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選択の戦い A Battle of choice

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土曜日は、パンプキンパーティが... 土曜日は、パンプキンパーティがありました。たくさんの方が教会にいらっしゃいました。 お話しタイム。子供たちが興味し... お話しタイム。子供たちが興味しんしんで除いています。 みなさんの作品。ミッキーさんが... みなさんの作品。ミッキーさんが優勝しました。その隣が準優勝です。 ぼくのが勝つといいなあーーー ぼくのが勝つといいなあーーー 皆さん、和気あいあいと楽しみま... 皆さん、和気あいあいと楽しみました 頑張ってやってる、マインクラフ... 頑張ってやってる、マインクラフトさん
2018年10月21日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


霊の戦いのシリーズをすると御約束してからしばらくなります。悪魔の話しから始めようかなどと思って、いややっぱり。。。と、考え。最近、考えさせられている分野の霊の戦いについてお話ししたいと思います。

★ 選択と同意と信念 Choice, agreement, and belief

創世記Gen. 2:16-17

16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

◎ 神は私たちに自由意志をお与えになった。

この木のどの木からも実をとって食べていいけど、善悪を知る木の実だけはだめだよ。
自由意志がなければ、人は愛せない。神は、ロボットが欲しくなかった。自分で選んで神を愛して欲しかった、強制的に愛させても、その愛に何の意味もない。私たちも、「選ばれる」という感覚は、特別な感覚です。誰かに好んで選ばれる、必要とされるということは、あなたの価値が上がることであります。

エデンの園でのお約束は、愛の約束だった。愛しているから守るのだった。

◎ 人は、物事を絶えず選択して生きている。自由意志があるから。自分が優柔不断だと思っている人であっても、毎日すべてのことを選んで生きている。

◎ 選ぶからには、何かに同意しているはず。仕事に行くからには、仕事をすることに同意しているのです。バーガーを食べるなら、今日は野菜が不足していることに同意していることになります。

◎ 選ぶには、個人の信念がかかわっている。例(誰かに、何かを選んでもらう。どうしてそれを選んだか理由を聞いてみる)
この人がこれを選んだには、その人の考え方の反映と、信念が背後に必ず働いている。たとえ無意識に選んだとしても、選んだからには、必ず、その人らしさというものがかかわって来る。

◎ 信念ができるのにも、選択をするにも、すべて同意の力が働いている。聖書を見てみましょう。はじめの人、アダムとエバは、善悪を知る木の実を食べる選択をする前に、サタンの声に同意したのです。

創世記Gen. 3:1-6

1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

◎エバは、サタンの考え、「絶対に死なない」を信じたのです。そして、恥を隠すための行動をとったのです。神は、こんな大事なことをあなたには教えなかったのですね、と言われて、神に愛されてない、神に選ばれてないという風に感じ、恥を感じました。恥を感じたら、人は、その反動で恥を隠す行動にでます。いわば、恥が信念に油を注いだのです。エバは、この実を食べることを決めて、サタンの考えに同意してから、死なないという実を改めてみたら、見た目もきれいだし、おいしそうに見え、好ましいと感じたのです。きっと、今までだったら、食べてはいけない木の実だから、その木のそばにも行かなかったでしょうし、じっくり眺めたこともなかったかもしれません。人は、信じ方一つで物事が違って目に映るものです。

◎ あなたは、誰の言葉に耳をかたむけていますか?

うそ—サタンの声
誓いの言葉
自分の自我の声
心の中の優等生の声/母の声/ 自分の憎む人の声 Soul tie
神の声

★ パターン 

◎ 私たちは、聖書を知っているが、必ずしも聖書を信じて生きているとは言えない。もう一度考えてみましょう。

人は信じている通りになる。箴言Proverb 23:77 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。For as he thinks in his heart, so is he. 
あなたは何を信じて生きいますか?
私たちは、心で信じている通りに行動する。あなたの行動は、神様を表していますか?
もし、そうでないと思うのであれば、神様の言葉を信じ切れていないのです。

★ 信念の構造の詩

Belief System 信念の構造
If you accept a Belief, you reap a Thought. 
もしあなたがある信念を受け入れたら、それはあなたの考えになる
If you sow a Thought, you reap an Attitude. その考えがやがてあなたの態度となり、
If you sow an Attitude, you reap an Action. その態度が、やがてあなたの行動となって現れ、
If you sow an Action, you reap a Habit. そのあなたの行動が、習慣を生み、
If you reap a Habit, you reap a Character.   その習慣が、あなたの人となりとなる
If you sow a Character, you reap a Destiny.
あなたの人となりが、あなたの運命の行き着く先となるのだ。 Anonymous 作者不明

例) エバが神よりもサタンの方を信じたということは、自分とつなげにくいかもしれません。しかし、上の構造を例えでいうなら、あなたにとって苦手な人がいるとします。それがあなたの信念。この人といたら嫌な気持ちになる。その経験があなたの信念となります。そして、その人のいるところに行くと、その人となるべく話さないように避けます。人を避けるという態度なります。そして、やがて、いつもその人のいるコミュニティに行かなくなります。それが行動となります。そして、同じことを様々な場所で繰り返します。職場、家庭、友人関係、家族、教会などなど。。そして、その習慣は、自分に都合が悪いと関係を断つという人となりになります。その人の運命は、深い親密な関係のない人生となります。

★ 人にはそれぞれ、神様の真理、原則に基づかない信念に基づいて築いてきた習慣、パターンがあります。恐れの経験から来たのか、サタンのうそに惑わされたのか、自分の自我の声が強くて神よりもそちらを優先するのか、いろいろとあると思います。

今日、静まって神の前に、もしもパターン化したものがあるのなら、悔い改めましょう。そして、聖書の真理に照らし合わせて、行動できるように、そちらを信じるようにしましょう。

申命記Deuteronomy 30:19-20

19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
20 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。


自由意志は、神を愛するために、自分に益をもたらすためにあります。今日、命を選びましょう。
私たちは、日々、選択するという戦いの中を生きています。聖霊様に示していただきながら歩んでいきましょう。
#礼拝 #自由意志 #選択 #霊の戦い

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福音が行くところに

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今日は、愛するりかさんの送別会... 今日は、愛するりかさんの送別会。日本に帰国されます。 娘さんもいらっしゃいました。い... 娘さんもいらっしゃいました。いい時でした。 最近、若い人たちも増えている日... 最近、若い人たちも増えている日本人教会です。 チーム男子。。。礼拝後の交わり... チーム男子。。。礼拝後の交わり。おいしいデザートとともに。
2018年10月14日日曜日礼拝の音声は、

マルコ14:3-9

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


★ まさかの人Improbable person

神は、まさかこの人が神を一番喜ばしていないでしょう。という人を用いられる。新約聖書の中で、イエス様に褒められているのは、カナン人の女と百人隊長、そして、この女性。異邦人はとは交わりをしないという時代に、カナンの女の信仰をたいそう主は喜ばれ、ローマの百人隊長、彼も異邦人、また支配国の役人の信仰を、賞賛しました。この女性もそうでした。彼女は、七つの悪霊から解放された元売春婦だったという説もあります。また女性というのは、頭数にも数えられなく、教育もなく、宗教教育も受けられないという立場、しかも、過去のある女性、この女性のしたことを高く評価されたばかりでなく、福音が行くところにはこの女のことも話されるとまで言われました。あなたは、まさかの人ですか。それなら、喜んでください。あなたも、神様についていくことができます。用いられます!
福音が進むためには、まさかの人、あなたが必要なのです。

★ 高価な香油 Costly oil of spikenard

この女性は、大変高価な贈り物をイエス様にしました。給料の一年分もの贈り物をしたのです。贈り物は、関係性を表します。あなたの本気度が現れます。エリックがくれたプレゼントを見て、キャリーが、あの人、本気だよ。って言ったことを思い出します。彼女が、どれだけイエス様を重要だと思っていたかが分かります。
あなたは、イエス様を愛していますか。あなたの捧げものにその心が現れます。

注意) 心です。他の聖書の箇所で、イエス様は、二円くらいの価値のものを捧げた女性を誰よりも多く捧げたと賞賛されました。
彼女は、多くイエス様に愛されたから、多く愛した。多く赦されたから多く愛するようになった。
福音の前進にはこれがつきものです。自分がされたように私たちはするのです。自分が受けた経験がないならば、人にすることが難しいのです。

★ つぼを割ったbroke the flask

彼女の心は、定まっていた。はじめから、全てを捧げるつもりだった。自分の持てるものの一部だけとか、半分だけ、ではなく、全てを捧げたのです。これが大切。
高価な贈り物の話しをしましたが、額が大きければいいというものではない。心を尽くして、力を尽くして、知性を尽くしてとあるように、尽くすのです。
福音のためには、心を定めて、全てを捧げるのです。全てです。

★ この世と天国の価値観 Value of Heaven

弟子たちは、なんともったいないことをするのだ。と怒りました。人のすること贈り物にケチをつけるなんて。。。彼らは、この世のマインドセットに凝り固まっていたのです。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

福音が進むためには、売り買いの概念から解放されて、受けたり与えたりすることでものごとが成り立つことを知らなければならないのです。


#礼拝 #福音

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逆説の中に神の恵みGod’s grace in paradox

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シアトル。曇りも雨も晴れも美し... シアトル。曇りも雨も晴れも美しい町です。
2018年10月7日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


2コリント2 Corinthians 12:6-10
6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。7また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

★ 神は苦しみの神 Suffering God

今週のバイブルスタディはマルコ12章のブドウ園で主人のしもべたちが農夫に殺され、ついに息子まで殺されましたという箇所を読みました。どうして、ここまで神様は苦しみながら待ったのか。という疑問が出ました。ブドウ園はイスラエルをさし、またブドウ園はぶどう酒を作るためにあります。ぶどう酒は喜び、を表します。神は、喜びの収穫を留めることをされたくなく、少しでも多くの喜びを得るために苦しみの時間を延ばされたのです。
苦しみと喜びは紙一重なのです。
私たちの神は逆説的なメッセージを私たちに下さり、また私たちに逆説的な状況下に置かれます。
イエス様も、黄泉にまで下ってくださったからこそ、高く高く上げられ、イエス様の名に勝ものはない。
貧しいものは幸いと言われた。持っているものは持たないものよりさらに与えられ。
死んでも生きるのです。パウロも、朽ちる物、朽ちないもの。私にとっては生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。弱い時にこそ強い。

◎ 今日は、この逆説に力があることを覚えていただきたく思います。

★ パウロの誇り Paul’s boast?

さて、Ⅱコリントの話しに戻りましょう。パウロのクリスチャン人生は逆説の中から始まりました。彼は、もともとクリスチャンを迫害している人でしたが、イエス様に出会って劇的に変わるのです。クリスチャンを殺す立場だったが、人々をクリスチャンにする人になったのです。それからの人生は逆説ばかり。そんな彼だからこそ、何を誇るかよく知っていたのです。
誇ることで言えば、彼にはいくらでも誇るべきことがありました。しかも、言うならば、彼はパラダイスに行くという経験までしました。その啓示について経験について、周りが彼を誇らせるようにしたようです。周りが過大評価するといいます。

◎ 人というのは、自分から高慢にならなくても、周りが過大評価をして高慢になるように仕向けられることがある。パウロは真実だけを語るというが、ありのままの真実、神様に与えらている分ということを忘れてはいけなす。

◎ 誇る--- to glory 人々は、あなたのすばらしさを持ち上げて、あなたの栄光を礼拝するようになる。あなたはいつの間にか誇るようになる。これが怖い。あなたは、ワーシップリードでもなんでも他の奉仕でも人があなたによってもたらす栄光をあがめるようになったら、これは危険です。

★ パウロの逆説的生き方を説明している 
Paradoxical life style in athorn in my flesh肉体のとげの話し

パウロは、高慢にならないように、神様に与えられたサタンの使者肉体的なとげが与えられたという。病気など、サタンの使者とも旧約から文化的に理解されている。それは、私たちの益にもなるという考えがある。

◎ とげ --- いろいろな説がある、目の病気か、肉体の誘惑か、てんかんか、霊的誘惑か、また、外見的な容姿だという説もある。とにかく、これが無ければ、スムーズに奉仕ができるのに。いつも煩わされている問題を彼は体の中に抱えていたのです。

◎ そして、三度神にお祈りしてお願いしたと言いいます。とげがなかなか取り去られない葛藤。主への奉仕の栄光、このとげの逆説の中で日々葛藤したのです。

◎ 彼は、人のために癒しを祈ったり、いろいろな奇跡を体験し、瀕死の状態を幾度と経験しても死なないでいるのに、これだけはなくならないのです。どうして。ともどかしくなったことでしょう。

◎ 皆さん方も、そんな逆説の中にいませんか。

◎ 逆説から逃げることもできます。私の知り合いで絶対皿洗いをしない人がしました。自分は、そのような賜物ではない。と。私にとっては、皿洗いは、ハウスチョアであって、霊的なこと関係ない。みんなで仕事を手伝ってすれば早く終わるのに。と思いました。しかし、その人が神学校に言ったら、みなと同じよう皿洗いをさせられ、すっかり人に尊敬されるようになりました。小さいことですが、逆説の中を通ることを選んだからです。パウロが、とげがなくならないから、ミニストリーやめます。という苦しみのない世界を選んだら、きっと信じる人は減っていたでしょう。神のブドウ園に喜びの実は少なくなっていたことです。

◎ 苦しみと喜びは紙一重 Suffering and joy at only a fine line

9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
人の弱さは、聖なる力なのです。すなわち、あまり神の力が働くのに、あなたの有能無能、持てる持ってない、あるいは、あなた自身の栄光は全く関係ないのです。弘法筆を選ばす。ということわざがありますが、神が働かれるには、弱さのあるあなたが必要なのです。弱いからいいのです。私たちは、弱いところにこそ、神の力を招き入れるからです。

誇る- to glory

★私の証し: 何週間か前に、私の学校の創設者と個人的に時間をとって話していただくことがありました。彼は、まるで私のことをなんでも分かっているかのようでした。私のことをたくさん励ましてくれました。そんな中で一つ心に残った言葉がありました。彼は、私のことを「勇敢な女性だ」と褒めました。私は、「ありがとう、でもいつもそうではないし、実は、誰よりも弱虫です」と言いました。実際、私は、大学院二年目で試練にあって、自分の弱さと能力の無さに嫌気がさしていたのです。そこで彼は言いました。「弱いから勇敢なんだよ。逆説にこそ力があるんだ。弱虫でない人の勇敢さなんて、無謀なだけだ。君は、逆説を乗り越えて勇敢なんだ。それが力なんだ。」と。私は、その言葉に勇気づけられまた。またやってみよう。神さまに与えられた夢を続けて追いかけてみようと思えました。

◎ 皆さん、考えてみてください。人生の中には、逆風もあります。困難もあります。信じやすい時もある、信じられない時もある、自分の身体が弱ることもある、能力がなくなる時もある、神様に対してわがままになる時もある。反抗期の時もあるでしょう。ただ怠けたいときも。全てが前向きで肯定的であることの方がないのではないでしょうか。

今日の逆説の中で、神様をそれでも選びませんか。あなたのとげ、弱さの中に、神様の力を招き入れて、それでも、神様に仕えてみませんか。きっと大きな喜びを経験できることでしょう。

#弱さ #礼拝

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忠実な管理者 

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最近、週に一度、お絵かきをして... 最近、週に一度、お絵かきをしています。。。モデルさんに気に入ってもらったので、差し上げました。難しいですねー 今日は、朝の礼拝で洗礼式があり... 今日は、朝の礼拝で洗礼式がありました。洗礼式は、何度立ち会っても感動です。。。。おめでとうございます。
2018年9月31日日曜日バイリンガル礼拝メッセ-ジ音声は、


ここ数カ月の流れから今日はお話ししたいと思います。ルカ15章では、いかに一人一人が神様にとってかけがえのない価値のある存在であるかという話でした。最後には、放蕩息子の話しから、お兄さんについて話しました。今日は、その先の話しです。

ルカ16:1-10

1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、6 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくなったのをほめた。9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

★金持ちと管理人 The rich man and manager

金持ちは神様のこと、管理人は運用をまかされている人
覚えていますか、ルカ15章の放蕩息子の話し。父は、兄に対して私のものはすべてお前のものではないか。と言っていましたね。管理人とは、あなたのことです。

◎財産を乱費している Wasting master’s possessions
◎やめさせられたくないので策をとった---- 仲間に貸しを作った Start using it for making friends
 主人の財産を仲間を助けるために使って、自分が困ったときに助けてもらうことにした。

◎不正の富で、友を作る Start using it for making friends

8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくなったのをほめた。9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。“The master commended the dishonest manager because he had acted shrewdly. For the people of this world are more shrewd in dealing with their own kind than are the people of the light. 9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.

この聖書の箇所は、理解するのが日本語では難しいですが、英語で読むと分かりやすいですね。何も、聖書は、主人のお金をくすねて自分を守るためにずる賢くすることを推奨しているのではなく、どうせ主人の財産を使うのなら、自分の同胞を助けるために使ったらいいと言っているのです。そうすれば、後になって、あなたに助けられた人が、天国の入り口で喜んであなたを迎え入れてくれるだろうと言っているのです。

この箇所は、なかなか考えさせられます。
まず私たちのマインドセットの中に神様の考えとずれている部分があるのに気が付きます。

① 自分の手の中にあるリソースを自分のものだと思っている。Misunderstanding of resource at your hands
 わがものと思って使っているなら、それを任せている主人にとっては、乱費なのです。

② 仲間が見つけられない。You don’t see your kind of people
という問題。自分のような人を助けるために使う、とありますが、dealing with their own kindここで言うのは、主人に借金のある人たちのことです。
主人に負債を負っている人とはどんな人ですか。
そうです。罪人です。私も、あなたも、神を知らない罪人でした。神から離れて生きていたのです。
先週の話しを思い出してみましょう。ルカ7章元売春婦の女性がシモンの家に入るなり、イエス様の足を涙で洗い髪でふき出してというお話しでした。
みなさん、この女性は、イエス様に救われて、大変感謝に思っていたからそれをしているわけですが、他にもう一つ理由があるんです。この女性は、イエス様の仲間、イエス様のown kind だったのです。
イエス様の話しを聞きたくて、シモンの家に入ってきたら、なんと、イエス様の足が汚れたままになっているではないですか。また頭にも油をつけてもらってなくて乱れていた。その愛するイエス様の姿を見て、彼女の心は刃物で突き刺された思いがしたでしょう。イエス様が、自分のような人であるのが見えたからです。
イエス様は、歓迎されず、普通ならば受けるべき最低限のもてなしも受けなかった。そんな恥をかかされながらも、そこの家におられた、その汚れた足を見て、どんなに心が傷ついたことでしょうか。この女性は、イエス様を愛しているがゆえに、感謝の涙、また悲しみの涙を同時な流したのです。
他の客には見えなかったことが、この女には見えたのです。自分も、その経験があるから。

★ 共感は愛の始め Empathy is gateway of love
この管理人も、自分のように主人から借りがあって立場が危ない人たちに共感できたから、このようなことをやり始めたのです。
みなさんに質問します。あなたの目に映っていることは、どんなことでしょうか。どんな人でしょうか。あなたは、自分の手に任されているもので、そのような人に仕えているでしょうか。
自分の周りの人たちの顔を思い浮かべてみましょう。自分の家族もそうです。兄弟も。みな、同じように育ったのです。同じ傷ももっているでしょう。あなたが一番の家族の理解者でもあります。。。。
★ 小さなことに忠実な人は、大きいことにも忠実ですWhoever can be trusted with very little can also be trusted with much
10 小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much. 11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches? 12 And if you have not been trustworthy with someone else’s property, who will give you property of your own?
13 “No one can serve two masters. Either you will hate the one and love the other, or you will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and money.”


毎日、一つ、仲間を思って行動してみましょう。また、自分の目に映ることに応答してみましょう。小さいこと、地上のこと、目に見えることに忠実な人には、神は、霊的なこと、御国のことをお任せくださいます。決して、自分の手の中の富が自分のものと思わず、神に仕えるということは、どういうことか考えてみませんか。
あの、罪深いと呼ばれた女性のように。心から神様を愛していきたいものです。

#共感 #礼拝 #管理者

ワオ!と言っているユーザー

The Treasure of People

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今月のお誕生日は、新しく来られ... 今月のお誕生日は、新しく来られている姉妹と、六歳のねずみちゃん ♪ 今週初めていらしてくださったY... 今週初めていらしてくださったYさん。昔、行ったことのあるバイブルスタディで読んだことのある箇所だったそうで、初めて意味が分かったと喜ばれていました。
こちらも嬉しいです。
ケーキとりわけ隊 ケーキとりわけ隊 最近は、礼拝後も皆さんお茶をし... 最近は、礼拝後も皆さんお茶をしながら和やかに、お交わり。。。。
09/23/2018 礼拝メッセージ、エリックによります。通訳は私。音声は、こちらからどうぞ、


I want to share some stories that happened to me this week and explain how the holy spirit spoke to me through them.

The Lady with the Seahawks hat

My first treasure story involves the lady in the Seahawks hat who came in to the bank. I was dreading talking to her. When she finally came over I could tell she was agitated and she told me why. Someone had written her a bad check. She was mostly mad at the woman who wrote her the bad check.
When I started to hear her story I was moved with compassion. What I expected and the reality were two different things.
This lady mentioned since she was a Christian she knew she shouldn’t get too mad at the lady who wrote her the bad check.

The Homeless Man

Then another person came in. I really didn’t want to talk to him. Immediately he came off as somewhat combative, and he smelled too. It was almost time for me to go home so I just wanted to get the appointment done and send him away. He told me he was tired of getting fees and didn’t know very well how banks worked.

“Yeah, yeah, yeah” I said. Thinking I was demonstrating I was listening.
“You keep saying ‘yeah, yeah, yeah’. That sounds like slang.” He went on at some length with that theme.

I tried to connect with him, but my normal techniques were falling flat. I found myself speaking in tongues under my breath because things weren’t going well.

We began to connect a little, but not much.

I annoyed him more. We went round and round for a bit then he just wanted to get the account open.

Somewhere in the middle of my interaction with him something switched in my brain. I realized rather than an annoyance this gentleman brought me something of great value. I was humbled to realize he said some things that pointed out my weaknesses as a banker. No one else brought these things to my attention, but he did. The Holy Spirit worked through him in this regard.

“It was a real pleasure to meet you, Earl (not his name).” I told him.

I meant it quite sincerely.

Jesus’ approach to those of lowly estate

It goes without saying Jesus wouldn’t have had the attitude I did toward either of these people. Jesus met people where they were. He truly connected with people. We can see through the following passage he recognized the boldness and the strong emotion of the woman who entered where Jesus dined with the Pharisees.


Luke 7:36-50

“And one of the pharisees desired him that he would eat with him. And he went into the Pharisee’s house, and sat down to meat. And, behold, a woman in the city, which was a sinner, when she knew that Jesus sat at meat in the Pharisee’s house, brought an alabaster box of ointment. And stood at his feet behind him weeping, and began to wash his feet with tears, and did wipe them with the hairs of her head, and kissed his feet, and anointed them with the ointment. Now when the Pharisee which had bidden him saw it, he spake within himself, saying, This man, if he were a prophet, would have known who and what manner of woman this is that toucheth him: for she is a sinner. And Jesus answering said unto him, Simon, I have somewhat to say unto thee. And he saith, Master, say on. There was a certain creditor which had two debtors: the one owed five hundred pence, and the other fifty. And when they had nothing to pay, he frankly forgave them both. Tell me therefore, which one of them will love him most? Simon answered and said, I suppose that he, to whom he forgave most. And he said unto him, Thou hast rightly judged. And he turned unto the woman, and said unto Simon, Seest thou this woman? I entered into thine house, thou gavest me no water for my feet: but she hath washed my feet with tears, and wiped them with the hairs of her head. Thou gavest me no kiss: but this woman since the time I came in hath not ceased to kiss my feet. My head with oil thou didst not anoint: but this woman hath anointed my feet with ointment. Wherefore I say unto thee, Her sins, which are many, are forgiven; for she loved much: but to whom little is forgiven, the same loveth little. And he said unto her, Thy sins are forgiven. And they that sat at meat with him began to say within themselves, Who is this that forgiveth sins also? And he said to the woman, Thy faith hath saved thee; go in peace.”

Application

This is really an amazing story. This woman was overwhelmed with thankfulness toward Jesus. She demonstrated it not only with the costly ointment, but in the fact that she used her hair to wipe his feet. Women in that culture were forbidden to let down their hair. She was grateful for the hope that Jesus gave her. She was, as Jesus said, forgiven much, therefore she loved Jesus very much. At the end Jesus told her to go in peace. This was welcome to her because her sins were forgiven.

Notice also the contrast between the way Simon treated Jesus and how the woman did. The Pharisee didn’t even extend common courtesies to him such as washing his feet, giving him a kiss, and anointing his head with oil. Think about going to a Japanese house. The host will offer you slippers so your feet won’t be cold and generally make sure you are comfortable.

Note also the guests at the party began to realize this wasn’t an ordinary prophet. He could actually forgive an unclean woman.

Remember my stories? If I hadn’t lowered myself I wouldn’t have discovered what was valuable.

It is similar to water. Everyone wants and needs water. It comes from a high place to a low place. It seems when I lower myself I find what I need. That is where the water is.

The Pharisees including Simon didn’t appreciate this principle of lowering themselves. They even had a hard time seeing why Jesus (who was also a Rabbi) let this woman do what she did.

When I was talking to Earl I was like Pharisees we have been talking about. My Pharisee mind was saying he smells because he is homeless. Get him out of here! Then something supernatural happened. The Holy Spirit allowed me to see as I lowered myself that I was able to receive from him.

Finally Jesus saw the treasure in the woman. He saw what a precious person she was. There is such a stark contrast between the way she treated Jesus and how the Pharisees did. The woman also saw the treasure in Jesus. He gave her something priceless. He forgave her sins. Few people in her life treated her with kindness. As a prostitute she was an outcast, but Jesus saw her for what she was, a humble sinner pouring out her love for Jesus. This is another contrast with the Pharisees who just saw her as her past, that of a prostitute.


Conclusion

All of us are created in the image of God. In God’s view every person is precious. We know he loves the whole world. At any Seahawks game you will see a sign that reads: “John 3:16” - “For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.”

There are people all around us that we either don’t notice, or we don’t want to notice by design. If we do this we may be missing out on something quite important. It is as if we were given a treasure map and we just threw it away thinking it can’t be real. If we discard the people God puts in to our lives it is the same thing.

#イエスに出会った人 #礼拝 #罪深い女

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悔い改めの力Power of repentance

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昨日、今日とすがすがしいお天気... 昨日、今日とすがすがしいお天気が続いています。
私は、熱が出たりしてましたが、季節の変わり目、みなさんもお大事にしてください。
2018年9月16日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


二週間前に、一人の人の救いの尊さ、あなたの尊さ、について話しました。迷子の羊、そして、無くしたコイン、イエス様は、最後に放蕩息子の話しをされました。あなたは、イエス様の大切な羊、価値のあるもの、目的のあるもの、大事な存在であることを話しました。また、放蕩息子の話しでは、あなたのことを神様の子供だとおっしゃっているのです。今日は、見つかった弟の話しではなく、その兄の話しをしたいと思います。

ルカ15:20-32
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

★弟についておさらい
弟は、自分の罪に気が付き、謙って、自分の悪を全て認めて、父のもとに帰ってきた。
真の悔い改めは、神に向かわせる。自分のプライドや反抗心何て、全てか殴りすてて。自分を助けることができるのは父しかいないと確信しているから。
神、救い主イエス様にわたしたちの心が向かうには、必ず、自分の罪について理解しなければならない。Personal knowledge of our sin and our Savior、Inseparable

★大事なのは、心のつながり
教理や、聖書のお話を知っているだけでは、十分でない。イエス様との個人的な関係がなければ、救いを体験できない。イエス様との個人的な関係とは、自分の罪が分かり、その罪を赦していただくこと。個人的にイエス様を救いのために必要としない限り、イエス様に出会えない。

★ 聖書は、この救いの体験・心の繋がりの継続を勧めています。
コロサイ2:6
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。So then, just as you received Christ Jesus as Lord, continue to live your lives in him,

キリストの弟子となることは。形式ではない。何々通りに決められたことをしていることではない。さて、お兄さんを見てみましょう。

★お兄さんについて

お兄さんは、死んでいたはずの弟が帰ってきたにも関わらず、全く喜ぶことができませんでした。また、父の喜びと心が一致することがありませんでした。全く、父が理解できないと思ったのです。これは、外見上の宗教に凝り固まった人の特徴と言えます。喜びは天の通貨であり報酬。お兄さんは全く報酬がなかった。。。

〇 宗教の霊=形だけの信仰の特徴
- 喜びない
- パーティに参加しない ---- 喜びの集いに属することに興味がなく価値を見出さない。     
- 自分は奴隷だと文句を父に言う—自分の父を理不尽な人だと思い込んでいる。これは、全ての権威についてそう思っている。
- 父はヤギ一匹くれたことがないと文句を言う---- 報酬を求める。霊的な報酬を感じてないから。それが、地位であったりお金であったり、見返りを求める。
- 父は「あなたはいつも私とともにいる。私の持っているすべてはあなたのものではないか」と。---- 神が共にいて下さるという臨在の中で充足することが分からない。また、神の家族の中にいる充足がない。
- 心が冷たくなっている。裁きで満ちている。= イエス様とのコネクションがない。
  - 救い、赦しを必要としていない。だから、イエス様と個人的なかかわりがない。

◎ 私は、キリストの身体とのつながりとイエス様とのつながりは比例すると思っている。結局コネクションが分からない時に、私たちは、宗教の霊にやられて躓いてしまう。。。
   次のような、罪の根っこに私たちにしがみつくとき、宗教の霊につかまってしまう。
  Legalism & self-righteousness 律法的、自己義 Pride プライド
Judgments 裁き Fear  恐れ、自分の本当の姿を誰にも見られたくない、
Self-pity 自己憐憫 Bitterness and unforgiveness 苦々しい思い、赦さない心

★ 多く赦された者は多く愛するthe more you are forgiven the more you love ルカ7:47 

「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

★ 私の証し

私は、去年、学校でとても嫌な出来事がありました。またそれは、長く続きました。とても理不尽で、差別的にも感じていました。私のセラピストも、非常に私のために怒ってくれましたが、「でも、これは霊的戦いのような気がする。」と言われました。その時は、その言葉を流していたのですが、結局、そのストレスが大きすぎて、身体にも支障がでました。
(続きは、音声から。。。。。)

ダビデは、神よわたしを探り心を知ってくださいと祈りました。私たちも、日々、神様の前に、もしも私の中に私に悔い改めるべきところがあるな示してください、永遠に続く喜びの道に戻してくださいと、祈りたいと思います。

詩編139:23-24

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。Search me, God, and know my heart; test me and know my anxious thoughts. 24 See if there is any offensive way in me, and lead me in the way everlasting.

悔い改めない心、赦さない心、裁きの心が、神の喜びを私たちと私たちの教会から取り去ることが無いように。今日、もし、手放さなければならないことがあるなら、祈りましょう。
悔い改めは、神とのコネクションの入り口であり、神の祝福の入り口です。
Repent --- opening the door for God.




#イエスに出会った人 #宗教の霊 #放蕩息子 #礼拝

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幸いな人 The Blessed

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今日は、学校も新学期が始まり、... 今日は、学校も新学期が始まり、教会でも、進級式を行い、去年一年、みんなご褒美シールを集めたので、それぞれの長所にしたがって表彰し、ご褒美を渡しました。表彰しているときに、つい、感動して私も声が詰まってしまいました。神の恵みなしに、子供たちは育たないなー神様ありがとうございます。。という気持ちです。。今年も、みんな、頑張ろうね!
2018年9月9日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、



詩篇 1篇
1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は正しい者のつどいに立てない。6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者は滅びうせる。
★幸いであること
「幸い」は、原語へプル語では、"esher," エシャー>
語源は、"to be straight" or "to be right." まっすぐ、正しいという意味。この言葉は、複数形で使われており、最上級の幸せの表現であり、完全な満たしを表現している。

そして、この幸せの質というものは、魂、霊的レベルのものであり、自分の手で何かを成し遂げた、達成したレベルのものではない。例えば、医者になることでも、地位の高い人になることでもなく、権力をもったり、お金を持つことでもない。本当の魂の充足なのだ。

ですから、この「幸せ」というものは、全世界共通、ユニバーサルなものであります。人は全世界を手に入れても、いのちを失ったら何になりましょう。と聖書が言っているとおりです。

この幸せは、お金持ちで、外見上何も問題なく生きている人にも幸せであり、また、落ちぶれて、悪いことばかりをして、その結果、ホームレスになってしまった中毒患者にとっても幸せなのです。

そして、聖書は、あなたが、どんな過去を持っていようが、今までどんなチョイスをしようが、または、どんなに立派な肩書があろうが、神様が差し出してくださる幸いがあるのだと、皆さんを今日招いているのです。

★人には二つの歩み方がある

その道は、歩みであり、生き方である、両方進行形である。Both progressive. すぐさま、目には見えにくいかもしれない。もしかしたら、正しい者の方が、苦労しているかのように人には映るかもしれない。また、悪い者の方がいかにも、美しく見えるかもしれない。しかし、みなさん、霊的なものは肉の目、世の目には見えないのです。進行形であること、がこれは霊の世界のことであることを指し示しています。私たちは、見えない神を、信じていて、心に否むことのできない確信をもって生きています。見えない世界は、リアルなのです。

① 悪者の道

V1 悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着く

始めは点であっても、最後には道になり、その後は、住み家となる。
thinking, behaving, and belonging
みなさん、私たちのクリエイティビティは、私たちの頭の中にあります。これは、神様のデザインであり、神様と協同作業をするためにそう造られているのです。ですからこそ、神は、信仰を強調されるのです。目に見えないものを信じることが信仰ですから。。。そこから、創造が始まるのです。
悪者のはかりごとも正に私たちの考えから生まれてきます。気をつけていただきたいのは、それが、私たちの願いに基づいていることが多いのです。
前にも話しましたが、願いは聖なる場所です。聖なる能力です。それをどう行動に移すのかが問題となって来ます。
また、ある人は、それを行動に移し、罪人の道に立ちます。そして、行動に移した後には、そこを住み家とし、そこに属するようになります。あざけるものとは、自分が一番偉い人になっている状態です。自分がまさに神になったように、王座に座り、そして、全てを自分の清くない考えで裁いていきます。。。自分が義だと思っている人のことです。
これが、聖書で悪者のと言われる人の生き方です。

② 幸いな人の道

v2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。v3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

- 自分の義ではなく、神のことばによって生きるという人。
- 神から受け取るという謙遜さ。
- 神の言葉を黙想し、思いを巡らすことの祝福。
- 私たちは、教会に行っているだけ、または、メッセージを聞いているだけ、み言葉を読んでいるだけでは、私たちの心は変わらない。神様に出会わなければ。。。
- 神様に出会った人は、自分の義を手放す。そして、神の義に従う。
- また、水路のそばに…表面上では、厳しい環境に見えたりするかも知れない。しかし、根っこで、水源に繋がっているならば、葉が枯れることがないばかりか、たくさんの身を結ぶ。

- 水路は、まさにイエス様です。また、キリストの身体である教会です。個人的に、イエス様に繋がっているか。今日、あなたの心の思いをイエス様と分かち合って、目と目とが合ったか。声をかけてもらったか。個人的にみ言葉が響いたか。。。

- Planted 植えられる---- 神様の摂理を受け入れること。この世は、自分中心。イエス様の弟子さえ、イエス様に選ばれたのであって、自分で選んだのではない。また、場所を示している。毎日、神様と出会う場所、スペースあるでしょうか。神様のことを話す仲間の場の中に植えられているでしょうか?

- 黙想をするには、私たちが鈍いからというのも一つの理由です。しかし、同じみ言葉を何度も何度も読んで、思いを巡らすうちに、神様の語りかけが、気づきが後から後から来るのです。ぱっとみ言葉を読むだけではなく、羊や牛のように反芻するのです。

- また、キリストの身体に植えられて、周りの人の証しや、みなさんが体験した神様のみ言葉を分かち合っていただき、それを聞くことも私たちには、霊の肥やしなのです。決して軽くみることができない。

- そういう人は、時が来ると実がなる。。。これも、霊的なことです。実は、いつ、なり、いつ育つか人には分からないのです。。。夜、皆が寝静まっている時に、いつの間にか育つのです。肉の目で見定めることのできない、霊の出来事です。

★ 今日子供たちの進級式でしたが、子供たちは、毎週きちんとみ言葉を暗唱してきました。大変な霊の賜物をいただきました。若いうちに、心に入れたみ言葉が、物事を考えるときに、きっと、出て来て、彼らの人生を助けることでしょう。大人も、見習って、9月から、み言葉を黙想することを大切にしていきましょう。そして、毎日必ず、今日、イエス様と目があったかな。イエス様に私を見ていただけたかな。イエス様の義で、毎日、まっすぐに、そして、正しいものとされ、私たちの心の王座にいつもイエス様に座っていただきましょう。

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失った一匹の羊

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礼拝後に、ボーイズは、大好きな... 礼拝後に、ボーイズは、大好きなお兄ちゃんと、七ならべを楽しんでいます。。。 今週は、新しいおばあちゃんも礼... 今週は、新しいおばあちゃんも礼拝に来てくれました。
子供たちにとっも、おばあちゃんにとってもいろいろな世代と交流できて、ランチタイムや、礼拝後のおやつタイムは、貴重な時間となっています。
2018年9月2日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


ルカの15章は、聖書の中の福音の中の福音と言われている箇所です。神様の良いニュース。神様の救済のエッセンスが込められています。三つの失ったものがでてきます。今日は、はじめの二つから。

ルカ15:1-10
1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。
5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、6 帰って来て、友達や近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。
7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。8 また、女の人が銀貨を十枚持っていても、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。9 見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

★ 罪人と食事をするイエス様
先週は、取税人ザアカイの話しでしたが、今週のルカ15章は、イエス様がそんな取税人や罪人と食事を一緒にしているということで、パリサイ人、律法学者たちがイエス様を責めて詰め寄っているシーンからです。

◎ 当時、ユダヤ人たちは罪人と言われる人たちと付き合いをしないようにしていました。ですから、イエス様が罪人たちとハングアウトしていることが大きな信仰の躓きとなりました。イエス様のような行動をするということは、神の心が分からない人たちをますます神から話す、分裂をもたらすことがあります。このシーンでクリアに私たちには理解できます。日常の中で、注意してください。分裂、人が信仰を持てなくさせたイエスが悪いのだろうか。それとも、躓いてしまうパリサイ人たちに問題があるのだろうか。真理が必ずしも、人に歓迎されるとは限らない。。。

◎ パリサイ人たちは、罪人と取引、ものの売買をすることを禁じていた。そういう人たちと交われば、自分が汚れると考えた。また、ラビたちは、そういう人たちに神の言葉を教えなかった。しかし、イエス様は、ラビであるが、彼らと親しくしていた。これは、衝撃的なことであった。

◎ 私たちも少し、立ち止まって考えてみたい。つばは、口の中にある時には、雑菌を殺すいいものである。唾液は、たくさん出ている方が虫歯になりにくいともいわれている。しかし、一旦、口の外に出ると、侮辱の意味があり、人は、汚いと感じ、そのつばに触れたくないと思うものであります。
罪人も、そのようなものかも知れません。。。。続いて、イエス様は次のような有名なたとえ話をされます。

★ 羊飼いの話し

羊飼いは、一匹の迷子の羊を、99匹を置いても探しに行くというお話し。

◎羊とは

羊は、聖書で人間に例えられる。よく似ている。視力が極端に弱く、先が見えにくい。人間も、将来のことが見えない。自分の身の周りのことだけで精いっぱいです。野生の羊はいない。必ず、羊飼いに飼われないと生きていけない。人も、誰かに世話されないと人間として育たない。これは、赤ちゃんとしてもそうだし、霊的にもそうです。霊的な育ててくれる、一緒に歩いて教えてくれる先輩がいないと、霊的な成長はありません。一匹オオカミはいても、一匹羊はいないんです。一匹羊でやっていきますと言っても、牙や、強い角があるわけでもない、目の見えない羊が、猛獣に勝てるはずがないのです。

当時、イスラエルは、青々と茂る牧場で羊を飼っていたわけではない。ちょろちょろと生える岩間の草を食べるのです。けれども、羊飼いが食べ物のある所に連れて行き、水を飲ませるのです。私たちの詩編23篇で想像するような、ハイジのような世界ではないのです。すぐ先は、がけ、すぐ砂漠がある。など、結構危険なところで生きていたのです。ですからこそ、羊飼いなしでは、羊は命の危険にさらされるわけです。

よく考えてみたら、私たちの人生のようです。一難去ってまた一難。楽な人生を送っている人が果たしているのでしょうか。試練の無い人はいないのです。

◎羊は、群れでいる時安全であり、守られる。右向け右で、団体行動をすることもあって、守られる。また、臆病で、目の見えない羊は団体行動に向いている。逆に言えば、極端に孤独に弱い。一匹群れから離れると、パニクッて余計に逆の方向に行ってしまったりと、一人よがりにどんどんあてずっばの場所に行ってしまい、ますます迷ってしまうそうだ。なんだか。。。自分のことを言われているみたいですね。ですから、失った羊という、失うというのは、迷子の羊というより、滅びの、という意味があるそうです。ですから、まさに、群れから外れるということは、滅びの道に向かうということでした。

◎羊は、村全体の財産で、二、三人の羊飼いたちが羊を連れて行っていたそうです。羊一匹一匹に名前を付けて、大切にしていました。もしも、一匹死なせようものなら、相当な責任を問われたそうです。その羊の毛を刈ってなぜ死んだかしっかりと説明する義務がありました。

◎羊飼いは、羊を肩に担いで帰る。はぐれた羊は、パニックになっているので、羊飼いが肩に担いで、全面的に運んであげる必要があります。私や、みなさんにも、そのような経験があってこそ、今ここに存在ているのではないのでしょうか。

人生のどん底、自分の力でどうしようもない時、奇跡が起こって、神様がまるで、持ち運んでくださって、安全なところに自分を運んでくださった。というような。私も、思えば、そんなことがたくさんあって、今日生きています。救われた時は、もちろん、バーンアウトして鬱になったときも、自分が死んだような時、迷い切ったときに、自分を担いでもとに戻してくれたのが、神様でした。

救い、軌道修正はいつも、イエス様の一方的な恵みです。

◎羊飼いが羊を担いで帰って来ると、村全体が大喜びして迎えたそうです。そうです。失ったもの、滅びようとしていたものが帰ってきたのですから。。。。
イエス様の恵みによる救い、帰村は大変な喜びをもたらします。

どうして羊飼いなるイエス様は、一方的な熱心な愛で、迷い出て滅びに向かう私たちをそんなにも必死に探してくださるのでしょうか?
そこで、イエス様は続いて、二つ目のお話をされます。

★ 二番目のストーリー、銀貨の話し

自分の銀貨がなくなったら、えらいことです。私たちも例えば、家に10万円あって、一万円足りなかったら、血眼になってその一枚を探すのではないでしょうか。

価値のあるものであることが一つ、また、自分のものであることが一つ。人のものだったら、そんなに必死にはならないでしょう。でも、あなたの大切な宝物がなくなったら必死になるのです。

また、それがどうしても必要だったから。目的があって、10枚あったのでしょう。目的のない銀貨はありません。当時のパレスチナ、10枚の銀貨で髪飾りを作り、それを今でいう結婚指輪の代わりにし既婚のしるしとして身に着けたそう。せっかく結婚の用意ができたのに、せっかく苦労してためた10枚の銀貨がなくなっては困ります。

God says, “you are mine.” You hold God’s purpose.

★ 今日、覚えていただきたいことは、あなたは、神の大切な存在。神に属する存在です。次のたとえ話ににもあるように。あなたは、大切な神の子供です。また、あなたには、価値があります。そして、あなたの人生には、目的がはっきりあります。
ですから、イエス様は、探さずにおれない。

どこまでも、見つけに行く、危険を冒して、険しい崖も、くらい夜道も、くまなく探すのです。神の、熱い熱心。愛。が、あなたを探したのです。
私たちは、群れから離れては、生きて行けません。一人ではどんどん違う方向に行ってしまうのです。野獣がいつでも襲って、食べられても仕方がないほど弱いそんざいなのです。ですからこそ、互いに集まることをやめてはいけないのです。

イエス様は、だから、熱心に罪人を探し、訪問し、友達になり、食事を一緒にしていたのでした。滅びないために。
イエス様は、今日もあなたを探しておられます。
イエス様は、今日もあなたを担いでくださいます。自分で解決できない、力がないと思うなら。

★ 私は、もとホームレスの人で今は、ホームレスから立ち直り中毒症から立ち直ろうとしている人たちを助けている人に会いました。この人にイエス様を見ました。その、熱心さ。決してあきらめない姿に。自分も、見つけられたから。彼女も見つけるんだ。。。。と思いました。イエス様のその熱心に私たちを求めてくださる、その愛に今日立ちかえりましょう。あなたは、一匹の羊です/でした。


#イエスに出会った人 #礼拝 #羊

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先週のいろいろ

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先週の月曜日8/20のシアトル... 先週の月曜日8/20のシアトルの空。。。。これ、昼間ですよーー煙がひどいです。いよいよ、目が痛い。。。。

8/20-21 と一泊二日でイースタンワシントンへドライブの旅をしました。どこいっても煙でした。ただ、二日目は、風があちらは強いので、煙は吹き飛ばされてなくなりました。良かったー
小旅行から帰ってきて、ブラウン... 小旅行から帰ってきて、ブラウンベアーが文字通り、ただの洗車に誘ってくれました。 こんなプレゼントもいただいて、... こんなプレゼントもいただいて、
車の中は、バブルガムの匂いになりました。
ざーっと洗ってくれました。 ざーっと洗ってくれました。 その夜は、チキンカバブを食べま... その夜は、チキンカバブを食べました。
エリックは、ラムのソーセージです。
この赤いソース、なんだかわからないのですが、すごく美味しいです。。。。お隣は、もちろんハムス。手作りで、固めで美味しいーー♪
先週は、結婚記念日で、短い旅ですが、
五時間くらいドライブして、ワラワラ(東ワシントン)に行ってみました。

シアトルは、写真の通り煙害、PM2,5 だそうで、
なんとなく、南の方に行ったら煙なかったりしてーー
なんて、いう、希望的観測で出かけました。

宿は、エアービーアンドピーで調達。

行ってみると、なんとなんと向こうも同じでした。がっくり。

ワラワラは、すごくかわいい町で、おしゃれでした。
古い建物もたくさんー
エリックは、途中で疲れて気分が悪くなってしまいましたが。。。
今度は、煙の無い時に来てみたいと思います。
きっと秋や春はきれいだと思います。

車は、すごく汚れてしまいましたが、
何と、先週の木曜日、
ブラウンベアのカーウォッシュがタダで洗車してくれるとのことで
行ってきました。

何と、受付のおじさんに、エアーフレッシュナーまでもらいました。
なんという!!!

車は、旅のあかをしっかり落とすことができて、良かったと言っています。

その夜は、記念日の締めに、
チキンカバブを食べました。
美味しかったです。

ちゃんちゃん
#シアトル #ブログ #東ワシントン

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ザアカイ イエスに出会った人

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今月、八月のお誕生日を礼拝後に... 今月、八月のお誕生日を礼拝後にお祝いしましたー。
チーズケーキと、チョコタルト。
今回は、手作りではありませんーーー
おめでとうございます。なつこさ... おめでとうございます。なつこさんとエリック。
2018年8月26日日曜日礼拝音声は、


先週は、イエス様に出会った姦淫の女のお話しでした。今週は、また、イエス様に出会って劇的に人生が変わった人、ザアカイのお話しから学んでいきたいと思います。
キリスト教は、あっという間に、ローマをキリスト教国家にするくらいに力がありました。その力は、どこにあったかというと、証しの力でした。一人ひとりの体験、トランスフォーメーションにありました。ザアカイもそのような変革を体験した人です。

ルカ19:1-10

それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」


★ザアカイという名前

名前というのは、不思議なものです。その人を表しています。どの国、どの文化であっても。。聖書の中でも、神様に出会って名前が変わった人もいます。私の例。
ザアカイという名前は、へブル後で、清い、純粋なClean; pureという意味です。彼は、このようになるべく生まれてきた人間だったのです。
あなたの名前には、どんな意味があるでしょうか。

★劣等感というモチベーション

それで、金持ちになった。しかし、友達がいなかった。お金だけが頼り。
彼は、当時統治されていたローマ帝国の取税人となり、関所でお金を同胞から大目に集めては自分のものにして財を増やしていた。すべて手に入れたように見えるが、一つ変わっていなかった。それは、
劣等感、「自分に何かが足りない」という感覚だった。清い生き方をする子になるようにと、親に育てられたが、劣等感が取税人にし、金持ちにした。

しかし、彼は孤独であった。

そこで、最近とみに噂のイエス様に興味を持った。
「自分に何かが足りない」が、世の誘惑、成功を引き寄せる原動力だと前に話しましたが、また、これも神様を求めるきっかけにもなります。あなたは、どちらを求めていますか。

注) 劣等感というモチベーションをかなぐりすてて、行動に移さなければ、イエス様に出会えなかった。

★いちぢく桑の木

◎登った…

宗教とは聖なる神様に出会おうとして必死で上へ上へ自分の力で登ることと、いつも説明しています。

ザアカイも、イエス様を一目見ようと木に登りました。宗教者の中でも人のお金をくすめていたので、鼻つまみ者であったが、高いところに向かった。
私たちも、みんな何かしらの努力をして上に行って、神様を味わいたい、イエス様に出会いたいと思って教会に来、聖書を読もうとしたり、聖書の教えに従おうとしたのではないでしょうか。それがあっての、今、ではないでしょうか。

◎降りた…

ザアカイは、イエス様に声を個人的にかけられました。どんなにか嬉しかったことでしょうか。「君の家に泊まることにしてあるよ」と言われたのです。みなさん、イエス魔は、すでにあなたを選んでおいでになるのです!

ザアカイは、イエス様に会うために木を降りました。

私たちは、本当にイエス様に出会うためには、木の上にいては、高いところにいては会えないのです。

① 自分の力で上り詰めた、その場所から降りなければならない。
  ザアカイの場合は、富であったろう。自分のプライド、努力、頑張り。また、他にも、宗教。自分のやり方、伝統、しきたり。仕事。

② イエス様の低さまで降りなければ、決してイエス様が分からない。

  ---- イエス様の七下りピリピ書2:6-12

6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。

低いところに下らなければ、イエス様が分からない。謙り、しっかり神に従ってみなければ、喜びは得られない。イエス様も、その喜びのために働いたのです。

ですから、ここに、「自分の救いの達成のために努めなさい。」と、あります。これは、行いによって救われるというのとは、違います。救われたのですから、イエス様さえも低いところに自分から、私たちの救いの達成のために下ったのですから、高いところにいることばかりを考えずに、地道に神の道を従って行きなさいというのです。

神に従うことは、決して容易なことではありません。もちろん、助け主聖霊様が助けてくださいますが、私たちは、日々自分を捨てなければ、神に従うことはできないのです。従わなければ、従った人にしか、分からない喜びが味わえないのです。

さて、木を下って行ったザアカイは、どうなったでしょうか。
★悔い改めの実

キリスト教は、何によって信者とするかといえば、キリストに出会った喜びによって人生が変わる、そして、行動が変わることです。
キリスト教が力をもって増え広がったのは、この「変えられた人たちの行動」によってでした。

v8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」But Zacchaeus stood up and said to the Lord, “Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount.”

ザアカイは、イエス様に出会って、今までの生き方を捨てる決心をしました。その証しとして、財産の半分を貧しい人に施し、そして、今まで人からだまし取ってきたものは、四倍にして返すというのです。ちょっと話を聞いてみたら、これは、赤字になるのでは? と思いませんか。今まで、お金が友達。悪いことをしてまでも、人に嫌われてまでも、人からお金だまし取っていた。それで、自分の劣等感を少しでも、感じなくさせるように。。
彼の、後の人生は、真逆の人生になりました。償いの人生とでもいえましょうか。赤字でも、人にずっと返していく人生を選んだのです。決して楽なことではありません。しかし、それが、イエス様に出会って、変えられた人生なのです。遠回りでも、損でも、赤字でも、イエス様に従って、真っ当な生き方を毎日選んで行くという生き方に変えられました。

●ここにまだキリストに出会っていない人がいるならば、必ずあなたは主に見つけられますから、木に登ってください。聖書を読む、祈ってみる、教会に行ってみるでもいいではないですか。必ず、あなたは、イエス様に見つけられます。
そして、低いところに降りることをいとわないで。
イエス様に出会った喜びをもって、今までと違う行動をしましょう。

#イエスに出会った人 #ザアカイ #礼拝

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