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愛は妬まない Agape is not Envy

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愛➄妬まないAgape is not Envy
2019年10月27日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

愛の章を読んで、とても不思議に思うことの一つに、愛は妬まないが三番目に来ていることです。前にも言いましたが、これは、コリント人たち、賜物豊かな教会に対してパウロが書いていることだと考えるととても理解できます。賜物も素晴らしいけど、それらを包括してあまりある道がある、それが愛。その愛の中には、妬まないということがある。

★ねたむ神?
これを読んで、聖書をよく読んだことのある人は、あれ? と感じると思います。それは、聖書の中で、旧約の時代から、よく神は、ご自身のことを、ねたむ神という風に表現されているからです。
愛による契約関係にある者の間では妬みは起きて当然だ。神は、ご自身をねたむ神であると言われた。それは、愛の契約の中で。。。。
ヤコブ4:5
それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。Or do you think Scripture says without reason that he jealously longs for the spirit he has caused to dwell in us?

ゼカリヤ8:2
万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ』This is what the Lord Almighty says: “I am very jealous for Zion; I am burning with jealousy for her.”

★コリントの文脈から
先ほども話しましたが、この手紙は、コリント人にあてて書いていることです。人々の当時の行動に対して矯正する意味で、神の愛はこうである、ですから、神を信じるあなた方もそのような愛を持つべきであるということになります。その文脈で見てみると、当時は、やれ、この賜物が素晴らしい、やれあの人は力がある、ということや、賜物を持つ人たちがぶつかったり、どちらが正しいかということで混乱していたと思われます。ですからこそ、パウロは、預言する時は、必ず複数の人に預言させそして吟味しなさい、と言ったのです。神の権威の元で、賜物を試しなさい、というのです。その中で、愛は、妬まない。という第三の愛の特徴になりました。

★妬みとは
ヒーリングシアトルでもしていて感じることですが、人が複数集まれば、人は必ず互いを比べたがるということです。これは、ある意味、仕方がないことなのかもしれません。自然に人というのは他人と自分を比べます。

特に、裁き、規制の元では、互いを比べることが激しくなる。
ある程度の緊張があるからです。自分への評価というものが、裁きを左右するからです。

ですから、私は、教室スタイルの弟子訓練が嫌いです。一対一、もしくは、自由の中で、弟子たちに自分で考える力を養い、自分で神様に繋がれるようにすることを好みます。
教室スタイルのクラスとなれば、弟子たちは、すぐに間違ってはいけない、と緊張し、他の人のコメントと、私の反応に過剰に反応します。

そして、どちらが偉いか、どちらが優れているか、どちらが。。。ということになる。

特に恥が強い人にはその傾向が多くみられます。

★自分は重要ではない? Am I insignificant?
恥が狙っているのは、これです。
Feeling unchosen, insignificant ===== a big deal for the inner world.
創世記、アダムとエバのはじめの子供たち、カインとアベル。カインはアベルが神に喜ばれたのをねたんで、アベルを殺してしまいます。
サウルがダビデに対して妬みました。そして、命を狙いました。
イエス様も宗教者たちの妬みによって、結果的に十字架にかけられ殺されました。

ねたみは、人と比べて、自分が重要ではない、取るに足らないと思うことです。背後に恥が働いています。
そして、以前にも話しましたが、この恥は、自分の身体の中に持っておくと、居心地が悪いので、外に出したい、あるいは、外に恥の原因を見出し、それを指をさしている間は感じなくてもいい。または、自分の身体の外で裁きを完成させる時に、すっきりする。ということが起きます。

人の少しの過ちが気になって仕方がない。人のことを気にしすぎる、ゴシップをする。自分に関係ないことでも、首を突っ込みたがる。これも、恥がドライブしているサインです。
自分が重要であり、自分が少しでもましな人間であることを人と比べることによって知りたいというのが、恥のリアクションなのです。

ですから、妬みません、の後に、自慢せず、高慢にならない、とあるのです。この三つは同じ根っこから来ているものだからです。

自分が大丈夫だ、人よりましだ、ということを知りたい、それを強調していないと、自分の存在が危うくなるので、自慢し、高慢になります。

また、
アガペーの愛というのは、一方通行。自分の目的を叶えるのが愛ではない。
見返りを求めるのはアガペーではない。
アガペーは相手のために注がれるものである。自分に帰って来るものではない。
ですから、この後に、愛は、自慢せず高慢にならないとある。
自慢や高慢は、自分が人と比べて高い位置にいることを、一番の目的にしているからこそ、おこること。

★アガペーは妬む必要がない。
愛は、親の顔と顔を合わせね中で培われる。しかし、恥は、親の顔が遠ざかることで起きる。
私たちが神の愛の中にとどまるなら、神の顔だけを見ている状態にあります。
ですから、妬む必要がありません。
神からの愛の言葉を受け取り、神にあって自己充足しているなら、人と比べる必要がありません。なぜなら、あなたは、自分は神にとって重要であることを知っているからです。

★チャレンジ
今日あなたは、自分が神にとって重要であることを知っているでしょうか。
そこに、安住し、とどまり、ひたっいるでしょうか。
神に、自分の弱さを十分に知っていただけているでしょうか。

愛は、妬みません、自慢せず、高慢にならない。
あなたがまず、神の愛にとどまっているなら。。。。

ワオ!と言っているユーザー

愛は礼儀に反することをせず。。。

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愛⑥礼儀Agape does not behave rudely
2019年11月3日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

4節では、自分という個人の内面を探られる言葉が並びましたが、5節では、対人関係で現れる愛の姿が描かれていますね。

★礼儀 not behave rudely
礼儀とは、よいマナー。それは、他者をリスペクトすることからきます。
神は礼儀を尊重する方であり、私たちの心を無理やりに開かせようとする方でもありません。
紳士です。
礼儀とは、キリストの品性と慎み深さを反映しているものである。
この四節では、人間関係の中で相手を尊敬するということに光が当てられています。

★自分の利益 not seek its own
愛は、人間関係に現れます。
そして、人間関係は、組織のカレンシー、通貨です。良い関係を互いに交換することで、組織は、より一致し、より潤滑に動きます。その聖書的な文脈の中で、パウロは具体的に、愛というのは、自分の利益ばかりを求めるものではない、むしろ逆をする時に、周りまわって組織の通貨は自分に帰ってくる、私たちは、一つであるからこそ、他の人の利益が自分の利益になることを知りたいものです。私たち、個人主義の社会に居ては、なかなか想像ができないと思いますが、教会だからこそ、それを体験していけたらと思うのです。
ロマRomans12:10
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。Be devoted to one another in love. Honor one another above yourselves.
ピリピPhilippians2:3-5
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。Do nothing out of selfish ambition or vain conceit. Rather, in humility value others above yourselves, 4 not looking to your own interests but each of you to the interests of the others. 5 In your relationships with one another, have the same mindset as Christ Jesus:

★怒らず is not provoked
モーセはイスラエルの民にいら立ち、忍耐をなくしたので約束の地に入れなかった。モーセは、民が文句を言って、せっかく大変な信仰と思いをして民を救い出してきたのに、エジプトで死んでた方がましだったなどという、民にイライラしたのです。それで、神の言葉に従って、岩を打つときに、一度打てばいいものを、いらついて二回も打ったのです。
民数記Numbers20:2-11 このうち、v11,12
11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank.
12 But the Lord said to Moses and Aaron, “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.”

神様は、大きなことに召した人のためには、大きな訓練と教えをされるものです。ですから、モーセの場合は、この民を約束の地に導き入れることはできない。。。とされました。ご存知の通り、弟子のジョシュアがそれを成し遂げます。

私たちも、気を付けなければいけません。この箇所では、怒りの感情を持つなとは言ってません。周りの人や環境にいらいらさせられたり、踊らされて、神様の真意を見損なうなという注意です。

イエス様を思い出してもそうですね、イライラさせられることも、たくさんありました。律法学者やパリサイ人の策略やいやな質問、身体の疲れ、宮の状態などなど、しかし、神様の心にいつも焦点を合わして、踏み外すことがありませんでした。

★人のした悪を思わず think no evil
いつまでも、心に人にされたことを引きずり、苦々しい思いを持ち続けない。
愛は、相手が失敗できる余地を与える。人は、失敗を通して学んで成長するもの。愛は、いつまでも一つの失敗を引き合いにだし、人を裁き続けるのではなく、成長を見守るものである。
わたしも、一度の体調不良のため、ある会合に出れなかっただけで、いつまでも攻撃されたことがありました。体調は忙しさと休みの無さのあまりに、限界でした。失敗というよりも、それは、必要な休みでしたが、いつまでもそれをつつかれたことは、つらかったですね。。。
人は、失敗するものですし、未熟さは、何歳になっても、あるものです。
しかし、立ち直れる余地を与えるのは、悪をいつまでも思わない、神の愛です。

いかがでしたでしょうか。今日は、私たちが神を見習って持つべき、愛、対人関係の中で、どのように愛が現れるのか。。。ということを見てきました。
今週も、この愛について黙想し、イエス様に従って行きましょう。


ワオ!と言っているユーザー

箴言③まっすぐな道 The Straight Path

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また、詳しく書ける日がきたらい... また、詳しく書ける日がきたらいいんですが、神学の授業の最後のプロジェクトをしに、教会の中学生たちを連れてビーチに。。。。 完成はしなかったものの、素晴ら... 完成はしなかったものの、素晴らしいプロジェクトとなりました。
テーマは、痛みの証人となることによる共同体の癒し、です。
2019/5/26 日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


主題聖句
箴言Pro 3:5-6
Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding; in all your ways submit to him, and he will make your paths straight. 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

箴言の中には、「まっすぐ」という言葉と「道」という言葉がたくさん出てくるのに気が付くと思います。

箴言Pro 2:9
Then you will understand what is right and just and fair—every good path.
そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。

箴言Pro 2:15
whose paths are crooked and who are devious in their ways. 彼らの道は曲がり、その道筋は曲がりくねっている。

箴言Pro 2:18
Surely her house leads down to death and her paths to the spirits of the dead. 彼女の家は死に下り、その道筋はやみにつながる。

箴言Pro 4:11
I instruct you in the way of wisdom and lead you along straight paths. 10 わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

箴言Pro 4:26
Give careful thought to the[fn] paths for your feet and be steadfast in all your ways.
25 あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。26 あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

箴言Pro 5:6
She gives no thought to the way of life; her paths wander aimlessly, but she does not know it.
その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。

箴言Pro 5:21
For your ways are in full view of the LORD, and he examines all your paths. 人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。

★ 道とは
数々の道に関する箇所を読んでみても分かるように。道とは、course of action 数々の行動の繋がりであり、その日々の行いには行き着く先、デスティネーションが待っているというのです。私たちの日々の決断、行動は、実はあなたの運命を決めるものであるのです。
その運命を決める道は、まっすぐであれ、という風に箴言ではたびたび表現されます。

箴言Pro 9:15
calling out to those who pass by, who go straight on their way, まっすぐに歩いて行く往来の人を招いて言う。17 「盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい」と。

箴言Pro 11:5
The righteousness of the blameless makes their paths straight, but the wicked are brought down by their own wickedness. 5 潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。

箴言Pro 4:10
Listen, my son, accept what I say, and the years of your life will be many. 11 I instruct you in the way of wisdom and lead you along straight paths.わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。11 私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。12 あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

★まっすぐとは
 今読んだ、箇所でもよく分かるように、まっすぐというのは、正しさ、正義、また躓きから私たちを守るという意味があることが分かります。
◎ へプル語でまっすぐ
yâshar, yaw-shar' ヤ-シャー;
比喩的にも実質的にもまっすぐ、平らである、また、正しい、喜ばしい、繁栄の、導く、合う、良いという意味があります。

◎ 私たちのうちには、どんな人でも、民族でも、良心があり、正しく生きたいと願いがあります。また、躓きのない、スムーズな道を歩みたいと願います。また、最終的に幸せという目的地に到達したい、と願うものです。

◎ また、一方で、正しくない道についても、私たちは多かれ少なかれ体験して知っているのではないでしょうか。一度失敗すると、その結果、被害からのロスを取り戻すにとても時間がかかります。私も、日々、ケミカルディディベンデェンシー、ドラッグ中毒のリカバリー中の方と接していますが、本当に苦しまれています。肉体的な健康もそうですが、精神的にも、また人間関係、経済、教育、たくさんのロスを時間をかけてまっすぐにしていかなければなりません。
私たちも、そのようなことはあるのではないでしょうか。一言、余計なことを言ってしまったがゆえに、未熟な決断をしたばかりに、自分の評判が落ちてしまって、取り戻すのに苦労する、家族の関係が壊れるなど。。。。私たちもたくさん経験していると思います。

★ 神様がいなければ
一番初めに読みました箴言に戻りたいと思います。私たちは、まっすぐな道を歩むためには、神様なしにはできないことを覚えておきたいものです。
箴言Pro 3:5-6
Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding; in all your ways submit to him, and he will make your paths straight. 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

- 心を尽くしてwith all your heart…この節の前には、神の掟、教えを守りなさい。と書かれています。私たちが従うのは、心の問題です。頭の問題ではありません。従順というものは、心の態度です。不従順は反抗心か、自己防衛、高慢によるもので、知識にはよらないものなのです。知恵は知識を用いるものですが、不従順は知恵の出る幕もなくしてしまうものです。
“The heart is the first thing that wanders away from God, and it is also the first thing that returns to God.” (Bridges)

- たよるLean on …自分の悟りにたよるな、とあります。新約にも、1コリント1Corinthian 8:1-2「しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。 2 もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない」But knowledge puffs up while love builds up. 2 Those who think they know something do not yet know as they ought to know.

私は、いつも思うのですが、本当に学のある人は謙遜だなーって。私の学校の教授も、私のインターンのスーパーバイザーも日々よく勉強されて、リサーチされていますが、とても謙遜で、私のようなものの意見を興味を持ってくれ、また意見が正しければ取り入れてくれるのです。本当の、知識は知恵が無いと生かされません。そして、これは、謙遜な心、やわらかい心が必要になります。私たちが、神に頼ることを大切にし、やわらかい心を持つことができればと思います。

- 行く所どこにおいてもin all your ways…神の人の歩みは、裏表のない生活です。私の尊敬する牧師先生は家でのパパと教会でのパパはおんなじだという部分です。両方でやんちゃな人もいますが、両方で立派な人は少ないと思います。また、属する場所で人が変わるのもではありません。
行くところどこにおいても。とあるように、家庭内でも、職場でも、仕事のプロジェクトでも、友達との関係でも、例えば、SNSでも、神様を認めることです。

- 主を認めsubmit to him/acknowledge him…この「認める」には、へブル語のヤーダーYada が使われています。すなわち、知ること。また、このヤーダーは、アダムとエバが知った、そして子供が生まれたとあるように、愛することでもあります。また顔と顔とを合わせることであります。私たちは、行くところどこにおいても、神を知ること、どんな状況の中においても、そこで神を知り、神に自分を知っていただくこと、神をどんな状況の中でも愛すること、愛を受けること、これが、私たちの道、取るべき行動なのです。
ですから、今いる場所で起きていることが理解できないとしたら、まずその中で神を知ってください。その場所で神を知ることなく、移動するならば、あなたの道はまっすぐとはならないのです。職場で、家庭で、人間関係で、また教会のコミュニティで神を知ることを求めましょう。
Path = course of action Action = trusting in God

◎ 今週も主を認め、私たちのすべての行いを通して主を知り、主を愛していきましょう。
#知恵 #礼拝 #箴言

ワオ!と言っているユーザー

箴言②話すことについて

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五月。。。。 ネットで調べて来... 五月。。。。
ネットで調べて来てくれた、旅行者クリスチャンの方と、
もう、シアトルから引っ越してしまったまゆちゃんと。。。。

2019年5月19日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


お友達がある時、リサーチをしてみたそうです。聖書は語ることについて何と言っているだろうか。と。語らないように、と注意していることが多いのだと思ったそうです。数えてみたら、なんと、語るなと言っている箇所と語れと言っている箇所は同じ数だったそうです。けれども、語れの中には、半分が語るなら、こういう風に語りないと指導しているものだったそうです。
日本でも口は災いの元なんて言います。聖書ヤコブ書でも、舌について

ヤコブJames 3: 2
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。We all stumble in many ways. Anyone who is never at fault in what they say is perfect, able to keep their whole body in check.

箴言の中にみられる語ることについての教えをピックアップしてみました。カテゴリーに分けてみました。一つのカテゴリーにたくさんみ言葉があるのですが、一、二か所にしぼります。

マルコMark 7: 20
また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。21 内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、22 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、23 これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。He went on: “What comes out of a person is what defiles them. 21 For it is from within, out of a person’s heart, that evil thoughts come—sexual immorality, theft, murder, 22 adultery, greed, malice, deceit, lewdness, envy, slander, arrogance and folly. 23 All these evils come from inside and defile a person.”


◎嘘をつくなLying
箴言Proverbs 6:16-19
16 There are six things the LORD hates, seven that are detestable to him: 17 haughty eyes, a lying tongue, hands that shed innocent blood, 18 a heart that devises wicked schemes, feet that are quick to rush into evil, 19 a false witness who pours out lies and a person who stirs up conflict in the community. 16 主の憎むべきものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。17 高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、18 邪悪な計画を細工する心、悪へ走る速い足、19 まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。

箴言Proverbs 12:6-7
6 The words of the wicked lie in wait for blood, but the speech of the upright rescues them. 7 The wicked are overthrown and are no more, but the house of the righteous stands firm. 悪者のことばは血に飢えている。しかし正しい者の口は彼らを救い出す。7 悪者はくるがえされて、いなくなる。しかし正しい者の家は立ち続ける。
- 嘘は、自分を分裂させないとできない。心に嘘、隠しごとを持っていては、苦しくて苦しくてたまらない。自分の悪い部分を切り離してみないようにしなければ人は嘘がつけない。すなわち、ある部分の自分を無視し葬っているのだ。自分を完全に隠しているのだ。普通に嘘がつける人がいるが、その人は、本当に自分自身を知らない人なのだ。あなたは、自分のすべての部分に正直であろうか。

◎優しく話す Gently
箴言Proverbs 15:1-2
A gentle answer turns away wrath, but a harsh word stirs up anger. 2 The tongue of the wise adorns knowledge, but the mouth of the fool gushes folly. 柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。2 知恵のある者の舌は知識をよく用い、愚かな者の口は愚かさを吐き出す。
箴言Proverbs 15:4
4 The soothing tongue is a tree of life, but a perverse tongue crushes the spirit. 穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。
- リアクションではなく、リフレクション。反射でなく熟考してこたえる。感情が高ぶると、言葉を選べません。知恵のあるものの舌は知識を良く用いるとありますが、話し相手の感情が高ぶっている時や自分の感情が高ぶっている時、このようにしてみると良いです。感情は、私たちの必要と密接な関わりがあります、相手が感情的な場合は、聞いたことを反復して相手に伝えて、つまり、あなたにはこれが必要なのですか? と答える。また自分が高ぶっている時は、すぐに言葉を相手にぶつけないで、その感情は何か、何を必要としているのか、ということを知ってから、言葉にすると相手を傷つけません。私たちは、感情が高ぶっているときに、いったい自分がどんな感情を持っているのかと考えることがないことが多いです。知恵は、自分を知ることにあります。

◎ゴシップGossip
箴言Proverbs 26:20
20 Without wood a fire goes out; without a gossip a quarrel dies down. たきぎがなければ火が消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはやむ。
- ゴシップを避けるには、聖書にあるように、はいをはい、いいえをいいえの原則で話すことです。自分の経験でないことは、話さないことです。また、人のことを想像で話さないことです。また、自分に許可を与えられてない情報については第三者に話さないことです。まわりまわって相手に聞こえたときに、その人がどう思うだろうか。と思いやる必要があります。誰にも言っていないことを、誰かが知っていたら気持ちが悪いですね。また、わざと、ゴシップを使ってコミュニティをかき回す場合があります。私たちは、互いに気を付けないといけませんね。
- ゴシップは自分を隠すツールの一つ。自分の中の悪に向き合いたくないから、身体の外にある悪を造り出し、それを裁く。また裁かれるところを見たいという心理が働いています。そうすることによって、自分の内側の恥や居心地の悪さに向か合わなくて済むからです。ですから、コンスタントにゴシップを探す、また自分からゴシップを始める人は、心の中にたくさんの居心地の悪さを持っているのです。

◎口を守る=話さない
箴言Proverbs 13:3
Those who guard their lips preserve their lives,
but those who speak rashly will come to ruin. 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。

箴言Proverbs 10:19
Sin is not ended by multiplying words, but the prudent hold their tongues. ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある。

箴言Proverbs 17:27-28
27 The one who has knowledge uses words with restraint, and whoever has understanding is even-tempered. 28 Even fools are thought wise if they keep silent, and discerning if they hold their tongues. 自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。28 愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。

箴言Proverbs 21:23
23 Those who guard their mouths and their tongues keep themselves from calamity. 自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。
- この考え方は日本の考え方と非常に似ていますね。けれど、アメリカでは文化的に真逆なので、難しいです。自分で自己アピールをして、いつも言葉を発していなければ、無視されてしまいます。
しかし、やはり時間がかかっても、人は、有言実行である誠実さを見てくれます。言葉数が多くて、いつも目立っているより、思慮深い言葉を話し、必ず言葉を守る人の方が最終的には信頼されます。言うな、というより、行動と言葉が伴うことを励ましたいと思います。

◎癒すことができるHealing
箴言Proverbs 12:18-19
18 The words of the reckless pierce like swords, but the tongue of the wise brings healing. 19 Truthful lips endure forever, but a lying tongue lasts only a moment. 軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。19 真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。

- 知恵のある言葉は人を癒す。イエス様は私たちの心をいやすためにも来られました。私たちが知恵の言葉を語ることで、私たちもそのお手伝いができることは素晴らしい特権です。癒しをもたらすには、まず第一に、相手の感情を認めてあげる、受け入れてあげること、相手が自分の現状に気が付き受け入れることができるようになること、イエス様の愛に信頼することができるように助けることです。しかし、これこそ、言葉のなせる業ではなく、愛を通して出なければ知恵の言葉になりません。

★箴言の話すことについて Proverbs’ Message to us
今日は、箴言の中の話すことについてのテーマを探ってみました。今日の神様のメッセージは何でしょうか。一つは、話す、ということは、①意図をもって話すべきだということですね。反射的に言葉がでることがあるにしても、私たちは、自分で選んで話すのですから、もうひとてもかけて、言葉を選らび、ワンクッション置いて考えてから話したらいいのです。
それから、②自分を知るということ。自分の内側にあるものが出てくるのですから。
また③知恵のある言葉は、相手にその人自身を知ることの助けになるということを学びました。
箴言Proverbs 18:20-21
20 From the fruit of their mouth a person’s stomach is filled; with the harvest of their lips they are satisfied. 21 The tongue has the power of life and death, and those who love it will eat its fruit. 人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

とありますが、私たちの言葉は、自分に対しての言葉も他人に対しての言葉でも、死と生をもたらすことの力あるものです。神がその力を私たちの舌に下さったのです。
イエス様というワンクッションを置いて、イエス様に聞きながら、イエス様を心にお迎えして語るものとなりたいものですね。

ワオ!と言っているユーザー

ご無沙汰しています

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こんなところにバケーションに行... こんなところにバケーションに行ってきました。
これは、朝焼けです。
とても、美しい場所です。
でも、これでここに行くのは、三回目です。三回目にもなると慣れて来て、なんでしょう、初めての時の感動も薄れているなーって気が付きました。贅沢ですね。


皆さん、ご無沙汰しています。

グラッドスクールを卒業するのに、必死、そして、その後、家の片付けに必死、
その後、日本からの数々のお客さんが夏休みにたずねてこられて、それに必死、
そして、その後、新しいミニストリーを立ち上げることや、インターンからエクスターンそして、願わくば、雇われるように、などなど、
いろいろと移行期で、ばたばたしていて、アップできずにここまで来ました。

日本の皆さんも、随分心配してくださって、

携挙か?? なんていう、コメントもいただき。。。。

そんなわけないですよーーー。

ぼちぼち上げていこうと思いつつも、なかなかです。

また新しいミニストリーのことは、おいおい。。。。。

これからも、よろしくお願いします

#恵み #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

知恵シリーズ①主を恐れる

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今日はひっさびさにやっと教会に... 今日はひっさびさにやっと教会に来れた、まゆちゃんと、はるぱる日本からアメリカに旅行中のYさんが来てくれて、嬉しくて写真を撮ってみましたー。
2019年5月5日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


箴言1:1-10
イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。2 これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、3 正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、4 わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。5 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。6 これは箴言と、比喩と、知恵のあることばと、そのなぞとを理解するためである。7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

今週から箴言をシリーズで学んで行きたいと思います。箴言とは、教訓とか戒めという意味ですが、箴言は、私がまだ若く、救われて間もない時に、繰り返し毎日一章読んだ書です。この書は、全部がソロモン王が書いたものではありませんが、ソロモンの知恵の書として親しまれています。

★著者ソロモン
ソロモンは、若くして王になりました。彼の有名なお話しの一つに、神に知恵を求めたということです。神は夢で、ソロモンに「何が欲しいか、願え」、と言われました。ソロモンは民を治めるために知恵をください。と願い、それは、神の御心にかなっていた。そして、本当にソロモンに知恵が与えられ、国は栄え、平和を保ちました。

ヤコブ1:5
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。If any of you lacks wisdom, you should ask God, who gives generously to all without finding fault, and it will be given to you.

これは、試練の中にある人たちに向かって語られた言葉です。試練の中でそれをどう乗り越えたらいいのか、分からない人、どう一つ一つ実際的なことに対処していったらいいのか、分からないなら、神に知恵を求めなさい。必ず与えられます。ということです。

★知恵とは

知識と知恵の違い、1コリントの霊の賜物のところで前に話しましたが、聖霊の賜物でも知識の言葉と知恵の言葉があります。その違いをこのように、話しました。
知識は、ファクト、事実。聖霊の賜物ですから、例えば、祈られている本人しか分からないことなど、また、今の状態などについての言葉です。例えば、誰かのために祈っている時に、ポルノグラフィという言葉がでてきたとします、それだけ、頭に与えられても、それがどうその人の益になるように祈るか、が分かりませんね。もし、ポルノと言ったら、その人が非常に恥に思い、傷つくかも知れません。その時に、知恵がいります。神様、この与えられた言葉に対して、どのように祈ったらいいでしょうか。と。すると、あなたは、とても親密さに心が向いているようですね。とか、あるいは、神様は、あなたを聖さに召しておられます。といった風に祈りなさいと言われるかもしれません。これは、実際にパスターダックが与えられた状況ですが、ダッグは、聖さについて祈ってあげたそうです。すると、その人は、泣き崩れ、悔い改め、解放されたそうです。

◎知識、とは、情報です。知恵は、その情報を実生活の益のために活用することです。情報ばかりあっても、いくら優れた難しいデータを持っていても、それを自分を含めて誰かの益のために使えないなら、意味がありません。

★箴言の目的 1:2-6

To know wisdom and instruction, 2 これは、知恵と訓戒とを学び
To perceive the words of understanding, 悟りのことばを理解するためであり
To receive the instruction of wisdom, 思慮ある訓戒を体得するためであり
Justice, judgment, and equity; 正義と公義と公正と
To give prudence to the simple, わきまえのない者に分別を与え
To the young man knowledge and discretion—若い者に知識と思慮を得させるためである
A wise man will hear and increase learning, 知恵のある者はこれを聞いて理解を深め
And a man of understanding will attain wise counsel, 悟りのある者は指導を得る
To understand a proverb and an enigma, 箴言と、比喩と
The words of the wise and their riddles. 知恵のあることばと、そのなぞとを理解するためである

悟りを理解、モラルを体得、愚か者に分別を与え、未熟者に知識と示唆を与え、知恵がすでにあるものには理解を深め、悟りのあるものは指導を得る。

人は、何かを軸にして物事を判断していますが、そこにはいろいろな要素があります。ここにあるように、正義、公義と、公正とありますが、この判断というのは育ちや文化によっても違いますし、誰に従っているかでも違ってくるものです。

昨日、インターネットで、アメリカの司法は、真実やモラルを基準にして裁きが行われるのでなく、むしろ、法廷で真実を作っていくのだ、形作れた方が裁判に勝つ。一方、日本は、良心であるとか真実、モラルを中心に裁きが鑑みられるのだそう。アメリカは、様々な民族や考え方を持つ人が住んでいますが、日本は、もともと単一民族ですから、そんなに意識の違いが無いという土壌であるがゆえにそれが一定のモラルの一致があるからなのでしょう。また、基本的人権の捉え方も違っていますね。
しかし、私たちは、誰に従って、物事を判断し、行く道を決めていくのでしょうか。

◎いくら優れた知識をたくさん持っていても、モラルが無ければ、いくら自分や誰かの益のために用いようとしても、間違ってしまうのではないでしょうか。

★知恵に先立って一番大切なこと

箴言1:7
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。The fear of the Lord is the beginning of knowledge, but fools despise wisdom and instruction.

はじめ-- the first, in place, time, order or rank (specifically, a firstfruit):—beginning, chief(-est), first(-fruits, part, time), principal thing. 一番、時間も場所もランクも一番という意味です。

ということは、主を恐れることは、何にも増して一番大切な知識である。愚か者は、一番ができないのだから、二の次に並ぶ全ての知恵と訓戒をさげすむというのです。

知恵についても、次のように箴言では語られています。
箴言9: 10
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。The fear of the Lord is the beginning of wisdom, and knowledge of the Holy One is understanding.

主を恐れることこそ、何にも増して、一番の知恵である。聖なることを知ることは、全てのことを理解する鍵であると。

◎すなわち、知識もそれを適用する知恵も、全て、神を恐れることから始まるのだ。そこからスタートしなければ、他は分からないというのです。

★主を恐れる

主を恐れるというのは、主を怖がることと違います。怖がるのは、裁きを受ける理由があるから怖がるのであり、恥があるから怖いと思うのです。
ここで言うのは、畏敬の念です。
主を恐れるということは、
神の愛していることを愛し、神の嫌っていることを嫌うことです。
それが、神を愛し、神の教えを尊敬している姿勢です。
これは、関係です。お勉強では、神の愛していることや憎んでいることを同じようにできません。神を愛し、繋がっていなければこのような忠誠は尽くせないのです。
あなたの愛している夫や妻を裏切れないのと同じことです。

(クリスチャンになって浅い人は知識が少ないかも知れません。でも、知っていること全てに忠誠を尽くしているかもしれません。信仰が長く知識が多くても、適応する知識を間引いているかもしれません。)

◎私たちの持っている神との関係の中でいいですから、考えてみましょう。
神の愛していることは、何でしょう。
神の嫌っていることは、何でしょうか。
私たちのうちに、知識が欠けているところはありますか。
また、知識が有り余っていても、適用せずに、そのままにし、自分を正さないでいることはないでしょうか。。。。。

今週、主を恐れることについて瞑想しましょう。



#知恵 #礼拝 #箴言

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再任命 Re-commission

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四月のお誕生日祝い 四月のお誕生日祝い とっても美味しい、手作りバース... とっても美味しい、手作りバースディケーキでした。
2019年4月28日日曜日バイリンガル礼拝音声は、


ヨハネ21章15-19

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上 に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの 小羊を飼いなさい。」16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたの で、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼 に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」


イエス様は、再びイエス様がペテロを召しだされました。私たちには、みな召しがあります。神様は、一人ひとりを特別な存在として、なすべき仕事、まことの天職を用意しておられます。よく、私は「どうやって自分の召しが分かるのですか。」という質問を受けます。一つは、あなたの特質、あなたのパッションもあるでしょう。そして、神様からの語りかけと導きが無くては、召しとはいえません。そして、いきなり召しが分かって、すぐそのとおりになるとは限りません。時間を掛け、ゆっくりと人の前にも神の前にも召しが明らかにされていくものです。ダビデも二回油注ぎをうけましたし、ペテロも、そのような歩みをとりました。

★ 召しの前提条件
私が選ぶのではない。弟子は師を選ばない、師が弟子を選ぶのです。イエス様の言葉に、

ヨハネ15:16
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
あなたが、心に決めてイエス様を選んだように感じますが、イエス様があなたを選んでくださったのです。

アメリカは、究極の資本主義capitalismだから、教会文化にも、消費者マインドが横行している。私たちも気をつけなければならない。チャーチショッピングという言葉もある。自分にあった完璧な教会というのが、もしかしたら消費者マインドに毒されているかもしれません。

★ ペテロの召し

マタイ16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

★ 自分を知る必要性
自分の言葉さえも守れない私たち。自分の限界を知る、自分を知ることが主に仕えることのスタートです。

ペテロは、とても理解が早く、ずばっとことの本質を見抜く資質がありました。情熱もありました。しかし、彼の発言は、ことごとく失敗に終わります。そして、一番やってはいけない、イエス様を裏切るようなこともしてしまったのです。

◎ペテロの失敗…恐れと恥によって失敗した

 他の誰が躓いても、自分だけは躓かないと豪語しておきながら、イエス様が官邸で痛めつけられているときに、人に、あなたもナザレのイエスと一緒にいたひとですねと尋ねられて、三回もそんな人は知らないと言ってイエス様を否定したこと。
イエス様は、どれほど傷ついたことでしょうか。今まで、愛して手塩にかけて育てた弟子です。

◎そして、さらに恥が来た。ペテロは、恥じていたことでしょう。こんな自分が再び、イエス様がよみがえられたとしても、共に神様の働きにあずかるに値しないのではないか。自分が、りっぱなことなど、できるはずはないと、消沈していたに違いありません。

みなさん、この位置が一番いい位置なのです。もし、神の働きの役にたとうと思い、自分は無理だと自覚したなら、そこがよいスタート位置なのです。励まされてください!

★ 自分の生き方との決別

V15 「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上 に、わたしを愛しますか。」「これらのもの以上に。。。。」, “Simon, son of Jonah, do you love Me more than these?”

日本語では、「この人たち以上に」とありますが、英語では、these と訳されているとおりに、何をさしているのか少しぼんやりしています。言語のギリシャ語では、これらのこと、these matters これらのものthese things, このようなもの such things となっています。イエス様は、きっと、先ほど漁に出たこと、洗った網や、魚をさして話されたのだと思われます。

今日の聖書箇所の前の出来事では、ペテロは、今まで漁師でしたから、みんなと漁に行きました。イエス様の召しに生きることをもうできないと。。。イエス様の言葉に従ったら、153匹もの魚が取れました。プロの漁師として気分が良かったことでしょう。
これがペテロのかつての仕事であり、これで食べていました。捕った魚を売ったのです。
この世のシステムとは、売ったり買ったりすることで成り立っています。すなわち、働いた報酬で人は、生き、商売で社会が成り立っています。一方、神の国とは、与えたり受け取ったりすることで成り立っています。そこには、神に対する信仰というものが中心にあります。しかし、そこにはリスクが伴います。ペテロは、自分の知っている道を歩むことを選ぶこともできました。

イエス様は、これからどうしたらいいか迷いがあったペテロに、この世の働きよりも、わたしを愛しますか? すなわち、イエス様を信頼して、天の働きをしますか? と聞かれたのです。

神の働きと、世の働きとは、全く違ったコンセプトを基にします。愛が無ければ分からないのが天の仕事です。

★ イエス様/自分の恥と直面する

「イエス様をアガペーで愛しますか?」
今日読んだ箇所の通り、イエス様は、ペテロに面と向かって尋ねられました。「ヨハネの子シモン、あなたは、わたしを愛しますか。」フルネームで読んでいますから、イエス様は大変重要な ことを言われようとしています。
ギリシャ語では、「愛」するという言葉に、三つの種類があります。
① エロス、肉体の愛、奪う愛、相手に求める愛。
② フィレオー、友愛、ギブアンドテイクの愛、条件付の愛。そして、
③ アガペー、最高の愛。神の愛。一方通行の愛、無条件の愛。  
 
イエス様は、ペテロに、最高の愛、アガペーの愛でイエス様を愛しますか。と問われています。
イエス様は、続けて三回同じような質問をされます。そして、日本語では、全て愛しますか。となっていますが、言語では、一回目と二回目がアガペーとなっています。無条件の愛、捧げつくす愛で愛しますか?と聞かれました。

しかし、ペテロは、二回とも、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」“Yes, Lord; You know that I love You.” アガペーでなく、フィレオーの愛で愛することは、イエス様、あなたがよくご存知です。フィレオーでなら愛せます。。。といいました。ペテロは、イエス様を裏切ったことで、自分のありようが良く分かったのです。何と、恥ずかしい会話だったでしょう。自分の恥をオープンにして質問に答えなければなりませんでした。気軽に、できるなんて言えるものではないと。。。

イエス様は、三度目には、レベルを落として、ペテロに「フィレオーで愛しますか?」と聞かれました。そして、その上で、もう一度、「わたしの羊を飼いなさい。」と言われました。
みなさん、私たちは、時々、たくさんイエス様を愛するものが神様の働きをすると思うのです。しかし、イエス様は、ありのままで、そのままで、イエス様を愛したら言いと言われているのです。

◎今ある信仰と、今ある愛で仕える

そして、もう一つ、大切なことを覚えていただきたいのです。神の召しとは、あなたの思いや、あなたの能力よりも、あなたの意思の強さ、コンディションに関係しないのです。神の召しの方が圧倒的に強いのです。私たちの側で、するべきことは、ありのままの姿で、あなたが今持っている信仰で、「はい。イエス様。そうします。」と答えることなのです。

◎ ペテロは、羊飼いとなるように召されました。イエス様は、私たちの羊飼いですね。そうです、イエス様のように、迷子を捜し、手当てし、癒し、導き、食べ物を与え、名前を呼んで愛し、危険から守る、そのような役目をいただきました。それは、イエス様を愛する愛で、「わたしを愛しますか」と問われたイエス様を見つめながらやっていくものですよ。。。。と。

◎ ペテロの恥は、イエス様と直面することと、自分の口で告白することで力を失いました。
 
★ 愛の成熟 -- イエス様の愛に近づく

18 まことに、まことに、あなたに告げます。あんたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きた い所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あな たの行きたくない所に連れて行きます。」19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現す かを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさ い。」.

今までのペテロは、自分の意思の強さをもってイエス様について行きました。誰よりも、イエス様に仕えるのだという、「私が」、「自分が」という思いで働きました。しかし、「アガペーの無条件の愛で私を愛しますか。」というイエス様は、すべてをイエス様に明け渡すこと、サレンダーすることを示されました。

今度は、自分のやりたいようにではなく、むしろ、やりたくないことをやるようになるんだよ。と言われたのです。
“Follow Me” === having pain as He had

●イエス様のあの、アガペーの愛を思い出してください。どんな愛だったか。いかに、痛みの多い愛であったことか。イエス様に従うことは、やりたくないことをしても喜びがあるものです。しかし、喜びがあっても、痛みだけはどんなにしても、痛いものは痛いものです。また本当にイエス様に従う時には、孤独なものです。神様だけが理解してくれているのなら、それで十分と言わなければならない時もあります。

イエス様ご自身、その愛で、十字架の道を行かれました。弟子たちに裏切られ、愛する者たちに鞭打たれました。その身体と心の傷はどんなに痛いことでしょうか。しかし、イエス様は、痛みを伴う、アガペーの愛をもって私たちを愛して下さったのです。

これは、ペテロがどんな死に方をするかが暗示されているのだと言っていますが、考えさせられます。ペテロは逆さ十字にかけられて死にました。
無条件で主を愛するということは、必ずしも、自分のやりたいことをやりたいようにやることではないのだということです。全くの主への明け渡しの人生。主に委ねて、主にそのつど従っていく人生なのだと思わされます。
イエス様に聞かれた時は、アガペーとこたえられなかった、ペテロですが、最後には、アガペーの生き方をして、主に仕えながら死を迎え、主に栄光を返すこととなったのです。

みなさん、今、アガペーでなくても、いいんです。今日、主に「はい。」と応答しましょう。そして、人生を終えるときには、全て、主の栄光として捧げて天に帰っていくものとされたいものですね。
#ペテロ #復活 #礼拝

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ドメスティックバイオレンス

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ドメスティックバイオレンス
あなたの結婚、恋人関係大丈夫ですか?

アメリカに来て、ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力の被害を受けている方が多いように感じます。

言葉と文化が違うので、どうしても日本人女性は、こんなものなのかなーなんて思い、だんだんと洗脳されていっているように感じます。

あなたの結婚は大丈夫ですか?

ドメスティックバイオレンスの虐待の種類は五種類あります

肉体的な暴力

金銭のコントロール

言葉の暴力

性的な暴力

宗教を用いての暴力

特徴は、相手があなたを支配し、あなたの上だという絶対的な力をもち、あなたを自分に完全に従わせます。

結婚関係は同等です。物事を決めるにも、一緒に決めるのです、
あなたは、共同の銀行口座を持っていますか。
家の権利は、共同ですか。
充分な生活費がありますか。
急に物入りな時には、自由にお金をおろせますか?

よく聞くのは、アメリカの夫婦の在り方はこうなのかなーって思っていた。分からなかった。
などということです。

また、言葉の問題もですが、F ワードとか、ビッチとか言われているなら、問題です。もっと普段ひどいことを言われているのだと察します。

もしも、手をあげられたのなら、警察に電話してください。
今すぐ誰かに相談してください。
逃げてください。

お金がないから。。。と心配しないでください。
ビザが。。。とか心配しないでください。
大丈夫です。




#DV

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復活を信じる Believing Resurrection

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復活を信じる Believin...
2019年4月21日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


ヨハネ20: 19-29

その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と言った。26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

★ 復活の喜び Joy of Resurrection

昨日のイベントで見たビデオの通り、イエス様は蘇られ、一番に復活を知らされたのは忠実にイエス様を愛した女たちでした。イエス様は、なぜ泣いているのか、とマリアに語り掛けられました。そして、弟子たちに女たちが知らせました。しかし、なかなか、弟子たちは女たちの言葉で信じることができませんでした。

★ 平安があるように Peace be with you

なかなか、イエス様の復活を信じられない弟子たちのところに、イエス様ご自身が復活のお身体で現れました。
そして、信じられない弟子たちに繰り返し言ったのは、「平安あれ」です。
弟子たちは、恐れのあまり、部屋に閉じこもり隠れていたのです。みなさん、恐れは、信仰の真逆です。といつも話している通りです。また、恐れと信仰は共存することができません。半分信じて、半分信じない、なんてことはできないのです。信じるとは、100パーセント信じてないと信じるということではないのです。

● 平安について…エイレーネ、へブル語のシャロームに近い言葉。

一時的な休みという意味ではなく、苦痛、労苦からの解放の意味があります。また、神の祝福を受け継ぐことです。すなわち、自分を打ちたたいて働いて働いて得られるもので自分に休みを与えるのではなく、み父の子であることで継承される神の祝福によって生きて行けるから、あくせく、または、じたばたすることをやめて安息することができる、という意味です。
こんな、平安があったら、私たちは強く、どんな状況の中でも生きられる、耐えられるのではないでしょうか。イエスは、繰り返し、その平安を宣言しています。

★ 傷を見せた

イエス様は、復活されてから、ご自分を紹介されるときに、ご自分の傷を見せられたとあります。イエス様は、神の子であるアイデンティティの上に、傷を負ったもの、また、罪人の一人として数えられたものとしてのアイデンティティを加えられたのです。

みなさん、不思議だと思いませんか。

私たちに置き換えて考えてみたらどうでしょうか。自分の弱さを誇りにする人はあまりいないのです。
ましては、罪人の一人として数えられた歴史など、本当は黒歴史なのです。また、傷跡何て、隠して生きたいものなんです。私は、いつも腕に傷があります、また指にタコがあります。また、生まれたときらあるあざも、そばかすも、隠したいと思っています。人に見つけられて聞かれたら、恥ずかしく思いますし、説明することが億劫です。
しかし、イエス様は、自分を紹介する時に傷から見せられたのです。
私たちは、自分の弱さの象徴を抹消したいと思いますが、イエス様は違うのです。

★ 聖霊を受けよ

「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなた方を遣わす。」

私たちが必要なものは、復活のキリストが全てくださいました。平安とともに、聖霊を受けよ、と。
私たちを変えることができるのに、神の息、聖霊の力があります。聖霊様が私たちにやどり、のぞみ、聖霊様と共に働くなら、力を得るのです。イエス様は、「聖霊を受けて、イエス様の働きのために遣わされよ」というのです。
私たちの傷を隠すような、自分の弱さを誇れない、こんな臆病な私たちにには、聖霊の、神の力が無くてはならないのです。

★ トマス

「信じないものにならないで信じるものになりなさい」と、トマスは言われました。

トマスは、傷を見ないと信じないと豪語していました。トマスは、主の死んだことに、非常に悲しんでいたのです。傷ついたのです。自分の存在を脅かすほどに傷ついたのです。自分の希望全てをかけてついて行った方が、あんな恥ずかしい、呪われた死に方をしたんです。

グリーピングGrieving, 悲しみが癒えるの順序について。この信じられない出来事を否定して受け入れられない、どうして自分におこったのかと怒り、どうにか変えられないかと考え、落ち込み、そしてだんだん事実を受け入れられるようになるものです。
トマスの発言には、トマスのショックと悲しみの度合いが現れている。そんな、トマスにイエス様は歩み酔ってくれました。その歩みよりの仕方がこうでした。

★ イエスの傷とあなたの傷

イエス様は、その傷にトマスの手を差し入れることを促しました。
トマスはその傷に手を差し入れた。
自分の傷、怒り、悲しみと傷を合わせた時、「私の神」と告白できた。

先週、死が無ければ復活が無いと話しました。
復活を信じるには、死の悲しみを知らなければ、信じることができないのです。
あなたの死の悲しみ、暗闇の暗さ、自分の罪への絶望はいかほどのものでしょうか。
キリストのうち傷に相当したあなたの暗黒はどれほどのものだったのでしょうか。

● 私たちの弱さや傷、過去をキリストの傷の中に合わせる時に、私たちの魂に休みが来るのです。また、平安が来るのです。平安が来るならば、信仰に根付くことができるのです。

今日、キリストは、あなたを招いています。
この傷にあなたの手を入れてみなさいと。あなたの、弱さとは何ですか。あなたの黒歴史はなんですか。キリストがあなたのために死ななければならなかった、その罪とは何だったのでしょうか。キリストは招いておられます。
あなたの傷、暗闇とイエスの経験した闇を合わせてみなさい、と。

#イースター #復活を信じる #礼拝

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ハッピーイースター

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最近の卵の染料は不思議。 ビニ... 最近の卵の染料は不思議。
ビニール袋に、金の絵具的な感触のものを入れ、たまごを入れてもみもみ。。。。
金粉がまんべんなくつきます。
こちらは、伝統的な、お湯とお酢... こちらは、伝統的な、お湯とお酢、そして食紅を入れてまぜまぜ。そこに卵をひたします。 おやつが美味しいけど、たまごも... おやつが美味しいけど、たまごも染めなくっちゃーー
手作りのおやつ、美味しかったなー
頑張って作ります 頑張って作ります 前もって二階礼拝堂に隠したたま... 前もって二階礼拝堂に隠したたまごたち。。。プラスチックのガチャガチャカプセルのようなものの中に、いいものが入っています。 窓のそばにも。。。 窓のそばにも。。。 結構分かりやすいところに。。。 結構分かりやすいところに。。。
今日は、子供も大人も楽しめるイースターイベント。

新しい命の象徴、たまご飾り、

そして、たまご探しをしました。

たまごのなかには、おもちゃや、チョコなどが入っています。

イースターは、イエス・キリストの復活のお祝いをする日です。

イエス様を信じる者に与えられる、永遠のいのちのように、

イエス様が私たちのいのちを美しくしてくださったように、たまごをかざり、

そして、他にもたくさんの新しく生まれる命を探すべく、

たまご探しをしましたーー。

今回は、人数が少なかったですが、

こじんまりと楽しむことができました。
#イベント #イースター #礼拝

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