-
キハ55の成功は、無煙化と高速化を同時に達成する手段として各管理局からの配置要望も多かったそうです。準急気動車が気動車化されても、急行は客車列車の場合も多く、気動車化は喫緊の課題でした。ただ、キハ55は気動車としては優秀でも、車内設備は貧弱であったことから、特急列車並みの車体幅とした、急行気動車の開発が進められることになりました。実は、製造に関しては北海道向けの車両開発が先行したため形式的にはキハ56【北海道用】キハ57【信越線】キハ58の順で製作されました。昭和36年1月に先行試作車が完成しました。キハ55と基本的なスタイルは同じですが、車体幅は2900 mm となり、車体幅を絞る形となった...
-
今回から、新しい取り組みと思ったのですが、新年から新しい話題にするのが良いかと思いましたのでもうしばらく続けさせていただきます。液体式気動車の系譜戦後の液体式気動車(昭和35年頃までは液圧式)は、キハ44500(称号改正後はキハ15)からスタートしました。液体式気動車の歴史を簡単に振り返ってみますと、上記のキハ44500試作車を経て、昭和29年から量産型と言える、キハ45000(後のキハ17)が製造され、派生して2エンジン車仕様のキハ44600(後のキハ50試作車を経て)キハ44700(後のキハ51)が誕生、その後、準急用としてキハ44800(後のキハ55)が誕生します。キハ55が誕生して、初...
-
アジア鉄道首脳者会議 がきっかけで始まった特急気動車開発特急気動車の開発は、昭和34年から開発がスタートしました。昭和31年キハ55により、2エンジン車体と軽量車体により高速の優等列車の可能性が高まったことから、以前から構想はあったようです。当時、日本国有鉄道総裁であった十河信二の提唱で始まった、アジア鉄道首脳者会議 (ARC = Asian Railways Conference)、(昭和33(1958)年に第1回が開催)が再び昭和35年に開催することが決定したこともあり、客車特急はつかり号を気動車に置き換えることで接客サービスの向上を図ることが正式に決定されたのでした。エンジンは従来のエン...
-
今回は、キハ55の後に試作された高出力気動車、キハ60のお話をさせていただきます。昭和31年、キハ55形気動車が試作されましたが、昭和34年には、DD13形機関車に使われているエンジン(500 PS)を横型にした上で出力を低下させ400 PSとした気動車が3両試作されました。形式はキハ60とキロ60で、昭和35年1月29日に落成しています。ちなみに、キハ60-1は東急車輛製造、2は帝國車輛工業で製造されています。また、キロ60は新潟鉄工が製作に携わりました。製造後、各種主権などが行われたようです。鉄道技術研究所大井分室で60系ディゼル動車定置試験 2/8~2/19東海道線 藤沢~茅ヶ崎間で60...
-
少し間が開いてしまいました。本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きましたが、DMH17系エンジンの出力は150 PSその後はエンジンに予燃焼室設けて160 PS、その後180 PSまで引き上げられました、しかし、勾配線区では力不足を露呈してしまい。25‰勾配がある線区には配置しない等の措置が講じられていました。しかし、気動車の配備要望は強く、勾配線区では2エンジンの方針が...
-
軽量化された。キハ45000 概要液体式気動車として、キハ44500形に試作車をベースにして、前面を貫通構造にしたキハ45000形が、昭和28年10月上旬から随時完成したと記録が残っています。当初の車両は客車をそのまま気動車に置き換えたような配置でドアのすぐ横まで4人ボックスが並ぶ全クロスシートでした。非力なエンジンをカバーするために、車体幅はキハ44000に準じた大きさで、車体幅は2700 mmにするなど従来に客車などと比べると一回り小さな車体となっていました。また、車内も軽量化されており、ひじ掛けも省略し、座席の高さも低くするなど徹底的な軽量化がなされました、ただし、台車はその設計に難があ...
-
本日は、液体式気動車の発展と言うことで綴らせていただこうと思います。現在は電車の部品と共用する目的から、鉄道車両では電気式を選択する例も増えていますが、国鉄時代はDMH17エンジンに液体変速機の組み合わせが圧倒的で、昭和43年から量産された181系や同エンジンを積んだ、キハ65等を除けば非電化区間の主役としてそれこそ日本全国走っていました。日本で液体式が発展した背景には、欧米と比べると貧弱な線路にもその原因はあったと言われています。DMH17系エンジンは、戦前のGMH17(ガソリンエンジン)をディーゼルエンジンに設計変更したものが基本で、液体変速機共々戦前に設計されたもので初期のDMH17系エ...
-
戦後の仇花、天然ガス動車今回は、戦後一時的に使われた天然ガス動車のお話をさせていただこうと思います。戦後の一時期、新潟県と千葉県で天然ガスが採取できたことから。ガソリン不足で休車となっていたキハ42000(後のキハ07)を改造して天然ガスで走れるようにした車両が存在したそうです。天然ガスが噴出する千葉では鉄道の救世主にそこで、当時の技術資料などを参考にしてみますと、昭和21年頃から天然ガス動車を活用してはどうかという意見があったそうです。天然ガス動車の技術は昭和10年頃には完成していたそうで、小湊鉄道は昭和16年に内燃気動車(ガソリン車)の天然ガス気動車化の改造を行い戦時中も気動車を運転したと...
-
1)戦前はガソリン動車、戦後はディーゼル動車戦前の国鉄でも、実は気動車は運用されており、特に地方ローカル線などでは経営の合理化として使われる例がありました。戦前の気動車としては、大宮の鉄道博物館に保存されている、キハ41000形(キハ04)やキハ07(キハ42500形)が存在しましたが、戦前はディーゼル機関車ではなく、ガソリンエンジンを搭載した気動車が一般的でした。ディーゼル機関の開発は遅く、試作エンジンが、昭和11年に作られました。試行錯誤の結果、予燃焼室付きのでエンジンが開発され一応の完成を見るのですが、戦争の激化により開発は中止されてしまいます。この時試作されたエンジンが、戦後の気動車化...
-
東武を震撼させた157系157系の登場が、昭和34年、東武の1720系(DRC)の登場が昭和35年ですから、東武が157系の登場に危機感を持ったのは言うまでもありませんでした。東武がどれ程危機感を持っていたかといいますと、昭和31年から製造していた1700系に代えて、新しい車両を投入したこと、更に従来車の1700系も、昭和45年、更新の際、ボディを載せ代えて1720系と同じ仕様にしています。157系諸元ここで、東武に1720系(DRC)を導入させる切っ掛けとなった157系について簡単に紹介させていただきます。157系直流電車 4M2Tの6両編成 Mc+M'+T+Ts+M'+Mc電車としては...