v25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。He who loves his life will lose it, and he who hates his life in this world will keep it for eternal life
・自分のいのち
自分のいのちを憎むとありますが、ここでいういのちは、新約聖書の原語ギリシャ語では、サイキという言葉が使われています。これは、the soul の意味であり、情、欲望、感覚、衝動を含みます。the seat of the feelings, desires, affections, aversions 自分、自分という自分がかわいいという思いです。
自分のいのち・情を憎むものは、それを保って永遠の「いのち」を得る、と。言葉には原語では、違った言葉が使われています。それは、ゾーエーと言う言葉です。Of absolute fullness, both essential and ethical which belong to God, life real and genuine, a life active and vigorous, devoted to God. 絶対不可欠であり、道徳的にも全くの充足しているさまであり、神に属するものである。本物の命である。活動的で、活発な神に献身した命である。
◎自分の命憎むとき、永遠の命に至る。。。he who hates his life in this world, will keep it for eternal life
へブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
へブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.
★新しい生き方の型。イエス・キリストについて行くこと。New type of life; following Jesus
V26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。26 If anyone serves Me, let him follow Me; and where I am, there My servant will be also. If anyone serves Me, him My Father will honor.