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ローカル線と呼ばれる地方線は、元々鉄道敷設法に基づき建設されることとされていましたが、鉄道で輸送するには過剰な輸送力になるような地域もありました。 戦後、膨大な赤字を抱える国鉄とすれば、儲からないローカル線は、積極的に敷設したくないと言うのが本音でした。国鉄はマッカーサー書簡により、公社と呼ばれる、独立採算制を建前とする、企業性と公共性を有する特殊な形態の組織再編されました。当時の政府は、国鉄を国の組織として置いておきたいと言う思惑も有りました。当時の陸上輸送は、実質的に国鉄しかなかったこともあり、全国から鉄道建設の要望があり、政府としても鉄道敷設法に基づき建設を進めようとしますが、連合軍(...
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ローカル線問題とは直接関係ありませんが、昭和25年からは、貨物輸送についてもサービス改善が図られ、小口貨物輸送専用のワキ列車が、汐留~梅田間および吹田~門司間に設定されました。 汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。 改善の動機はドッジ・ラインによる縮小経済で貨物輸送が減少したことと、トラック輸送や船舶輸送の復旧が進みサービス改善に迫られたことも原因としてありました。 その後、朝鮮特需で需要は伸びたものの、ピークを過ぎると貨車の遊休が目立つようになったので国鉄では、サービスアップと貨車の有効活用を図るために、昭和27年9月から小口貨物の速...
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国鉄では、ローカル線の割増運賃を導入することを検討し、実施することとなりました。 昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) には割増運賃として基本賃率の1.75倍を課した運賃となっていました。 この方式は4線区に導入されましたが、翌年に新線建設補助特別措置法が成立するとこの制度は廃止されました。 新線建設補助特別措置法に関しましては、下記に関連blogを、最下段に条文を載せましたので参照願います。 なお、割増運賃制度は、後年ローカル線問題が再燃する中で導入されますが、こういった事例がすでに、昭和35年頃にはあったことを理解しておいて頂きたいと思います。 なお、この制度を見て...
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この章では、国鉄解体問題の端緒となったとも言え、現在もその方策について広く論議されるべき対象であるローカル線問題についてお話ししたいと思います。 昨日投稿したのですが、誤って消してしまったので改めて投稿させていただきます。古くて新しい、ローカル線問題。(特に昭和30年代を中心として) 国鉄の経営は、戦後の復興と進駐軍(連合軍)輸送に追われ、インフレの高騰の中で赤字経営を続けていました。 昭和20年代の終わり頃もまだまだ、赤字体質からは抜けられず、運賃値上げなどを繰り返していました。 そんな国鉄に対しては、赤字に対する批判が強くなっていき、当然ローカル線に対する批判も強くなっていきました。 独...
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昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となったうえ、三河島事故の発生で、安全面の投資不足が大きくクローズアップされるなど、昭和37年7月には第2次5ヵ年計画はまたまた修正を余儀なくされました。 そこで、政府は総理府に「日本国有鉄道基本問題懇談会」を設置し、審議の上意見書として5ヵ年計画の見直しを提言しました。 この提言に基づき、国鉄は第2次5ヵ年計画を39年度までで打ち切り、新たに昭和40年度から第2次計画の2.2倍に当たる、総額2兆9,720...
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国鉄監査委員会(委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。以下引用すると 「監査委員会は、これらの意見に対して、必ずしも全面的に賛意を表するものではないが、国鉄は、このような批判の、よって生じる所以を深く顧みる必要がある。そもそも国鉄は公共企業体であるが、一つの企業体である以上、それが自主性をもち、企業性の発揮によって企業としての確固たる基盤を持たなければならないことは当然である。・・・・ 今や国鉄の経営刷新が強く要望されているこの時において、国鉄が公...
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〈産業計画会議の勧告〉公共企業体審議会答申からしばらく経った、昭和33年7月には、民間組織の産業計画会議が「国鉄民営化論」を発表、新聞社・評論家をあげて賛否両論が繰り広げられました。その際の勧告の要旨は以下のとおりです。「Ⅰ 国鉄を特殊会社とし、その経営に完全な自主性を与えよ」1. 現在の公社による国鉄経営には、運輸省、大蔵省、国会などからあまりにも制縛が多い。私鉄と対等の自主性を与え、経営者の経営責任を確立せよ。自主なきところに責任は存せず、責任なくしてはサービスの改善も能率の向上も行なわれえない。2. お役所仕事の弊をなくすため、特殊会社制度とする。政府出資に若干の民間出資を加えて数個に...
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昭和30年、政府は臨時公共企業体合理化審議会の答申を受けて、運輸大臣の諮問機関として『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建の方法を諮問したのです。その背景には、戦時中から戦後にかけての酷使で輸送施設は全体に老朽化し、慢性的な輸送力不足と労使関係の悪化に伴う職場の荒廃などが取り沙汰されていたからです。この委員会には、民間からも阪急グループ総帥、小林一三氏や、東急グループ総帥、五島慶太氏も指名され、各氏は以下のような意見を述べています。小林一三氏 「民営なら開発事業ができるし、資金調達も自由に行なえ、創意と責任を持って積極的な経営ができる。」五島慶太氏 「国鉄を北海道・東京・東海道・...
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民営化はせずに、公社としての自主性を認めようという意見がありましたが、やがて世間の風は民営化もよいのではないかという流れに変わりつつありました。 政府は、昭和29年に臨時公共企業体合理化審議会という組織を設け、公共企業体(公社)の有り方について以下の趣旨で検討する旨指示を出しました。 「公共企業体は、公企業の合理化と民主化のための新しい企業体であるが、その公共的かつ能率的経営を確保するため、なお改善を加える必要があると認められる。 これに対する改革要綱を示されたい」と諮問しました。 要は、戦後GHQ主導で作られた公共企業体という組織を、国営に戻すべきなのかそのまま現在の形態でよいのかを日本人...
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この議論では、戦前のような国営に戻すのではなく、施行しか6年しか経ていない公社の形態をそのまま踏襲すべきであり、国有鉄道からより公社の意味合いを強く出せる、「日本国有鉄道公社」に改めるべきであるとされました。答申には、当時の経過を中心とした説明がついているのでこれを引用すると以下のようになります。国営論反対派の意見として 「国営論は政府の監督強化をつきつめた公共企業体以前への復元論だが、再び国営にするとしても、財務・人事などの制度は今日とあまり変わらないだろう。 発足6年では、真に公共企業体設立の趣旨が発揮されたかどうかも大きな疑問だし、経営形態の改変そのもに伴う混乱も予想されるので、とら...