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  • Sabbathシリーズ ③土地—贈り物の管理Land – gift steward

Sabbathシリーズ ③土地—贈り物の管理Land – gift steward

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日曜日は、マイカを日本に宣教師... 日曜日は、マイカを日本に宣教師として送るための援助金を稼ぐために、日本人教会でベイクセールをしました。めいめい家で用意しきた焼き菓子や日本のおはぎなど、なかには、お好み焼きも、売りました。日本式のスイートポテトパイも人気でした。バラエティー豊富、そしてグルテンフリーもあって、お客さんがたくさん来ました。 左がマイカ。お店番当番さんです... 左がマイカ。お店番当番さんです。たくさん売れて、収益も1000ドル以上になったと思います。いやーーーみなさんよく頑張りました。たーーくさん作りました。教会のみなさん、ありがとうございました。お客さんにもありがとうございました。 子供たちが作った、マイカの宣伝... 子供たちが作った、マイカの宣伝パネル! 上手でしょ?
2018年2月11日日曜日礼拝バイリンガルメッセージ音声はこちらから。。。
音声の方が書いたものより、内容があります。。。


安息日とは、神様からの贈り物だと初めの回で話しました。今日は、贈り物に対する態度について、神様の心を頂いてい行きたいと思います。

★土地、スペース

土地、スペースというのは、特別な意味が安息日においてはあります。神様が天地を創造され六日目に人をそこに置き、七日目を聖別し休まれました。すばらしい創造の美の中で、神は、人ともに、喜び楽しんだのです。神は、ご自分の造られた美の中にいらっしゃったのです。そこに、ともにいらして、満ちておられたのです。いわば、創造された世界が、神の神殿であったのであり、その神殿の中にいることが、神に捧げる聖なる式典だったのです。Eucharist

人は、そのスペースを治めるように役目を頂いていました。神の臨在されるその土地は、人にとっては、神からの贈り物でありました。gift
また、契約でありました。地を従えよと言われた神は、神との関係を通して私たちに地をまかされました。covenant

このことをまず初めに心に留めましょう。

Ⅰ列王記21全体ですが、ナボデのストーリーを順を持ってみて行きましょう。

★アハブ王が自分のためにナボデの土地を欲しがるV1-4

1このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。2 アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」3 ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」4 アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。

アハブは、自分の便利さのために、土地をナボデからお金で買おうとしました。この世の中でも、便利な場所は、地価があがります。このホライズンの土地も便利なので、いつも売ってくれないかという人が毎日のようにやってきます。不思議ですね、ここでも、前回の時と同じく、スペースさえも、お金と天秤にかけられているのです。

★ナボデは王の申し出を断った

ナボデはたとえ王の願いでも断りました。なぜなら、彼は、神からの贈り物がどんなに貴いか、そして、それを代々受け継ぐことの大切さをしっかり理解していたからです。これは、安息日のマインドセットであります。ユダヤの世界では、例え、土地を誰かに売っても、ヨべルの年には持ち主に返すことが定められていました。また、7年目は土地も一年間休ませることが義務付けられていた。(レビ25章) そのくらい、土地と安息の結びつきが強く、神から受け継いだ土地、賜物の感覚と、安息の感覚というものは根付いていたのです。

ナボデは、ぶどう畑を持っていました。ナボデは野菜畑にしたくて、俺様によこせっと言ったわけですが。。。ぶどう畑は、大切な喜びの祝宴に出す、ぶどう酒を作るためのものであり、ぶどう酒は喜びの象徴でもあります。また、ぶどう畑はよく、聖書でイスラエルにも例えられていますね。なぜなら、イスラエルは神の喜びだからです。

ナボデは、代々引き継いだこの土地、喜びを産み出すこのスペースを決して、王にさえも引き渡すことはできない。と断ったのです。神から頂いた贈り物をお金で売るものじゃないからです。私たちも、大切な人からもらった高価な品物をお金に変えるなんて、なんだか下品にかんじるのではないでしょうか。

私たちも、神の臨在のあふれるスペースに喜びを見出します。教会もそうですし、いつも神様と交わっている祈りのクローゼット、散歩道、車のなか、ビーチそれぞれに、カンファレンスなど、神が待っていてくれるスペースに喜びがあるんです。私たちは、そのスペースを大切にしているでしょうか?

★ユダヤ人ではない王妃イザベルが、ナボデを殺す v7, 9,

7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手を入れてあげましょう。」

9 手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、10 彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」

★預言者エリヤが遣わされる v17-19

17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。18 「さあ、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。』また、彼に言え。『主はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。』」

★結局、神様は、アハブとイザベルを裁かれます。

イスラエルの独自性をチャレンジした。ブドウ畑は、喜びを表す、野菜畑は、苦労toil を表し、そして、それは、エジプトを表します。奴隷生活。
私たちの生活も、いつもこの狭間で戦いがあるのではないでしようか。私たちを鎖でつないで働かせる力と、神の臨在と喜びの中で、楽しみ喜ぶスペースとの間で。。。
敵が私たちに仕向けてくることは、神を礼拝するスペースを奪い、私たちを神の子から奴隷に引き下げることです。
神があなたにお与えになった、礼拝のスペースを守ろうではありませんか。それは、神からの賜物であり、そして喜びです。
#1列王記 #安息日 #礼拝

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