錦教会を旅立つ朝、早朝に目が覚めたので錦の町を歩いてみました。
20年を経て、かなり変わったところもあります。
先ず、町内の入り口にコンビニショップが出来ていること。
そして「錦タワー」として津波や台風からの防災避難所が2か所も完成していること。
町の最奥部にある空き地はかつてサッカーのグランドとして利用させてもらっていたのですが、Tropical Gardenとして多目的な文化施設が立っていたこと。
そして一方、港に係留してある船は大型船が姿を消し、小型のものが多くなっていたこと。
、、、などなど、、、、
小学校の校庭を何周か巡り、教会員や関係者のご自宅の前を通り過ごして町をめぐること1時間ほど。
教会所有墓地に掘られてある納骨者の名が大分多くなっているのにも気が付きました。
すでに7時を廻っているというのに、あまり人の気配もなく、町に活動の様子がないのにも。
20年前には3千人ほどいた町の人口も、現在では2千人ほどとなっているとのこと。
過疎化の波はこの町にも押し寄せているようです。
そんな町の情勢を覆すかのような勢いが錦教会にはみなぎっていました。
先ず、牧師家庭のMさんが残業を終えた昨夜の夜半、車を飛ばして津から駆けつけてくださいました。
昨年大学を卒業して社会人としての仕事にも遣り甲斐を感じておられるようで、その成長ぶりがまぶしいほどです。
南伊勢の方座からはIさんが昨夜に引き続いてこの朝も駆けつけてくださり、朝食を共にして下さいました。
20年前までは南島町と言っていたその所に行くのに、数百のヘアピンカーブを曲がりくねって1時間ほどはたっぷりとかかっていました。
それが幾本のトンネルが貫通し、ほぼ直線道路が伸びて、現在では15分ほどでついてしまうのだから驚きです。
町の様子は変わり行くけれども、変わらずに熱い心に燃えている方々とお会いできるのは実に喜ばしいことでした。
COG東戸塚キリスト教会の日曜礼拝へ。
この日、驚くべき事が起きた。
85歳になる父親が生まれて初めて教会の礼拝に参加したのである。
前日にも実家に帰って夕食を共にした際、礼拝出席のことは確認していた。
数週間前からメールで誘いもしていた。
長女がソロをするので聴きに来てくれと。
だが私が説教するとは伝えていなかった。
恐らくベンチに座ってから「謀られた」と悔しがっていたに違いない(^o^)
この時とばかり、変に力が入ったのだろうか、優に1時間を超えて語ってしまった。
その日の午後にも実家に寄る。
教会の先生方や皆さんに暖かく迎えられた両親はまんざらでもない様子。
米国にいる時から教会の皆さんにもこの日の両親のために祈っていたただいてきました。
祈りが届いたようです。
「神のなさる事はいつも時になかって美しい」
貴方のイメージしている人生を生きる
この日の日曜は、栄光キリスト教会の日曜礼拝にお邪魔して来た。
ここに何度も記しているように、私が渡米して最初の4年間をお世話になった教会であり、
特別な思い入れもある。
主任牧師の熊井牧師が引退するにあたり、後継牧師を探している。
その後継者が見つかるまで月に一度ほど、及ばずながら説教の奉仕をさせていただいている。
いつものことながら、十数年ほど前には毎週お会いしていた神の家族らと時を共にするのは実に楽しい。
夏休みで日本へ一時帰国されているご家族が多いようだった。
熊井牧師、仁子夫人のお元気なお姿にも接することが出来、実に励まされ、エネルギーが充てんされるときともなった。
マンハッタンで錦織先生と夕食を共にしました。
先生とは高校時代に伊豆大島でのホーリネス教団主催クリスチャンキャンプで同室になったのが初めての出会いでした。
高校2年生だった当時の私はまだ教会に通うようになってから半年ほど。
そのキャンプの集会中、落雷で停電し、真っ暗な中で信仰決心に至りました。
一方、錦織先生は牧師家庭出身であられ、キャンプ体験も年の数だけされています。
その時高校3年生で、お兄様はその時、大学生でキャンプのボランティアスタッフとして働いておられました。
そんな錦織先生と高校生キャンプ以来にお会いするようになったのはここ数年来のことです。
私がニューヨークに来る度に食事を共にしています。
あまり楽しすぎて時が経つのを忘れるほどです。
この日も夕食後話は尽きず、スタバへ移動しての2次会と相成りました。
2次会では神学的な議論が沸騰していよいよ楽しさが増してきました。
このままだと徹夜になりそうだったので
「明日の予定もありますから、、」と錦織先生は潮時を見計らって終えることになりました。
良識をバランス感覚良く備えておられる先生ですので安心してお付き合いしています。
栄光キリスト教会の主催しているホームレス給食に参加。
高速道路の高架下には、専用の敷地と物置がシアトル市によって確保されている。
私たちが調理を終えてそこへ行った時にはすでに50名ほどの長蛇の列。
合計では150名ほどの方にスープ、サラダ、パン、クッキーとドリンクを給仕できた。
このミニストリーの創始者であるケイ阿部女史にお会いすることが出来た。
彼女は引退したと聞いているのに、毎晩やって来ては給食活動を見守っておられるとのこと。
最後にお会いしたのが10年程も前と記憶しているが、そのころと全く変わっていないご様子。
そのことをお伝えすると、
「もう私は89歳になりましたよ」との張りのある声が返ってきた。
女傑とは彼女のような方のことを言うのであろう。
この車、誰が運転しているものか分かりますか。
①彼はアメリカ人です。
②日本生まれで、日本で長く教育を受け生活してきました。
③ご両親は(どちらかの親だったかな)ノルウエー系の移民の子孫です。
答えは、
シアトル近郊のロックオブエイジズ教会牧師のラジャー先生です。
牧師会の帰りにパチリ。
聖書解釈手法の一つに
ディスペンセイショナリズムというものがある。
これは聖書を字義通りに読み進めた結果、
神と人間との関係性が時代の枠組みの中で規定されているという視点を持つ。
その「字義通り」とは、「歴史的文法的解釈」のことで
聖書解釈の王道に他ならず、もっともな研究手法であると考えている。
だが、「ディスペンセイショナリズム」とは、
日本語に訳しにくい用語で誤解されることも多い。
このディスペンセイショナリズムが何であるかを良くまとめて解説してあるサイトを最近発見した。
実にオススメのサイトである。
http://balien.hatenablog.com/archive/category/ディスペンセーション主義について
元ヤクザの井上薫ご夫妻
栄光キリスト教会で月に一度お招きいただいて
礼拝のお話をさせていただいている。
今日もその日となり、朝10時過ぎからかーくランドにある教会に伺う。
今回も懐かしい方々にお会いできてテンションも上がる。
主イエスにある家族がこちらの教会にもあちらの教会にもいて、
あちこちでお会いできるのは実に幸いなことである。
ここだけの話であるが、栄光教会の美人お二人からナンパされてランチを共にした。
70歳を超えておるお二人。お話が上手で、いつ食べているのかと不思議なくらい。
ともに国際結婚であるが、そのご夫婦の秘話など伺った。
既に2時を過ぎて、ファクトリアの東京レストランからほとんど直行して
ベルビューにあるタコマ国際バプテスト教会へ。
かつてやくざであったという井上薫牧師がゲストで見えられているというので向かう。
極道の世界から「わたしが道である」と言われた
イエスを見出された衝撃的な話に引き付けられる。
そこからキャンプから帰ってくる長女を迎えに走る。
彼女を帰宅させると、ホサナ教会の礼拝のはじまる時間となる。
夕食に冷蔵庫からフルーツとヨーグルトを取り出し、駆け込んで教会へ向かう。
この日は3つの教会をはしごし、トリプル・ブレッシングの日となった。
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