その石を取りのけなさい “Take away the stone.”
4月
25日
ヨハネ11:1-45
有名なラザロのよみがえりの奇跡です。イースターの季節にラザロの墓とイエス様の墓について黙想していました。ラザロは、ヨハネの福音書の七つの奇跡の内の第七番目。大とりの奇跡であり、イエスキリストの復活の型でもあります。今日は、神様から頂いた預言的なメッセージを分かち合いたいと思います。「また生きていてわたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われたイエス様の言葉がずっと心にとどまっています。
11:1-6
1 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。2 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。3 そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
★祈りについて…特に期待していることが遅れている時
とても親しい友達ラザロが病気になりました。そして、イエス様は、そのことを知らされてもその場所になおも二日とどまられました。
祈りとは…非常に個人的なもの。ボルナボルなもの。人に分かち合いのは時々難しいほど、個人的である。祈りとは、神に個人的に知られること。また、そのプロセスにおいて、神を個人的に知ることである。
私たちは、祈りの答えが早く来ないと、心配になります。悩みだしたりします。しかし、イエス様は、重病のラザロを置いて二日もとどまられたと書いてあります。一つ、もう一度覚えていただきたいことがあります。
私たちは、いつも自分の目先の必要を答えて欲しいと祈ります。それが私たちの目的です。しかし、いつもイエス様の側では、その「祈りの課題が答えられる」ことだけではなく、それとともに、そのことを通して「さらにイエス様との関係が深くなるよう」な答え方をされるのです。この祈りを通して、神をさらに深く知ること、これが目的です。
今回も、そうでした。イエス様は、人々がもっと益を受けるために、人々がもっと深いことを知ることが出来るように。それをされたのです。
覚えていてください。神様は意地悪な方ではなく、良い方です。今の私たちの疑問は、後の良いことのためなのです。またあなたを持つと知るため、あなたに神がもっと知られるためです。
★悲しみについて
イエス様は、ラザロの病気のことを聞いて真っ先に、「この病気は、死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。」と言われました。
そして、とうとう、イエス様がラザロの家に行く前に、ラザロは死んでしまいます。
イエス様は、ご自分のされようとしてることをご存知なのです。私たちにとっては、ちんぷんかんぷんでも。。。。ですから、どんな時にも、神の良い御心に信頼するべきですね。イエス様が遅れたことを私たちのために良かったともイエス様はおっしゃっていますが、死んだラザロのために悲しむ人々ともに悲しんでおられます。
ヨハネ11:32-36
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」35 イエスは涙を流された。36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
一つ注目してください。イエス様は、ご自分のしようとされていることを知っていながら、人々とともに悲しみ、涙を流されました。
なぜでしょうか。
イエス様は、ここで、私たちをよく知り、私たちによく知られてるのです。そして、何よりも、ラザロを愛しているからです。
みなさん、神様の心は、いつも愛です。祈りが聞かれない、祈りの答えが遅れていると思っても、また、期待していたことと、反対の結果が来たとしても、イエス様の心はあなたから決して離れないのです。イエス様の愛はいつもあなたたとともにあるのです。たとえ、あなたの希望が死んだ時でもです。
★その石を取りのけなさい
いよいよ、イエス様は、死んだラザロのところに向かわれます。。
11:38-41
38 そこでイエスは、またも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてあった。39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
当時は、墓の入り口に大きな石、岩でふたをしていました。大がかりな作業です。イエス様は、墓に到着し、真っ先に言われたことは、「その石を取りのけなさい」“Take away the stone.”
マルタは思いました。死後直後ならまだしも、もう4日もたって、腐ってきているでしょうに。。。今更。。。と。でも、イエス様は言われました。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」“Did I not say to you that if you would believe you would see the glory of God?” と。
それから、イエス様は父なる神に祈りだされました。
ラザロは、葬られた包帯を巻かれたまま、墓から出てきました。ラザロはよみがえりました。ハレルヤ! ラザロは、イエス様によって死に打ち勝ちました! なんという奇跡でしょぅか。人類最大の奇跡ではないでしょうか。今でも、死人がよみがえった奇跡は、あちこちから報告されています。
★死んでも生きる
イエス様は、ラザロの姉妹に会ったときに次のように言われています。
11:25-26
25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」27 彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
キリスト者は、死を経験しても生きるのです。あなたの祈りの課題がたとい死んだように見えても、死を経験しても、必ず生きるのです。
それは、キリストの愛が私たちから決して離れることがないからです。また、それは、キリストに知られ、キリストを知る過程の中でおきるのです。
ここで、一つだけ、私たちに示されている、なすべきことがあります。
それは、その石を取りのけることです。生きることを妨げている石が、絶望か、神に対する怒りか、無関心か、恥か、高慢か、裁きでしょうか。。。。神を知る過程で、神をさらに知ることをあきらめて、石を心においてしまうことがあるのではないでしょうか。その石を今日取り除きましょう。
今、一緒に祈りましょう。