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もうすぐクリスマス

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もうすぐクリスマス
みなさんこんにちは。

もうすぐクリスマスですね。

教会では、クリスマス会を予定しています。

今年は、皆さんからのリスポンスがなかなか来ないので。。。
どれくらい来られるか分からないなーー

でも、忠実に、神様にお仕えしていこうと思います。

12月14日土曜日二時から四時まで、
楽しいゲームやプレゼント交換、
そして、クリスマスのお話しや、クリスマスキャロルを歌います。

子供たちも大歓迎です。

去年は、ジンジャーブレッドハウスを作りましたが、
今年は、いろいろなゲームで盛り上がりますよーー

もしも、お近くにいらしたら、お越しください。

ホライズン日本人教会
602 Valley St.
Seattle, WA98109

よろしくお願いしますーーーー♪

ワオ!と言っているユーザー

最近の様子

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年いったなーーー汗 年いったなーーー汗
みなさま、
ご無沙汰が続いております。

最近は、続けて、女性と子供のシェルターで心理カウンセラーとして奉仕しつつ、

教会も続けて導いています。

そして、英語教会の教会員を中心に立ち上げようとしている新しい癒しのミニストリーのトレーニングに力を注いでいる毎日です。
健康なコミュニティとは。。。。と、みんなで考えながら、体験しながらすすんでおります。

主人のエリックも、新しい仕事を始めて、何かとばたばたしています。

何事も新しいことを始めるのは、力と忍耐が必要ですね。

今、力と忍耐がいる時期のようです。

神様は、毎日私たちを助け、力づけてくださっています。

信じるものは救われる

と、よくキリスト教について引用されますが、その通りだと実感しています。

神様は、信じるものに必ず応えてくださいます。

神様は、神に期待するものをけっしてむげにはされません。

それどころか、そのささかやな信仰に報いて、祝福してくださいます。

小さい信仰でいいのです。

支えられている、守られていることにとても感謝している今日この頃です。

ブログを楽しみにしてくださっている皆様、お待たせしてすみませんー。。。

またぼちぼち上げていきますね。



ワオ!と言っているユーザー

愛⑧すべてをがまんし、耐え忍ぶ Agape bears all things and endures all things.

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私の、心理カウンセリングのオフ... 私の、心理カウンセリングのオフィスです。薄いカーテンの向こうには、鯨、そして、十字架が見えるようにしています。
ベールの向こうに大きなくじらがいるーー。ベールの向こうにキリストがー。という風に、セラピーをメタフォリックに表現してみました。
2019年11月17日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

★すべてをがまんし Bears all things
がまん…forbear, burden, carry, suffer, also cover
完璧な人はいない。もし完全ではない人を愛するなら、痛みが必ず伴うこと、またがまんが必要なことを知っていなければならない。
私は、DVの被害者のシェルターで奉仕していますが、
DV被害者のクラスでもいつも教えていることがある。
それは、恋愛関係を急がないこと、DVに至る多くの場合は、関係を急がせる罠というのがある。また、コミュニケーションの大切さ、DV被害者の多くは、コミュニケーションをよく取らないということになれている。意思疎通を確認して物事を一緒に決めるのではなく、ただ状況にひたすら合わせて行く、相手がすでに決めたことに必死でついて行くケースが少なくない。
そんなわけで、本当の愛は、そんなにすぐに育たないんだということをいつも教えています。何回も話し合って、互いを信頼していく、聞きにくいことや、話しにくいことも心を開いて話していく、信頼度によって話せる内容も広がる。それは、一日や二日でできることではない。
小さい時から、コミュニケーションが少ない家庭で育った人は特に難しいけど、じっくり、時間をかけて、人間関係を運んでいくことが健康な関係づくりに無くてはならないものです。
人を愛する時に、関係を運んで行く、将来につなげていくには、我慢が必要です。がまんというのは、時間と関わりがあります。待てないところを待つから、我慢なのです。

全てをがまんし。。。
神の愛は、全てをがまんする。私が相手をイライラさせること、また、私の過去も、私のストーリーも私の全存在をひっくるめて全てがまんし、カバーし、運んでくださる。

有名な説教者スボルジョンが言いました。すべてをがまんするというアガペーの愛は、阿古屋貝のようだと。
全くきれいでもない、ただの異物を貝の中に入れる、異物ですから、貝にとっては心地のいいものではないでしょう。しかし、時間をかけて、貝にすっぽり覆われて、隠され、育てられた真珠のいかに美しいことか。
ミキモトのサイトで調べてみると、なんと、最低でも二年はかかるようです。
そして、真珠ができるまでに死んでしまう貝が50%もあるそうです。驚きました。。。
二年という年月にも驚きです。貝のような小さな生き物にとって二年は長いですし、しかも、異物を運びながら生きる二年は大変ですね。
また、半分の貝が真珠を取り出す前に死んでしまうのですから、この、覆って持ち運ぶという事業は一生ものの正に大プロジェクトです。
私たちにとっても、そうなのではないでしょうか。私たちも生涯をかけて、全てをがまんすることをしていくのです。

★すべてを信じ Believes all things
ピステオー…誠実である、faithfulness これは、誰に対してか、ということがいつも問われます。あなたを信じていますよ、という時には、必ず、私たちが忠誠を誓ってお従いしているキリストにあって信じるという意味が込められているのです。

へブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.

へプル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
And without faith it is impossible to please God, because anyone who comes to him must believe that he exists and that he rewards those who earnestly seek him.

信仰と希望はきってもきれない関係があります。。何かを信じるには、信頼できるお方、神を信じなければならないのです。それをふまえ、次を見ていきましょう。

★すべてを期待し Hopes all things
期待する、Hope は、まだ見てないことについてです。私たちが希望を持つときには、現在をしっかり踏まえないと持つことができません。
何となく今存在しているという人には、将来について希望を持つことができないのです。
全く何も自分に希望が無いという状態であることをしっかり踏まえなければならないのです。
私のクライアントさんたちは、全てを失った人たちです。健康も、精神的にもお金、家、家族も。。。しかし、その何もなくなった時に、かすかな願いを持つのです。こうなったらいいのにな。。。。と。それが、希望を産むのです。
私も、うつになり、人間として機能できなくなった時、祈ることもできませんでしたが、ただ一言、「神様、私、幸せになりたい」と祈りのようなつぶやきを口にしました。その日から、癒しと奇跡の日々が始まったのです。
全てを期待するには、今、期待するものが無いことを知ることです。
人を愛するとき、自分に限界を感じ、また、人に絶望します。
その絶望感は無駄ではないのです。それをよくかみしめるのです。その時に、かすかな願い、希望が出てきます。神は、その希望を決して見逃しはしません。神を信じ、自分を信じ、人を信じてみようではありませんか。

★すべてを耐え忍びます Endures all things
神の愛とは、なんとなんと偉大なものなのでしょうか。。。。ここにきて、私の牧師の言葉がよみがえります。「忍耐ですね」神に仕えること、人に仕えることは、忍耐だ。牧師の働きは忍耐だと言われました。
羊飼いとして羊を養うことは忍耐であるというのです。
どういう事でしょうか。
それは、ただ、今、すべてのことを持ち運び覆うのではなく、今だけすべてのことを信じるのでなく、今、すべてのことを期待するのではなく、ずっとそうするのだ、ということです。
それを継続してこそ、アガペーの愛なのです。

私には、とても難しいことであり、ハードルが上がる言葉であります。。。
しかし、私たちのイエス・キリストが、どんなにか私を忍耐して、いつものろのろと行ったり来たりしている、同じことを繰り返すような私を、アガペーの愛で愛してくださっているかということを思い出したら、納得するのです。

もう一日、愛してみよう。と、私たちが今日思うことができたら。と思うのです。

★愛は決して絶えることがありません Love never fails
いろいろな賜物も廃れ、なくなります。大きなミニストリーも消えてなくなります。有名になった人も、いつか死にます。
しかし、その人に愛された人、その人の神の前に生きた姿は、永遠に人に霊感を与えます。
物としては残りません。目に見える物でもありません。
私たちの心にいつまでも住んで、それは無くなることがありません。
私たちも、人に愛された経験がありますね。赦されるに値しない時に赦された経験がありますね。それを通して感じた神の愛は、決してなくなることはないのです。

パウロは、コリントの人々が賜物や偉大な効果に競い合ったりしているのを見て、賜物は神からのものであり、神からのものは愛としていつまでも心に残る。。。と言っているのです。
愛は、賜物よりもさらに優れている神の道であると。

奇跡で、癒されたり、歯がはえたり、手が伸びたり今でもしますが、十人癒されたうちの一人しか感謝を伝えにイエス様に帰ってこなかったような、そのようなことが起きていたのかもれません。人は、賜物の偉大さに目を奪われて、愛につながることが無ければ、意味がないのです。

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箴言④Sonship 子であること

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箴言④Sonship
2019年6月3日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


箴言は、父が子に知恵を伝授している書である。家庭で教育していたこと、つまり神の掟に関することを家で親から子に教えていた。
我が子よ。。。父の教えを、母の教えを。。。。

★ 息子よ… My son,
In Proverbs dear “son” (箴言Prov. 1:8, 10, 15; 2:1; 3:1, 11, 21; 4:1, 10, 20; 5:1, 7, 20; 6:1, 3, 20; 7:1, 24; 19:27; 23:15, 19, 26; 24:13, 21; 27:11)
箴言Prov. 1:8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。Listen, my son, to your father’s instruction and do not forsake your mother’s teaching.

V10 わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。My son, if sinful men entice you, do not give in to them.
V15 わが子よ。彼らといっしょの道をあるいてはならない。あなたの足を彼らの通り道に踏み入れてはならない。my son, do not go along with them, do not set foot on their paths;

箴言Prov. 5:1わが子よ。私の知恵に心を留め、私の英知に耳を傾けよ。My son, pay attention to my wisdom, turn your ear to my words of insight,
箴言Prov. 19:27 わが子よ。訓戒を聞くのをやめてみよ。そうすれば、知識のことばから迷い出る。Stop listening to instruction, my son, and you will stray from the words of knowledge.

箴言Prov. 23:15わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、16 あなたのくちびるが正しいことを語るなら、私の心はおどる。わが子よ。よく聞いて、知恵を得、あなたの心に、まっすぐ道を歩ませよ。My son, if your heart is wise, then my heart will be glad indeed; 16 my inmost being will rejoice when your lips speak what is right.19 Listen, my son, and be wise, and set your heart on the right path:
箴言Prov. 13:1知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。A wise son heeds his father’s instruction, but a mocker does not respond to rebukes.


★ Sonship は、成長、知恵にとって不可欠のコンセプトであり、これを失う、持たない、自分の物にしない者は知恵を持たない。

この書の著者のソロモンは、神に願えと言われて、知恵を願いました。彼は、恵によって、彼の行いによらず、ただで知恵をいただきました。そのために、彼は、栄えました。また、彼は、父ダビデが神の神殿を作るために資材と財産を残し、彼に相続させたので、彼はそれをもって立派な神殿を建てることができました。
これは、私たちが学ぶべき型です。

★ 私たちも、子であるには、親の財産を受け継ぎます。自分で稼いだものではありません。自分の行いにもよりません、法的に、親のものは子であるあなたのものになります。

★ 箴言の中の福音
子であること、息子よという語り掛けは、箴言の中の福音ともいわれています。新約では、私たちは、イエスキリストの贖いの業によって

◎ 神の国の相続財産。
ロマ8:14-17  14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。14 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God, 17 and if children, then heirs—heirs of God and joint heirs with Christ, if indeed we suffer with Him, that we may also be glorified together. 

◎ それに知恵も含まれています。
みなさん、私たちも、その知恵を含んだ神の国の相続財産に預かることができるのです。罪の赦し、永遠のいのち、神の子の身分、天国に行ける約束、日々助けてくださる聖霊様の力、神との関係、聖霊の賜物と、素晴らしい天の相続財産をいただけるように開かれているのです。
それは、この箴言の時代には、血筋によって、父から代々教えられた神の教えを守ることによってでしたが、今は、キリストによって、誰でもアクセスできようになりました。
あなたも今日、神の子となり、神の知恵をいただくことができるのです。

★ 愛の関係によって知恵の伝授
以前に、私たちは、知識があっても、その使い方、知恵が無いといけないというお話しをしましたが、知恵の伝授とは、父を通してなのです。
ある日突然、知識が満ちたら知恵がつくのではありません。人を介して、私たちは伝授されるのです。ユダヤでは、口伝の伝統(タルムード)がありますが、これも、一つの型であると思います。自分たちの守るべき言葉を人づてに聞いて習って覚えていく。なんだか、落語の師匠に着くみたいですね。
御父とイエス・キリストの関係を考えてみましょう。
イエス様は、いつも父を仰ぎ、祈り、時間を過ごし、父のしてることを私はしているのだと言うほど、父から目を話しませんでした。

キリストと弟子たちの関係。
イエス様は、常に弟子たちを同行させ、時間を共に過ごしました。まるで寿司職人のようですよね。私の業を見て盗めというような。。。。私は、若い時に、これが分かりませんでした。牧師夫人が私をいつもキッチンの奉仕や他の奉仕を一緒にするようにし、牧師がいろいろな会議に私を連れて行き、霊的リーダーが私を連れて行きました。初心者クラスにも私は参加し、いろいろなことに私は一緒にいることを牧師にお願いされました。若い時には、どうしてまだ私の役目が無いのに一緒に行かなくてはいかないのかな、とか、ただインストラクション、マニュアルだけくれたらやるのに、効率が悪いな、などとも思いました。ようやく、意味が分かったのは、私に弟子ができてからでした。このやり方でなければ、人の心は育たないのです。マニュアルでは、伝わらない、牧師のまごころであったり、人に対する愛、苦悩、葛藤などは、理解できないのです。今となれば、一緒に奉仕させてもらったことは、私の宝です。
子は、父がそばにいないと育たないのです。
知恵とは、師、と一緒にいることから、共に過ごし、共に働くときに、伝授されるものなのです。それに、目が開かれなければ、私たちはチャンスを逃しているのです。

★ 関係の中で教えを守ることができる
箴言の中では、教えを守ることについて、具体的な事がたくさん書かれています。しかし、それは、父と子の愛の関係の中でしか完成することができません。

ヨハネ14: 23
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。Jesus replied, “Anyone who loves me will obey my teaching. My Father will love them, and we will come to them and make our home with them.

★ 子になるには、何が必要か。子である資質。
信仰によって
父を愛する。(父を慕う) 
共に歩むことを自分が選ぶこと。(義務感や強いられてではない)
“子”である父を見続ける。父の従ってる神を見続ける。
どんなことがあっても躓くことを拒否する。NO offence

★ 聖書に見る霊的父と子の例
エリヤとエリシャ  
モーセとヨシュア
ナオミとルツ
この三人は、父から離れなかった。慕い求めた。父の信じている神を敬った

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愛は妬まない Agape is not Envy

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愛➄妬まないAgape is not Envy
2019年10月27日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

愛の章を読んで、とても不思議に思うことの一つに、愛は妬まないが三番目に来ていることです。前にも言いましたが、これは、コリント人たち、賜物豊かな教会に対してパウロが書いていることだと考えるととても理解できます。賜物も素晴らしいけど、それらを包括してあまりある道がある、それが愛。その愛の中には、妬まないということがある。

★ねたむ神?
これを読んで、聖書をよく読んだことのある人は、あれ? と感じると思います。それは、聖書の中で、旧約の時代から、よく神は、ご自身のことを、ねたむ神という風に表現されているからです。
愛による契約関係にある者の間では妬みは起きて当然だ。神は、ご自身をねたむ神であると言われた。それは、愛の契約の中で。。。。
ヤコブ4:5
それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。Or do you think Scripture says without reason that he jealously longs for the spirit he has caused to dwell in us?

ゼカリヤ8:2
万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ』This is what the Lord Almighty says: “I am very jealous for Zion; I am burning with jealousy for her.”

★コリントの文脈から
先ほども話しましたが、この手紙は、コリント人にあてて書いていることです。人々の当時の行動に対して矯正する意味で、神の愛はこうである、ですから、神を信じるあなた方もそのような愛を持つべきであるということになります。その文脈で見てみると、当時は、やれ、この賜物が素晴らしい、やれあの人は力がある、ということや、賜物を持つ人たちがぶつかったり、どちらが正しいかということで混乱していたと思われます。ですからこそ、パウロは、預言する時は、必ず複数の人に預言させそして吟味しなさい、と言ったのです。神の権威の元で、賜物を試しなさい、というのです。その中で、愛は、妬まない。という第三の愛の特徴になりました。

★妬みとは
ヒーリングシアトルでもしていて感じることですが、人が複数集まれば、人は必ず互いを比べたがるということです。これは、ある意味、仕方がないことなのかもしれません。自然に人というのは他人と自分を比べます。

特に、裁き、規制の元では、互いを比べることが激しくなる。
ある程度の緊張があるからです。自分への評価というものが、裁きを左右するからです。

ですから、私は、教室スタイルの弟子訓練が嫌いです。一対一、もしくは、自由の中で、弟子たちに自分で考える力を養い、自分で神様に繋がれるようにすることを好みます。
教室スタイルのクラスとなれば、弟子たちは、すぐに間違ってはいけない、と緊張し、他の人のコメントと、私の反応に過剰に反応します。

そして、どちらが偉いか、どちらが優れているか、どちらが。。。ということになる。

特に恥が強い人にはその傾向が多くみられます。

★自分は重要ではない? Am I insignificant?
恥が狙っているのは、これです。
Feeling unchosen, insignificant ===== a big deal for the inner world.
創世記、アダムとエバのはじめの子供たち、カインとアベル。カインはアベルが神に喜ばれたのをねたんで、アベルを殺してしまいます。
サウルがダビデに対して妬みました。そして、命を狙いました。
イエス様も宗教者たちの妬みによって、結果的に十字架にかけられ殺されました。

ねたみは、人と比べて、自分が重要ではない、取るに足らないと思うことです。背後に恥が働いています。
そして、以前にも話しましたが、この恥は、自分の身体の中に持っておくと、居心地が悪いので、外に出したい、あるいは、外に恥の原因を見出し、それを指をさしている間は感じなくてもいい。または、自分の身体の外で裁きを完成させる時に、すっきりする。ということが起きます。

人の少しの過ちが気になって仕方がない。人のことを気にしすぎる、ゴシップをする。自分に関係ないことでも、首を突っ込みたがる。これも、恥がドライブしているサインです。
自分が重要であり、自分が少しでもましな人間であることを人と比べることによって知りたいというのが、恥のリアクションなのです。

ですから、妬みません、の後に、自慢せず、高慢にならない、とあるのです。この三つは同じ根っこから来ているものだからです。

自分が大丈夫だ、人よりましだ、ということを知りたい、それを強調していないと、自分の存在が危うくなるので、自慢し、高慢になります。

また、
アガペーの愛というのは、一方通行。自分の目的を叶えるのが愛ではない。
見返りを求めるのはアガペーではない。
アガペーは相手のために注がれるものである。自分に帰って来るものではない。
ですから、この後に、愛は、自慢せず高慢にならないとある。
自慢や高慢は、自分が人と比べて高い位置にいることを、一番の目的にしているからこそ、おこること。

★アガペーは妬む必要がない。
愛は、親の顔と顔を合わせね中で培われる。しかし、恥は、親の顔が遠ざかることで起きる。
私たちが神の愛の中にとどまるなら、神の顔だけを見ている状態にあります。
ですから、妬む必要がありません。
神からの愛の言葉を受け取り、神にあって自己充足しているなら、人と比べる必要がありません。なぜなら、あなたは、自分は神にとって重要であることを知っているからです。

★チャレンジ
今日あなたは、自分が神にとって重要であることを知っているでしょうか。
そこに、安住し、とどまり、ひたっいるでしょうか。
神に、自分の弱さを十分に知っていただけているでしょうか。

愛は、妬みません、自慢せず、高慢にならない。
あなたがまず、神の愛にとどまっているなら。。。。

ワオ!と言っているユーザー

愛は礼儀に反することをせず。。。

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愛⑥礼儀Agape does not behave rudely
2019年11月3日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

4節では、自分という個人の内面を探られる言葉が並びましたが、5節では、対人関係で現れる愛の姿が描かれていますね。

★礼儀 not behave rudely
礼儀とは、よいマナー。それは、他者をリスペクトすることからきます。
神は礼儀を尊重する方であり、私たちの心を無理やりに開かせようとする方でもありません。
紳士です。
礼儀とは、キリストの品性と慎み深さを反映しているものである。
この四節では、人間関係の中で相手を尊敬するということに光が当てられています。

★自分の利益 not seek its own
愛は、人間関係に現れます。
そして、人間関係は、組織のカレンシー、通貨です。良い関係を互いに交換することで、組織は、より一致し、より潤滑に動きます。その聖書的な文脈の中で、パウロは具体的に、愛というのは、自分の利益ばかりを求めるものではない、むしろ逆をする時に、周りまわって組織の通貨は自分に帰ってくる、私たちは、一つであるからこそ、他の人の利益が自分の利益になることを知りたいものです。私たち、個人主義の社会に居ては、なかなか想像ができないと思いますが、教会だからこそ、それを体験していけたらと思うのです。
ロマRomans12:10
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。Be devoted to one another in love. Honor one another above yourselves.
ピリピPhilippians2:3-5
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。Do nothing out of selfish ambition or vain conceit. Rather, in humility value others above yourselves, 4 not looking to your own interests but each of you to the interests of the others. 5 In your relationships with one another, have the same mindset as Christ Jesus:

★怒らず is not provoked
モーセはイスラエルの民にいら立ち、忍耐をなくしたので約束の地に入れなかった。モーセは、民が文句を言って、せっかく大変な信仰と思いをして民を救い出してきたのに、エジプトで死んでた方がましだったなどという、民にイライラしたのです。それで、神の言葉に従って、岩を打つときに、一度打てばいいものを、いらついて二回も打ったのです。
民数記Numbers20:2-11 このうち、v11,12
11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank.
12 But the Lord said to Moses and Aaron, “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.”

神様は、大きなことに召した人のためには、大きな訓練と教えをされるものです。ですから、モーセの場合は、この民を約束の地に導き入れることはできない。。。とされました。ご存知の通り、弟子のジョシュアがそれを成し遂げます。

私たちも、気を付けなければいけません。この箇所では、怒りの感情を持つなとは言ってません。周りの人や環境にいらいらさせられたり、踊らされて、神様の真意を見損なうなという注意です。

イエス様を思い出してもそうですね、イライラさせられることも、たくさんありました。律法学者やパリサイ人の策略やいやな質問、身体の疲れ、宮の状態などなど、しかし、神様の心にいつも焦点を合わして、踏み外すことがありませんでした。

★人のした悪を思わず think no evil
いつまでも、心に人にされたことを引きずり、苦々しい思いを持ち続けない。
愛は、相手が失敗できる余地を与える。人は、失敗を通して学んで成長するもの。愛は、いつまでも一つの失敗を引き合いにだし、人を裁き続けるのではなく、成長を見守るものである。
わたしも、一度の体調不良のため、ある会合に出れなかっただけで、いつまでも攻撃されたことがありました。体調は忙しさと休みの無さのあまりに、限界でした。失敗というよりも、それは、必要な休みでしたが、いつまでもそれをつつかれたことは、つらかったですね。。。
人は、失敗するものですし、未熟さは、何歳になっても、あるものです。
しかし、立ち直れる余地を与えるのは、悪をいつまでも思わない、神の愛です。

いかがでしたでしょうか。今日は、私たちが神を見習って持つべき、愛、対人関係の中で、どのように愛が現れるのか。。。ということを見てきました。
今週も、この愛について黙想し、イエス様に従って行きましょう。


ワオ!と言っているユーザー

箴言③まっすぐな道 The Straight Path

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また、詳しく書ける日がきたらい... また、詳しく書ける日がきたらいいんですが、神学の授業の最後のプロジェクトをしに、教会の中学生たちを連れてビーチに。。。。 完成はしなかったものの、素晴ら... 完成はしなかったものの、素晴らしいプロジェクトとなりました。
テーマは、痛みの証人となることによる共同体の癒し、です。
2019/5/26 日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


主題聖句
箴言Pro 3:5-6
Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding; in all your ways submit to him, and he will make your paths straight. 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言の中には、「まっすぐ」という言葉と「道」という言葉がたくさん出てくるのに気が付くと思います。

箴言Pro 2:9
Then you will understand what is right and just and fair—every good path.
そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。

箴言Pro 2:15
whose paths are crooked and who are devious in their ways. 彼らの道は曲がり、その道筋は曲がりくねっている。

箴言Pro 2:18
Surely her house leads down to death and her paths to the spirits of the dead. 彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。

箴言Pro 4:11
I instruct you in the way of wisdom and lead you along straight paths. 10 わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

箴言Pro 4:26
Give careful thought to the[fn] paths for your feet and be steadfast in all your ways.
25 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。26 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

箴言Pro 5:6
She gives no thought to the way of life; her paths wander aimlessly, but she does not know it.
その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。

箴言Pro 5:21
For your ways are in full view of the LORD, and he examines all your paths. 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。

★ 道とは
数々の道に関する箇所を読んでみても分かるように。道とは、course of action 数々の行動の繋がりであり、その日々の行いには行き着く先、デスティネーションが待っているというのです。私たちの日々の決断、行動は、実はあなたの運命を決めるものであるのです。
その運命を決める道は、まっすぐであれ、という風に箴言ではたびたび表現されます。

箴言Pro 9:15
calling out to those who pass by, who go straight on their way, まっすぐに歩いて行く往来の人を招いて言う。17 「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい」と。

箴言Pro 11:5
The righteousness of the blameless makes their paths straight, but the wicked are brought down by their own wickedness. 5 潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。

箴言Pro 4:10
Listen, my son, accept what I say, and the years of your life will be many. 11 I instruct you in the way of wisdom and lead you along straight paths.わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

★まっすぐとは
 今読んだ、箇所でもよく分かるように、まっすぐというのは、正しさ、正義、また躓きから私たちを守るという意味があることが分かります。
◎ へプル語でまっすぐ
yâshar, yaw-shar' ヤ-シャー;
比喩的にも実質的にもまっすぐ、平らである、また、正しい、喜ばしい、繁栄の、導く、合う、良いという意味があります。

◎ 私たちのうちには、どんな人でも、民族でも、良心があり、正しく生きたいと願いがあります。また、躓きのない、スムーズな道を歩みたいと願います。また、最終的に幸せという目的地に到達したい、と願うものです。

◎ また、一方で、正しくない道についても、私たちは多かれ少なかれ体験して知っているのではないでしょうか。一度失敗すると、その結果、被害からのロスを取り戻すにとても時間がかかります。私も、日々、ケミカルディディベンデェンシー、ドラッグ中毒のリカバリー中の方と接していますが、本当に苦しまれています。肉体的な健康もそうですが、精神的にも、また人間関係、経済、教育、たくさんのロスを時間をかけてまっすぐにしていかなければなりません。
私たちも、そのようなことはあるのではないでしょうか。一言、余計なことを言ってしまったがゆえに、未熟な決断をしたばかりに、自分の評判が落ちてしまって、取り戻すのに苦労する、家族の関係が壊れるなど。。。。私たちもたくさん経験していると思います。

★ 神様がいなければ
一番初めに読みました箴言に戻りたいと思います。私たちは、まっすぐな道を歩むためには、神様なしにはできないことを覚えておきたいものです。
箴言Pro 3:5-6
Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding; in all your ways submit to him, and he will make your paths straight. 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

- 心を尽くしてwith all your heart…この節の前には、神の掟、教えを守りなさい。と書かれています。私たちが従うのは、心の問題です。頭の問題ではありません。従順というものは、心の態度です。不従順は反抗心か、自己防衛、高慢によるもので、知識にはよらないものなのです。知恵は知識を用いるものですが、不従順は知恵の出る幕もなくしてしまうものです。
“The heart is the first thing that wanders away from God, and it is also the first thing that returns to God.” (Bridges)

- たよるLean on …自分の悟りにたよるな、とあります。新約にも、1コリント1Corinthian 8:1-2「しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。 2 もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」But knowledge puffs up while love builds up. 2 Those who think they know something do not yet know as they ought to know.

私は、いつも思うのですが、本当に学のある人は謙遜だなーって。私の学校の教授も、私のインターンのスーパーバイザーも日々よく勉強されて、リサーチされていますが、とても謙遜で、私のようなものの意見を興味を持ってくれ、また意見が正しければ取り入れてくれるのです。本当の、知識は知恵が無いと生かされません。そして、これは、謙遜な心、やわらかい心が必要になります。私たちが、神に頼ることを大切にし、やわらかい心を持つことができればと思います。

- 行く所どこにおいてもin all your ways…神の人の歩みは、裏表のない生活です。私の尊敬する牧師先生は家でのパパと教会でのパパはおんなじだという部分です。両方でやんちゃな人もいますが、両方で立派な人は少ないと思います。また、属する場所で人が変わるのもではありません。
行くところどこにおいても。とあるように、家庭内でも、職場でも、仕事のプロジェクトでも、友達との関係でも、例えば、SNSでも、神様を認めることです。

- 主を認めsubmit to him/acknowledge him…この「認める」には、へブル語のヤーダーYada が使われています。すなわち、知ること。また、このヤーダーは、アダムとエバが知った、そして子供が生まれたとあるように、愛することでもあります。また顔と顔とを合わせることであります。私たちは、行くところどこにおいても、神を知ること、どんな状況の中においても、そこで神を知り、神に自分を知っていただくこと、神をどんな状況の中でも愛すること、愛を受けること、これが、私たちの道、取るべき行動なのです。
ですから、今いる場所で起きていることが理解できないとしたら、まずその中で神を知ってください。その場所で神を知ることなく、移動するならば、あなたの道はまっすぐとはならないのです。職場で、家庭で、人間関係で、また教会のコミュニティで神を知ることを求めましょう。
Path = course of action Action = trusting in God

◎ 今週も主を認め、私たちのすべての行いを通して主を知り、主を愛していきましょう。
#知恵 #礼拝 #箴言

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箴言②話すことについて

スレッド
五月。。。。 ネットで調べて来... 五月。。。。
ネットで調べて来てくれた、旅行者クリスチャンの方と、
もう、シアトルから引っ越してしまったまゆちゃんと。。。。

2019年5月19日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


お友達がある時、リサーチをしてみたそうです。聖書は語ることについて何と言っているだろうか。と。語らないように、と注意していることが多いのだと思ったそうです。数えてみたら、なんと、語るなと言っている箇所と語れと言っている箇所は同じ数だったそうです。けれども、語れの中には、半分が語るなら、こういう風に語りないと指導しているものだったそうです。
日本でも口は災いの元なんて言います。聖書ヤコブ書でも、舌について

ヤコブJames 3: 2
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。We all stumble in many ways. Anyone who is never at fault in what they say is perfect, able to keep their whole body in check.

箴言の中にみられる語ることについての教えをピックアップしてみました。カテゴリーに分けてみました。一つのカテゴリーにたくさんみ言葉があるのですが、一、二か所にしぼります。

マルコMark 7: 20
また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。He went on: “What comes out of a person is what defiles them. 21 For it is from within, out of a person’s heart, that evil thoughts come—sexual immorality, theft, murder, 22 adultery, greed, malice, deceit, lewdness, envy, slander, arrogance and folly. 23 All these evils come from inside and defile a person.”


◎嘘をつくなLying
箴言Proverbs 6:16-19
16 There are six things the LORD hates, seven that are detestable to him: 17 haughty eyes, a lying tongue, hands that shed innocent blood, 18 a heart that devises wicked schemes, feet that are quick to rush into evil, 19 a false witness who pours out lies and a person who stirs up conflict in the community. 16 主の憎むべきものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。17 高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、18 邪悪な計画を細工する心、悪へ走る速い足、19 まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。

箴言Proverbs 12:6-7
6 The words of the wicked lie in wait for blood, but the speech of the upright rescues them. 7 The wicked are overthrown and are no more, but the house of the righteous stands firm. 悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。7 悪者はくるがえされて、いなくなる。しかし正しい者の家は立ち続ける。
- 嘘は、自分を分裂させないとできない。心に嘘、隠しごとを持っていては、苦しくて苦しくてたまらない。自分の悪い部分を切り離してみないようにしなければ人は嘘がつけない。すなわち、ある部分の自分を無視し葬っているのだ。自分を完全に隠しているのだ。普通に嘘がつける人がいるが、その人は、本当に自分自身を知らない人なのだ。あなたは、自分のすべての部分に正直であろうか。

◎優しく話す Gently
箴言Proverbs 15:1-2
A gentle answer turns away wrath, but a harsh word stirs up anger. 2 The tongue of the wise adorns knowledge, but the mouth of the fool gushes folly. 柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。2 知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。
箴言Proverbs 15:4
4 The soothing tongue is a tree of life, but a perverse tongue crushes the spirit. 穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。
- リアクションではなく、リフレクション。反射でなく熟考してこたえる。感情が高ぶると、言葉を選べません。知恵のあるものの舌は知識を良く用いるとありますが、話し相手の感情が高ぶっている時や自分の感情が高ぶっている時、このようにしてみると良いです。感情は、私たちの必要と密接な関わりがあります、相手が感情的な場合は、聞いたことを反復して相手に伝えて、つまり、あなたにはこれが必要なのですか? と答える。また自分が高ぶっている時は、すぐに言葉を相手にぶつけないで、その感情は何か、何を必要としているのか、ということを知ってから、言葉にすると相手を傷つけません。私たちは、感情が高ぶっているときに、いったい自分がどんな感情を持っているのかと考えることがないことが多いです。知恵は、自分を知ることにあります。

◎ゴシップGossip
箴言Proverbs 26:20
20 Without wood a fire goes out; without a gossip a quarrel dies down. たきぎがなければ火が消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはやむ。
- ゴシップを避けるには、聖書にあるように、はいをはい、いいえをいいえの原則で話すことです。自分の経験でないことは、話さないことです。また、人のことを想像で話さないことです。また、自分に許可を与えられてない情報については第三者に話さないことです。まわりまわって相手に聞こえたときに、その人がどう思うだろうか。と思いやる必要があります。誰にも言っていないことを、誰かが知っていたら気持ちが悪いですね。また、わざと、ゴシップを使ってコミュニティをかき回す場合があります。私たちは、互いに気を付けないといけませんね。
- ゴシップは自分を隠すツールの一つ。自分の中の悪に向き合いたくないから、身体の外にある悪を造り出し、それを裁く。また裁かれるところを見たいという心理が働いています。そうすることによって、自分の内側の恥や居心地の悪さに向か合わなくて済むからです。ですから、コンスタントにゴシップを探す、また自分からゴシップを始める人は、心の中にたくさんの居心地の悪さを持っているのです。

◎口を守る=話さない
箴言Proverbs 13:3
Those who guard their lips preserve their lives,
but those who speak rashly will come to ruin. 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。

箴言Proverbs 10:19
Sin is not ended by multiplying words, but the prudent hold their tongues. ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。

箴言Proverbs 17:27-28
27 The one who has knowledge uses words with restraint, and whoever has understanding is even-tempered. 28 Even fools are thought wise if they keep silent, and discerning if they hold their tongues. 自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。28 愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。

箴言Proverbs 21:23
23 Those who guard their mouths and their tongues keep themselves from calamity. 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。
- この考え方は日本の考え方と非常に似ていますね。けれど、アメリカでは文化的に真逆なので、難しいです。自分で自己アピールをして、いつも言葉を発していなければ、無視されてしまいます。
しかし、やはり時間がかかっても、人は、有言実行である誠実さを見てくれます。言葉数が多くて、いつも目立っているより、思慮深い言葉を話し、必ず言葉を守る人の方が最終的には信頼されます。言うな、というより、行動と言葉が伴うことを励ましたいと思います。

◎癒すことができるHealing
箴言Proverbs 12:18-19
18 The words of the reckless pierce like swords, but the tongue of the wise brings healing. 19 Truthful lips endure forever, but a lying tongue lasts only a moment. 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。19 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。

- 知恵のある言葉は人を癒す。イエス様は私たちの心をいやすためにも来られました。私たちが知恵の言葉を語ることで、私たちもそのお手伝いができることは素晴らしい特権です。癒しをもたらすには、まず第一に、相手の感情を認めてあげる、受け入れてあげること、相手が自分の現状に気が付き受け入れることができるようになること、イエス様の愛に信頼することができるように助けることです。しかし、これこそ、言葉のなせる業ではなく、愛を通して出なければ知恵の言葉になりません。

★箴言の話すことについて Proverbs’ Message to us
今日は、箴言の中の話すことについてのテーマを探ってみました。今日の神様のメッセージは何でしょうか。一つは、話す、ということは、①意図をもって話すべきだということですね。反射的に言葉がでることがあるにしても、私たちは、自分で選んで話すのですから、もうひとてもかけて、言葉を選らび、ワンクッション置いて考えてから話したらいいのです。
それから、②自分を知るということ。自分の内側にあるものが出てくるのですから。
また③知恵のある言葉は、相手にその人自身を知ることの助けになるということを学びました。
箴言Proverbs 18:20-21
20 From the fruit of their mouth a person’s stomach is filled; with the harvest of their lips they are satisfied. 21 The tongue has the power of life and death, and those who love it will eat its fruit. 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

とありますが、私たちの言葉は、自分に対しての言葉も他人に対しての言葉でも、死と生をもたらすことの力あるものです。神がその力を私たちの舌に下さったのです。
イエス様というワンクッションを置いて、イエス様に聞きながら、イエス様を心にお迎えして語るものとなりたいものですね。

ワオ!と言っているユーザー

ご無沙汰しています

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こんなところにバケーションに行... こんなところにバケーションに行ってきました。
これは、朝焼けです。
とても、美しい場所です。
でも、これでここに行くのは、三回目です。三回目にもなると慣れて来て、なんでしょう、初めての時の感動も薄れているなーって気が付きました。贅沢ですね。


皆さん、ご無沙汰しています。

グラッドスクールを卒業するのに、必死、そして、その後、家の片付けに必死、
その後、日本からの数々のお客さんが夏休みにたずねてこられて、それに必死、
そして、その後、新しいミニストリーを立ち上げることや、インターンからエクスターンそして、願わくば、雇われるように、などなど、
いろいろと移行期で、ばたばたしていて、アップできずにここまで来ました。

日本の皆さんも、随分心配してくださって、

携挙か?? なんていう、コメントもいただき。。。。

そんなわけないですよーーー。

ぼちぼち上げていこうと思いつつも、なかなかです。

また新しいミニストリーのことは、おいおい。。。。。

これからも、よろしくお願いします

#恵み #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

知恵シリーズ①主を恐れる

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今日はひっさびさにやっと教会に... 今日はひっさびさにやっと教会に来れた、まゆちゃんと、はるぱる日本からアメリカに旅行中のYさんが来てくれて、嬉しくて写真を撮ってみましたー。
2019年5月5日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


箴言1:1-10
イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。2 これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、3 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、4 わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。5 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。6 これは箴言と、比喩と、知恵のあることばと、そのなぞとを理解するためである。7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

今週から箴言をシリーズで学んで行きたいと思います。箴言とは、教訓とか戒めという意味ですが、箴言は、私がまだ若く、救われて間もない時に、繰り返し毎日一章読んだ書です。この書は、全部がソロモン王が書いたものではありませんが、ソロモンの知恵の書として親しまれています。

★著者ソロモン
ソロモンは、若くして王になりました。彼の有名なお話しの一つに、神に知恵を求めたということです。神は夢で、ソロモンに「何が欲しいか、願え」、と言われました。ソロモンは民を治めるために知恵をください。と願い、それは、神の御心にかなっていた。そして、本当にソロモンに知恵が与えられ、国は栄え、平和を保ちました。

ヤコブ1:5
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。If any of you lacks wisdom, you should ask God, who gives generously to all without finding fault, and it will be given to you.

これは、試練の中にある人たちに向かって語られた言葉です。試練の中でそれをどう乗り越えたらいいのか、分からない人、どう一つ一つ実際的なことに対処していったらいいのか、分からないなら、神に知恵を求めなさい。必ず与えられます。ということです。

★知恵とは

知識と知恵の違い、1コリントの霊の賜物のところで前に話しましたが、聖霊の賜物でも知識の言葉と知恵の言葉があります。その違いをこのように、話しました。
知識は、ファクト、事実。聖霊の賜物ですから、例えば、祈られている本人しか分からないことなど、また、今の状態などについての言葉です。例えば、誰かのために祈っている時に、ポルノグラフィという言葉がでてきたとします、それだけ、頭に与えられても、それがどうその人の益になるように祈るか、が分かりませんね。もし、ポルノと言ったら、その人が非常に恥に思い、傷つくかも知れません。その時に、知恵がいります。神様、この与えられた言葉に対して、どのように祈ったらいいでしょうか。と。すると、あなたは、とても親密さに心が向いているようですね。とか、あるいは、神様は、あなたを聖さに召しておられます。といった風に祈りなさいと言われるかもしれません。これは、実際にパスターダックが与えられた状況ですが、ダッグは、聖さについて祈ってあげたそうです。すると、その人は、泣き崩れ、悔い改め、解放されたそうです。

◎知識、とは、情報です。知恵は、その情報を実生活の益のために活用することです。情報ばかりあっても、いくら優れた難しいデータを持っていても、それを自分を含めて誰かの益のために使えないなら、意味がありません。

★箴言の目的 1:2-6

To know wisdom and instruction, 2 これは、知恵と訓戒とを学び
To perceive the words of understanding, 悟りのことばを理解するためであり
To receive the instruction of wisdom, 思慮ある訓戒を体得するためであり
Justice, judgment, and equity; 正義と公義と公正と
To give prudence to the simple, わきまえのない者に分別を与え
To the young man knowledge and discretion—若い者に知識と思慮を得させるためである
A wise man will hear and increase learning, 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め
And a man of understanding will attain wise counsel, 悟りのある者は指導を得る
To understand a proverb and an enigma, 箴言と、比喩と
The words of the wise and their riddles. 知恵のあることばと、そのなぞとを理解するためである

悟りを理解、モラルを体得、愚か者に分別を与え、未熟者に知識と示唆を与え、知恵がすでにあるものには理解を深め、悟りのあるものは指導を得る。

人は、何かを軸にして物事を判断していますが、そこにはいろいろな要素があります。ここにあるように、正義、公義と、公正とありますが、この判断というのは育ちや文化によっても違いますし、誰に従っているかでも違ってくるものです。

昨日、インターネットで、アメリカの司法は、真実やモラルを基準にして裁きが行われるのでなく、むしろ、法廷で真実を作っていくのだ、形作れた方が裁判に勝つ。一方、日本は、良心であるとか真実、モラルを中心に裁きが鑑みられるのだそう。アメリカは、様々な民族や考え方を持つ人が住んでいますが、日本は、もともと単一民族ですから、そんなに意識の違いが無いという土壌であるがゆえにそれが一定のモラルの一致があるからなのでしょう。また、基本的人権の捉え方も違っていますね。
しかし、私たちは、誰に従って、物事を判断し、行く道を決めていくのでしょうか。

◎いくら優れた知識をたくさん持っていても、モラルが無ければ、いくら自分や誰かの益のために用いようとしても、間違ってしまうのではないでしょうか。

★知恵に先立って一番大切なこと

箴言1:7
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。The fear of the Lord is the beginning of knowledge, but fools despise wisdom and instruction.

はじめ-- the first, in place, time, order or rank (specifically, a firstfruit):—beginning, chief(-est), first(-fruits, part, time), principal thing. 一番、時間も場所もランクも一番という意味です。

ということは、主を恐れることは、何にも増して一番大切な知識である。愚か者は、一番ができないのだから、二の次に並ぶ全ての知恵と訓戒をさげすむというのです。

知恵についても、次のように箴言では語られています。
箴言9: 10
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。The fear of the Lord is the beginning of wisdom, and knowledge of the Holy One is understanding.

主を恐れることこそ、何にも増して、一番の知恵である。聖なることを知ることは、全てのことを理解する鍵であると。

◎すなわち、知識もそれを適用する知恵も、全て、神を恐れることから始まるのだ。そこからスタートしなければ、他は分からないというのです。

★主を恐れる

主を恐れるというのは、主を怖がることと違います。怖がるのは、裁きを受ける理由があるから怖がるのであり、恥があるから怖いと思うのです。
ここで言うのは、畏敬の念です。
主を恐れるということは、
神の愛していることを愛し、神の嫌っていることを嫌うことです。
それが、神を愛し、神の教えを尊敬している姿勢です。
これは、関係です。お勉強では、神の愛していることや憎んでいることを同じようにできません。神を愛し、繋がっていなければこのような忠誠は尽くせないのです。
あなたの愛している夫や妻を裏切れないのと同じことです。

(クリスチャンになって浅い人は知識が少ないかも知れません。でも、知っていること全てに忠誠を尽くしているかもしれません。信仰が長く知識が多くても、適応する知識を間引いているかもしれません。)

◎私たちの持っている神との関係の中でいいですから、考えてみましょう。
神の愛していることは、何でしょう。
神の嫌っていることは、何でしょうか。
私たちのうちに、知識が欠けているところはありますか。
また、知識が有り余っていても、適用せずに、そのままにし、自分を正さないでいることはないでしょうか。。。。。

今週、主を恐れることについて瞑想しましょう。



#知恵 #礼拝 #箴言

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