私たちが、苦しみの最中で要らないものは、
人間であることを恥じることだ。
ブリネ・ブラウン
若いころ、車を遠くまで運転して、教会の婦人たちを大きな聖会のクワイアのリハーサルに連れて行くことになりました。
なんと、途中でガス欠してしまい。。。。ただでさえ遠くて、しかも、迷ってしまい。。。。私、どんくさいんです。。。
なんと、何時間もかけて運転したのにリハに間に合わず、お茶とお菓子を食べてまた、遠くまで帰ったことがありました。
私は、恥で恥で。。。。こんな運転を一日中するためにきたんちがう。。。
この人たちもわざわざ車に乗るだけにきたんちがう。。。と
自分をすごく責めました。
何回も、ごめんなさい。。と謝り。
でも、皆さんは、全く私を責めませんでした。
いやーーあなたでも、こんなことするんやね。
ほっとしたわーーー。
気にせんといてって、言われて、身体の中から、すーーーっと力が抜けたことがありました。
人間らしくていいやんって。
時々、私たちは、人間らしさ、苦しんだり、忘れたり、うっかりしたり、
することを責めすぎることがあります。
あーーーっやってしまったーーー
という時に、一番いらないことは、人を責めて恥を持たせること。
自分自身を責めることもやめたいですね。
かえって人間だってことが分かってよかったやんっくらいで。
どうしてもポカしてしまうこと。。あるんです。
そんな自分に優しくできたら、人のポカにも優しくできる気がする。
優しい世の中になったらいいですね。
だって、人間だもの。。。。あるもんねぇ。。。
私は…
愛される値がある
偉大なことをする能力がある
自分を表現していい
自分の必要に応えることができる
大丈夫、そのままの自分で
お荷物ではない
みなさん、こんにちは。
私は、一生かけても感謝することがあります。
私は、完璧な人間ではありません。かけだらけです。
私の夫も決して完璧ではありません。
夫のことで、本当に、本当に感謝していることがあります。
それは、私の悪口を一回も言ったことがないことです。
私をディスったことがありません。一回もないです。
私を責めたことも一回もありません。
私が決して素晴らしい人だからではありません。私は、責められてもいいようなこともたくさんあります。
私は、とてもセルフイメージが低い人間でした。大人になっても、タイトルがついてもずっと自分はダメな人間だ、価値がないと思って信じているような人でした。
夫は、それを知ってかは知りませんが、
毎日、三百回くらい私を褒めます。
これ、決してのろけではないですし、私が偉いから褒められてるのでもないんです。。。。。
私もなぜそんなに褒められるのか分かりません。
初めは、くすぐったく。またー。そんなこと無いよーって言ってました。いちいち。もーいいって。という感じ。。。。
で、だんだん、信じるようになってきて。
いい気になって来ました。
自分は、価値がある人間だと信じるようになりました。
私は、優しい人間だと信じるようになりました。
私は、いい倫理観がある人間だと信じるようになりました。
私は、賢いし、できる人だって信じれるようになりました。
不思議です。
結婚して10年になろうとします。
夫は、まだ私を毎日褒めます。私を見つけて良かったーって。
私は、夫に優しくできなかったり、ディスったりすることがあります。
そのことが本当に恥ずかしく思います。
今日、ごめんね。本当に、私は、悪い妻だと思う。これから、もっと優しくしようと思うし、ほんで、ディスることもやめる、と伝えました。
それでも、夫は、私を責めません。
かえって、いや、本当にきみを見つけてよかったわ。といいます。
私は、決していい人ではありません。
本当に、ありがたいです。
私は、毎日褒められて、自分の見方が変わりました。
自信がでました。私でも、やればできると信じれるようになりました。
私には、価値があると思えるようになりました。
これも、夫が毎日褒めてくれたから。
もし、これを読んで、自分もセルフイメージが低いなって思った人がいたら、自分をほめてあげてください。
毎日。
自分を責めないでください。
よくやってるやんって肩を叩いてあげてください。
きっと、自分が思っているほど、悪くないですよ。
毎日、毎日、よくやったって言ってあげてください。
あなたのアイデンティティも変わると思います。
いっぱい、勇気が出ると思います。
あなたの未来が勇気と希望と幸せで満ちたものとなりますように。。。。
大切な誰かを亡くしたとき、離婚したとき、大好きの友達が遠くへ引っ越した時、長年のペットが死んでしまった時、悲しみは、こんがらがります。こんな風でしょうか。
大切な人、ものを失うインパクトというものは、大きいものです。
悲しみからの癒しには、段階があります。五つとも六つとも言われいます。
しかし、段階を追って、良くなるというよりも、ぐるぐるしてしまうのです。
また、そのぐるぐるの間に、何か、他の物を拾ってきたり。。。。
ぐるぐるは人によって違いますし、その固さも違います。
小さい時からの経験や、いろんな大人の経験、そして、人生の学びから、いろーんなことを自分なりに解釈しながら、こんがらがっていきます。
悲しみが押し寄せるとき。。。このこんがらがりの塊には次のようなものがあるみたいです。
それを読んで、あ、あるな、わかるな、と気づくだけでも、すこし助けになります。色を付けてみるのもいいですね。
真ん中にあるのは、否定。
捨てられた感、拒絶、怒り、憤慨、恐れ、妬み、後悔、悲しみ、
無関心、パニック、混迷、心配、慕い求める、裏切り、孤独、
助けが見いだせない、傷、不信、苦々しさ、安堵、痛み、うつ、
損失、復讐心、悲惨、恐怖、がっかりする、空虚感、落胆、恨み、不十分、
悲哀。。。。。
あなたのストーリーは知りませんが、これを読んで少しでも、一人ではないと感じてくれたら嬉しいです。
離婚を経験された方も、似た、感情が湧き出てくると思います。
あれ、もう終わったと思ったのに。。。ということもあるでしょう。
私たちの人生ストーリーはただ、ロスが人生の真ん中であっただけでなく、
生まれた時から今までずーーーーーと繋がっているのです。
だから、昨日のロスだけを取り扱って癒しが来るわけではありません。
あなたという一人の人の全生涯、全人格が健やかでありますように。。。。
自分に語る時、自分の愛している人に言うように語りなさい。
一つの、癒しのバロメーターは、セルフコンパッションです。
トラウマを抱えている人は、とても小さい時にトラウマを受けたので、
頭の中で解決したり、理解することが出来ず、インパクトだけがのこります。
すなわち、身体が同じような出来事の中で反応してしまう。
汗がでる、お腹が痛くなる、固まってしまう。頭の中が真っ白になる、急に腹が立つ、逃げたくなる。など、人によりさまざまです。
そうなると、頭の中では、同じことが起きています。そう、あの日のあの小さい時のまま。
頭の中で理解ができません。。。
小さい子の頭の中は、
悪いことが自分に起きた=自分は悪い
となってしまい、恥を持ちやすいです。
自分が悪い。
自分は馬鹿だ。
自分さえいなければ。
自分がこうしなければ。。。。。などなど。。。
癒しは、その自分を責めている人を解きほぐし、
あなたは悪くないんだよ。
と、教えることです。口では伝わりません。
共感することと、と、ストーリーを共有することです。
だんだん、患者さんは、自分は悪くない。
自分は、優しくされる価値がある人だ。
自分のせいじゃない。。。
あんなことが起きて、最悪だったね、でも、自分のせいじゃない。
と、自分に優しく語り掛けることができるようになったら、
すごい進歩です。
そうなると、こちらも、安心します。。。。
人によって、時間はかかります。
今日、少し、考えてみませんか、
自分自身に対して、どんな言葉をかけているか。
自分自身に優しくするということは、どういうことでしょうか。
自分自身に優しくすると、どんな気持ちになりますか?
私も、自分を責めやすいタイプです。。。。
深呼吸して、自分の中の、孤独な小さな私に、一人じゃないって語ってあげようと思います。。。。。
何層にもなっている、マスク。。。
一番奥にいるのは誰?
今、コロナ感染防止でマスクを使っている人が多いですよね。というか、ほぼ全員。
私のもう一つの仕事、心理カウンセリングでは、
何層にもなっているマスクを、患者さんと一緒に外しながら、
また外していただけるように、安心、信頼の関係を築きます。
安心、信頼の関係が築けたら、セラピーは成功も同然です。
マスク、は、自分の一番、弱い、あるいは柔らかい部分を守るための自己防御システムです。
もうこれ以上傷つかないための、守りです。
この絵では、機嫌の悪そうな顔が表にでてますね。
機嫌が悪い人に近づく人は少ないです。
そうやって、人を遠ざけておいた方が傷つく可能性が減るからです。
一つ、知って欲しいのは、これは、無意識のうちにしていることです。
私の仕事の一つは、人の無意識の部分を意識している部分に移動させることです。
そして、一番大切なお仕事は、一番奥にいる、小さな人。。。
たいそう座りして、泣いている小さい子がいますよね。
その子に優しくして、一緒に泣いてあげることです。
簡単に、その子に触らせてくれる患者さんもいれば、
なかなかそこに入れてくれない患者さんもいます。
でも、全てのプロセスがとても有益で尊いです。
少なくても、患者さんが、人生において、誰かをはじめて信頼できた、と思っていただければ、セラピーは成功です。
クライアントさんに、これに似た図でお話しさせてもらいます。DVの被害者は、自分の責任がどこにあるのかが分からないことが多いです。
一緒に考えてみましょう。
自分の責任と他人の責任について。そうすると、境界線が引きやすくなります。
まず
私の責任ではないことについて、
・他者の言葉
・他者の失敗
・他者の考え
・他者が信じていること
・他者の行動
・他者の行動による結果
私の責任は、
・私の言葉
・私の行動
・私の行為
・私の努力
・私の失敗
・私の考え
・私の行動から来る結果
です、よくあるのは、人に言われたりする言葉を自分の心の中にいれてしまうことです。
それは、その人の考えであって、必ずしも正しくない。ということを忘れてうのみにして、自分を責めたりしてしまいます。
また、人の言った言葉のしりぬぐいをして回るのも、あなたの責任ではありません。
人の失敗の後片付けをして回るのも、あなたの仕事ではありません。
また、いちいち、他者のすること言うことに、右往左往する必要はありません。その人自身に責任を取らせればいいのです。
知らんふりしてください。
私は、これが分からなくて、日本で燃え尽きてしまいました。
一つ覚えてください。
あなたは、人の考えや行動をコントロールすることが出来ない。
だから、あきらめてください。
あなたはあなた自身の行動と言動に責任持つ。それだけでいいんです。
大切な人を失った悲しみと嘆きには、終わりがないけど、
悲しみは日々変化する。
悲しみは、通過地点であり、住み家ではない。
悲しみは、弱さの表れでも、
信仰の足りなさでもない。
それは、あなたの愛の重みによる。
愛した分だけ、人は悲しみます。
最近、親しい方が天に召されました。
私が彼女に出会ってもう14年。
知っている限り、いつも様々な病気と痛みと戦っていました。
そして、若くして天に召されました。
悔しいやら、悲しいやら、もう痛みがないと思えばほっとするやら。。。
なんと言い表したらいいか分かりません。
ただただ、いろんな感情が出てきます。
コロナのこんな状態ですから、集まったりもできないですし。
ご家族にハグをすることもできません。
たくさんの友人が痛みました。
愛して、愛された分だけ、悲しみが多いです。。。。。
先日、ズームで、グリーフグループを持ちました。
みなさん、涙を流しました。
そして、思い出をはなして笑いました。
悲しみがあることは変わりません。
でも、すこし、悲しみが変わりました。
みなで話したことで。。。
悲しみは弱さではなく、愛の現れです。
自分個人の癒しと、人間関係の癒しが交差するところに癒しの前進があるというような図。
ふむ。
私の個人的な見解は、人間は人と関わるようにできているし、それによって発達するし、脳もね。だから人と関わらずして益が得られないようになってる。
が、しかし、人によって傷つくものです。。。
で、
人間関係の回復によって、またコミュニティに属する時に、癒しが完成していくのだと思います。。。
個人の癒し
肯定的なことを自分に言う
自然の中で時間をすごす
黙想、瞑想する
睡眠
身体を動かすこと
栄養
日記をつける、考えを書き出してみる
自分のことについて知ること
呼吸
関係の癒しは
愛を受けたりあげたり
助けを求める
サポートグループに参加
境界線を引く
心理カウンセラーやその他の専門家にあう
社交
人を赦す
好きな人たちと時間を過ごす
コミュニケーション技術を身に着ける
ですって。
参考になりましたか?
私は、なるほどねーって思いました!
自分の親に虐待を受けた子供は、親を愛することをやめることはないが、自分を愛することはやめる。
メンタルヘルス、
セラピストとしてインターンを初めて早、四カ月ほど。
いろいろな虐待を受けて傷を負っている患者さんたち。
皆さんに言えるのが、これです。
私の仕事は、自分を愛することのお手伝いをすることです。
皆さんは、自分を愛することができますか?
自分に寛容に、
自分を赦すことができるでしょうか。
自分を大切にするという意味が分かるでしょうか。
聖書には、
あなた自身を愛するように、隣人を愛せよ
という言葉があります。
自分を愛せないでは、人を愛することは分からないというのです。
全くその通りです。
また、おいおいその辺もお話します。
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