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久々に映画に

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久々に映画に リーガルシネマに行ったんですが... リーガルシネマに行ったんですが、なんと、シートが広く、なんと、レージーボーイ式に足元がグイーンと伸び、そして、背もたれもリクライニングで、お家でゆっくりしているかのようなイスでしたーー
今週は、久々に時間ができたので、

二、三年ぶりに映画に行きました。

時間ができたときに行くので、何を観るかは、今やっている中からエリックが選びました。

お話は、あるカップルが里親になるというお話し。

アメリカでは、ドラッグやアル中などで、子供たちを自分で育てられない親たちがたくさんいます。

この映画は、コメディなんですが、私は、ずっと泣いていました。

今、カウンセラーとしてインターンをしている施設には、このような人たちが一生懸命生きているからです。共感しまくりです。。。。

里親になる立場とは逆ですが、

親が中毒患者だった人たちはたくさんいます。

なかなか、里親を信頼できない、トラウマで悪夢にうなされる、注意散漫になるとか、暴れてしまう、かんしゃくがおさまらないとか。。。。

中毒患者の子供たちは、大きなトラウマを抱えています。

心が痛みます。。

この映画は、コメディで、ユーモアと涙と感動が混じったとてもいい映画でした。

また、これを観て、このような子供たちがいること、中毒患者がいることなどにみなさんの興味が向けられたらいいなと思います。

あー。。。泣きすぎて、頭が痛い。。。。

休みなのに、真剣に映画見すぎました。汗
#ブログ #映画

ワオ!と言っているユーザー

自分自身との戦い

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月曜日にアートを中学生たちとし... 月曜日にアートを中学生たちとしました。
自分の心の中心に何があるかーというお題です。
2018年11月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今日は、先週話した三つの内の一つ、自分という戦場につて話したいと思います。今日は、みなさんが何かを見つけて自由になる日となることを祈ります。創世記にはたくさんの教えが込められています。もう一度読んでみましょう。今日は、最初の人が罪を犯した後から。

創世記3:9-13
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

この後、神様は、罪の結果である呪いについて話されます。

①自分の責任は何か
この箇所は有名な箇所です。そして、私たちはみな責任転嫁をすることを知っています。小さな子供だって、嘘をつくときに、「わたししてないよ。お兄ちゃんがした。」とか、言いますよね。大人になったら、私たちは、それをしないものだと思っていますが、実は結構しているんですよねー。

〇 投影Projection

  先週も少し話しましたが、私たちには感情、感覚があります。そして、それが心地の良いものでなければ、私たちは、自分の内側から外に出すことによって、自分の居心地の悪さを解決しようとします。我が家では、私が忙しくて、家事に手が回らないので、散らかった家を見て、すごくイライラします。自分が時間がないこと、散らかっていることが嫌なんです。すると、何が起こるかというと、エリックが悪いことになります。エリックが散らかすから、片づけないからという風に、イライラの対象を自分の外側に置くことによって、自分の内側が守られるようにするのです。
これは、自己防御システムです。
このようなことは、人は四六時中しているのです。
一つ、ポイントは、私たちは不快な気持ち、居心地の悪さをどう処理するのか? ということです。

〇決断、選択の法則

ここで、はじめに話した選択の法則が出てきます。私たちは、みな自分で何かに同意し、信念を持ち、そして自分で決めて行動しているのです。自分で選択しながら毎日生きているのです。良く、誰それさんが私にそうするように仕向けたとか、傷つけられたとか、言いますが。本当のところは、自分がその感情を持つことを自分で決めているのです、また人は誰も強いられて物事ができないのです。やる以上、自分で決めているのです。

〇自分の責任、感情を自分のものと認める時に成長する

では、あなたの本当の感情、責任とは何でしょうか。アダムとエバの場合を見てみましょう。
「神様が、食べてはならない実をたべたのか」と聞かれました。すると、アダムは、「はい、食べてしまいました。ごめんなさい」とは言わず、「あなたがくれたあの女が私に食べるようにさせた」と言ったのです。アダムは、恥がものすごく強いようですね。第一、エバがそうさせたといい、しかも、そのエバは神様が送ったというのです、最終的には神が悪い。と言って、自分の恥にさいなまれている居心地の悪さを神のせいだと言っているのです。神を責めることで、自分が責められないようにしているのです。人を裁くことによって自分が裁かれないようにしているのです。これは、面白い構図です。
マタイの福音書7:1〜2には、. 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ」“Do not judge, or you too will be judged. 2 For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you. とあります。裁きを自分からのぞくように、自分の力ですることが、どうも人間の罪の副産物のようです。
ここで何がおこっているでしょうか。自分の感情、居心地の悪さ、を自分のものとして認めないということです。また、裁きは必ず自分に帰ってくるという霊的な法則でする
実際、しようと思えば、アダムもエバも、神様の前に、自分の恥をさらけ出して、ごめんなさい。と、言えば言えたはずですよね。自分の内側を潔く認めること、その責任を自分にあると認めることが、勝利の第一ステップです。

②自分のパターンを知る

人は、それぞれ、恥に向き合うパターンを持つています。真逆に見えるケースでも、実は、同じ根っこなんです。根っこは、自分の恥を自分のものとして認めたくないということです。
例えば、いじめっこ、いじめられっ子がいるとします。いじめっこは、自分の内側の恥を自分のもととして認めたくない、しかし、その恥が自分の外に見たい、だから、いじめる。いじめる人の上に恥をかかせることで自己逃避する。また、いじめられる方も、いじめてくる人の上に恥を見て、自己逃避する。自分の人生の悪は全てその人の責任であり、自分の責任を完全に放棄する。共依存もそうですね。自分が人にコントロールされていると言った生きた方が、その人にとっては楽なのです。自分の人生を自分のものとして認め、責任を持たなくていいからです。
いろいろなパターンがあると思います。が、全ては、自分の問題を自分のものと認めないことにあります。

③自分をコントロールしているものを知る

解放と勝利の鍵は、縛られているものを知ることです。自分の責任転嫁をしている部分、また居心地の悪い感情とは何でしょうか。アダムとエバの責任転嫁が、神との和解を遠ざけ、呪いに縛られたように、私たちは、自分の責任を自分のものとして認識することを放棄する時に、違うものに支配されることに同意しているのです。
「私は、一度伝道したけど、友だちに拒絶されたから、もう二度としない。」ということがありますが、これは、ずっとあなたをを縛るものとなります。伝道ができなくなるのです。できるようになっても、できる能力があっても、できる神様からの助けがあっても、躊躇して、寄り付かなくなるのです。友達に拒絶されたという何とも言えない、感情、恥ずかしさ、自分が退けられた、嫌われるかもしれない恐れ、これをどうして処理したらいいか分からないので、伝道には二度とかかわらない。とするのです。
私たちのうちに、私たちの行動に限界を与えてるものはありませんか。人間関係に限界をもたらしている関係はありませんか。
誰と、難しいでしょうか。どんな人が難しいでしょうか。

④神を選ぶことを決断する

ロマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

私たちは、悔い改めによって心を一新することができます。悔い改めによって、私たちは、神様を選ぶことができます。悔い改めによって、神様との関係を取り戻すことができます。
それは、アダムとエバの信仰が及ばなかったところですが、今や、イエス・キリストによって明らかにされていることです。

ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。


There is no condemnation in Christ. Rom 8 キリストにあって、もう二度と罪に責められることはありません。
イエス様は、私たちの罪を赦すために来てくださいました。
今、心にかかっているひと、自分の行動、自分を守る行動、自分がいらいらしていることの原因と自分が思っていること、自分自身、またアダムのように、神様がそうしたんだという神様を責める気持ち、全てを神様に持って行って、自分のありのままの感情を神様に知っていただきましょう。
必ず、私たちの心が一新され、あなたは自由になります。







#戦い #礼拝

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あなたの戦いを知る

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礼拝後、子供たちは日本語のお勉... 礼拝後、子供たちは日本語のお勉強や算数をしています。えらいですねー 結構難しい問題をしていますよ。... 結構難しい問題をしていますよ。偉いなー
2018年11月11日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今日は、ベテランズデーです。国のために仕えた方々に敬意を表す日です。ベテランズデーにちなんで、戦いについて話したいと思います。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず 、if you know your enemy and know yourself、in a hundred battles you will never be defeated; know your enemyということわざの通り、私たちが敵を把握し、自分を知るならば戦いに勝てるというのです。この言葉は、クリスチャンならばまさに当てはまる言葉であると思います。

先週は、あなた自身について知ることについて、またそこに戦いがあることを話しました。では、あなたの敵とは誰なんでしょうか。今、あなたが戦っているのはなんでしょうか。

① 自分自身 Yourself
弱さ、エゴ、自分の考えの中、頭の中に戦いがある、negative self-talk, 人間関係、Soul tie, vows自分に起因する戦い。この分野は、ボンデージブレイキング、解放の祈り等のミニストリーでずいぶん改善される。
   
ロマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

〇 神の御心がわかれば、こんな生きやすいことはありません。しかし、私たちは、自分の考えの中で戦いがあって、頭の中がスッキリしません。
Soul-tie になっている人の言葉が気になったり、人に言われたことが気になったり、あるいは、自分が信じている自分像と神様が言われる自分像が一致していなくて、迷うことが多いのです。

2コリント10: 4 -6
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
 
〇 聖書は、そんな私たちのややこしい頭の考えさえも、キリストの十字架に持つて行って癒されることができるというのです。


② 環境circumstance & environment
  家族の必要、介護、自然災害、等々
  自分の内側から来ていない戦いがあります。

この分野は、自分に課せられた義務であったり、突然の事故であったりします。体の障害なども本当の意味での試練と言ってもいいと思います。イエス様は、身体の障害について、神の栄光が現れるためだ(ヨハネ9:1-41)、と言われています。自然界でも、起るように何千に一件、または何万に一件という障害というのは出てきます。それも、神様の創造のいろいろなかみ合わせ仕組みの中で起きてくることです。私たちは、苦しみを感じるときに、その苦しみの答えを見出したい、あるいは、それを抱えているのが難しいので、自分の外に投影したくなります。そして、神が悪いことにしたり、誰かほかもののせいにしたくなります。私たちが、それを自分の一部として受け入れ、向き合うならば、神の栄光になるのです。

- 家族について Family
ルツ記、イエス様が十字架で母のことを頼むと託したり
例えば、介護などは、人間の身体の死に向かう法則に逆らえない。みな、介護が必要になる。病気や障害などもあるだろう。
これを解釈するに、私たち人間は、神が罰しているとか神の怒りだとか呪いであるとか、私たちの抱えきれないネガティブな気持ちを神のご性質に投影させる性質がある。本当に神がそうしているのでしょうか?

- 自然界 Nature

ローマ8: 19 -21
被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

ヨブ38: 4
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。“Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.

聖書は、この世の自然界のあらゆる災害などは、究極的に人間の堕落と関係あるというようにロマ書にあります。自然界の本当の回復は、神の子供たちの回復によるのだと。また、聖書は、自然界のすべてのことは、あらかじめ、神が法則を定め、その定め通りに動いている。その歯車の通りに動いているのであって、それが、嵐になったり、地震になったりする。全世界の歯車の一部でものごとが起きている。ですから、神の裁きであるということも完全には当てはまらないケースるもある。ここで、大切なのは、神は神を愛するものには、全て働かせてを益としてくださる神を選んで行くという、戦いになります。we know that in all things God works for the good of those who love him.

③ 神の敵 God’s enemy
血肉によらない。真に霊的な戦い。この戦いができるチームが必要。如何せん、私たちの多くは、一番、二番の戦いで精一杯になってしまうのです。また、一番、二番のように表面的に見える霊の戦いもあります。私たちに霊の戦いの勇士たちが必要です。一番、二番を通らないと、三番を洞察できない。

ヨハネ10:10
10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

エペソ6:10-13
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 

◎あなたの戦いはどのカテゴリーでしょうか。What is your current battle?
何に対して今、戦いを感じていますか
人は、苦しみに会う時、戦いを感じる時に、全てを神のせいにしたり、全てを悪魔のせいにしたりします。私は、苦しむために生まれてきたんだ。とか、こんな不幸なことが起きたのは、神の御心なのだとか。あるいは、全部サタンのせいだ、だから、悪霊追い出しを毎日する。とか。両方、間違っています。

◎一番から三番、一つ一つ向き合い、勝利を経験するなら、洞察と権威が増していきます。なぜなら、それだけ、キリストを個人的に知るようになり、キリストのご性質を理解するようになるからです。

◎今の戦いから逃げないで、勝利していきましょう。
鍵は、イエス・キリストです。私の弱さに、キリストはどんな答えをくださるのか、家族の介護や世話に向き合う時、私はキリストの何を学ぶのか、霊の戦いをする時に、キリストの力がどんなに強いかを知るようになることです。

◎次の三週間、この三つのカテゴリーを掘り下げていきたいと思います。そして、ますますキリストと私たちが一つになり、キリストをよく知ることができる助けになりますように。

ピリピPhilippians 3:8
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。


#戦い #礼拝

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自分を知る戦い A Battle of Knowing Yourself

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十月のお誕生日祝い 十月のお誕生日祝い いつもケーキを作ってくれるるり... いつもケーキを作ってくれるるりこさん、今月はおめでとうございますー♪
2018年11月4日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ 音声は


創世記3章の続き。。。創世記三章にはまだまだ霊の戦いのメッセージが含まれています。
恥、罪、サタンの罠の構造について触れますが、自分を知るということに戦いがあることと、自分を真の意味で知ることの勝利についてお話しします。

創世記Gen. 3:1-6
1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

★ 同意の力 Power of Agreement

以前にも話しましたが、同意の中に力が働きます。私とエリックも結婚の誓いをして同意の上で、家族としての人生が成り立っています。その同意によって、経済的にも精神的にも、将来も、いい時も悪い時も、全てが二人三脚になります。神との同意、約束の中に生きる時、エデンの二人には祝福がありました。しかし、サタンが横から来て、「本当に神はそう言ったのか?」「あなたはこの実があなたを神のようにするのを知らないのか?」という惑わしの言葉さらに、「死なない」という嘘を入れてきました。アダムとエバは、行動によって、神よりも、サタンの言うことに同意したことを表しました。同意に力が働きますから、サタンに自分の人生を支配する権利を与えてしまったのです。

★ サタンの策略 Satan’s scheme

同意の力を自分の方に引き寄せるのが、サタンの策略です。
嘘との同意…先週の話しでもありましたが、私たちは信じている通りに行動をするのです。信じるためには何かに同意をしなければいけません。サタンは、あなたの同意を自分に常に向けようとするのです。そうしたら、世話が無いのです。あなたに毎日付きまとわなくても、あなたはずっとサタンの敷いたレールを走るからです。

「悪魔の手紙」というシー・エス・ルイスの本を読んだことがあるでしょうか。日本語でも読めます。サタンがその弟子にどのように人間をだましたらいいかということを指導する手紙です。しかし、読むと身につまされ、いろいろと教えられます。
The Screwtape Letters by C.S. Lewis
Enemy makes us busy/performance/ be religious, spiritual … 忙しくさせ、何かを上手くやることに集中させろ、宗教にこらせ、霊的にさせろ
Make disappointed. がっかりさせろ
Two persons fight each other. Let them say bad things each other. 二人の人がいたら、喧嘩させて、互いに悪口を言わせろ。
Let them Self-talk negatively 自分自身に対して否定的に呟かせろ
Compare themselves to others even in the church. 人と比べさせろ、教会でも
Let them focus on their sins and others’ sins. 自分の罪と他人の罪にこだわらせろ
Let them avoid sincere/vulnerable prayers 心からの弱さからくる祈りを避けさせろ

◎人間関係の法則Law of Relationship
サタンは、ここで何をさせたいのだと思いますか。そうです、神様と顔と顔を合わせて持つ関係から私たちを離したいのです。「関係」から話せば、サタンは私たちを楽勝で破滅に向かわせられるからです。これが、敵の策略であり、罠です。

★ 真理はあなたを自由にする The truth set you free

ヨハネJohn 8:31-32
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」To the Jews who had believed him, Jesus said, “If you hold to my teaching, you are really my disciples. 32 Then you will know the truth, and the truth will set you free.”

★ あなたにとっての真理とは何か? What is your truth?

◎ 勝利の鍵は自分自身・あなたに関する真理を知ること Key is to know yourself
① キリストにある自分 In Christ

神様との関係にフォーカスすることが私たちを守ります。わたしたは、サタンの罠に引っかからないために、必要なことがあります。それは、神にあって、自分が何者であるかということを知ることです。
あなたは、キリストにあって、新しくされた、今や、神の子供です。神の子供ですから、あなたは、神の国の王子、王女です。また、キリストの身体、キリストの花嫁です。花嫁だけが、花婿イエス様の寝室に入ることができます。一番親しい存在だからです。また、キリストと一つにされている存在です。私の罪は、全てキリストの十字架の業により、赦されました。私の人生はキリストによって買い取られ、キリストに属するものとなりました。これが、私のアイデンティティです。

② 自分の弱さ・恥について知る Your weaknesses and shame

以前、弱さの中にある恵みについて話しましたが、よく、クリスチャンの人で、一番目のアイデンティティだけを唱えて、後は、知らんぷりする人もいます。ある意味で、それは正しいのですが、私たちは、何から自由になったかはっきり知っておかなければ、また罠にはまるのです。違う言い方をすると、裸になることを知らなければ、自分の裸を葉っぱで覆うような信仰生活をしていては、隠れた部分が敵の攻撃の対象となるのです。隠れた部分に、サタンは語り掛けます。「本当に神はそう言ったのか?」「神はあなたに教えなかったのか」と。
自分の弱さの傾向を知ること、自分の恥の持ち方を知ることはとても大切です。

◎隠れるHiding

敵の嘘は、いつも私たちの弱さ・恥を隠すように仕向けてきます。私たちはそれを受け入れやすいのです。エバにとっては、「私には神は教えてくれなかった。」という自分は選ばれる資格がないのだという恥から来ました。エバがすぐさま実を取ったという姿からもうかがえます。
私たちの信じていることが私たちの行動に現れます。
私たちは、自分の弱さ・恥をれば知るほど、強くなり、自由になります。弱さに神の真理を迎え入れるからこそ、私たちは、成長し、サタンの嘘から守られます。

ヨハネJohn 8:31-32
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

あなたの恥は、どこに現れているでしょうか。恥は、顔と顔とを合わせることをおっくうにします。あなたを忙しくさせ、うまくやることに集中させ、自分の罪について悩みすぎ、人の罪が気になりすぎる、人のうわさをする、悪魔の手紙の中にあることは、全部、顔と顔とを合わせる関係を避けさせるものばかりです。

◎どのようにして自分の恥を見つけるか Finding your root of shame

問題があれば、そこから見つけられる。どうして、私はこんな行動をしたのかと考えてみる。どうして、こんな気持ちになったのかと振り返ってみる。振り返り、自分を吟味せずには自分の恥が分かりません。また、他人とのかかわりがなくては自分の恥はわかりません。人間関係のクオリティからも考えられるでしょう。自分の人間関係の築き方からも。。。

★ 裸でいられることが勝利 Stay being naked before the Lord

創世記Gen 3:7 彼らは裸であることを知り、自分たちの裸をいちぢくの葉で覆って隠した。
ここを読んだとき、なんとも言えない悲しみが私の心に来ました。
自分の姿を隠さなければならないとは、なんと悲しいことでしょうか。
あなたはどこにいますか? と神は今日も探しておられます。裸で神の前に出ましょう。自分の裸の姿を、自分の力で隠すのはやめましょう。

◎恥は、見つけられると力を失う。Shame loses its power when it exposed. 恥は、そこに空気が触れると小さくなる。Be vulnerable!

ガラテヤGalatians 3: 27
バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。for all of you who were baptized into Christ have clothed yourselves with Christ.

キリストを着ている、ということを日々確信しながら歩みましょう。
#弱さ #戦い #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

選択の戦い A Battle of choice

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土曜日は、パンプキンパーティが... 土曜日は、パンプキンパーティがありました。たくさんの方が教会にいらっしゃいました。 お話しタイム。子供たちが興味し... お話しタイム。子供たちが興味しんしんで除いています。 みなさんの作品。ミッキーさんが... みなさんの作品。ミッキーさんが優勝しました。その隣が準優勝です。 ぼくのが勝つといいなあーーー ぼくのが勝つといいなあーーー 皆さん、和気あいあいと楽しみま... 皆さん、和気あいあいと楽しみました 頑張ってやってる、マインクラフ... 頑張ってやってる、マインクラフトさん
2018年10月21日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


霊の戦いのシリーズをすると御約束してからしばらくなります。悪魔の話しから始めようかなどと思って、いややっぱり。。。と、考え。最近、考えさせられている分野の霊の戦いについてお話ししたいと思います。

★ 選択と同意と信念 Choice, agreement, and belief

創世記Gen. 2:16-17

16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

◎ 神は私たちに自由意志をお与えになった。

この木のどの木からも実をとって食べていいけど、善悪を知る木の実だけはだめだよ。
自由意志がなければ、人は愛せない。神は、ロボットが欲しくなかった。自分で選んで神を愛して欲しかった、強制的に愛させても、その愛に何の意味もない。私たちも、「選ばれる」という感覚は、特別な感覚です。誰かに好んで選ばれる、必要とされるということは、あなたの価値が上がることであります。

エデンの園でのお約束は、愛の約束だった。愛しているから守るのだった。

◎ 人は、物事を絶えず選択して生きている。自由意志があるから。自分が優柔不断だと思っている人であっても、毎日すべてのことを選んで生きている。

◎ 選ぶからには、何かに同意しているはず。仕事に行くからには、仕事をすることに同意しているのです。バーガーを食べるなら、今日は野菜が不足していることに同意していることになります。

◎ 選ぶには、個人の信念がかかわっている。例(誰かに、何かを選んでもらう。どうしてそれを選んだか理由を聞いてみる)
この人がこれを選んだには、その人の考え方の反映と、信念が背後に必ず働いている。たとえ無意識に選んだとしても、選んだからには、必ず、その人らしさというものがかかわって来る。

◎ 信念ができるのにも、選択をするにも、すべて同意の力が働いている。聖書を見てみましょう。はじめの人、アダムとエバは、善悪を知る木の実を食べる選択をする前に、サタンの声に同意したのです。

創世記Gen. 3:1-6

1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

◎エバは、サタンの考え、「絶対に死なない」を信じたのです。そして、恥を隠すための行動をとったのです。神は、こんな大事なことをあなたには教えなかったのですね、と言われて、神に愛されてない、神に選ばれてないという風に感じ、恥を感じました。恥を感じたら、人は、その反動で恥を隠す行動にでます。いわば、恥が信念に油を注いだのです。エバは、この実を食べることを決めて、サタンの考えに同意してから、死なないという実を改めてみたら、見た目もきれいだし、おいしそうに見え、好ましいと感じたのです。きっと、今までだったら、食べてはいけない木の実だから、その木のそばにも行かなかったでしょうし、じっくり眺めたこともなかったかもしれません。人は、信じ方一つで物事が違って目に映るものです。

◎ あなたは、誰の言葉に耳をかたむけていますか?

うそ—サタンの声
誓いの言葉
自分の自我の声
心の中の優等生の声/母の声/ 自分の憎む人の声 Soul tie
神の声

★ パターン 

◎ 私たちは、聖書を知っているが、必ずしも聖書を信じて生きているとは言えない。もう一度考えてみましょう。

人は信じている通りになる。箴言Proverb 23:77 彼は、心のうちでは勘定ずくだから。For as he thinks in his heart, so is he. 
あなたは何を信じて生きいますか?
私たちは、心で信じている通りに行動する。あなたの行動は、神様を表していますか?
もし、そうでないと思うのであれば、神様の言葉を信じ切れていないのです。

★ 信念の構造の詩

Belief System 信念の構造
If you accept a Belief, you reap a Thought. 
もしあなたがある信念を受け入れたら、それはあなたの考えになる
If you sow a Thought, you reap an Attitude. その考えがやがてあなたの態度となり、
If you sow an Attitude, you reap an Action. その態度が、やがてあなたの行動となって現れ、
If you sow an Action, you reap a Habit. そのあなたの行動が、習慣を生み、
If you reap a Habit, you reap a Character.   その習慣が、あなたの人となりとなる
If you sow a Character, you reap a Destiny.
あなたの人となりが、あなたの運命の行き着く先となるのだ。 Anonymous 作者不明

例) エバが神よりもサタンの方を信じたということは、自分とつなげにくいかもしれません。しかし、上の構造を例えでいうなら、あなたにとって苦手な人がいるとします。それがあなたの信念。この人といたら嫌な気持ちになる。その経験があなたの信念となります。そして、その人のいるところに行くと、その人となるべく話さないように避けます。人を避けるという態度なります。そして、やがて、いつもその人のいるコミュニティに行かなくなります。それが行動となります。そして、同じことを様々な場所で繰り返します。職場、家庭、友人関係、家族、教会などなど。。そして、その習慣は、自分に都合が悪いと関係を断つという人となりになります。その人の運命は、深い親密な関係のない人生となります。

★ 人にはそれぞれ、神様の真理、原則に基づかない信念に基づいて築いてきた習慣、パターンがあります。恐れの経験から来たのか、サタンのうそに惑わされたのか、自分の自我の声が強くて神よりもそちらを優先するのか、いろいろとあると思います。

今日、静まって神の前に、もしもパターン化したものがあるのなら、悔い改めましょう。そして、聖書の真理に照らし合わせて、行動できるように、そちらを信じるようにしましょう。

申命記Deuteronomy 30:19-20

19 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、
20 あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。


自由意志は、神を愛するために、自分に益をもたらすためにあります。今日、命を選びましょう。
私たちは、日々、選択するという戦いの中を生きています。聖霊様に示していただきながら歩んでいきましょう。
#礼拝 #自由意志 #選択 #霊の戦い

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福音が行くところに

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今日は、愛するりかさんの送別会... 今日は、愛するりかさんの送別会。日本に帰国されます。 娘さんもいらっしゃいました。い... 娘さんもいらっしゃいました。いい時でした。 最近、若い人たちも増えている日... 最近、若い人たちも増えている日本人教会です。 チーム男子。。。礼拝後の交わり... チーム男子。。。礼拝後の交わり。おいしいデザートとともに。
2018年10月14日日曜日礼拝の音声は、

マルコ14:3-9

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」


★ まさかの人Improbable person

神は、まさかこの人が神を一番喜ばしていないでしょう。という人を用いられる。新約聖書の中で、イエス様に褒められているのは、カナン人の女と百人隊長、そして、この女性。異邦人はとは交わりをしないという時代に、カナンの女の信仰をたいそう主は喜ばれ、ローマの百人隊長、彼も異邦人、また支配国の役人の信仰を、賞賛しました。この女性もそうでした。彼女は、七つの悪霊から解放された元売春婦だったという説もあります。また女性というのは、頭数にも数えられなく、教育もなく、宗教教育も受けられないという立場、しかも、過去のある女性、この女性のしたことを高く評価されたばかりでなく、福音が行くところにはこの女のことも話されるとまで言われました。あなたは、まさかの人ですか。それなら、喜んでください。あなたも、神様についていくことができます。用いられます!
福音が進むためには、まさかの人、あなたが必要なのです。

★ 高価な香油 Costly oil of spikenard

この女性は、大変高価な贈り物をイエス様にしました。給料の一年分もの贈り物をしたのです。贈り物は、関係性を表します。あなたの本気度が現れます。エリックがくれたプレゼントを見て、キャリーが、あの人、本気だよ。って言ったことを思い出します。彼女が、どれだけイエス様を重要だと思っていたかが分かります。
あなたは、イエス様を愛していますか。あなたの捧げものにその心が現れます。

注意) 心です。他の聖書の箇所で、イエス様は、二円くらいの価値のものを捧げた女性を誰よりも多く捧げたと賞賛されました。
彼女は、多くイエス様に愛されたから、多く愛した。多く赦されたから多く愛するようになった。
福音の前進にはこれがつきものです。自分がされたように私たちはするのです。自分が受けた経験がないならば、人にすることが難しいのです。

★ つぼを割ったbroke the flask

彼女の心は、定まっていた。はじめから、全てを捧げるつもりだった。自分の持てるものの一部だけとか、半分だけ、ではなく、全てを捧げたのです。これが大切。
高価な贈り物の話しをしましたが、額が大きければいいというものではない。心を尽くして、力を尽くして、知性を尽くしてとあるように、尽くすのです。
福音のためには、心を定めて、全てを捧げるのです。全てです。

★ この世と天国の価値観 Value of Heaven

弟子たちは、なんともったいないことをするのだ。と怒りました。人のすること贈り物にケチをつけるなんて。。。彼らは、この世のマインドセットに凝り固まっていたのです。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

福音が進むためには、売り買いの概念から解放されて、受けたり与えたりすることでものごとが成り立つことを知らなければならないのです。


#礼拝 #福音

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逆説の中に神の恵みGod’s grace in paradox

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シアトル。曇りも雨も晴れも美し... シアトル。曇りも雨も晴れも美しい町です。
2018年10月7日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


2コリント2 Corinthians 12:6-10
6たとい私が誇りたいと思ったとしても、愚か者にはなりません。真実のことを話すのだからです。しかし、誇ることは控えましょう。私について見ること、私から聞くこと以上に、人が私を過大に評価するといけないからです。7また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。8 このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

★ 神は苦しみの神 Suffering God

今週のバイブルスタディはマルコ12章のブドウ園で主人のしもべたちが農夫に殺され、ついに息子まで殺されましたという箇所を読みました。どうして、ここまで神様は苦しみながら待ったのか。という疑問が出ました。ブドウ園はイスラエルをさし、またブドウ園はぶどう酒を作るためにあります。ぶどう酒は喜び、を表します。神は、喜びの収穫を留めることをされたくなく、少しでも多くの喜びを得るために苦しみの時間を延ばされたのです。
苦しみと喜びは紙一重なのです。
私たちの神は逆説的なメッセージを私たちに下さり、また私たちに逆説的な状況下に置かれます。
イエス様も、黄泉にまで下ってくださったからこそ、高く高く上げられ、イエス様の名に勝ものはない。
貧しいものは幸いと言われた。持っているものは持たないものよりさらに与えられ。
死んでも生きるのです。パウロも、朽ちる物、朽ちないもの。私にとっては生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。弱い時にこそ強い。

◎ 今日は、この逆説に力があることを覚えていただきたく思います。

★ パウロの誇り Paul’s boast?

さて、Ⅱコリントの話しに戻りましょう。パウロのクリスチャン人生は逆説の中から始まりました。彼は、もともとクリスチャンを迫害している人でしたが、イエス様に出会って劇的に変わるのです。クリスチャンを殺す立場だったが、人々をクリスチャンにする人になったのです。それからの人生は逆説ばかり。そんな彼だからこそ、何を誇るかよく知っていたのです。
誇ることで言えば、彼にはいくらでも誇るべきことがありました。しかも、言うならば、彼はパラダイスに行くという経験までしました。その啓示について経験について、周りが彼を誇らせるようにしたようです。周りが過大評価するといいます。

◎ 人というのは、自分から高慢にならなくても、周りが過大評価をして高慢になるように仕向けられることがある。パウロは真実だけを語るというが、ありのままの真実、神様に与えらている分ということを忘れてはいけなす。

◎ 誇る--- to glory 人々は、あなたのすばらしさを持ち上げて、あなたの栄光を礼拝するようになる。あなたはいつの間にか誇るようになる。これが怖い。あなたは、ワーシップリードでもなんでも他の奉仕でも人があなたによってもたらす栄光をあがめるようになったら、これは危険です。

★ パウロの逆説的生き方を説明している 
Paradoxical life style in athorn in my flesh肉体のとげの話し

パウロは、高慢にならないように、神様に与えられたサタンの使者肉体的なとげが与えられたという。病気など、サタンの使者とも旧約から文化的に理解されている。それは、私たちの益にもなるという考えがある。

◎ とげ --- いろいろな説がある、目の病気か、肉体の誘惑か、てんかんか、霊的誘惑か、また、外見的な容姿だという説もある。とにかく、これが無ければ、スムーズに奉仕ができるのに。いつも煩わされている問題を彼は体の中に抱えていたのです。

◎ そして、三度神にお祈りしてお願いしたと言いいます。とげがなかなか取り去られない葛藤。主への奉仕の栄光、このとげの逆説の中で日々葛藤したのです。

◎ 彼は、人のために癒しを祈ったり、いろいろな奇跡を体験し、瀕死の状態を幾度と経験しても死なないでいるのに、これだけはなくならないのです。どうして。ともどかしくなったことでしょう。

◎ 皆さん方も、そんな逆説の中にいませんか。

◎ 逆説から逃げることもできます。私の知り合いで絶対皿洗いをしない人がしました。自分は、そのような賜物ではない。と。私にとっては、皿洗いは、ハウスチョアであって、霊的なこと関係ない。みんなで仕事を手伝ってすれば早く終わるのに。と思いました。しかし、その人が神学校に言ったら、みなと同じよう皿洗いをさせられ、すっかり人に尊敬されるようになりました。小さいことですが、逆説の中を通ることを選んだからです。パウロが、とげがなくならないから、ミニストリーやめます。という苦しみのない世界を選んだら、きっと信じる人は減っていたでしょう。神のブドウ園に喜びの実は少なくなっていたことです。

◎ 苦しみと喜びは紙一重 Suffering and joy at only a fine line

9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore, I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
人の弱さは、聖なる力なのです。すなわち、あまり神の力が働くのに、あなたの有能無能、持てる持ってない、あるいは、あなた自身の栄光は全く関係ないのです。弘法筆を選ばす。ということわざがありますが、神が働かれるには、弱さのあるあなたが必要なのです。弱いからいいのです。私たちは、弱いところにこそ、神の力を招き入れるからです。

誇る- to glory

★私の証し: 何週間か前に、私の学校の創設者と個人的に時間をとって話していただくことがありました。彼は、まるで私のことをなんでも分かっているかのようでした。私のことをたくさん励ましてくれました。そんな中で一つ心に残った言葉がありました。彼は、私のことを「勇敢な女性だ」と褒めました。私は、「ありがとう、でもいつもそうではないし、実は、誰よりも弱虫です」と言いました。実際、私は、大学院二年目で試練にあって、自分の弱さと能力の無さに嫌気がさしていたのです。そこで彼は言いました。「弱いから勇敢なんだよ。逆説にこそ力があるんだ。弱虫でない人の勇敢さなんて、無謀なだけだ。君は、逆説を乗り越えて勇敢なんだ。それが力なんだ。」と。私は、その言葉に勇気づけられまた。またやってみよう。神さまに与えられた夢を続けて追いかけてみようと思えました。

◎ 皆さん、考えてみてください。人生の中には、逆風もあります。困難もあります。信じやすい時もある、信じられない時もある、自分の身体が弱ることもある、能力がなくなる時もある、神様に対してわがままになる時もある。反抗期の時もあるでしょう。ただ怠けたいときも。全てが前向きで肯定的であることの方がないのではないでしょうか。

今日の逆説の中で、神様をそれでも選びませんか。あなたのとげ、弱さの中に、神様の力を招き入れて、それでも、神様に仕えてみませんか。きっと大きな喜びを経験できることでしょう。

#弱さ #礼拝

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忠実な管理者 

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最近、週に一度、お絵かきをして... 最近、週に一度、お絵かきをしています。。。モデルさんに気に入ってもらったので、差し上げました。難しいですねー 今日は、朝の礼拝で洗礼式があり... 今日は、朝の礼拝で洗礼式がありました。洗礼式は、何度立ち会っても感動です。。。。おめでとうございます。
2018年9月31日日曜日バイリンガル礼拝メッセ-ジ音声は、


ここ数カ月の流れから今日はお話ししたいと思います。ルカ15章では、いかに一人一人が神様にとってかけがえのない価値のある存在であるかという話でした。最後には、放蕩息子の話しから、お兄さんについて話しました。今日は、その先の話しです。

ルカ16:1-10

1 イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。2 主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』3 管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。4 ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』5 そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、6 その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。7 それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくなったのをほめた。9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

★金持ちと管理人 The rich man and manager

金持ちは神様のこと、管理人は運用をまかされている人
覚えていますか、ルカ15章の放蕩息子の話し。父は、兄に対して私のものはすべてお前のものではないか。と言っていましたね。管理人とは、あなたのことです。

◎財産を乱費している Wasting master’s possessions
◎やめさせられたくないので策をとった---- 仲間に貸しを作った Start using it for making friends
 主人の財産を仲間を助けるために使って、自分が困ったときに助けてもらうことにした。

◎不正の富で、友を作る Start using it for making friends

8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくなったのをほめた。9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。“The master commended the dishonest manager because he had acted shrewdly. For the people of this world are more shrewd in dealing with their own kind than are the people of the light. 9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.

この聖書の箇所は、理解するのが日本語では難しいですが、英語で読むと分かりやすいですね。何も、聖書は、主人のお金をくすねて自分を守るためにずる賢くすることを推奨しているのではなく、どうせ主人の財産を使うのなら、自分の同胞を助けるために使ったらいいと言っているのです。そうすれば、後になって、あなたに助けられた人が、天国の入り口で喜んであなたを迎え入れてくれるだろうと言っているのです。

この箇所は、なかなか考えさせられます。
まず私たちのマインドセットの中に神様の考えとずれている部分があるのに気が付きます。

① 自分の手の中にあるリソースを自分のものだと思っている。Misunderstanding of resource at your hands
 わがものと思って使っているなら、それを任せている主人にとっては、乱費なのです。

② 仲間が見つけられない。You don’t see your kind of people
という問題。自分のような人を助けるために使う、とありますが、dealing with their own kindここで言うのは、主人に借金のある人たちのことです。
主人に負債を負っている人とはどんな人ですか。
そうです。罪人です。私も、あなたも、神を知らない罪人でした。神から離れて生きていたのです。
先週の話しを思い出してみましょう。ルカ7章元売春婦の女性がシモンの家に入るなり、イエス様の足を涙で洗い髪でふき出してというお話しでした。
みなさん、この女性は、イエス様に救われて、大変感謝に思っていたからそれをしているわけですが、他にもう一つ理由があるんです。この女性は、イエス様の仲間、イエス様のown kind だったのです。
イエス様の話しを聞きたくて、シモンの家に入ってきたら、なんと、イエス様の足が汚れたままになっているではないですか。また頭にも油をつけてもらってなくて乱れていた。その愛するイエス様の姿を見て、彼女の心は刃物で突き刺された思いがしたでしょう。イエス様が、自分のような人であるのが見えたからです。
イエス様は、歓迎されず、普通ならば受けるべき最低限のもてなしも受けなかった。そんな恥をかかされながらも、そこの家におられた、その汚れた足を見て、どんなに心が傷ついたことでしょうか。この女性は、イエス様を愛しているがゆえに、感謝の涙、また悲しみの涙を同時な流したのです。
他の客には見えなかったことが、この女には見えたのです。自分も、その経験があるから。

★ 共感は愛の始め Empathy is gateway of love
この管理人も、自分のように主人から借りがあって立場が危ない人たちに共感できたから、このようなことをやり始めたのです。
みなさんに質問します。あなたの目に映っていることは、どんなことでしょうか。どんな人でしょうか。あなたは、自分の手に任されているもので、そのような人に仕えているでしょうか。
自分の周りの人たちの顔を思い浮かべてみましょう。自分の家族もそうです。兄弟も。みな、同じように育ったのです。同じ傷ももっているでしょう。あなたが一番の家族の理解者でもあります。。。。
★ 小さなことに忠実な人は、大きいことにも忠実ですWhoever can be trusted with very little can also be trusted with much
10 小さい事に忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。11 ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。12 また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much. 11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches? 12 And if you have not been trustworthy with someone else’s property, who will give you property of your own?
13 “No one can serve two masters. Either you will hate the one and love the other, or you will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and money.”


毎日、一つ、仲間を思って行動してみましょう。また、自分の目に映ることに応答してみましょう。小さいこと、地上のこと、目に見えることに忠実な人には、神は、霊的なこと、御国のことをお任せくださいます。決して、自分の手の中の富が自分のものと思わず、神に仕えるということは、どういうことか考えてみませんか。
あの、罪深いと呼ばれた女性のように。心から神様を愛していきたいものです。

#共感 #礼拝 #管理者

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The Treasure of People

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今月のお誕生日は、新しく来られ... 今月のお誕生日は、新しく来られている姉妹と、六歳のねずみちゃん ♪ 今週初めていらしてくださったY... 今週初めていらしてくださったYさん。昔、行ったことのあるバイブルスタディで読んだことのある箇所だったそうで、初めて意味が分かったと喜ばれていました。
こちらも嬉しいです。
ケーキとりわけ隊 ケーキとりわけ隊 最近は、礼拝後も皆さんお茶をし... 最近は、礼拝後も皆さんお茶をしながら和やかに、お交わり。。。。
09/23/2018 礼拝メッセージ、エリックによります。通訳は私。音声は、こちらからどうぞ、


I want to share some stories that happened to me this week and explain how the holy spirit spoke to me through them.

The Lady with the Seahawks hat

My first treasure story involves the lady in the Seahawks hat who came in to the bank. I was dreading talking to her. When she finally came over I could tell she was agitated and she told me why. Someone had written her a bad check. She was mostly mad at the woman who wrote her the bad check.
When I started to hear her story I was moved with compassion. What I expected and the reality were two different things.
This lady mentioned since she was a Christian she knew she shouldn’t get too mad at the lady who wrote her the bad check.

The Homeless Man

Then another person came in. I really didn’t want to talk to him. Immediately he came off as somewhat combative, and he smelled too. It was almost time for me to go home so I just wanted to get the appointment done and send him away. He told me he was tired of getting fees and didn’t know very well how banks worked.

“Yeah, yeah, yeah” I said. Thinking I was demonstrating I was listening.
“You keep saying ‘yeah, yeah, yeah’. That sounds like slang.” He went on at some length with that theme.

I tried to connect with him, but my normal techniques were falling flat. I found myself speaking in tongues under my breath because things weren’t going well.

We began to connect a little, but not much.

I annoyed him more. We went round and round for a bit then he just wanted to get the account open.

Somewhere in the middle of my interaction with him something switched in my brain. I realized rather than an annoyance this gentleman brought me something of great value. I was humbled to realize he said some things that pointed out my weaknesses as a banker. No one else brought these things to my attention, but he did. The Holy Spirit worked through him in this regard.

“It was a real pleasure to meet you, Earl (not his name).” I told him.

I meant it quite sincerely.

Jesus’ approach to those of lowly estate

It goes without saying Jesus wouldn’t have had the attitude I did toward either of these people. Jesus met people where they were. He truly connected with people. We can see through the following passage he recognized the boldness and the strong emotion of the woman who entered where Jesus dined with the Pharisees.


Luke 7:36-50

“And one of the pharisees desired him that he would eat with him. And he went into the Pharisee’s house, and sat down to meat. And, behold, a woman in the city, which was a sinner, when she knew that Jesus sat at meat in the Pharisee’s house, brought an alabaster box of ointment. And stood at his feet behind him weeping, and began to wash his feet with tears, and did wipe them with the hairs of her head, and kissed his feet, and anointed them with the ointment. Now when the Pharisee which had bidden him saw it, he spake within himself, saying, This man, if he were a prophet, would have known who and what manner of woman this is that toucheth him: for she is a sinner. And Jesus answering said unto him, Simon, I have somewhat to say unto thee. And he saith, Master, say on. There was a certain creditor which had two debtors: the one owed five hundred pence, and the other fifty. And when they had nothing to pay, he frankly forgave them both. Tell me therefore, which one of them will love him most? Simon answered and said, I suppose that he, to whom he forgave most. And he said unto him, Thou hast rightly judged. And he turned unto the woman, and said unto Simon, Seest thou this woman? I entered into thine house, thou gavest me no water for my feet: but she hath washed my feet with tears, and wiped them with the hairs of her head. Thou gavest me no kiss: but this woman since the time I came in hath not ceased to kiss my feet. My head with oil thou didst not anoint: but this woman hath anointed my feet with ointment. Wherefore I say unto thee, Her sins, which are many, are forgiven; for she loved much: but to whom little is forgiven, the same loveth little. And he said unto her, Thy sins are forgiven. And they that sat at meat with him began to say within themselves, Who is this that forgiveth sins also? And he said to the woman, Thy faith hath saved thee; go in peace.”

Application

This is really an amazing story. This woman was overwhelmed with thankfulness toward Jesus. She demonstrated it not only with the costly ointment, but in the fact that she used her hair to wipe his feet. Women in that culture were forbidden to let down their hair. She was grateful for the hope that Jesus gave her. She was, as Jesus said, forgiven much, therefore she loved Jesus very much. At the end Jesus told her to go in peace. This was welcome to her because her sins were forgiven.

Notice also the contrast between the way Simon treated Jesus and how the woman did. The Pharisee didn’t even extend common courtesies to him such as washing his feet, giving him a kiss, and anointing his head with oil. Think about going to a Japanese house. The host will offer you slippers so your feet won’t be cold and generally make sure you are comfortable.

Note also the guests at the party began to realize this wasn’t an ordinary prophet. He could actually forgive an unclean woman.

Remember my stories? If I hadn’t lowered myself I wouldn’t have discovered what was valuable.

It is similar to water. Everyone wants and needs water. It comes from a high place to a low place. It seems when I lower myself I find what I need. That is where the water is.

The Pharisees including Simon didn’t appreciate this principle of lowering themselves. They even had a hard time seeing why Jesus (who was also a Rabbi) let this woman do what she did.

When I was talking to Earl I was like Pharisees we have been talking about. My Pharisee mind was saying he smells because he is homeless. Get him out of here! Then something supernatural happened. The Holy Spirit allowed me to see as I lowered myself that I was able to receive from him.

Finally Jesus saw the treasure in the woman. He saw what a precious person she was. There is such a stark contrast between the way she treated Jesus and how the Pharisees did. The woman also saw the treasure in Jesus. He gave her something priceless. He forgave her sins. Few people in her life treated her with kindness. As a prostitute she was an outcast, but Jesus saw her for what she was, a humble sinner pouring out her love for Jesus. This is another contrast with the Pharisees who just saw her as her past, that of a prostitute.


Conclusion

All of us are created in the image of God. In God’s view every person is precious. We know he loves the whole world. At any Seahawks game you will see a sign that reads: “John 3:16” - “For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.”

There are people all around us that we either don’t notice, or we don’t want to notice by design. If we do this we may be missing out on something quite important. It is as if we were given a treasure map and we just threw it away thinking it can’t be real. If we discard the people God puts in to our lives it is the same thing.

#イエスに出会った人 #礼拝 #罪深い女

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悔い改めの力Power of repentance

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昨日、今日とすがすがしいお天気... 昨日、今日とすがすがしいお天気が続いています。
私は、熱が出たりしてましたが、季節の変わり目、みなさんもお大事にしてください。
2018年9月16日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


二週間前に、一人の人の救いの尊さ、あなたの尊さ、について話しました。迷子の羊、そして、無くしたコイン、イエス様は、最後に放蕩息子の話しをされました。あなたは、イエス様の大切な羊、価値のあるもの、目的のあるもの、大事な存在であることを話しました。また、放蕩息子の話しでは、あなたのことを神様の子供だとおっしゃっているのです。今日は、見つかった弟の話しではなく、その兄の話しをしたいと思います。

ルカ15:20-32
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

★弟についておさらい
弟は、自分の罪に気が付き、謙って、自分の悪を全て認めて、父のもとに帰ってきた。
真の悔い改めは、神に向かわせる。自分のプライドや反抗心何て、全てか殴りすてて。自分を助けることができるのは父しかいないと確信しているから。
神、救い主イエス様にわたしたちの心が向かうには、必ず、自分の罪について理解しなければならない。Personal knowledge of our sin and our Savior、Inseparable

★大事なのは、心のつながり
教理や、聖書のお話を知っているだけでは、十分でない。イエス様との個人的な関係がなければ、救いを体験できない。イエス様との個人的な関係とは、自分の罪が分かり、その罪を赦していただくこと。個人的にイエス様を救いのために必要としない限り、イエス様に出会えない。

★ 聖書は、この救いの体験・心の繋がりの継続を勧めています。
コロサイ2:6
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。So then, just as you received Christ Jesus as Lord, continue to live your lives in him,

キリストの弟子となることは。形式ではない。何々通りに決められたことをしていることではない。さて、お兄さんを見てみましょう。

★お兄さんについて

お兄さんは、死んでいたはずの弟が帰ってきたにも関わらず、全く喜ぶことができませんでした。また、父の喜びと心が一致することがありませんでした。全く、父が理解できないと思ったのです。これは、外見上の宗教に凝り固まった人の特徴と言えます。喜びは天の通貨であり報酬。お兄さんは全く報酬がなかった。。。

〇 宗教の霊=形だけの信仰の特徴
- 喜びない
- パーティに参加しない ---- 喜びの集いに属することに興味がなく価値を見出さない。     
- 自分は奴隷だと文句を父に言う—自分の父を理不尽な人だと思い込んでいる。これは、全ての権威についてそう思っている。
- 父はヤギ一匹くれたことがないと文句を言う---- 報酬を求める。霊的な報酬を感じてないから。それが、地位であったりお金であったり、見返りを求める。
- 父は「あなたはいつも私とともにいる。私の持っているすべてはあなたのものではないか」と。---- 神が共にいて下さるという臨在の中で充足することが分からない。また、神の家族の中にいる充足がない。
- 心が冷たくなっている。裁きで満ちている。= イエス様とのコネクションがない。
  - 救い、赦しを必要としていない。だから、イエス様と個人的なかかわりがない。

◎ 私は、キリストの身体とのつながりとイエス様とのつながりは比例すると思っている。結局コネクションが分からない時に、私たちは、宗教の霊にやられて躓いてしまう。。。
   次のような、罪の根っこに私たちにしがみつくとき、宗教の霊につかまってしまう。
  Legalism & self-righteousness 律法的、自己義 Pride プライド
Judgments 裁き Fear  恐れ、自分の本当の姿を誰にも見られたくない、
Self-pity 自己憐憫 Bitterness and unforgiveness 苦々しい思い、赦さない心

★ 多く赦された者は多く愛するthe more you are forgiven the more you love ルカ7:47 

「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」

★ 私の証し

私は、去年、学校でとても嫌な出来事がありました。またそれは、長く続きました。とても理不尽で、差別的にも感じていました。私のセラピストも、非常に私のために怒ってくれましたが、「でも、これは霊的戦いのような気がする。」と言われました。その時は、その言葉を流していたのですが、結局、そのストレスが大きすぎて、身体にも支障がでました。
(続きは、音声から。。。。。)

ダビデは、神よわたしを探り心を知ってくださいと祈りました。私たちも、日々、神様の前に、もしも私の中に私に悔い改めるべきところがあるな示してください、永遠に続く喜びの道に戻してくださいと、祈りたいと思います。

詩編139:23-24

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。Search me, God, and know my heart; test me and know my anxious thoughts. 24 See if there is any offensive way in me, and lead me in the way everlasting.

悔い改めない心、赦さない心、裁きの心が、神の喜びを私たちと私たちの教会から取り去ることが無いように。今日、もし、手放さなければならないことがあるなら、祈りましょう。
悔い改めは、神とのコネクションの入り口であり、神の祝福の入り口です。
Repent --- opening the door for God.




#イエスに出会った人 #宗教の霊 #放蕩息子 #礼拝

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