記事検索

ぼくしのめがね

https://jp.bloguru.com/horizonjapanese
  • ハッシュタグ「#イースター」の検索結果18件

フリースペース

イースターの写真

スレッド
少し前になりましたが、3/20... 少し前になりましたが、3/20に、ご近所のFaith Bible Church の女性のためのハイティの会で、イースターにちなんで、復活のいのちをいただくために、愛を頼りにして、神様に出会うこと、イエス様は、私たちの苦しみに同情できない方ではない事などをお話ししました。出てきたものはすべて美味しかったです! 紅茶も! みなさんおしゃれして来られて、... みなさんおしゃれして来られて、素敵なハイティでした。 お話ししているところ。。 実は... お話ししているところ。。
実は、このブラウス、バブルの時に買ってたやつで、でっかい肩パットが入っていたんですが、それを取って、二十数年ぶりに来てみました。図らずも、春らしくなったことです。。。笑
みなさん、お話しをよく聞いてく... みなさん、お話しをよく聞いてくれましたよ。 皆さんの、神様の光に照らされた... 皆さんの、神様の光に照らされたお顔が私の生きがいです。
やっててよかったーと思います。
半分以上の方は、普段教会にいらしていない方々です。
皆さんも、お気軽に、教会にいらしてくださいね。
これは、私たちホライズン日本人... これは、私たちホライズン日本人教会のイースターイベントにて。子供たちと、卵探しをしたり、卵飾りアートを楽しみましたよ。
今年は、早く帰った人を入れたら、70名近くが集いました。次回からは、テーブルと椅子を増やさなくっちゃ。。。
かわいい作品。これは、いつも美... かわいい作品。これは、いつも美味しいケーキを作ってくれるるりこさんの作品です。人柄が絵に現れているような。。。。


と、シアトル、ホライズン日本人教会の春は、こんな感じです。

皆さんは、いかがお過ごしでしょうか。

#イベント #イースター

ワオ!と言っているユーザー

一粒の麦がもし死ななければ

スレッド
日本からのお客さま。。シアトル... 日本からのお客さま。。シアトルは十年ぶりだそうです。
今日は、遠く、レイクスティーブンスからも礼拝に参加された方があったりと、嬉しいサプライズでした!
みなさんも、お気軽にお立ち寄りください。日曜日は、12:30pm より皆さんでランチを食べていますー。
2018年4月8日日曜日バイリンガル礼拝音声は、


ヨハネ12:23-26

23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
.
先週は、イースター礼拝で、復活についてお話ししました。先週に引き続き、復活のテーマでお話しします。

12章のはじめでは、異邦人の人たちがイエス様に会いたがり、弟子たちにお願いするようになりました。するとイエス様は、神様の時が近づいていることを感じ、一粒の麦の話しをされました。すなわち、もうすぐ、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも福音が届き、もっともっと多くの人々、全世界の人たちがイエス様によって霊的な祝福を受け取ることができるようになるからでした。しかし、その前に、十字架と死と、葬りと復活が無ければいけませんでした。そこで、一粒の麦の話をとれました。

神様は、地上の全てを造られましたが、その全てに神様特質・メッセージを入れておられます。神様は、種をデザインされ、種が地に落ちて、種の殻が割れて中の栄養が全て新芽に吸われて、新芽が殻を破って出てきます。これを、ユダヤの当時の人たちは「死」とみなしていました。種は、自分が死ぬことによって新しい命を生み出します。

★豊かに実を結んだストーリーit produces much grain

・宣教師 
私の母教会は、スウェーデンからの宣教師によって創設されました。人口の少ない小さな町ですが、教会ができました。宣教師の中には、独身の女性もいました。私の親世代の宣教師などは、シベリヤ鉄道に乗ってはるばるスーツケース一つもってやってきたのです。西洋から東洋へ文化も言葉も違う中、今のようにネットも電話もできない時代でした。

わたしも一人の宣教の青年の働きによって救われました。アメリカから来た、わたしよりも一歳年上の兄弟でした。私は、まだ二十歳でしたから、彼のその行動を不思議に思っていました。この人は、恋人をアメリカにおいて、若くてやりたいこともたくさんあるし、遊びたいだろうに、わざわざ、言葉も通じない、文化も違う、しかも、LAからこんな田舎に、どうして来たんだろう。。。これが私の一番の疑問でした。

また、キャンパスクルセードのチームが来ました。韓国の青年たち。当時は、日本は円高ですし、経済の格差も大きかったです。彼らは、自分で働いて、一、二年お金をためてまで、日本に来ました。日本でも、食べるものは、白いご飯どんぶりめしでやまもり食べて、質素な食事をしていました。私は、そこまでして、私たちに親切にする姿に感動しました。
マイカも今日本に行っていますね。マイかもスタバをやめていきました。帰国後の仕事がどうなるかは、神様に信頼するしかありません。

・イエス・キリスト

イエス様は、ご自分を一粒の種に例えられています。それが死ななければならない、と。イエス様がもし十字架にかからなかったら、その命を捧げなかったら、死も、復活もなく、私たちの救いもないのです。イエス様は、自分の命を天の目的のために捧げられました。
宣教師たちも、自分の人生の楽しみ、楽、生活を捧げて、天の声に従って日本に来たのです。

★私たちにとって死ぬこととは。。。Meaning of death 

v25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。He who loves his life will lose it, and he who hates his life in this world will keep it for eternal life

・自分のいのち  

自分のいのちを憎むとありますが、ここでいういのちは、新約聖書の原語ギリシャ語では、サイキという言葉が使われています。これは、the soul の意味であり、情、欲望、感覚、衝動を含みます。the seat of the feelings, desires, affections, aversions  自分、自分という自分がかわいいという思いです。

先に述べた宣教師もイエス様も自分のいのちを憎まれました。
イエス様は、自分のいわゆる肉の欲、情、衝動は死ななければならない。と言われているのです。この肉の性質というのは、世に属するものです。

◎ 人生の車の運転席

こう考えたら分かりやすいです。自分の人生の車の運転席にしがみついてハンドルを思いのままにきるのも一つの生き方ですが、その運転席を、自分よりも優れた運転者神様にお任せする、運転したいという欲を置いて神様に任せるという風に考えたら分かりやすいかも知れません。マイカも、帰国後の仕事探しなど不安はあるけど、神様が今も将来も運転して目的地に連れて行ってくれると信頼するから、自分の運転欲、我を捨てることができたのですね。

イエス様も罪は犯されませんでしたが、肉の体に宿る葛藤を経験し、知っておられました。

◎自分がなくなる??
よく人に聞かれるのは、自分に死んだら自分がなくなっちゃう。。自分がなくなるのがいいのか? と聞かれます。けれども、ここで書いてある通り、自分のいのちを憎むものはそれを保ち、そして、その上に永遠のいのちに至るとあります。だから、自分はなくならないのです。
ですから、私が私が、わたしわたし。。。という思いではなく、神様に自分をゆだねるときに、私も保ちますし、永遠のいのちにも導かれるということなんです。
ですから、人生の車の運転席のようなものなんです。車がなくなるわけではないんですね。

・永遠のいのち  

自分のいのち・情を憎むものは、それを保って永遠の「いのち」を得る、と。言葉には原語では、違った言葉が使われています。それは、ゾーエーと言う言葉です。Of absolute fullness, both essential and ethical which belong to God, life real and genuine, a life active and vigorous, devoted to God. 絶対不可欠であり、道徳的にも全くの充足しているさまであり、神に属するものである。本物の命である。活動的で、活発な神に献身した命である。
◎自分の命憎むとき、永遠の命に至る。。。he who hates his life in this world, will keep it for eternal life

 種が死に、芽という全く違う形のものが生まれる。自分の命を憎むなら、永遠の命に至る。たましいの領域から、霊が生きるという領域に移される。死から不死の世界に移る。質の違うものに変わっていく様を語られている。すなわち、自分の命を憎むものは、変革を体験し、生き方が変えられるということである。

◎人には、生き方の型がある。Type of life

私は、「自分の行いで人の愛を得る」という型にはまって小さい時から生きてきました。無条件の愛が分からなかった。ですから、entitlement (資格、権利獲得)という罠といつも隣り合わせでした。これだけしたから、これだけ報われるだろう。であるとか、何か、無意識のうちに、神様の前に頑張って、神様の私への愛を増やすというか、神の前に認められようとする、そのような生き方でした。しかし、それには行き詰まりがあります。何をどうしても道が開かれない時がありました。そんなとき、神様に語られたのは、信仰についてです。

へブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.

へブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

私は、道が見えない、閉ざされていると思っていました。こんなにしているのに。。。と。でも、本当に見えていなものは、神さまだったということ。信仰は、自分の祈りの課題が成就することを信じすることではなく、神様を心の目で見ることだと分かりました。それが、はっきり分かった時、閉ざされた道が奇跡的に開かれました。

★新しい生き方の型。イエス・キリストについて行くこと。New type of life; following Jesus

V26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。26 If anyone serves Me, let him follow Me; and where I am, there My servant will be also. If anyone serves Me, him My Father will honor.

私たちの新しい生き方の型は、イエス様について行くことです。ここに、実りがあり、ここに本当の命があります。なくならない、命、増え広がる命があるのです。これは、復活とともに、大きくの命がついてくるという力を持っています。みなさん、これがわがままに死ぬことの報いです。死に対して、私たちは何もできませんが、神は、そこに命を吹き込まれます。自分のわがまま、我をすてることを恐れないでください。

この道には、報いがあります。私に仕える者は、わたしがいる所にいる。。。所  abiding in Me.John15, この場所は、私たちが宿るところ。留まるところ。泊まるところ。住まうところ。主にある安息を意味する。主にある充足。主のSeat of Rest  

★一つだけ覚えていて欲しいこと。

皆さん、新しい生き方に入りませんか。自分のいのち・感情や衝動を愛する生き方から神に属する命に写りませんか。 種は内側から、殻を破るのです。他の誰かが殻を破ってくれるのではありません。そこには、あなたの意思がとても重要に関わってきます。あなたの決断。新しい命に入りたいという決断かとても大切なのです。新しい命に入りましょう。そこには、神様の約束があります。必ず多くの実りと報いがあるのです。
#イースター #ヨハネ12 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

復活とあなた

スレッド
イースター。土曜日は、卵かざり... イースター。土曜日は、卵かざりパーティをしました。
これらは、作品たち。お上手!!
卵は新しい命の象徴です。イエス様もよみがえりのいのちで、私たちに新しい命を与えてくださいます。
礼拝堂では、受難週の掲げた十字... 礼拝堂では、受難週の掲げた十字架に、生花が! 会堂中すごくいい香りでした。。。。。すってきーー 今日は、いつも教会に来てくれて... 今日は、いつも教会に来てくれてる、まちゃんのご家族が日本から訪問してくださいました。なんだか、教会の家族が広がった感じがして、みなさん大喜びでお交わりしました!
2018年4月1日イースター礼拝音声は、


マルコMark 16:1-8

さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。 2そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。 3彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか。」とみなで話し合っていた。4ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。5 それで、墓の中にはいったところ、真白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。6青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。7ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」 8女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

★イエス・キリストの復活の力 The power of Jesus’ resurrection
 
★キリストの復活が人類に可能にするものとは What Jesus’ resurrection made possible for humanity

1. 死の問題。Issue of death.

2. 正しく生きたい。義の道を歩むこと. Issue of righteousness.

★私たちに必要なのは、頑張りでなく、プレゼント

ローマRomans 6:23

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in[b] Christ Jesus our Lord.

★ その復活に出会うには、どうしたらいいのでしょうか。。。How can I meet resurrected Jesus?

★ 石が象徴的に取り除けられた----- The stone was symbolically removed.
★ イエスの復活を一番に知った人たち Very first people who met resurrected Jesus.

◎愛するならば If you love…愛の関係


◎もがくのではなく、死んだらいい let it die!

◎墓に死を直面するのをいとわずに行った女たち。。。
  その意味は。。。。

◎あなたは、あなたの暗闇近くを歩けますか。自分の恥にいかに近く歩けるか。。。。
復活が隣り合わせにある。
復活とどれだけ近く歩んでいるだろうか。。。。
  

★ それぞれの求めに従って Where are you today?

復活にあずかる一つの道は、ただ信じること。

ヨハネJohn 11:25-26 
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」Jesus said to her, “I am the resurrection and the life. He who believes in Me, though he may die, he shall live. 26 And whoever lives and believes in Me shall never die. Do you believe this?”
#イースター #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

その石を取りのけなさい “Take away the stone.”

スレッド
じゃじゃーん。今月の誕生日ケー... じゃじゃーん。今月の誕生日ケーキです。スポンジがしっとりしていて、あっさりのイチゴショートでおいしかったですー。作ってくれたるりこさんに感謝ですー。 うわーーーー。三匹の子ブタなら... うわーーーー。三匹の子ブタならぬ子供ちゃんたちがいっせいにふーーっとしています!!! 笑ってしまいました。。。。この口。。。アヒルみたいですね。 今月は、大人のまきさんとチェリ... 今月は、大人のまきさんとチェリーちゃんの誕生日だったのに、あれあれ、何やら、関係のない人たちがろうそくをねらっています。。。
2017年4月22日日曜日礼拝音声はこちらから。。。



ヨハネ11:1-45 

有名なラザロのよみがえりの奇跡です。イースターの季節にラザロの墓とイエス様の墓について黙想していました。ラザロは、ヨハネの福音書の七つの奇跡の内の第七番目。大とりの奇跡であり、イエスキリストの復活の型でもあります。今日は、神様から頂いた預言的なメッセージを分かち合いたいと思います。「また生きていてわたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われたイエス様の言葉がずっと心にとどまっています。

11:1-6
1 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。2 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。3 そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。

★祈りについて…特に期待していることが遅れている時

とても親しい友達ラザロが病気になりました。そして、イエス様は、そのことを知らされてもその場所になおも二日とどまられました。

祈りとは…非常に個人的なもの。ボルナボルなもの。人に分かち合いのは時々難しいほど、個人的である。祈りとは、神に個人的に知られること。また、そのプロセスにおいて、神を個人的に知ることである。

私たちは、祈りの答えが早く来ないと、心配になります。悩みだしたりします。しかし、イエス様は、重病のラザロを置いて二日もとどまられたと書いてあります。一つ、もう一度覚えていただきたいことがあります。
私たちは、いつも自分の目先の必要を答えて欲しいと祈ります。それが私たちの目的です。しかし、いつもイエス様の側では、その「祈りの課題が答えられる」ことだけではなく、それとともに、そのことを通して「さらにイエス様との関係が深くなるよう」な答え方をされるのです。この祈りを通して、神をさらに深く知ること、これが目的です。

今回も、そうでした。イエス様は、人々がもっと益を受けるために、人々がもっと深いことを知ることが出来るように。それをされたのです。

覚えていてください。神様は意地悪な方ではなく、良い方です。今の私たちの疑問は、後の良いことのためなのです。またあなたを持つと知るため、あなたに神がもっと知られるためです。

★悲しみについて

イエス様は、ラザロの病気のことを聞いて真っ先に、「この病気は、死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。」と言われました。
そして、とうとう、イエス様がラザロの家に行く前に、ラザロは死んでしまいます。
イエス様は、ご自分のされようとしてることをご存知なのです。私たちにとっては、ちんぷんかんぷんでも。。。。ですから、どんな時にも、神の良い御心に信頼するべきですね。イエス様が遅れたことを私たちのために良かったともイエス様はおっしゃっていますが、死んだラザロのために悲しむ人々ともに悲しんでおられます。

ヨハネ11:32-36
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」35 イエスは涙を流された。36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」

一つ注目してください。イエス様は、ご自分のしようとされていることを知っていながら、人々とともに悲しみ、涙を流されました。
なぜでしょうか。

イエス様は、ここで、私たちをよく知り、私たちによく知られてるのです。そして、何よりも、ラザロを愛しているからです。
みなさん、神様の心は、いつも愛です。祈りが聞かれない、祈りの答えが遅れていると思っても、また、期待していたことと、反対の結果が来たとしても、イエス様の心はあなたから決して離れないのです。イエス様の愛はいつもあなたたとともにあるのです。たとえ、あなたの希望が死んだ時でもです。

★その石を取りのけなさい

いよいよ、イエス様は、死んだラザロのところに向かわれます。。

11:38-41
38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。

当時は、墓の入り口に大きな石、岩でふたをしていました。大がかりな作業です。イエス様は、墓に到着し、真っ先に言われたことは、「その石を取りのけなさい」“Take away the stone.”

マルタは思いました。死後直後ならまだしも、もう4日もたって、腐ってきているでしょうに。。。今更。。。と。でも、イエス様は言われました。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」“Did I not say to you that if you would believe you would see the glory of God?” と。

それから、イエス様は父なる神に祈りだされました。

ラザロは、葬られた包帯を巻かれたまま、墓から出てきました。ラザロはよみがえりました。ハレルヤ! ラザロは、イエス様によって死に打ち勝ちました! なんという奇跡でしょぅか。人類最大の奇跡ではないでしょうか。今でも、死人がよみがえった奇跡は、あちこちから報告されています。

★死んでも生きる

イエス様は、ラザロの姉妹に会ったときに次のように言われています。

11:25-26
25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

キリスト者は、死を経験しても生きるのです。あなたの祈りの課題がたとい死んだように見えても、死を経験しても、必ず生きるのです。

それは、キリストの愛が私たちから決して離れることがないからです。また、それは、キリストに知られ、キリストを知る過程の中でおきるのです。

ここで、一つだけ、私たちに示されている、なすべきことがあります。
それは、その石を取りのけることです。生きることを妨げている石が、絶望か、神に対する怒りか、無関心か、恥か、高慢か、裁きでしょうか。。。。神を知る過程で、神をさらに知ることをあきらめて、石を心においてしまうことがあるのではないでしょうか。その石を今日取り除きましょう。

今、一緒に祈りましょう。
#イースター #教会 #日曜日 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

イースターサンディ

スレッド
Happy Easter! Happy Easter! たまごをフードカラリングで染め... たまごをフードカラリングで染めて、シールなどで飾ります。 こんなに上手にできました。 こんなに上手にできました。 チェリーちゃんとかわいいちゃん... チェリーちゃんとかわいいちゃんも作品を見せてくれました
今日は、イースター。
復活祭です。

イエス・キリストの復活を記念してお祝いします。

昨日は、イースターイベントをしました。

新しい命を表す卵を飾り、卵探しゲームをしました。

日曜日は、召天者記念と聖餐式を持ちました。

そして、礼拝後に、なんと一人の方が、イエス様を信じたいと。。。。

ともに祈り、その方も、神の家族の一員になりました。

なんと幸いな日曜日でしょうか。
今週は、イエス様のいのちであふれた素晴らしいホーリーウィークでした。

神様感謝します。。。。

#イースター #教会 #日曜日 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

聖なる土曜日

スレッド
イエス様は、三日間、墓の中に、... イエス様は、三日間、墓の中に、死の中に閉じ込められていました。
今日は、ホーリーサタディ。聖なる土曜日です。

イエス様は、十字架にかかって死んで、そしてすぐに蘇ったのではありません。

三日の後に蘇られました。

死の味を経験されたのでした。

墓には巨大な石でふたがされています。

死の中には、コミュニケーションもなく、父なる神との関係も断絶していました。

人類の罪の呪いを体に一手に引き受けるとはどんな重みでしょう。

私たちも、苦しみ、もがき、どんな苦しみにしろ、
もうだめだ、と思う時があります。

また、もう負けてしまって、もうずいぶん経つことがあるかもしれません。

土曜日は、イエス様のために、弟子たちも女たちも、その十字架を目の当たりにした人たちが傷み悲しみ、喪に服したのでした。

私たちは、復活ばかりに目がいきがちで、喪に服することを忘れます。

クリスチャンであってもなくても、喪に服することは、ある意味耐え難いことであります。

それは、自分の痛みや悲しみ、苦しんだあのつらい思い出に直面し、直視ししなければ、喪に服せないからであります。

しかし、本当の希望は、その悲しみに直面するところから始まるのです。

聖なる土曜日、忘れられがちですが、

もう一度スポットライトをあてたいと思います。

悲しんだっていいんです。悲しめることは健康なことです。

悲しんだだけ希望に意味があり、希望は強くなるはずです。
そして、その希望は決してあなたを二度と悲しませることはないでしょう。

今日は、墓の中のこと。ホーリーサタディのことでした。

#イースター #教会 #日曜日 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

今日は 聖なる金曜日 

スレッド
今週はイースターの週です。アメ... 今週はイースターの週です。アメリカではホーリーウィークといいます。


今週日曜日はイースターです。

今日は金曜日。

イエス様が十字架にかけられた日です。

上のビデオを説明すると、

はじめは、世のはじめ、天地創造。
聖書によると、ヨハネ一章や、詩編などにありますが、
イエス様は、そこにおられた。

そして、木の絵は最初の人、アダムとエバ
彼らは神様とのお約束である、禁じられていた善悪を知る木から実を食べ
神に背きました。

そこから、罪の呪いと死が入り、子孫である全人類が苦しむことになりました。
恥の重みははかりしれず、聖書はこの出来事が書いてある創世記三章以降、
人の罪と恥のストーリーと、神の救いについての話しとなります。

その後、赤ちゃんの絵になります。
それは、この世に完全な人、完全な神として生まれてきてくれたイエスキリストです。
処女マリヤが聖霊により身もごりました。

その後、十字架の絵になります。
それが、今日の金曜日です。

そして、墓に入れられますが、
墓が空になります。

日曜日、イエス様は復活され、
罪と死の力を打ち破りしました。
ご自分が打ち破られただけではなく、
それを信じる人は誰でも打ち破ることができ、永遠の命がいただけ、天国に行ける道を与えてくださいました。

今、そして、信じる人の心に住まわれます。

最後に、心にイエス様をお迎えしませんか。で終わりました。


#イースター #キリスト教 #ブログ #教会

ワオ!と言っているユーザー

Palm Sunday 棕櫚(しゅろ)の日曜日

スレッド
小さいちゃんの成長が、一番今は... 小さいちゃんの成長が、一番今は目覚ましく、面白いです。。。。こどもの育つのは、早いなーー お友達のそーーちゃん。電話をサ... お友達のそーーちゃん。電話をサンボさせています。。。。笑
木曜日の風景です
Jesus, how He is イエス様というお方

April 9, 2017 Eric

今週は、エリックがメッセージでした。ぴしっとスーツで決めてました。ネクタイは赤。。。ポイントだけ載せます。

1.Introduction 導入

2. Moses as the Type of Christ キリストの型であったモーセ

Mark 9:2-4 “And after six days Jesus taketh with him Peter, James, and John, and leadeth them up into an high mountain apart by themselves: and he was transfigured before them. And his raiment became shining, exceeding white as snow, so as no fuller on earth can white them. And there appeared unto them Elias with Moses: and they were talking with Jesus.”
Mark 9:7 “And there was a cloud that overshadowed them: and a voice came out of the cloud, saying, This is my beloved Son: hear him.” There is a strong indication from the Father himself about his Son as Messiah.
マルコ9:2-4 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。4 また、エリヤがモーセとともに現れ、彼らはイエスと語り合っていた。

Deuteronomy 18:15 “The Lord thy God will raise up unto thee a Prophet from the midst of thee, of my brethren, like unto me; unto him ye shall hearken”
申命記18:15あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。


3.Triumphal Entry into Jerusalem - the Jews Couldn’t see what Jesus meant to them   イエスのエルササレム入城—ユダヤ人はイエス様が分からなかった

Mark 11:1-10
“And when they came nigh to Jerusalem, unto Bethphage and Bethany, at the Mount of Olives, he sendeth forth two of his disciples, And saith unto them, Go your way into the village over against you: and as soon as ye be entered into it, ye shall find a colt tied, whereon never man sat; loose him, and bring him. And if any man say unto you, Why do ye this? Say ye that the Lord hath need of him; and straightway he will send him hither. And they went their way, and found the colt tied by the door without in a place where two ways met; and they loose him. And certain of them that stood there said unto them, What do ye, loosing the colt? And they said unto him even as Jesus had commanded: and they let them go. And they brought the colt to Jesus, and cast their garments on him; and he sat upon him. And many spread their garments in the way: and others cut down branches off the trees and strewed them in the way. And they went before, and they that followed, cried, saying, Hosanna; Blessed is he that cometh in the name of the Lord: Blessed be the kingdom of our father David, that cometh in the name of the Lord: Hosanna in the highest.”
マルコ11:1-10
さて、彼らがエルサレム近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。3 もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」4 そこで、出かけて見てみると、表通りにある家の戸口にろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」6 弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。8 すると、多くの人が自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。9 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られた方に。10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

Zechariah 9:9
“Rejoice greatly, O daughter of Zion; shout, O daughter of Jerusalem: behold, thy King cometh unto thee: he is just, and having salvation; lowly and riding upon a donkey and upon a colt the foal of a donkey.”
ゼカリヤ9:9シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。

Luke 19:39-40
“And some of the Pharisees from among the multitude said unto him, Master, rebuke thy disciples. And he answered and said unto them, I tell you that, if these should hold their peace, the stones would immediately cry out.”
ルカ19:39-40
するとパリサイ人のうちのある者たちが、群集の中から、イエスに向かって、「先生。お弟子たちをしかってください」と言った。40 イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

4.The Moneychangers cleared from the Temple to Make way for Jesus’ redemption of Mankind イエス様の宮清め—贖いが全人類に及ぶことを示す

Mark 11:15-18
“And they come to Jerusalem: and Jesus went into the temple, and began to cast out them that sold and bought in the temple, and overthrew the tables of the moneychangers, and the seats of them that sold doves; and would not suffer that any man should carry any vessel through the temple. And he taught, saying unto them, Is it not written, My house shall be called of all nations the house of prayer? But ye have made it a den of thieves. And the scribes and chief priests heard it, and sought how they might destroy him: for they feared him, because all the people was astonished at his doctrine.”
マルコ11:15-18
それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、16 また、宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。17 そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」18 祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからである。なぜなら、群集がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。


5.Conclusion まとめ


#イースター #教会 #日曜日 #礼拝

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり