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愛は礼儀に反することをせず。。。

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愛⑥礼儀Agape does not behave rudely
2019年11月3日日曜日礼拝メッセージ


Ⅰコリント13章4-8
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、6 不正を喜ばずに真理を喜びます。7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
4 Love suffers long and is kind; love does not envy; love does not parade itself, is not puffed up; 5 does not behave rudely, does not seek its own, is not provoked, thinks no evil; 6 does not rejoice in iniquity, but rejoices in the truth; 7 bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.8 Love never fails. But whether there are prophecies, they will fail; whether there are tongues, they will cease; whether there is knowledge, it will vanish away.

4節では、自分という個人の内面を探られる言葉が並びましたが、5節では、対人関係で現れる愛の姿が描かれていますね。

★礼儀 not behave rudely
礼儀とは、よいマナー。それは、他者をリスペクトすることからきます。
神は礼儀を尊重する方であり、私たちの心を無理やりに開かせようとする方でもありません。
紳士です。
礼儀とは、キリストの品性と慎み深さを反映しているものである。
この四節では、人間関係の中で相手を尊敬するということに光が当てられています。

★自分の利益 not seek its own
愛は、人間関係に現れます。
そして、人間関係は、組織のカレンシー、通貨です。良い関係を互いに交換することで、組織は、より一致し、より潤滑に動きます。その聖書的な文脈の中で、パウロは具体的に、愛というのは、自分の利益ばかりを求めるものではない、むしろ逆をする時に、周りまわって組織の通貨は自分に帰ってくる、私たちは、一つであるからこそ、他の人の利益が自分の利益になることを知りたいものです。私たち、個人主義の社会に居ては、なかなか想像ができないと思いますが、教会だからこそ、それを体験していけたらと思うのです。
ロマRomans12:10
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。Be devoted to one another in love. Honor one another above yourselves.
ピリピPhilippians2:3-5
3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。Do nothing out of selfish ambition or vain conceit. Rather, in humility value others above yourselves, 4 not looking to your own interests but each of you to the interests of the others. 5 In your relationships with one another, have the same mindset as Christ Jesus:

★怒らず is not provoked
モーセはイスラエルの民にいら立ち、忍耐をなくしたので約束の地に入れなかった。モーセは、民が文句を言って、せっかく大変な信仰と思いをして民を救い出してきたのに、エジプトで死んでた方がましだったなどという、民にイライラしたのです。それで、神の言葉に従って、岩を打つときに、一度打てばいいものを、いらついて二回も打ったのです。
民数記Numbers20:2-11 このうち、v11,12
11 モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。12 しかし、主はモーセとアロンに言われた。「あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank.
12 But the Lord said to Moses and Aaron, “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.”

神様は、大きなことに召した人のためには、大きな訓練と教えをされるものです。ですから、モーセの場合は、この民を約束の地に導き入れることはできない。。。とされました。ご存知の通り、弟子のジョシュアがそれを成し遂げます。

私たちも、気を付けなければいけません。この箇所では、怒りの感情を持つなとは言ってません。周りの人や環境にいらいらさせられたり、踊らされて、神様の真意を見損なうなという注意です。

イエス様を思い出してもそうですね、イライラさせられることも、たくさんありました。律法学者やパリサイ人の策略やいやな質問、身体の疲れ、宮の状態などなど、しかし、神様の心にいつも焦点を合わして、踏み外すことがありませんでした。

★人のした悪を思わず think no evil
いつまでも、心に人にされたことを引きずり、苦々しい思いを持ち続けない。
愛は、相手が失敗できる余地を与える。人は、失敗を通して学んで成長するもの。愛は、いつまでも一つの失敗を引き合いにだし、人を裁き続けるのではなく、成長を見守るものである。
わたしも、一度の体調不良のため、ある会合に出れなかっただけで、いつまでも攻撃されたことがありました。体調は忙しさと休みの無さのあまりに、限界でした。失敗というよりも、それは、必要な休みでしたが、いつまでもそれをつつかれたことは、つらかったですね。。。
人は、失敗するものですし、未熟さは、何歳になっても、あるものです。
しかし、立ち直れる余地を与えるのは、悪をいつまでも思わない、神の愛です。

いかがでしたでしょうか。今日は、私たちが神を見習って持つべき、愛、対人関係の中で、どのように愛が現れるのか。。。ということを見てきました。
今週も、この愛について黙想し、イエス様に従って行きましょう。


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