いよいよ明日早朝。
白峰三山縦走に出発です。
ザックを引っ張り出してグラム単位の軽量化を実行。
なかなか難しいですねぇ・・・。
あまり食料など削りすぎると、
いざという時不安です・・・。
山で着る物も極力増やさないように気をつけるのですが、
最低限はやはり必要です。
3000メートルになるととにかく寒いです。
出しては削ったり戻したりを繰り返してしまいます。
膝に不安があるのでスティックを持っていくことにしました。
これがまた若干重量を増やします。
デジカメも結構重量がありますね・・・。
最大の重量はやはり水です。
小屋まで水を補給することができないので、
下から担いで行くしかありません・・・。
山で問題になるのは水です。
湧水があれば別ですが今回は全く期待できません・・・。
中央アルプスで女性二人が落雷にあったとニュースでやっていました。
今回はこの落雷も怖いですね・・・。
とにかく行程が長いのでいろいろ気をつけることが多いです。
これを書き終わって就寝前にまたチェックです。
今回の登山コースが出た。
広河原から北岳、肩の小屋へ向かう右俣コースがルートに選ばれた。
近年北岳バットレスの崩壊が進んで、
落石が多発しているとの情報があり、
急きょ変更されたようだ。
このコースタイムは登り6時間。
休憩、食事などの時間を入れると、
8時間近くかかってしまうかもしれない・・・。
小太郎尾根に登る直下の急登が一番の難所となりそうだ。
肩の小屋までが第一の目標だ。
二日目は、肩の小屋から大門沢小屋までで、
このコースの通りの行程を行くと、
9時間を超える尾根歩きとなる。
休憩を入れて食事の時間を考えると、
10時間近くになる可能性もある。
西農鳥岳から農鳥岳へのアップダウンが相当きつそうだ!!
かなりハードな山歩きとなる!!
最後は、大門沢小屋から奈良田温泉までとなる。
前日厳しい行程をこなすため若干時間的には楽だ。
さて、計画の概要は決まった。
果たして膝は耐えられるだろうか・・・。
行けるところまでとにかく行ってみるしかない・・・。
しかし、一度踏み込んでしまうと撤退は許されない。
ま、覚悟を決めるしかなさそうだ・・・。
北岳から望む間ノ岳への山道だ。
出発は来週の7日と決まった。
後に引けない状況が迫ってきている・・・。
とりあえずひざの痛みをとにかくとることになった。
ひどい痛みということもないので、
うまくすると今週中にかなり改善できるかもしれない。
希望的観測が入ってる感じがする。
しかし、とにかく希望を持たないと気分が沈んでしまう。
この間ノ岳への道はまだいいほうかもしれない。
ここを越えてからが本格的な登山道になる。
とりあえず今週末が勝負どころだ・・・。
今回、登る予定の北岳の雄姿だ。
しかし、ここでアクシデント発生。
副側靱帯を痛めていることが判明・・・。
どうも階段の上り下りの時にひざが痛いなと思ってはいたが、
痛めているとは思わなかった・・・。
ジョギングで迷った時に痛めたらしい。
かなりの長時間走らされた結果だ・・・。
まだ様子を見る段階だが、
日本第二の高峰を果たして登れるかどうか・・・。
黄色信号がともってしまった・・・。
他のメンバーはすでに休暇をとり準備を進めている。
今回の隊長には報告してあるが、
ちょっとマイッタ・・・((+_+))
かなりの険しさを考えると、
どうしても不安がよぎる・・・。
回復するだろうか・・・。
明日中央線「鳥沢駅」より、
「扇山」という1138メートルの山に登ってきます。
早朝出発の日帰りの山です。
曇りの天気予報ですが、
雨が降るかもしれないという不安あり・・・。
山は雨が降りやすいので、
ちょっと降られるかなという感じです。
明日の夕方からは確実に雨になるようです。
帰りに「君恋」温泉に寄る予定ですが、
温泉につかって降る雨を眺めるぶんには、
一向に構わないのですが・・・。
どうでしょうか・・・。
どういう登山になるか・・・d=(^o^)=b
乞うご期待を・・・。
今日は曇っていて寒いですねぇ!!
また雪でも降ってきそうです・・・。
最高気温が5度だそうです。
本屋さんで日本の100人という本を見つけました。
本の宣伝をする気は無いですが、
この中で「植村直己」を見つけました。
日本最大級の冒険家です。
1984年に厳冬期のマッキンリーで登頂を果たすも、
下山中に遭難。
このときの報道はいまだ覚えている。
地元減りのパイロットが植村の姿を発見という報道があった後、
再び分からなくなり、
そのまま行方不明という結果に終わった・・・。
このときの姿をみたというのは間違いということになっている。
自分が山を登り続けているひとつの原点は、
この植村直己の望見に触発されたことが大きい・・・。
レベルはまったく話しになりませんが、
常にチャレンジしていこうという気持ちは分かるような気がする。
遭難死の後、西田敏行主演で映画が作られたが、
それも見に行った。
厳冬期のマッキンリーを制覇して、
北海道に自然教室を開くという構想の直前の遭難。
遭難死の後、国民栄誉賞が贈られたが、
生きているうちにあげて欲しかった気が・・・。
今はいろいろな冒険をする日本人の話を聞きますが、
日本の近代の冒険のさきがけになった人ですね。
パソコンのキーを打つ指が寒くて、
握ったり開いたりしながら思いをはせるしだいです。
写真は本からで、
最後の植村直己の雪洞での姿、
その雪洞に残された最後の装備です。
ついにというか・・・、
いよいよと言ったほうがぴったりかな・・・。
「奥穂高岳」登山日記も最終回になってしまいました。
8月20日から始まって、
9月9日まで、
3案週間の長きに渡って書き連ねたきました。
毎回訪ねてきていただいて、
ありがとうございました。今年の「奥穂高岳」登山は、
去年から一年ぶりの登山となりました。
去年、夏の「中央アルプス」から登山の計画はするのですが、
天気に恵まれなかったり、
コンサートにぶつかったりで、
結局すべてボツになってしまいました。しかし、一年ぶりの登山にもかかわらず、
「奥穂高岳」は最高のお天気で迎えてくれました。
今までの写真で紹介したとおりです。
25年間登山をしてきましたが、
これほどの天候に恵まれることはまれです。
北アルプスの大風景を180度で眺望できたのは何よりの幸せでした。話は戻って、
「前穂高岳」を下って「重太郎新道」に突入しましたが、
急降下の下りと岩ごろの道は相変わらずで、
足元は常に危険に晒されています。最初の写真を見ていただくと分かるのですが、
前に立っている人のはるか下の岩まで、
いっきの下りです。
かなりひざによろしくないわけです。
このような下りを繰り返しつつ、
高度は着実に下がっていきます。途中には斜面いっぱいにお花畑などあり、
険しくなっている気分をほっとさせてくれます。下りの途中でハッとして上を見上げると、
もう越えてきた山の頂は、
はるか頭上のかなたになってしまっていました。
なんだかいやに現実に戻ったような気分になります・・・。いい加減下り道にも嫌気が差してきて、
顔もこわばってきたころ、
ようやく「岳沢ヒュッテ」が見えてきました。
この小屋を過ぎると山の展望はまったくなくなります。
最後に見えた真っ白な雪渓を写真に撮りました。
ごつごつした岩の間に真っ白に輝いていて、
非常にきれいでした。この小屋は、8月中はお店をやっているので、
とにかくコーラを飲みたくてしょうがありません!!小屋に着くとまずコーラを飲み、
「おーいお茶」のペットボトルを、
2本立て続けに飲んでしまいました・・・。
体の水分が出きってしまって、
干からびた状態になっていたと思います。「岳沢ヒュッテ」を過ぎると、
岳沢の下りです。
それにしても今までの「重太郎新道」はつらかった・・・。岳沢の下りも楽ではありませんが、
「重太郎新道」よりはまだましかな・・・。
これからはもう樹林帯の道です。
景色も展望もなくなります。上高地の河童橋を目指してただ歩き続けるのみです。
樹林帯の途中で雷がなり、
少し降られましたが、
濡れるがままの自然児状態で歩き続けました。「奥穂高岳」から6時間の下りをついに歩き続けて河童橋に到着。
河童橋から始まって、
ぐるっと一周してまた河童橋に戻ってきたわけです。
お天気に恵まれた最高の登山でした!!(^o^)丿しかし、「穂高岳」というと北アルプスでもぴか一の知名度ですが、
実態は、かなり厳しい登山の山でした。
今年は例年より多くの事故があったという話を、
帰りのタクシーの運転手の方から聞きました。
その事故名簿に入らなくて良かったと思います。これで登山日記はすべて終わりました。
かな危険な吊り尾根を越えて、
ようやく「前穂高岳」到着。早速「前穂高岳」登頂開始。
登り30分という時間を見て、
これは楽勝コースかなと思いきや・・・。
なかなか厳しい岩登り・・・。
気楽にホイホイなんてコースはどこにもないですね(>_<)写真の最初は、今越えてきた「奥穂高岳」
二枚目は、「奥穂高岳」と「涸沢岳」の山間にある穂高岳山荘・・・。
(もうあんなに小さくなってしまっている・・・。)
見た瞬間に、思いありです。この頂上には、今日の帰りの時間を考えると、
のんびりしていることは出来ません。
ドンという重量感のある「奥穂高岳」を振り返りながら、
昨日泊まった「穂高岳山荘」を眺めながら、
「さよなら奥穂高・・・。」まだ帰りの下りの道のりは長いのです。
すぐに足元を見て下り始めます。三枚目の写真には、はるか上高地と、
眼下に見えるこのコース唯一の平らな空き地、
「紀美子平」が見えます。
「紀美子平」というネーミングは、
なんだか少女の名前のようでロマンチックですが、
由来は、穂高岳山荘を開いた、
今田重太郎氏の娘さんで、若くして夭折したのを惜しみ、
名付けられたということです。この写真を見ていただけると、
この下りがいかに急なものかわかると思います。
登りもこの道を登るわけなので厳しいわけです・・・。いよいよ「紀美子平」を後にして重太郎新道に入ります。
前に「重太郎新道」と「吊り尾根」が同じ道だと書いたことがありますが、
間違いです。
「吊り尾根」はこの「紀美子平」までで、
この先「岳沢」の下りまでは、
「重太郎新道」と呼ばれている道です。この「重太郎新道」がまた怖い下りとなっていました。
最後の写真です・・・。「お嬢さん、その足元の絶壁を降りないと帰れませんよ・・・」
一言声をかけたくなります・・・。
鎖があるとはいえ、
この絶壁を降りるのは、やはり危険だし、
恐怖感が沸いてきます・・・((+_+))
「前穂高岳」を目指して岩ごろごろの道を、
緊張した面持ちで歩き続けていると、
突然!視界が開けて、
「梓川」の白い一本の流れが目に飛び込んできた。(上高地だ!)
なんだかつい一昨日まで歩いていた、
上高地が目に入ってくると、
懐かしさがこみ上げてきた。
特別何をおいてきたというわけではないが、
今までの緊張感から、
一瞬開放された気分になったのかもしれない・・・。ここまで歩いてきた登山者は、
ここで必ず一回は歩を止めると思う・・・。
ほっ!とする瞬間だ・・・。涸沢カールも見えてきて、
涸沢ヒュッテが眼下に見える。
今、下に見ながら通り過ぎようとしている。
まだまだ、なを険しい崖が続いている・・・。
「前穂高岳」までの道のりは厳しい。絶壁の回廊を歩き続けていると、
渋滞している箇所に出くわした。
どうも話を聞いていみると、
「近畿日本ツーリスト」の、
穂高登山ツアーの人たちらしい・・・。
ツアー会社の登山隊は、
もうどこにでも来ているという感じ・・・。ここに来て怖い箇所を越えるのに、
手間取っているようだ。
足の出なくなった人もいるようで、
添乗員がエスコートして越えさせているようだ。
待っていることも出来ないので、
先に行かせてもらうが、
確かに怖い箇所で、
写真を撮る余裕はなかった・・・。「前穂高岳」まではもう一息だ。
しかし、この穂高の「吊り尾根」歩きは、
全体的に怖い!!
奥穂高岳の頂上から下り始めて、
右手には「ジャンダルム」、
正面には「前穂高岳」が見えていた。「前穂高岳」までの道のりは「重太郎新道」といって、
「穂高岳山荘」を建築した今田重太郎氏の名前をつけられている。
河童橋から見える「吊り尾根」は、
ここの道のことだ。歩き始めると、
道は、それまでより一段と険しさを増してきた。岸壁を慎重に両手両足を使い支えながら歩く。
垂直の崖を岩を踏みながら下る。これまでとははっきり違う世界が待っていた。
写真で見ると、
とても危険で歩けないような世界だ。
こういう場所を歩いている時は、
無我夢中で何も感じていないのが実際だ。
怖いという気持ちはあるが、
引き返すことも出来ないので前進するしかない。
腹をすえてしまうと意外に恐怖はあまり感じない。
むしろ今、写真を見ているほうが、
よほど怖い気がする。穂高では時々滑落死亡事故が起こるが、
それもよく理解できる・・・。
自分がその当事者にならないように、
とにかく慎重に岩に足をかけて歩いていく・・・。1時間半ほどかけてようやく「前穂高岳」の近くまで到着。
「前穂高岳」の麓の唯一広がる、
「紀美子平」にはもう少しだ。
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