悔い改めの力Power of repentance
9月
18日
二週間前に、一人の人の救いの尊さ、あなたの尊さ、について話しました。迷子の羊、そして、無くしたコイン、イエス様は、最後に放蕩息子の話しをされました。あなたは、イエス様の大切な羊、価値のあるもの、目的のあるもの、大事な存在であることを話しました。また、放蕩息子の話しでは、あなたのことを神様の子供だとおっしゃっているのです。今日は、見つかった弟の話しではなく、その兄の話しをしたいと思います。
ルカ15:20-32
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。32 だがおまえの弟は死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
★弟についておさらい
弟は、自分の罪に気が付き、謙って、自分の悪を全て認めて、父のもとに帰ってきた。
真の悔い改めは、神に向かわせる。自分のプライドや反抗心何て、全てか殴りすてて。自分を助けることができるのは父しかいないと確信しているから。
神、救い主イエス様にわたしたちの心が向かうには、必ず、自分の罪について理解しなければならない。Personal knowledge of our sin and our Savior、Inseparable
★大事なのは、心のつながり
教理や、聖書のお話を知っているだけでは、十分でない。イエス様との個人的な関係がなければ、救いを体験できない。イエス様との個人的な関係とは、自分の罪が分かり、その罪を赦していただくこと。個人的にイエス様を救いのために必要としない限り、イエス様に出会えない。
★ 聖書は、この救いの体験・心の繋がりの継続を勧めています。
コロサイ2:6
あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。So then, just as you received Christ Jesus as Lord, continue to live your lives in him,
キリストの弟子となることは。形式ではない。何々通りに決められたことをしていることではない。さて、お兄さんを見てみましょう。
★お兄さんについて
お兄さんは、死んでいたはずの弟が帰ってきたにも関わらず、全く喜ぶことができませんでした。また、父の喜びと心が一致することがありませんでした。全く、父が理解できないと思ったのです。これは、外見上の宗教に凝り固まった人の特徴と言えます。喜びは天の通貨であり報酬。お兄さんは全く報酬がなかった。。。
〇 宗教の霊=形だけの信仰の特徴
- 喜びない
- パーティに参加しない ---- 喜びの集いに属することに興味がなく価値を見出さない。
- 自分は奴隷だと文句を父に言う—自分の父を理不尽な人だと思い込んでいる。これは、全ての権威についてそう思っている。
- 父はヤギ一匹くれたことがないと文句を言う---- 報酬を求める。霊的な報酬を感じてないから。それが、地位であったりお金であったり、見返りを求める。
- 父は「あなたはいつも私とともにいる。私の持っているすべてはあなたのものではないか」と。---- 神が共にいて下さるという臨在の中で充足することが分からない。また、神の家族の中にいる充足がない。
- 心が冷たくなっている。裁きで満ちている。= イエス様とのコネクションがない。
- 救い、赦しを必要としていない。だから、イエス様と個人的なかかわりがない。
◎ 私は、キリストの身体とのつながりとイエス様とのつながりは比例すると思っている。結局コネクションが分からない時に、私たちは、宗教の霊にやられて躓いてしまう。。。
次のような、罪の根っこに私たちにしがみつくとき、宗教の霊につかまってしまう。
Legalism & self-righteousness 律法的、自己義 Pride プライド
Judgments 裁き Fear 恐れ、自分の本当の姿を誰にも見られたくない、
Self-pity 自己憐憫 Bitterness and unforgiveness 苦々しい思い、赦さない心
★ 多く赦された者は多く愛するthe more you are forgiven the more you love ルカ7:47
「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」
★ 私の証し
私は、去年、学校でとても嫌な出来事がありました。またそれは、長く続きました。とても理不尽で、差別的にも感じていました。私のセラピストも、非常に私のために怒ってくれましたが、「でも、これは霊的戦いのような気がする。」と言われました。その時は、その言葉を流していたのですが、結局、そのストレスが大きすぎて、身体にも支障がでました。
(続きは、音声から。。。。。)
ダビデは、神よわたしを探り心を知ってくださいと祈りました。私たちも、日々、神様の前に、もしも私の中に私に悔い改めるべきところがあるな示してください、永遠に続く喜びの道に戻してくださいと、祈りたいと思います。
詩編139:23-24
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。24 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。Search me, God, and know my heart; test me and know my anxious thoughts. 24 See if there is any offensive way in me, and lead me in the way everlasting.
悔い改めない心、赦さない心、裁きの心が、神の喜びを私たちと私たちの教会から取り去ることが無いように。今日、もし、手放さなければならないことがあるなら、祈りましょう。
悔い改めは、神とのコネクションの入り口であり、神の祝福の入り口です。
Repent --- opening the door for God.