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Sabbath ⑦ 新約イエス様

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すっかり春です。火曜日に近くの... すっかり春です。火曜日に近くのフェイスバイブル教会で、イースターアフタヌーンティの女性のイベントで奉仕させていただきました。教会からも三名の姉妹たちが参加しました。私は、まるで応援団がいるようで、心強く感じました。ゆっくりすわってお茶を楽しめるなんて。。。毎日忙しいママたち、女性たちには贅沢な時間でした。
2018年3月18日日曜日バイリンガル礼拝音声は、


安息日シリーズ、今日で最終回です。今日は新約の安息日について考えてみたい思います。

★新約聖書New Testament

マルコの福音書では、イエス様がガリラヤに来られたこと。時が満ち、神の御国が来た、悔い改めて福音を信じるように、とマルコ1: 14 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。15 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」

Mark; Jesus came to Galilee, the time fulfilled, Kingdom of God is at hand. Repent and believe Gospel. Time is filled.

ラビや預言者は時が満ちることを話していた。

ギリシャ語で時は二つ、一つはカイロス、正しい時、時別な瞬間、ともう一つは、クロノス、時系列上の時間、順次通常の時間。Greek, Kiros- right time, moment special, Kronos – sequential time, ordinary time. Children is ruled by Kiros.

人々は、今がどんな時か知らなかった。大人というものは、クロノスの時間に縛られている。が子供たちは、違う。だから子供のようにならなければ天の御国に入れないとイエスは言われるのだろう。今がその時であるというメッセージをバプテスマのヨハネやイエスは語っていたのです。

そして、その時、その日というのは、預言者よりも神の家よりも大切なものであります。イエス様は、安息日にやってこられました。マルコの福音書では、四つの安息日の出来事について言及しています。ここに福音があらわされているのです。

① 聖なるスペース Holy Space

マルコMark 1:21-26

21 それから、一行はカペナウムに入った。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂に入って教えられた。22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようではなく、権威ある者のように教えられたからである。23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。24 「ナザレ人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしにきたのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。

イエス様はすぐにカベナウムの神殿に行かれました。先週のお話しを覚えていますか。イエス様は、聖なる日に、聖なる場所である神殿に来ました。そして、汚れた霊につかれた人から悪霊を追い出しました。イエス様は、聖なるスペースを守られた。また、この後、人を癒されます。イエス様が来られると、人々は悪霊や病の束縛から自由になりました。聖さの中に、それは含まれている。Sozo --- イエス様こそが聖をわたしたちのために造ることができる方。

② 喜び楽しむ時 Time of delight and joy

マルコMark 2: 18-19

ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」19 イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。

イエス様が安息に入ってきてくださって、その場所は聖められ、病気が追い出されました。それだけではないのです。人々は不思議に思った。どうしてあなたの弟子たちは、ヨハネの弟子やパリサイ人たちみたいに断食しないのかと。イエス様は、花婿、すなわち婚礼の席で、花婿がいるのに周りの人が楽しんで祝って一緒に食事をしないということはあろうか。と問うている。

イエス様こそ、後に私たち教会の花婿です。イエス様、そして私たちの真の罪からの解放者がともにいるのに、罪深さを覚えるために身を慎んで断食する必要があろうか。。ということ。現に、もう何人もの人たちが癒されたり、悪霊から解放されたりしている。安息は、イエスにある自由を祝って楽しむ日なのです。

③ 安息日は人間のため Sabbath is for man

マルコMark 2:23-24, 27-28

23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」---27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。28 人の子は安息日の主です。

安息日に麦をとって食べることが、罪かどうか。。。が問題に。
イエス様は、安息日は人のためだ。お腹がすいたら食べたらいい。食べ物は神様からのギフトだと習いましたよね。ギフトを受け取って感謝して喜んでいただいたらいいのです。宗教家たちは、宗教の枠にとらわれていました。また、自分たちが何になるかということ。そして、罪を犯すということを重箱のすみをつつくように探していました。自由とはなんでしょうか。

律法とはなんでしょうか。律法は、私たちに仕えるものであって、私たちが律法に仕えるためにあるのではありません。イエス様は、その律法を全うするためにこられたのです。イエス様の霊に従うなら、私たちに自由が与えられます。イエス様に隠されて、私たちは責められることもなく隠れる必要もないのです。イエス様こそが、安全な場所なのです。

④ 安息日は、全ての人のため Sabbath is Inclusive

マルコMark 3:1-6

イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうかじっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

イエス様はまた、聖なる時に、聖なる場所で、わざをなさった。イエス様は、安息日に人を癒すかどうか責めるために見てやろうという人たちの心を嘆きながら、いのちを選び、癒しをされた。イエス様は、曲がった世の中に安息をもたらしました。この、一人の手の萎えた人も、喜びの安息に入るべきだったからです。安息日は、すべての人にとってギフトであり、全ての人が招かれているものです。

このようにイエス様は、この地上に来られた時、真の安息を示して下さいました。罪、汚れ、悪霊、病からの解放、食事を楽しみ、みなを安息日に招き入れる。イエス様は、身をもって示されました。イエス様は、全てを可能にしてくださいました。私たちが安息に入るためにです。今が、カイロスなのです。私たちがイエス様にいつでも、今がその時、となりました。それを信じますか。
今、一緒に祈りましょう。
今がその時です。イエス様の力を受け取りましょう。

#礼拝 #安息日 #新約 #イエス

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Sabbath ⑥ Returning Rhythm 主に帰る和解のリズム 

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チェリーちゃんお気に入りの手袋... チェリーちゃんお気に入りの手袋と、お手製の帽子をさっそうとかぶり、自慢げに帰途につく。。。。 礼拝後は、誰かの携帯でゲームを... 礼拝後は、誰かの携帯でゲームをする、ちびっこたち。。。私らの時は、ゲームウォッチやった。。。時代は便利になったなー。。。ため息 大好きなお姉ちゃんと礼拝後は遊... 大好きなお姉ちゃんと礼拝後は遊びます。今日は、お姉ちゃんは、大事なリハーサルがあって礼拝には来れなかったけど、終わってから教会によってくれました。みんなもあえて嬉しかったよーー
2018年3月11日日曜日バイリンガル礼拝



ホセアHosea14

イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。2 あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。3 アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」4 わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。5 わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。6 その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。7 彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。8 エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。9 知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りのある者はだれ。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。

安息日シリーズ六回目と続いています。皆さん、安息日のコンセプトは、私たちが誰によりたのんでいるかを明らかにしますね。自分の偶像が何であるのか、誰に信頼するのかということを浮き彫りにします。今日は、魂のよりどころである主にフォーカスをあててみたいと思います。
★福音と安息
創世記の二章、三章、創造の御業と人間が造られたところ、 神の福音が隠されていることは、皆さんもご存知ですね。アダムとエバが、神の掟に背いて罪を犯して、神から隠れていたとき、神は、なんとおっしゃったでしょうか。「あなたは、どこにいるのか?」でした。今日の安息のコンセプトは、私たちを探していらっしゃる神、あなたはどこにいるのか? と問われる神に帰ることについて話したいと思います。
この意味で、天地創造当時に与えられた安息とは、福音の先駆け、原福音ともいうことができます。Proto Gospel

★出エジEx20:8
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」“Remember the Sabbath day, to keep it holy.

Leviticusレビ20:26
あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる。主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。』26 And you shall be holy to Me, for I the Lord am holy, and have separated you from the peoples, that you should be Mine.
Remembering is major prophets’ work. Trauma lens. Inviting people to deep grief work.

〇どのようにして聖く保つことができるのでしょうか。聖さとは何でしょうか。聖であることは私たちにとってどういうことでしょうか。心の片隅に置いて聞いてください。

ユダヤの文化には、特別な安息日というものがあります。それは、Shabbat Shuva という安息日です。この日は、Rosh Hashanah and Yom Kippur ハッシャーナーロッシュ新年、日本の元旦ですね。と、ヨムキプールは贖罪の日と呼ばれ、神に一年分罪の許しを請う日です。

旧約の時代には、大贖罪の日には大祭司が年に一度、選ばれた一人が至聖所に血を持って入ることができ、民の罪の贖いをする大事な日でした。
この間の安息日には、断食をするのだそうです。普段の安息日は喜びと楽しみと食べ物がありますが、この新年と大贖罪日の間の特別な安息日シャバットシューバ、この日は、食べないのだそうです。身を慎み、一年を振り返り自分の罪と向き合うのです。

そして、その時に、冒頭読んだみ言葉と次のみ言葉が読まれます。

ミカMicah 7:18-20

18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。20 昔、私たちの先祖に誓われたように、真実をヤコブに、いつくしみをアブラハムに与えてください。

★主に立ち帰るリズム

The word Shabbat looks like this in Hebrew: תבּשׂ (Shabbat) בּשׂ Shab – return, restore, refresh ת Tav – sign or mark
安息日という言葉は、シャバットと言いますが、「休む、やっているとをやめる」などの意味がありますが、二つの言葉から成っています。シャブは「帰る、回復する、新たにすると」いう意味があり、タブは、印、マーク。私たちが安息を守るということは、しるしにいつも帰るということです。私たちは、安息ごとにこのしるしに帰るのです。

私たちへのしるしは。。。。そうイエス様ですね。

今日、私たちが教えられていることは、安息は贖罪に結びついているということで、安息は、過去を振り返らなければ入ることができないものでもあるということです。
そして、定期的に戻るものです。そこには、涙もあるでしょうし、悲しみもあるでしょう。

しかし、これは、真の安息に入る前味です。
私たちの真の安息は、真の大祭司イエス・キリストによります。イエス様が罪のない小羊としてご自分を神に捧げました。新約聖書で覚えていらっしゃると思いますが、イエス様が十字架にかけられた時に、至聖所の幕が上から下に真っ二つに裂けました。それは、今まで毎年一年しか入れない至聖所との仕切りがなくなったということです。誰でも、イエス様にあるならば、至聖所、神様にアクセスできるということです。神様と一つコミュニティになることができるというこです。

先ほど読んだとおりに、私が聖であるとおりに、あなた方も聖であれ、という神の期待を完全に満たすことができるのは、私たちの罪を取り除くことができるキリストのみです。キリストの前に罪を認め、罪を悔い改めるなら、だれでも、キリストの義に隠されて、聖であることが実現します。そして、罪との闘いから解放されて、魂の安息に入ることができるのです。ここに、神との和解があります。
神との和解は、人との和解をもたらします。これは、安息日の心です。しかし、うまく行かないのです。。。。私たちの心が安息に入っていないならば。。。。

<私の安息の宿題の話し> 安息失敗談。。

学校の実践の宿題で、一人での安息体験、コミュニティでの安息体験、安息を知らない人との安息体験をすることがありました。

私は、安息をまだ知らない人のことで考えました。。未信者の人たち、それか貧しい人たちを読んでもてなそうか。。。とかいろいろと。。でも、どれも、宗教臭くなって違うなーと思っていました。誰が私の心に近くて、神様が望んでおられることか。。。あ、そうだ、エリックのお母さん、引っ越しで大変だし、安息するために連れ出してあげよう。と思いました。平安が来ました。しかし、やってみるとうまく行きませんでした。お母さんをいい気分にしてあげようと思ったのだけど、彼女もストレスがいっぱいで、会話もしんどく。。。自分からいろいろとイライラしていまいました。それは、過去の解決していないoffenseと、お母さんのことにいらいらしたりと、、私はイエス様をその場所に連れて行くことができませんでした。なぜなら、安息日の贖罪のイエス様にしっかりと繋がっていなかったからです。
シリーズでも言っていますが、安息日は、全ての人のためです。私たちコミュニティが、また、ストレンジャーを迎え、ともに休みに入る日です。
しかし、このように、私たちの罪がまず一番に解決されてなければ、私たちが、神との和解の中にまず住んでいなければ、とても難しく、形だけのものになってしまうのです。

安息日ごとに、ただ喜び楽しむだけではなく、私がどこに帰るのか、ということをしっかりと覚えたいと思います。これが、聖への道です。「あなたは、どこにいるのか」と探してくれる神様のところに、いつも帰るものでありたいと思います。私が聖であるようにあなた方にも聖でいて欲しい、と言われる神様の元に行きましょう。


#礼拝 #安息日 #ホセア書 #ミカ書

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Sabbath ➄ 経済 Economy

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今月の誕生日祝いケーキは、ティ... 今月の誕生日祝いケーキは、ティラミス!!!!!
美味しかったです。上のチョコは、中にコーヒー豆が入っていて、苦みとカリカリ感が美味しかったーー
今月は、ケニーさんしかいなかっ... 今月は、ケニーさんしかいなかったので、お祝い一人占め!
本当は三名いらっしゃいましたーー
礼拝後、子供たちはたくさんお姉... 礼拝後、子供たちはたくさんお姉さんに遊んでもらいました。教会学校で使う暗唱聖句のパネルをささっと書いてくれて、すごく助かりました。。。
2018年2月25日日曜日礼拝メッセージ 音声はこちらから、


★御国の経済観念とは

経済とは、人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係。

安息日シリーズで今まで共通している観念は、安息とは、神様からのギフトであるということ。また、先週は、共に食事を共にすることを話しましたが、神様の豊かさ、受肉のイエス様の豊かさに入るということを習いました。

みなさん、一つ初めに覚えておいていただきたいことがあります。それは、神が豊かであるということです。経済を話す時に、一番私たちが覚えておかなくていけないことです。神は豊かである。これが、神の人の常識なのです。足りない、足りないかもしれないという恐れは、神の人の非常識なのです。

また、この世の経済は売り買いで成り立っていますが、よく教会でも話しますが、神様の経済は、与えることと受けることで成り立っています。
皆さん、私たちが何かを造り出したというのでしょうか。先週話した通りに、創造のすべてのものは神様からの贈り物。神が造られたのであり、私たちではない。現在の私たちも神に出会った、イエス様の救いを頂いた。これも、私たちの何の力にも努力にも寄与せず、ただ、恵みによって救われたのです。神様からのギフトです。新約聖書にも、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とかいありますね。それは、神の愛ゆえのことです。
今日は、イザヤ58章を開いて、神の愛とそのトランザクション/経済活動について、御国的な経済観念のレンズを通してみていきたいと思います。

イザヤ58章5-14

5 わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。6 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。7 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これを着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。8 そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。9 そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、10 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。

★断食と安息

当時の人々は身を戒めるために断食を定期的にしていました。また贖罪の日、Yom Kippur のころには必ず断食していました。断食は、宗教的な儀式になっていました。人々は、前の節でどうして断食しているのに、神様は顧みてくれないのか、と文句を言っています。

断食とは、宗教的行為であり、肉体に苦行を与えることで、自分が罪深い存在でることを知り、悔い改めに導かれるためのものであります。私は、心のある断食は大賛成です。肉体が弱り、霊が研ぎ澄まされるから、よく祈れます。しかし、この章の民のようでは、心がありません。彼らの頭の中は、世の経済観念です。売り買いです。こんだけ、断食したのだから、神様からこれこれを期待できるはずだ、と言っているのです。
そして、主は、あなたたちの断食は、わたしは喜んでいない。わたしを喜ばせるなら、次のことだと、語られ、そして、最終的には、安息日を喜びとすることを教えられました。

★真の断食とは

神様は、御国の経済について教えられています。神の喜ぶ断食とは、これではないか。と。

1) 人々を解放、救いに導く v.6
2) 貧しい者たち、また肉親の世話をする v.7
3) 人に精神的なかせをかけず、陰口を言わない v. 9
4) 悩める者たちの力になるv.10

これを読んで何を神様から聞きましたか。神様は、私たちの霊、魂、体が安息に入れるように願っていらっしゃるということですね。もう一つは、この世は、我先に、自分さえ儲かったらという個人主義による売り買いの世界です。しかし、神の好む断食は、人々を解放し、助け合うこと、精神的な重荷も担いあうことですね。与え、受けるという、トランザクションが働いています。

御国の法則は、超自然的な恵みが伴うようですね。これをこれだけしたから、これをあの人にあげたから、同等のお返しを期待する。。なんてことではないのです。私たちに光がもたらされ、神の声がよく聞こえるようになり、どんな厳しい状況でも私たちは強くされる、渇くことがない、また、壊れたものを修復するものとなるとおっしゃっているのです。それは、誰もが願っていることではないでしょうか。それは、苦行からは来ず、互いに対する心からの愛のあらわれから来るのです。自動販売機のようにではなく、いつのまにかそれがやってきているのです。

★安息は喜びとお祝いの日

先週に続いてもう一度いいます、安息は、コミュニティーのものです。そして、コミュニティの文化はその経済が形作るものです。神の豊かさを理解し、与える受けるのトランザクションのあるコミュニティは、みんなで、安息に入ることができるのです。
そして、リミットのない、神の豊かさに入り、神と過ごすことを神は私たちに求められておられ、あなた一人ではなく、あなたの周りの人たちコミュニティ全体が入り、そして、これを喜びの日とし、祝い楽しむことを神は望んでいらっしゃるのです。

★すべの人が安息に入れるように協力する

具体的に教会でも皆が神の喜びに入れるようにするには、どうしたらいいか、一緒にかんがえましょう。聖書の中には、必要のある人のため、外人のために収穫をわざと残しておくようにという教えがあります。私たちも、計画的に、誰かが誰かの重荷を担って、互いに安息に入れるようにしたいと思います。英語の教会がしているように、べネボランスミニストリーを立ち上げられたらと思います。ただ、金銭的な必要だけではなく、食事の用意や、託児なんてことも担い合えたらいいですね。神様に導かれて、この人の必要のためにこうしたいという方があれば、私まで申し出てくださいね。一緒に考えましょう。

レビ19:9-10

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。‘
#礼拝 #安息日 #イザヤ58

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Sabbath ④ 共に食事をするCommunal Feast

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礼拝後、子供たちがごみ集めをし... 礼拝後、子供たちがごみ集めをしています。。。ちゃんと、ごみ袋も入れ替えて、替えの袋も中に入れてっと。。。そういえば、日本の学校では、みんなやってますもんね。幼稚園児が草むしりしているし。。。なんか、できるんだーと新鮮に感じてしまいました。アメリカナイズされたなー。。。 今日は、初めて、けっぴーとしず... 今日は、初めて、けっぴーとしずかちゃんで、ワーシップをリードしてくれました。
不安だったみたいですが、とっても良かったです! 神様は、神によりたのむものを用いられますね。
2018年2月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。詩編34:8
Taste and see that the Lord is good. Oh, the joys of those who take refuge in Him! Ps.34:8

ダビデがアビメレクの前で気が狂っているふりをして、難を逃れた、その時のダビデの歌です。私たちは、どんな試練の中にあっても、安息に入ることができる。神の豊かさを味わうことができるのです。主に身を避けるなら。。。

ユダヤ人の安息日は、前もって料理をしておいて、安息日の日には料理はしません。けれども、皆が食卓について食べ物を分かち合い、楽しみます。

★安息は,肉体的感覚で喜びを味わう日です

創世記2:1-3 Genesis2:1-3
1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。.

他の宗教や、キリスト教でも肉体は悪、霊は良いとされる傾向があり、肉体的な欲を取り除くことが、徳を積むようなそんな認識が広くあります。キリスト教の場合は、プラトン、アウグスティヌスに代表される二元論によって、肉体は悪。肉の欲は悪とされてしまいました。私たちの神様は、本当は逆だったのです。私たちの肉体を喜ばせることは、私たちの人間であることを祝うことです。安息とは、タッチ、におい、聞く、見る、そして何より味わうことを祝い楽しむ日です。

★食べ物

食べ物というのは、もっとも私たちを満たす楽しみ。Eating with fullest pleasure.

この楽しみの中に、私たちの感謝が込められています。私たちが作り出したものでない、食べ物は神様からの贈り物です。
エデンの園で、アダムはなんでも取って食べることができた。それは、実践的なレベルでの神様からの命令であり、またアダムの従順のあらわれでもあった。

食べ物というのは、ユダヤの文化の中心的なものとなった。食べ物は、信頼を表します。主の祈りでも、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、といいますね。先週のメッセージのマナも、信頼が試されました。荒野を旅しているユダヤ人たちは、岩から自ら出る経験もしました。食べ物がない時に、信仰がなくてはならないのです。食べ物は、もう一度、神を信頼するかどうかをいつも問われるものであります。マナを荒野で自分のためにため込むことは、不信仰の現れでしたね。

何を食べるか、いつ、だれと食べるかということはまたとても重要です。
イエス様がこの地上に来られてからは、それが特に強調されました。イエス様は、また天からのパンであり、生ける水であられました。イエス様の存在は、食べ物に例えられました。そして、奇跡を通しても、神の与えるパンは、いつも十分であり、いつも余りあるほどである豊かさがあることが示されました。イエス様は、人々とともに食べました。ある時は、いつも罪人と食事をしていると責められました。
食べ物は、交わりを示しています。神の豊かさの中で、ともに食することに素晴らしい意味があるのです。

★美しさ

レビ23:3 Leviticus23:3 聖なる会合 Holy Convocation
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。

食べ物は、交わりのためでもあるといいましたが、レビ記でも、安息日は聖なる会合の日であるとあります。人々が集う日であると。私たちは、聖なる会合に招かれています。

〇三位一体の関係に招待されている

安息とは、神の創造の神殿の中に入ることだと、先週話しましたが、そこには、ホストしてくれている方々がいるのです。それは、父、御子、御霊の三位が交わりながら存在体いる。その三位一体の神が私たちを、安息の神殿に招いていらっしゃるのです。

カール・バルトが次のように書いています。「三位の神は輝かしい、その輝きは喜びである。この喜びは人々を引き寄せ、また打ちのめすほどだ。ですから、この神の美しさ、すなわち、三位であられる神は、一つであるがそれぞれに異なっており、互いに関係をもち、完全な一致がある。その存在が美であり、また経済であり、その愛にあふれる三位の交わりは、まるでダンスのようだ。そのダンスが、美しさを放っている。」

神の美しさは、肉体的な感覚からも私たちに伝わるのです。ともに神の臨在の中で交わり、食事を共にするとき、私たちも神のダンスに参加し、神の美しさを体験するのです。

私たちの教会が毎週食事を共にする意図は、ここにあります。毎週、ケビンさんが心を込めて用意してくれていること、とても感謝しています。
私たちは、神の交わりの美しさから喜びを頂き、神の美しさは、私たちにさらなる願いを引き起こし、その願いは、神に対する畏敬の念に導いていきます。

★受肉のイエス様を受け取る

この私たちを安息に招く神は、私たちのように肉体をまとって、この地に来てくださいました。これは、大きな意味があります。神は、私たちの肉体を祝福されているのです。イエス様の美しさ、それは、受肉、誕生、奉仕、十字架、死、復活、復活、その命に触れる時、私たちはその美しさ故に、もっと知りたいという願い、それが欲しいという願いがおき、そして、主への畏敬の念にかれるのです。
このイエス様は、私を覚えてこれをしなさいと、パンを裂きました。イエス様を覚えてパンを食しぶどう酒を飲むときに、このイエス様と一つとなるのです。救いを得、そして、まことの魂の安息に入ることができます。

ヨハネ6:55-58

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。

共同体の食事とは、イエス様を食することであり、神の美に招かれているということです。
#礼拝 #安息日 #詩編

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Sabbathシリーズ ③土地—贈り物の管理Land – gift steward

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日曜日は、マイカを日本に宣教師... 日曜日は、マイカを日本に宣教師として送るための援助金を稼ぐために、日本人教会でベイクセールをしました。めいめい家で用意しきた焼き菓子や日本のおはぎなど、なかには、お好み焼きも、売りました。日本式のスイートポテトパイも人気でした。バラエティー豊富、そしてグルテンフリーもあって、お客さんがたくさん来ました。 左がマイカ。お店番当番さんです... 左がマイカ。お店番当番さんです。たくさん売れて、収益も1000ドル以上になったと思います。いやーーーみなさんよく頑張りました。たーーくさん作りました。教会のみなさん、ありがとうございました。お客さんにもありがとうございました。 子供たちが作った、マイカの宣伝... 子供たちが作った、マイカの宣伝パネル! 上手でしょ?
2018年2月11日日曜日礼拝バイリンガルメッセージ音声はこちらから。。。
音声の方が書いたものより、内容があります。。。


安息日とは、神様からの贈り物だと初めの回で話しました。今日は、贈り物に対する態度について、神様の心を頂いてい行きたいと思います。

★土地、スペース

土地、スペースというのは、特別な意味が安息日においてはあります。神様が天地を創造され六日目に人をそこに置き、七日目を聖別し休まれました。すばらしい創造の美の中で、神は、人ともに、喜び楽しんだのです。神は、ご自分の造られた美の中にいらっしゃったのです。そこに、ともにいらして、満ちておられたのです。いわば、創造された世界が、神の神殿であったのであり、その神殿の中にいることが、神に捧げる聖なる式典だったのです。Eucharist

人は、そのスペースを治めるように役目を頂いていました。神の臨在されるその土地は、人にとっては、神からの贈り物でありました。gift
また、契約でありました。地を従えよと言われた神は、神との関係を通して私たちに地をまかされました。covenant

このことをまず初めに心に留めましょう。

Ⅰ列王記21全体ですが、ナボデのストーリーを順を持ってみて行きましょう。

★アハブ王が自分のためにナボデの土地を欲しがるV1-4

1このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。2 アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」3 ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」4 アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。

アハブは、自分の便利さのために、土地をナボデからお金で買おうとしました。この世の中でも、便利な場所は、地価があがります。このホライズンの土地も便利なので、いつも売ってくれないかという人が毎日のようにやってきます。不思議ですね、ここでも、前回の時と同じく、スペースさえも、お金と天秤にかけられているのです。

★ナボデは王の申し出を断った

ナボデはたとえ王の願いでも断りました。なぜなら、彼は、神からの贈り物がどんなに貴いか、そして、それを代々受け継ぐことの大切さをしっかり理解していたからです。これは、安息日のマインドセットであります。ユダヤの世界では、例え、土地を誰かに売っても、ヨべルの年には持ち主に返すことが定められていました。また、7年目は土地も一年間休ませることが義務付けられていた。(レビ25章) そのくらい、土地と安息の結びつきが強く、神から受け継いだ土地、賜物の感覚と、安息の感覚というものは根付いていたのです。

ナボデは、ぶどう畑を持っていました。ナボデは野菜畑にしたくて、俺様によこせっと言ったわけですが。。。ぶどう畑は、大切な喜びの祝宴に出す、ぶどう酒を作るためのものであり、ぶどう酒は喜びの象徴でもあります。また、ぶどう畑はよく、聖書でイスラエルにも例えられていますね。なぜなら、イスラエルは神の喜びだからです。

ナボデは、代々引き継いだこの土地、喜びを産み出すこのスペースを決して、王にさえも引き渡すことはできない。と断ったのです。神から頂いた贈り物をお金で売るものじゃないからです。私たちも、大切な人からもらった高価な品物をお金に変えるなんて、なんだか下品にかんじるのではないでしょうか。

私たちも、神の臨在のあふれるスペースに喜びを見出します。教会もそうですし、いつも神様と交わっている祈りのクローゼット、散歩道、車のなか、ビーチそれぞれに、カンファレンスなど、神が待っていてくれるスペースに喜びがあるんです。私たちは、そのスペースを大切にしているでしょうか?

★ユダヤ人ではない王妃イザベルが、ナボデを殺す v7, 9,

7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手を入れてあげましょう。」

9 手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、10 彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」

★預言者エリヤが遣わされる v17-19

17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。18 「さあ、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。』また、彼に言え。『主はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。』」

★結局、神様は、アハブとイザベルを裁かれます。

イスラエルの独自性をチャレンジした。ブドウ畑は、喜びを表す、野菜畑は、苦労toil を表し、そして、それは、エジプトを表します。奴隷生活。
私たちの生活も、いつもこの狭間で戦いがあるのではないでしようか。私たちを鎖でつないで働かせる力と、神の臨在と喜びの中で、楽しみ喜ぶスペースとの間で。。。
敵が私たちに仕向けてくることは、神を礼拝するスペースを奪い、私たちを神の子から奴隷に引き下げることです。
神があなたにお与えになった、礼拝のスペースを守ろうではありませんか。それは、神からの賜物であり、そして喜びです。
#礼拝 #安息日 #1列王記

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Sabbathシリーズ② Trust 信頼

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春に、日本に短期宣教師として遣... 春に、日本に短期宣教師として遣わされるマイカのために、今度、教会でベイクセールをします。自分たちで、焼き菓子などを焼いてきて、売ります。その収益で、マイカの飛行機代を払おうということに。。。 子供たちが、そのパネルを作成中... 子供たちが、そのパネルを作成中ー。とても上手にできました。
私は、バター餅、アンパン、ピーカンパイなどを作って出品の予定です。。。
毎月恒例の、今月のお誕生日祝い... 毎月恒例の、今月のお誕生日祝い。この写真は、先週取ったものですが、子供たちがどうしてもろうそくを吹くので、必死に。。。和美さんおめでとうございます。
ケーキは、これまたプロ並みの美味しいベリー三昧のケーキでした。
安息は信頼から始まる Sabbath begins with Trusting
2018年2月4日日曜日礼拝音声は、下をクリックしてください。


出エジプト16

みなさん、こんにちは、サバス安息日シリーズ二回目ですが、今日は、信頼について話したいと思います。神様は、モーセの十戒で安息を律法に定めたわけですが、実は、安息についてその前から、神様は人々に教えていたのです。出エジプト記の16章を開きましょう。みなさん、マナについてご存知ですか? エジプトで奴隷になっていた民が、モーセによって救い出され、約束の地に向かって四十年間荒野を旅しましたね。その四十年間神様が与えてくれたのがマナという食べ物でした。四十とは、試練を表す数字です。また四十年の荒野の旅は、私たちの地上の人生を表しています。私たちも、地上では旅人です。永遠の命、死後の世界こそ私たちのいのちの本番です。16章は、次のようなことから始まります。。。

★民のつぶやき

エジプトの方が良かった

3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。

死んでいた方が良かったと言う。。神様にお願いする前に、結論を出す

★神様は人々のつぶやきに答えられた

4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。

毎日天からパンが降って来る。。。何を連想しますか? イエス様をすぐに思い浮かべました。「天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは,わたしの父なのである。」「わたしが命のパンである。」また、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」と。ですから、み言葉のことをデイリーブレッド、日々の糧という風に言うんですね。

★マナについて

〇天からの贈り物であって、これは何だろう? というものであった。

13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。

〇各自が自分の食べる分だけ取った。が、それぞれの必要にピッタリだった。

16 主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみつろ、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。
〇欲ばって、また怠け心で、翌日まで取っておくと、腐った。
19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。

〇六日目には、いつもの倍を集めても腐らず、七日目は休むように言われた。

22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。

〇七日目には、マナは降らなかった。探しても見つからなかった。

25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。29 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」

〇マナから教えられること

労苦はその日その日に十分あると、イエス様が言われた通りですね。私たちは、日々の糧も神の賜物であるが、休みもまた神の賜物であることを覚える必要がある。

この箇所で見て、驚いた。人間の考えというのは、今も昔もあまり変わらないのだと。明日のためにたくさん今日は働いて取っておこうとしても、それは、腐り。七日目に糧を探しに行っても見つからない。人は、己が富むためにもっと働けもっと働けと自分を打ちたたく。しかし、神様がお定めになった賜物しか私を養い、私に益をもたらすものはないのです。労苦はその日その日に十分ある。明日のことは、明日が思い煩うのです。また、その日その日の労苦によって得た糧も、その日の生活に十分なのです。

それは、神様からの賜物だからです。人それぞれ多く集めたり少なく集めます。現代の社会でも、多く得る人少なく得る人もいます。隣の人を見ると自分よりも持っているかのように錯覚しますが、一人ひとり、十分食べたとあります。サイズが違っても、それぞれに満たされました。

マナにアクセスする方法とマナを自分の益とするためには、信頼と従順が必要であった。

休みに入るためには、信頼と従順が必要であった。

★”マナ” を子孫に伝えるという大切な使命。

32 モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見ることができるために。』」33 モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」34 主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。

モーセは、マナを保存して、子々孫々に神がマナを降らせ民を四十年養ったこととと、休みを与えたことを伝えるように言われました。

私たちにも、安息の精神を次世代に伝えるという使命がある。それは、今日、あなたが天からのマナを受け取ることにかかっています。また、七日目に休みに入ることにかかっています。両方とも神様からの贈り物、賜物です。賜物を受け取るには、神様が良いものを下さる良い方であると、信頼し、そして、その通りに従順にやってみることです。私たちのマナの生きざまを通して、証しをしていきましょう。

マナとは、「これは、いったい何だろう?」という意味です。その時その時には、これは、いったい何だろうと、疑問に思うこともあるかも知れませんし、また、周りの人から見て、これは何だろう? かもしれませんね。特に試練の中では、これは何だろう? と思うことが多いです。これは、何だろう葉、神様からの贈り物です。日々神様を信頼して、その日その日の何だろうを受け取っていきましょう。そして、休ませてもらいましょう。


#礼拝 #安息日 #出エジプト

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Sabbathシリーズ① Time 時

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礼拝後。大好きなお兄ちゃんと遊... 礼拝後。大好きなお兄ちゃんと遊ぶ子供たち。。。六時前まで教会で遊んでました。。。
2018年1月21日日曜日礼拝音声は、


今日から新しいシリーズを始めていきたいと思います。それは、安息日、英語ではSabbath といいます。安息日について調べれば調べるほど、もし、神を信じているクリスチャンたちが、本当の意味で安息日を守るならば、この世の中は変わるだろうな。。。と思わされました。今日は、シリーズのイントロダクションとして基本的なことを話したいと思います。

★安息日のはじまり

安息日のはじまりは、この世のはじめ、天地創造の時からありました。私たちのイメージの安息日とは、きっと日曜日の感覚かもしれません。歴史の中で、人が休まずに働くと効率が悪くなると、宗教的な意味以外でも、日曜日が休みになったという背景があります。EX) Soviet Union; 1929 restructure the calendar, communal resting. ちなみに、ユダヤの世界では、金曜日日没から土曜日の日没まで。ろうそくをともして始まります。

創世記2:1-3 Genesis2:1-3

1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。

★神は祝福され、休まれ、その日を聖であるとされた。

神は、創造の業をなさるときに、神に似せられた人間と7日目の安息日を祝福されました。人と安息には神の好意と守りがある。それが栄えるように神は祝したです。

神は、疲れたから休まれたのでしょうか? よく人間的な考えで、神は疲れたのだとか、いや神は疲れないから、人間に見本を示したのだとか言われますが、神は疲れたので休んだのではないのです。

全て、素晴らしく整えられた世の中をみて、ご自分に似せられた造られた素晴らしい人間たちを見て、それを楽しんでいたのです。何かをすることから手を留めて、過去六日日間、いや神様にとっては計画のはじめからの思いかもしれません、振り返り、ああ、よかった、と思いを巡らせていたのです。創造の御業を楽しんでいたのです。

神は、その日を聖とされました。神が創造されたもので聖とされたのは、安息だけです。聖とする、聖別するとは、どういう意味でしょうか?
それは、神のために取り分けるということです。お取り置きすることです。すなわち、他のものと分けること。分離することであります。ですから、他の六日間とは別にするということです。神が、聖なる日と定めたのはこの日だけです。

★時間Time is the heart of existence.

神は、七日には何も造られなかったのですから、何を聖いとしたかというと、一日、すなわち時間ですね。少し、時間について考えてみましょう。
人間の存在に意味を与える時間とはなんでしょうか。今の世の中は、エコノミーと時間が密接に関係している。タイムイズマニーでしょ?どれだけお金を稼ぐ能力があるかわかる、労働時間が、一番の価値をもつでしょうか?
エコノミーとくっついている時間の概念には、いつも時間は前へ前へ進んでいる。前に進むことしか概念にありません。しかし、立ち止まって、過去を振り返らなければ、感謝や教訓はうまれないのではないでしょうか。
時間は、人をコントロールしています。一日のスジュール、一か月、三カ月、半年、一年。。。人は、時間のコントロールから離れなければ、遊び、楽しみを得ることはできないのです。時間の感覚から解放されてはじめて、遊びの感覚が生まれるのです。

時間は生活にリズムを与える。習慣をもつ。人は、時間でリズムを作ります。中毒のリズムもあれば、宗教的なリズムもあります。。。時間の概念から離れなけれは、私たちに見えないものがある。

★ 安息は神の特徴 Sabbath is God’s Signature

安息は、神様からの贈り物です。私たちが稼いでもらったものではない。けれども、私たちは、休むために働くという感覚がある。旅行に行くまでに、これだけのことを済ませておかないと。。。などなど。。。最もなことです。この私も、時間を作らないと休めないという現状があります。このへんもどうしたらいいのか、一緒に考えていましょう。
安息は、週日のためにあるのではなく、人のためにあります。イエス様も言いましたね。安息日は、人のためにあると。。。。
安息は、神の祝福が宿る時間。すなわち、神がともにいらっしゃる神の臨在なのです。
安息は、聖なるもの。世の中の雑踏から切り離すものです。
安息は、楽しむことです。安息の特徴は、楽しみです。神の創造を見て、素晴らしい、神様と一緒に楽しむことです。
安息は、振り返ることです。リフレクション。今までの歩みを振り返り感謝することです。また、時には、涙するかも知れません。

他の旧約聖書の箇所では、

★旧約聖書の記述 In the Old Testament

出エジプト20:8-11 ザカー 覚えておく
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息日である。あなたはどんな仕事もしてはならない。—あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も—11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。

出エジプトでは、覚えておくことが強調されています。神が世界を創造された創世記に思いをはせて、創造のすばらしさ、神が楽しまれたように。。。また、人という人は皆、安息に招かれています。奴隷も外国人たちさえも。ですから、安息は、何も神を信じている者たちだけのものではないのです。みな招かれているのです。安息は、信じている人たちと信じていない人たちを線引きする日でないのです。

レビ23:3 Leviticus23:3
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。

安息は、交わりとコミュニティーのための日であります。また、みなでともに楽しむ日です。

申命記5:1 Deuteronomy5:1 シャマー オブザーブ

1 さて、モーセはイスラエル人をみな呼び寄せて彼らに言った。聞きなさい。イスラエルよ。きょう、私があなたがたの耳に語るおきてと定めとを。これを学び、守り行いなさい。

モーセの出エジプトから、四十年たって、シナイ山で与えられた十戒を強調し、生活のリズムとして守り行うように。。。神が、奴隷の状態から解放してくれたのだから、なおさら安息を大切にするべきだという意味が込められている。

〇安息日は、神の民の特徴であり、神の特徴であります。神への感謝であり、神とともにあり、神と過ごす日です。
#礼拝 #安息日 #創世記

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ユダヤ教安息日体験

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大きなシナゴーグの天井はぐーー... 大きなシナゴーグの天井はぐーーーんと高く、空から星が落ちてくるような風になっています。すごく美しいです。ちゃんと写真が取れなかったのが残念 外は、こんな感じ。前の二人は1... 外は、こんな感じ。前の二人は180cm はあるとおもうので、どれだけ大きな建物か分かりますかね。。。天井が高ーーーいです。 会堂の前には、こんな感じで、メ... 会堂の前には、こんな感じで、メノーラなどのモチーフ、金色で豪華な感じです。。。大理石かなーー 小さいおヘや。真ん中の扉には、... 小さいおヘや。真ん中の扉には、聖書の巻物が入っています。途中で、ラビがじゃじゃーーん、という感じで開いて、巻物を取り出し、前の大きなテーブルに広げて読み上げます。 これは、安息日に使う、祈りや聖... これは、安息日に使う、祈りや聖書のみ言葉が
ヘブル語と、英語で書いてる本です。
聖書朗読には節がついていて歌いながら読みます。昔は、ニクドや句読点がなかったので、歌いながら読み方、区切り方を覚えて伝えたそうです。そのなごりだそう。。
みなさん、こんにちは

先週の土曜日には、素敵な体験をしました。

大学院の授業で、霊性と安息日というのを取っているのですが、
その授業の一環で、ユダヤ今日のシナゴーグを訪問することになりました。

シアトルのにあるシナゴーグは、とても豪華でした。1970年代に建ったようです。

大きな天井の高い会堂は、ステンドグラス風のモザイクの窓がとても印象的。
そして、いろんなところに、ダビデの星のモチーフ、メノーラ、モーセの十戒のタブレットなどのモチーフがほどこされています。

私たちは、小さいお部屋で、安息日の集いに参加しました。
ラビもとてもやさしく、みなさんもあたたかく迎えてくれました。

ユダヤ教は、もてなしの心が伝統ですが、本当にそれを肌で感じることができました。
おばあさんに、今日は、あなたたちと一緒にできてうれしかったよ。また来てね。と。

また、ラビもいろいろと私たちの質問に答えてくれました。

安息日の集いは、たくさんの祈りと、聖書の朗読、また聖書の内容のディスカッション、歌などがありました。
一時間ほどの集いのクライマックスは、聖書の巻物が現れ、それをラビがもって会衆の間を歩きます。
会衆は、お辞儀をしたり、キスをしたりして、神の言葉にたいする敬意を表します。

私の予想していたユダヤ教とは違っていまた。聖書の理解ももちろん、旧訳に関してですが、私たちに近いですし、神の言葉を愛する態度も素晴らしく、たくさん共感することがありました。

また、日本人としても、共感しました。
それは、集いの終わりにその日に亡くなった方々の名前を読み上げ、家族のために祈っていたことです。
ユダヤ教は、「記憶する」ことを大切にしていることは、旧約聖書を通して知っていましたが、死者に対しても、忘れない態度、というのは、非常に感動しましたし、何か、日本人にも通ずるあたたかい気持ちを感じました。

一つ、ラビから、優しく言われた言葉が、クリスチャンは、自分たちの教理の方が究極で優れていると思っていると思いますが、
そんなに素晴らしい教理なら、それに従って、よい行いをしてください。。。
と、

クリスチャンの国と言われている国ではありますが、アメリカに住んでいる悪は、底知れず、また、究極の資本主義、マテレアリズムは、強烈です。

「行いのない信仰は、死んでいる」という言葉が

新約聖書にもあります。

深く心に刻みました。

イエス様の究極の愛に従って、その教えの通りに生きるものでありたいと思った安息日の出来事でした。

いい体験をさせいただきました。

感謝しますーー

#安息日 #ユダヤ教 #大学院

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