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つれづれなるままに

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説教者のための説教

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 今日もまた運転しながらハーベストタイムのメッセージステーションで「メシアの生涯」を聴いていました。

中川健一先生のメッセージは約1時間ですが、時間を忘れさせるほどのめりこませてくれます。

この日の結論では、「主イエスの説教から学ぶ」こととして、なんと「神学校での説教学」をご教授くださいました。
益のある説教を毎週お聞かせくださるだけでなく、説教者のために益のある教えを下さったので、ここでも皆様にシェアしようと思いました。

貴方がたとい説教者でなくても、講演やプレゼンのためにも役に立つ情報です。

イエスの説教の「あういえお」でまとめられました。

「あ」:「愛」~どんなよいことを話そうが、聴衆に対しての愛がないなら無駄である。

「い」:「いのち」~パリサイ人がどうでもよい些細な規則に汲々となって教えを垂れていたのに対して、主は人が生きるうえでなくてならない重要問題について話をされた。

「う」:「動き」~主の説教には目指すゴール、目的がある。着地点。パリサイ人のそれは堂々巡りで行き先がどこかわからないものだ。

「え」:「絵」~イラスト、たとえ、例話を挿入されて話されるので、人々は話に引き込まれて行った。例話は明るい光を取り込む窓の役割。これがない教条だけの説明では暗いままとなってしまう。ただ、使いすぎも柱構造のない説教となるので注意。

「お」:「お墨付き」~説教の権威を父なる神様から得ていた。語るみ言葉に説教者自身が捕らえれて、そのみ言葉に説教者自身が生きているときに認証を受ける。

正確な引用ではなく、私の頼りない記憶と解釈によるものです。
この「あいうえお」は、最新の「メシアの生涯」からですのでお聞きください。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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Lakewoodで真珠を見つけました

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この日はタコマの南、Lakewoodというところへ行ってきました。

あるご家庭が解放されて家庭集会を毎月持っています。
そこでは賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書を学んでからともに会食します。
これをクリスチャン用語でフェローシップ(交わり会)と言ったりしてます。

いつもは10名以上集われますが、この日は月曜だったこともあり5名でした。

その分、個人的に長くお話できる機会が与えられて、それが感謝。
その方とじっくりとお話したい、と常々思っていたのです。

その方は京都の呉服屋さんの一人娘であられて、跡取りとして幼少時から作法や縫い物、習い事の厳しい修行を受けていました。
ところが若くして京都にやってきていた外国人と結婚してしまうのです。
その男性がユダヤ人。しかもラビ(ユダヤ教教師)。

以後、彼女はユダヤ教徒としての厳しい戒律の世界を米国で生きるようになります。夫を亡くしてからもコシュルというユダヤ教独自の食物規定を今も守っておられます。

家庭集会に来られるようになって初めて新約聖書に接し、多くの疑問をもたれるようになりました。その日も、矢継ぎ早に質問が飛んできました。

?どうしてユダヤ教では旧約聖書だけ使っているのか?
?新約聖書とは何で、どこが旧約と違うのか?
?ユダヤ教では食べ物から、服装、男女の会堂での座る位置や付き合い方まで細かい規則があるのに、クリスチャンにとって規則はないのか?
?クリスチャンの集いはユダヤ教にない「人としての暖かさや自由、楽しさまで感じてしまう」のはどうしてか?
?もう数十年もユダヤ教徒なのに、イエスを信じなければ天国に入れないと親しいクリスチャンの友人から言われたが、それは本当の話か?

この地域は空軍基地があることから、米国軍属と結婚された方々が多く住んでおられるところです。
その中でラビと結婚されたユダヤ教徒の日本人は実に珍しく、真珠のような方です。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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Vashon島へ行ってきました

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 Vashon島へはウエストシアトルからフェリーで15分ほど。
至近距離には違いないのですが、その様子は飛行機で1時間は飛ばないと味わえないほどに異なります。

 人々がすれてなく優しいです。島の住民同士が家族単位に支え合い、助け合っていることから来るものでしょう。
これはこの日にお会いできた十数人の方々の言葉使いから、譲り合う運転の様子からうかがい知れます。

一人の知人は、70歳以上になる男性の世話役も近所さんであることから進んでされていました。その男性はマリーナのボートに猫2匹を家族に暮らし、マリーナの清掃仕事で生計を立てています。
アルコール問題から運転免許を失効して以来、他に仕事に行くことができなくなりました。

そんな彼にも言葉をかけ、オフィスに招いてはお茶をご馳走している60代のHさん。彼女にはあと30年は現役で仕事を続けてくれるように頼みました。私がそれだけ仕事を続けたいからです。

島のどこからも海には近く風光明媚。
私が引退したら、移住してみたいところの一つです。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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夏から冬への北移動でした

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シアトルに帰宅してみて、「帰国」と言ったほうがしっくりと来るような気候の急激な変化に戸惑っています。

ゴールデンゲイトブリッジの北にあるSanRafael は晴天で夏のようでした。
気温も75度(摂氏ですと24度)もあったのです。プールで泳ぎたくなるほど、暑かったです。

今朝、吐く息が白かったです。小雨の降るどんよりと曇ったノースウエストらしい天気。
気温は45度(摂氏7度)。

アウトドアライフよりもインドアライフがふさわしい日に感じます。
そこで今日は読書をしたり、このブログを書いています。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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今晩の感謝リスト

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今晩の感謝リスト
現在も昨日のホテル1階にて。
感謝なことをお知らせします。

①昨夜と同じ席でPCを操作しだした。背後で奇声が聞こえる。ホールを挟んでカラオケ・バーがあって、ものすごい音量。1分しか耐えられないので、席を立ち、ロビーに引っ越す。ここでもWifiが繋がっていた。

②昨夜のウエイターは再び私に注文を聞かなかった。私のすぐ近くまで来たのに。でもロビーにレモネードが準備されていた。今それを飲んでいる。

③PCで時々日本語変換のバーが消えることがある。今回もそうなって、あわてた。
家内にTELして隠れたところにあったバーを見つけ出し、こうして日本語を打つことができる。ありがとう、かあちゃん。

④FaceTimeで家族と面会できた。今日は娘も顔を見せてくれた。サッカー・キャンプもまずまずとのこと。明日は中学校の入学オリエンテーションに行くのだそうだ。

⑤この秋のイスラエル旅行のガイドさんからの連絡が入り、込んだ時期なので苦戦中だが、エルサレムにてユニークなホテルを確保できそうだとのこと。

⑥義父が今日、誕生日を迎えたこと。今年もこの日を迎えられるのは不思議なくらい。来年は微妙。

⑦「さて今日はブログに何を書こうか」と10分前は悩んでいたが、書き始めてみると、その悩みが解消されたこと。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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幸せの一時

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幸せの一時
あるホテルのラウンジでピコピコとPCのキーをたたいています。
私の周囲は、お酒を飲みながら楽しそうにおしゃべりに興じている宿泊客にかこまれてます。
少し離れたカウンターバーの向こうには、大きなTVスクリーンがスポーツ中継をしています。

ラウンジの隅に陣とって、PCを設置しているとき、ウエイターが尋ねてきました。
「何の飲み物にしますか?」
私は遠慮しながら答えました。
「グラスに水を一杯くださいますか」
彼は「OK」と快活に答えながら仕事を続けます。

5分経過。
10分経過。

水では何も請求できないのだから、無視されても仕方ないかなあ。
それにしてものども渇いたので、ジムにある給水機まで行こうかな。

そんな風に考えていたとき、バーの向こうから声がしてました。
「ああっ、すっかり忘れてました。今水をお持ちしますね。」
「すみませんでした。どうぞ」
そういって、ワイングラスに氷入りの水を私のテーブルに届けてくれたのです。

ああ、おいしい。
ああ、しあわせ。

昨夜、このホテルにチュックインしたのは、夜中も2時を過ぎていました。
ヒコーキの離陸が2時間以上も送れたためです。
こんなどうでもいいことに時間を使うより、早く自室に入り、ベットに入るべきだったでしょうか?
こんなどうでもいいことに皆様の大切な時間をうばってしまったでしょうか。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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タコマ家庭集会

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 先ほどタコマにあるM姉宅のキリスト教家庭集会から帰りました。

 本日は10名ほどの方々が集われておられました。
その中に87歳になられるHさんとははじめてお会いしました。
彼女はこの11月のイスラエル旅行に参加を表明されています。
申込金を受け取ってきました。私がこれまでに出会った87歳でもっとも元気なお方です。
来年、私たち家族で富士山に登頂する計画を話すと、「ぜひとも私を連れて行ってください」ですって。

 お年を召された方々の多い集会なのですが、そのHさんを始め皆さん気合の入った方ばかりで私のほうが元気をいただいています。

 賛美歌を歌い、聖書の話をさせていただいた後、持ち寄っての夕食会。とても充実したときを過ごさせていただいています。

そのときの聖書の話の要約を次のページに投稿してあります。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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ヨハネの福音書3章1~16節

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聖書箇所:ヨハネの福音書 3章1~16節

説教題:「神の国へのパスポート」

Ⅰ.「神の国」に入るためにはどうしたらよいのだろう?

 ニコデモは主イエスがメシアであることを認め、謙虚にも夜尋ねてきたが、心中にある大懸念を告白すべきかどうか迷っていたであろう。挨拶と賛辞を主に述べた(2)後、彼の聞きたい主題に単刀直入に切り込まれる主(3)。
 ユダヤ人としての文脈の中では、アブラハムの子孫として生まれた彼らはすでに神の国が約束されていると教えられていたが(彼自らで教えていたであろう)、納得できないものを感じていた。
彼は経験、地位、学識豊かな人格者でありながら、達成できていない一つがあった。それが神の国に入る道だった。

Ⅱ.「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)

 これが主の返答。すぐさまニコデモは、「人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのか」と反問する。当時のユダヤ文化では「新しく生まれ変わる」とされる転機がいくつも人生にあると考えられていた。
 ①ユダヤ教への改宗、
 ②王としての戴冠式、
 ③13歳の成人式、
 ④20歳前後の結婚式、
 ⑤30歳前後のラビ就任、
 ⑥50歳前後の神学校校長へ就任。
 戴冠式以外、すでに彼はこれらすべてのプロセスを通ってきた。10節にある定冠詞つき「教師」はラビたちのためのラビを意味する。つまり神学校の校長まで上り詰めたんだ。
困惑する彼に主イエスは、聖霊による新生こそが、神の国に入るための転機であることを告げる。
 水と御霊によって生まれるとは(5)、肉体的誕生(羊水にくるまれて人は胎内から生まれる)と霊的な誕生(神の霊による新創造)を意味している。風と御霊(8)~その神秘性と実在性について教えている。

Ⅲ.そのために神がなされたこと。 

 なぞを深めていくニコデモ(9)。人は人文科学で神に至ることも、真理を見極めることもできない。天に上ったものは未だかつていないのだから(13)。啓示されなくては知りえない真理(11)であるのだから。
 旧約聖書の故事からされに教えを進められる主。荒野での青銅の蛇(民数記21章)を竿に掲げたモーセ。ここで 「蛇」とはサタン(悪魔)であり、その死の毒からいやされた方法はただ高く掲げられたその竿の青銅の蛇を仰ぎ見ることであった。
これは十字架に上げられたメシア(イエス)をあらわしている。「人の子」(メシア称号)が十字架に上げれたとき(14)、それは神から見放され、罪そのものとなられた。私たちの罪とその死の毒を身におって死なれたのだ。それゆえ神の側で私たちの新生のための準備はすでに完了している。人がなすべきことは、「信仰」である(16)。
#エッセイ #コラム #本 #詩 #読書

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