《凡・/・声 小さくも“大きな思い”!?! ❖’23-39》

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《凡・/・声 小さくも“大きな...
《時節・_・襍囈⇔憲法記念日に思う》
過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果をみよ
未来の果を知らんと欲でば、其の現在の因を見よ
反観合一・・・に然り。

1945年(昭和20年)8月6日、広島市に核兵器・原爆が投下され56万余人が被爆した。
続く8月9日には、長崎市にも原爆が投下され一瞬にして甚大な被災が出た。
被災地、悲惨な出来事が真実の歴史だが、戦争とは悲惨なことは今でも見られる。
「核抑止」という表現、背景での原爆被爆者・被災地が利用されていまいか??
思想信条は、自由だ。しかし武力の大小を問わず「虐殺」は許されるはずはない。
その上で原爆の犠牲者のみならず戦没者すべての御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。

今の我が国の安全保障環境は、如何に。近日の隣接国に大いなる疑義を持つ。
「核抑止」を隠れ蓑に軍備拡大している隣国に矛盾を感じ、如何に対応すべきか。
今回の広島サミットでは日本の現況・主張を世界に発信してほしく思って止まない。 

自国民を守るための施策、先ずは「法」に基づくしかないと、と確信、断言したい。
現行日本国憲法、、、今の時代に不備・不適合な部分が在ることは当然の理!?!
70年の歳月を以って、不備が出てきて当然ではあるまいか??
真摯な議論の上での判断。国民も参加し、より良い憲法を模索すべきではあるまいか。
付け足しを重ねてきた現行法。根本から是正する時期に来ていると思うのだ。
民主主義とは、単に多数決の論理ではない。少数意見に配慮を!!と申したい。
充分すぎる検討、そして議論を重ねた上での票決なら納得出来る。
何も議論せず時を重ねている現国会。真に国民の代弁者であるとは思えない。
憲法審査会という国会議論の場で大いに精査・検討して頂きたい。
わたくし的には、聖徳太子の「十七条憲法」を再考すべきだと思うのである。
夏四月の丙寅の朔戊辰に、皇太子、みづからはじめて憲しき法十七条作りき。
推古天皇十二(604)年4月3日、聖徳太子は自ら初めて十七条からなる厳然たる法を作った。
一にいはく、
和らかなるをもつて貴しとなし、忤ふることなきを宗となす。人みな党あり、また達れるひと少し。
ここをもつてあるいは君・父に順はず、また隣里に違へり。
しかれども上和らぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなはち事理おのづからに通ふ、なにの事か成らざらん。
現代語に訳してみれば;
和をなによりも大事にし、いさかいを起さぬよう心掛けよ。
人は徒党を組みたがり、道理をわきまえる者は少い。
故に、君主や父親に従わず、近隣の者たちと仲違いをする。
しかし、上下の者が協調の気持ちをもって話し合うことができるならば、
自ずからものごとの道理にかない、何事も成就しないことはない。
まったくもって、法の根幹・理念ではないだろうか??
二にいはく、以下は略。
「和を以って貴しとなす」、この聖徳太子の言葉は、日本文化の「基」日本憲法の前文に相応しい。
『日本書紀』にある「以和為貴」は、聖徳太子が制定した日本最初の成文法の最初の言葉。
仏教伝来と日本的神道との対立が抗争に至ることを危惧した聖徳太子の施策「和を以って貴しとなす」。
支配原理でなく「寛容」の精神をまず説いたのは、国家基本法の条文として世界史的には珍しい。
現日本国憲法の前文には、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
だが隣国は、急速に軍備を拡大し海洋進出を図る。日本の安全と生存を保持してくれるのか??
近隣諸国の「公正と信義に信頼して」との文言をいかように定義すればよろしいか??
現行憲法の平和主義を良しとしても、日本古来よりの自主的平和主義に改めるべきだ。
日本の伝統に即した新しい憲法、和を尊ぶ国、古代からの伝統的理念を世界に宣言すべきだ。
今年の憲法記念日、愈々以て憲法改正が現実味を帯びてきた。真摯に見守りたい。
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月3日、記」

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