3月
6日,
2013年
老いても可憐にありたい!?!
正直「ツルボ}???かっておもいつつ写真に撮った。
確信が持てない。専門家に尋ねてみたら、珍しいですね。。。!
迷った末に持ち帰るのをやめたのだが・・・。
枯れた感じの風合いがなんとも言えない(撮し方が下手で実物は瀟洒だった)。
晩夏に魅せる花穂も良いが、初めて出会った花。
このままで夏まで魅せてほしい。
ひと目につきにくい所だったので静かに魅せて・・・。
再会したいものだ。行けても5月かなぁ~~~!
楽しみだ。
何か・・・老いて(枯れて)も盛ん!!って感じだった。
花が終わった後の状態、それぞれの萼にひとつずつ、黒い種子が入っている。
この種子を持ち帰って見たい衝動に駆られたが・・・。
野にあっては、自然に帰ったほうが摂理。再会を楽しみにその場を去った。
植物の深淵な世界を見た気分^^)。
「ツルボ」
[学名] Scilla scilloides
[英名]なし
[名前の由来] 不明。別名、サンダイガサ(参内傘)。
[分布] 北海道~沖縄、東アジア
[科名] ユリ科ツルボ属
[花色] 淡紅紫色
[花期] 8月・9月
[特徴] 日当たりの良い山野、林の縁に生える多年草。
花茎は高さ20cm~50cmになる。先端に総状花序を出し、花は径約6mmで6個の淡紅紫色の花被片からなる。花糸は糸状で下半部は広がる。
葉は長さ15cm~25cm、幅4mm~6mmの線形で、2個が根生するが、花期にはないこともある。内側は浅くくぼみ、厚くてやわらかい。
地下には黒褐色の鱗茎があり、長さは2cm~3cm。
果実はさく果で、長さ約5mmの楕円形。
6月
17日,
2012年
紫陽花の季節だが・・この花は!?!
雨に似合う花、紫陽花。以前「七段花」のことを記した事があった。
あじさいとシーボルト、西洋との架け橋。。。この花は、日本原産。
アジサイ(アヂサヰ)Ajisai(Adzisai).紫陽.あじさい.紫陽花等いろいろに表現される。
アジサイ属で東アジア、フィリピン~インドネシア周辺は落葉性のものが、中央・南アメリカには常緑性のものが多い。北アメリカにはアパラチア山脈にのみ自生している。
先の尖った卵形か広楕円形の大型の葉。特徴的なのは、花で一見花びらに見えるのは、萼片が発達して花弁状に・・・これを装飾花と呼ぶ。
日本原産のガクアジサイ(額紫陽花)H.macrophylla f.normalisを母種として日本で作られた園芸品種の各種のあじさい。時間とともに色も変化する楽しい花だ。江戸期の園芸技術は西洋を越していた!?!「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」をみると。
「万葉」の時代から文献にいずるあじさいだが、鎌倉時代には園芸品種として栽培が始まるも「よひら」とも呼ばれるように萼が4片で「死」を連想させ、枯れた花がいつまでも枝についていること等から日本では印象悪くヤツデやドクダミと並んで日陰の花扱いされていたようだ。発想が、往時の鎌倉時代らしい。だが18世紀末ヨーロッパに渡ったアジサイは、多色系でセイヨウアジサイ(H.m.f.hortensia)に品種改良され今日、逆輸入されている。酸性土壌の多いヨーロッパでは鮮やかな青色になりやすく、多様な色も出しやすい!!がしかし、その花の色変わりを奇異とするのか、花言葉には「高慢、心変わり」等と説明されている。
漢名「紫陽花」は、白居易(白楽天)の「紫陽花詩」に登場する「紫陽花」をアジサイと解した平安時代の学者・源順( みなもとの したごう )が、「倭名類聚鈔」に「白氏文集律詩云紫陽花、和名安豆佐為」としたのが初見。
だが、この詩の注に「招賢寺有山花一樹、無人知名.色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物.因以紫陽花名之」とあり、紫色で香がある点を考えると「紫陽花」はライラックを指したとも言われている。アジサイを中国では「繍球(花)」と表記する。
1823~8年、日本に滞在したシーボルトが花序全体が装飾花になる園芸品種のアジサイにつけたH.otaksaの小種名”オタクサ”。
これはガクアジサイの変種。
シーボルトの思い入れある花のようだが、1775-6年に来日したツンベルクが命名したH.macrophyllaと同一とされ、有効な学名とされていない。学問的は・・・置いといて、長崎の市花はあじさいである。
長崎といえば・・・”蝶々夫人”でも有名だが、人間的にピンカートンとシーボルトを想うと面白い。
シーボルトが、故郷のドイツに書き送った手紙の中に『 お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にない 』。こんな書簡も現存している。
時代背景・西洋と日本での環境背景を垣間見れる。
シーボルトとお滝さんの孫娘に当たるオタカさん( お稲さんの娘) が祖母の『 お滝さん 』を次のように語っている。
『 祖母(お滝さん)は、祖父(シーボルト)が追放になった2年後に、無理矢理再婚させられました 』
『 祖父(シーボルト)も、10年後に郷里のドイツ女性と再婚したようです 』
『 明治時代に入って、白髪の老人になった祖父(シーボルト)が明治維新政府の招きで来日しました 』
『 その折に、祖父と祖母、娘の(お稲)、オタカを交えて、涙の抱擁を果たすことが出来ました 』
『 年老いた祖父(シーボルト)は、今まで肌身離さず持っていた “ 妻と娘の髪の毛 ” を両手に握り締めて言いました 』
『 いかなる時であっても、2人のことを一日たりとも想わなかった日はなかったのだよ! 』
シーボルトが持ち帰った紫陽花や他の植物、現在日本では見られない種類もあるとか。以前、フランスのコレクターが保存、株分けされたものを浜名湖で開催された花博のおりお里帰りした紫陽花があった。「フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)」に載っていながら実物を発見できずに幻の花と言われていた紫陽花、「七段花」が、1959年に六甲山で発見され今ではどこでも見られるようになった。これまた、園芸ニッポンだ。
「フロラ・ヤポニカ」には、植物目録・433の植物名がある。
アジサイ属では、アジサイ、ベニガク、フイリベニガク、ガクアジサイやアジサイの園芸品種。
そのほかツバキ、カザグルマ、クサボケ、フヨウ、カノコユリ、シャクヤク、サクラソウ、チャノキ等。
その中で興味深い花がある。
ヨーロッパのツバキは氷河期に絶滅していて化石でしか存在していなかった。
それが短期間の間に小説「椿姫」(アレキサンドル・デュマ・フィス、1848年)が生まれている。
それほどにシーボルトが園芸植物をヨーロッパに普及させる道を開いたといえようか。
その当時は日本のほうが園芸先進国であったようにもおもえてくる。
アジサイ属(Hydrangea)の日本固有種は次の14種が自生している
ガクアジサイ、ヤマアジサイ、タマアジサイ、コアジサイ、コガクウツギ、ガクウツギ、ノリウツギ、ツルアジサイ、トカラアジサイ、ヤハズアジサイ、アマギコアジサイ、チチブアジサイ、ヤエヤマコンテギリ、リュウキュウコンテリギ。
今、各地のお寺さん境内に紫陽花が、流行り的に植栽されている。が、野趣あふれるものは、少ない。あじさいは、高木の林床にあるべきと感じる。特にヤマアジサイ系に思う。
シーボルトが持ち帰った花木の中に百合があった。
当時欧州にあった百合の花は白い小さなもので、死者に捧げるものとされていた。
日本でいえば献花や仏花に使う菊の花といった感じか。
それに比べると日本から持っていったいくつかの百合は花も大きくカラフル。それだけで双手をあげて大歓迎をされたのだそうだ。
中には球根がそれと同じ重さの銀と交換されていたものもあったようだ。
日本の花木、特に背の高い木々の下に生育する低花木の類に相当するものは、環境的にも一致する。
シーボルトが日本から西欧に持ち帰った花木類は西欧での庭園に様々に影響を与えてきた。
その一方、日本の原種が消えてしまっている。何とも言いようがない。
今ひとつ、関心を持っているのが、西欧に渡った“フジ”。
ベルギーの民家にシーボルトが持ち帰ったフジの分身が存在していると資料で読んだ。
ベルギー人は、“センジャク”と呼んでいるらしい。
『Wisteria floribunda(wild.)DC.'senjaku'』
日本の何処のフジかもわからないとか、何とも神秘的。
また、オランダのライデン大学植物園のシーボルトコレクションにもない由。
アジサイの七段花のように発見されるとよいのだが・・・。
3月
6日,
2009年
玉縄サクラ!?!
この地名は、中世後期に堅城として知られた「玉縄城」に由来する。
その城跡近くに県立フラワーセンター大船植物園にある「玉縄(たまなわ)桜」が見ごろを迎えているとの知らせに曇天の中、出かけてみた。
「玉縄桜」は約40年ほど前に同園でソメイヨシノの自然交雑実生(みしょう)株から選抜育成したもので、
由緒ある地名の「玉縄」を冠して名付けられ、1990年に正式に種苗登録された。
「花見」の定番であるソメイヨシノと花の咲き方や色がよく似ており、ソメイヨシノよりも20日ほど早く咲き始め、約1カ月にわたって見ごろが続くのが特徴。
訪れてみると、綺麗な姿を見せてくれた。
花の何を突いているのか??メジロらしい鳥との組み合わせは、花見では中々観れないか!?!
10月
14日,
2008年
稲の花!?!
偶然、サイクリングロードでの写真を整理していたら
見つけた。
稲の開花はあっという間の出来事で、
気を付けて見ていないと見逃してしまうそうだ。
一般の花のように何日も咲いていない。
午前中(9〜12時頃)の1〜2時間半程度の
短い間しか花を咲かせていないのだとか!!
気温が低い場合には午後(12〜17時頃)に花を咲かせる
こともあるのだそうだ。また、雨の日には花は開かない。
何とも繊細なものである。
花が咲く時期は穂が出てすぐ、夏の盛りの10日間ほどだとか!!
稲の花は、小さく地味ですね。
花びらはなく、緑色のモミが縦に2つに割れて、
その中から白いおしべが飛び出し、
その先端には黄色い花粉がついているのだそうです。
9月初めのことでした。
穂に見える白っぽいゴミのように見えるのが、
稲の花です。
分かっていればアップで撮ったのに・・・
残念。。。
8月
29日,
2008年
夏も終わりに近づいたか!?!
でも今年は、ゲリラ豪雨!?!とやらで・・・
お隣の町では豪雨なのに、此処では晴れてる??
といった具合で何かおかしい!?!
これも異常気象なのだろうか。
そんな晴れ間に散歩を済ませると、
路傍の・・・他所様の塀の所に
タカサゴユリが咲いていた。
お向かいのお宅の庭にも大きな花が見える。
種が・・・飛ばされて・・・この隅地に!!
生命力強い花と感慨深く眺めていた。
此花は、当地あたりでは、晩夏に咲く。
秋は、そこまで来ている・・・・。
それにしても、各地で豪雨に被災されたやも知れない
ブログルの皆さんには、お見舞い申し上げます。
8月
13日,
2008年
今年も鷺草が開花した。
7月にひと株蕾を持ったが、水差しが不足したのだろうか??
開花せずからしてしまった。
その後は、慎重にみずさししたら・・・・
かわいい花が開花した。
今年は、何株、咲くのだろう!?!
8月
3日,
2008年
猛暑に似合う「ひまわり」
それゆえあちこちにひまわり園がある。
訪れた公園は、盛りを過ぎた感があったが、
まぶしい「黄色」のひまわりの花。
やっぱり・・・夏にふさわしい花だった。
7月
31日,
2008年
アオノリュウゼツラン
さっそく出かけてみた。
藤沢市江の島にある庭園「江の島サムエル・コッキング苑」
名前の由来は、明治期に英国貿易商「サムエル・コッキング」
レンガ造りの温室をこの地に造ったことから。
園内に数十年に一度開花すると言われる
「アオノリュウゼツラン」が、鎮座している(そんな感じ)。
ついに開花した。
アオノリュウゼツランはリュウゼツラン科の一種で、
メキシコなど中南米の熱帯域に自生。
観葉植物としても栽培され、
英語では百年に一度花を咲かせるとの意味で「センチュリープラント」とも呼ばれる。
花柱は高いところで約八メートルもある。
高い所に咲いているため詳細は分かりづらい。
だが。六株も花をつけているのは圧巻であった。
派手な花ではないが、ロマンティックな想いを抱かせる。
次回の開花・・・数十年後は、、、!?!
いかなる時代であろうか!?!
5月
20日,
2008年
夏燈台。
「台風」!?!な一日だった。
雨・風強く早朝のお出かけはきつかったが・・・。
昼には、雨も止み風だけが夕方まで続いていた。
身辺の里山公園に目の保養に出かけてみると
可愛いつぼみを持った草花に出会った。
この時期に咲くのに・・・「夏燈台」!?!
命名の由来を知りたいものだ。
昔は、根を瀉下薬としたとか。
有毒植物でもあると、母の資料にあった。
菜種油を入れた皿に芯を入れ、
明りとする灯明に花の形が似ていることから名がついたとか。
花期は、古くは夏??
命名者が見つけた時が夏だった??のだろうか!!