《襍・/・画 “あづさい'23(7)”  ❖’23-50》

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《襍・/・画 “あづさい'23...
ヒメアジサイ(姫紫陽花) アジ... ヒメアジサイ(姫紫陽花) アジサイ科(Hydrangeaceae)
学名:Hydrangea serrata (Thunb. ex Murr.) Ser. forma cuspidata (Thunb.) Nakai
synonym Hydrangea macrophylla (Thunb.) Ser. var. megacarpa Ohwi f. cuspidata (Thunb.) H.Har
泉の森・姫紫陽花系園芸種?? ... 泉の森・姫紫陽花系園芸種?? 2023/5/28

《姫紫陽花と自生紫陽花等懐古》
愈々、己の心高鳴る季節になる。額庭に紫陽花が楚々と顔を見せ始めた。
“おたくさ”とも呼称される花だが、辛抱強さと言った花言葉もある。
ことしは、コロナの悪夢から漸くときはなたれた感をもつ。よかった!
孫の成長を見て思う事は、6月と言えば、我が子達のお囃子・太鼓の練習。
夕飯を済ませ練習場の地蔵堂に行き遊びながらおじちゃんお爺さんにならった。
交代の合間に近くの田んぼ脇小川に蛍を見に行った。
蒸し暑い日によく飛ぶ。最初は、源氏蛍、二週間後に平家蛍が舞い始める。
子供達は、楽しそうにお菓子を食べたり老人達に行儀を習った。
鎌倉の海岸近くの極楽寺・地蔵堂。素朴で静かな環境であったが、今や観光地。
時代の流れを想う。近くの成就院前の紫陽花群が移植されなくなった事は寂しい。
他方、鎌倉市内ではそこら中の社寺で紫陽花が見られる。流行りか!?!
かつて見られた三浦半島での自生紫陽花が減少してるのを復興させたい。
紫陽花ブルーと呼ばれる、北鎌倉明月院の姫紫陽花、今や自生種みたいだ。
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ヒメアジサイ(姫紫陽花);
エゾアジサイとホンアジサイの交雑種ではないかとも言われてるが仔細はわからない。
北鎌倉の名月院や千葉の本土寺の青色アジサイが代表的な推定姫紫陽花とされている。
葉面に光沢がなく、花球はアジサイより小さい。
昭和初期、牧野富太郎博士が植物の採集旅行で信越地方で見つけた新種紫陽花。
ホンアジサイに比べ小振り。その優美な姿から「ヒメアジサイ」と名付ける。
ホンアジサイとエゾアジサイの交雑種であると考えられている。
手鞠形の澄んだ青い花、その花房は5個に分かれ凸凹した形状になることが多い。
未だ自生地は、確認されていない。ある種”幻”の紫陽花でもあろう。
さし木は、1年間は鉢で育てる。その後、地植えで4~5年で移植可能。
葉に光沢が無く、質が薄く、花がやや早咲きといった特徴もある。
樹高は2m前後。葉の形状は卵形もしくは広楕円形で、対生する。
葉質は、幾分薄く、葉の縁には整った鋸歯があり、先端は鋭頭となる。
6月頃、ほぼ球状で青色装飾花と両性花の混じった花序をつける。
姫紫陽花は、明治12年(1879)にイギリスに渡った由。
英国人、チャールズ・マリーズ(Charles Maries)が持ち帰った。
独特な青色であるが、ヨーロッパ各地ではアルカリ性土壌地が多い。
その為に赤色に開花する事で西欧では姫紫陽花を「ロゼア」と呼ぶ。
その後、西洋アジサイの育種親として多用されこんにちに至っている。
又、単に小形のアジサイを「ヒメアジサイ」と呼ぶことがあることから、
区別し「マキノヒメアジサイ(牧野姫紫陽花)」と呼ぶことがある。
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半世紀ほど前の鎌倉で紫陽花と言えば北鎌倉の明月院、極楽寺坂成就院、
名越切通・お猿畑あたり(今のハイランド周辺)が地元で知られた場所。
今の鎌倉の寺社各所は競って紫陽花を植栽してるが、私的には???
土地開発で在来種のガクアジサイが消えた。鎌倉にも自生していたのである。
園芸種・人気種を植栽するなら、原種のガクアジサイをもっと植栽して欲しい。
野山で野草を見せてくれた両親、自然保護を教えてくださった宮脇 昭博士。
昭和は遠くなったが、昭和の記録はしっかりと記録して置くべきだ。
余談だが、鎌倉の貴重な花に“ユキヨモギ”がある。
行政や植物研究者は、この半世紀もの間・・何をやって来たか??
観光都市であってはいけない、って思う昭和人。
子供の頃、鎌倉駅から亀ヶ谷を通って長寿寺に出て北鎌倉駅方面へ。
ちょっと下った右手の山間に伊東深水画伯の家があった。
家脇を通り山に入ると明月院本堂裏に通じていた(今は通行不可)。
幼児から少年期の紫陽花見物は、いつもこの道でいった。
小学4年生の時、夕方に父親を北鎌倉駅で待ち合わせ、一緒に紫陽花見物に。
紫陽花を見て、夕飯を駅近くで済ませ蛍を見に行った。
明月院から今泉台方向に庚申塚あり脇の小川で源氏ホタルが見れた。
鎌倉には今でも蛍が生息してる場所がある。後世に残してほしい。
 

令和伍年(皇紀2683年)6月1日、記」

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