かいました。
居酒屋では、「皇太子」と「Nさん」が隣席でいました。
初対面の女性「Aさん」も同席していました。
私は酒はいまいち(日光の手前)苦手ですが、皇太子・Nさん・Aさん・それと私「岩魚太郎」が、盛り上がり、Nさんおごりでスナックに出向きました。
帰宅したのが9月7日(日)午前0時30分でした。
このブログで何を書きたいかと言うと、77歳の私の空しさです。
現役を離脱しての社会の接点は、唯一私の通う居酒屋です。
かつての会社の同期も疎遠になり、たまに再会すれば、健康の話・昔の現役時代の話・家族の話・等々過去の話ばかり、私にとってはうんざりです。
目的を持って生きる事の実感の接点が、行き付けの居酒屋なのです。
77歳の挑戦!
それが、シニアのオーデションを受けたの動機です。
二次会のスナックのカラオケも楽しかった。15年振りのスナックでした。
居酒屋の友人に感謝!
広島で大規模土砂災害 39人死亡、7人行方不明
広島市北部で20日午前2時過ぎから、1時間に100ミリを超える猛烈な雨が降り、広範囲にわたって土石流などが発生した。広島県警によると、20日午後10時現在で39人が死亡、7人が行方不明になった。被害はさらに拡大する可能性がある。広島市が避難勧告を出したのは午前4時半ごろで、金山健三・市危機管理部長は「避難勧告を出すのが遅かった」と述べ、対応のミスを認めた。
http://www.asahi.com/articles/ASG8N22FWG8NPITB002.html
(朝日新聞WEBサイトからの引用)
私流(造語)の原因究明
TV・Newsでは、花崗岩 まさ土(つち) 同じ地域 宅地開発 避難方法 警戒情報の伝達 堰堤工事・等々言われているが、『針葉樹林』に言及する専門家は一人としない。
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唯一予防は、全山針葉樹林の山裾には、宅地開発許可をしない事である。
私の8月15日
松山に疎開した当日に、松山大空襲の遭遇(昭和20年7月26日 23:30、)松山市は焼夷弾爆撃を受けた。引っ越しした新参家族には、町内会の防空壕には入れてもらえなかった。
夜中に田んぼのあぜ道を、母の手に引かれ朝までさ迷っていた。
翌7月27日、はっきりとした時間的な記憶はないが、我が家に帰って来た。
勿論、我が家は跡形もなく消滅していた。
丸焼けである。
我が家のから10メートあまりある位置に、防空壕に入ることを拒絶された防空壕があった。
その防空壕の入り口を、大人達がスコップで掘り起こしていた。
防空壕に入って人達は、入り口を倒壊した家屋にふさがれて蒸し焼き状態になっていた。
悲惨である。
当時の私の年齢は7歳で小学1年生です。
その光景は衝撃的でした。
私たちが、近所の人達の好意で、防空壕に入っていたとしたら、私の人生は7歳で終わりです。
その事を思うと生きることの運命を感じます。
8月15日、77歳の私は、その時の思いを条件反射のように思い出します。
焼け出されて、父の実家に身を寄せました。
当時の小学校の名称は「国民小学校」でした。
校庭には、保安殿がありました。保安殿とは、天皇陛下と皇后陛下の写真が収めてある小さなお宮さんです。私は見たことはありません。
毎朝、国民小学校の全体朝礼が行われます。その時に、生徒全体が保安殿に向かって最敬礼をします。
その後全員で「教育勅語」を語ります。
『朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉(以下省略).』
意味は下記の通りです。
1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
私は、天皇制を非難しているのではありません。
戦争と言う行為は、思想の自由を個人から剥奪します。
自由主義のアメリカでもそうでした。
反戦は非国民なのです。
戦争は、理性を喪失させます。
戦争は、人の命の奪い合いです。
戦争は、敵の命を、より多く奪うった者が英雄です。
戦争は、広島長崎に原子爆弾を投下しました。
戦争は、エノラゲイB-29の機長に勲章を贈りました。
戦争は、原爆投下で何十万人の一般市民を殺傷した機長が英雄になったのです。
戦争は、その事が異常だと思わないのです。
戦争は、人の心を悪魔に売り渡します。
終戦の8月15日の数周間前の出来事です。
学校からの帰途、艦載機から飛来した戦闘機が、私たち子供に機関銃を浴びせてきました。
子供に機銃を浴びせると言う行為は、平時であれば考えられない行為です。
戦争は、大人たち争いです。
戦争は、国同士の争いです。
子供達は、喧嘩はしますが命を奪い合うような戦争はしません。
8月15日の正午。
玉音放送
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ(以下省略)
箱形のラジオの前、数十人の大人達がいて、直立不動の姿勢で立っていた。
天皇陛下の声に、大人達は号泣していました。
私は母に聞きました。
何でおじさん達は泣いているの?
素朴な質問です。
母は言いました。日本が戦争の負けたのよ。
国民小学校の一年生です。
艦載機の機関銃もなしです。
平和の訪れです。
命の奪い合う戦争がないことです。
その平和の訪れに、何故大人達は泣くのだろうか?
子供心にも理解しがたい疑問でした。
それが、77歳の8月15日です。
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