先日、シロバナヒガンバナ(白花彼岸花)について記した。
別名:白花曼珠沙華・白花曼殊沙華とも記した。
うる覚えで記してしまい、補足をしてみる。
いちいち、言葉(漢字表記)を区別する必要もなかろうが、、、。
ブログルのホームを覗いたら、今日も「白花彼岸花」が紹介されている。
なら、言葉として、漢字として側面からみてもよかろうかと!!!
「紅白の彼岸花」見た目に、見る側からすると、とても美しい。
だが・・此岸から彼岸を思う漢字と捉えることもできる。
「曼珠沙華」とは梵語(サンスクリット語)で「紅色の花」を意味する。
前回記したことだが、「白花曼珠沙華」表記から色々なことが想像出来ようか??
この世(此岸)に咲く彼岸花を曼珠沙華、あの世(彼岸)に咲く彼岸花を曼殊沙華!?!
音写で曼珠沙華(マンジューシャカ manjusakaサンスクリット語)「紅色の花」の意
曼殊沙華(マンジューサカ manjusakaパーリ語)「天上界に咲く清らかな白い花」の意
昭和40年代に「山口百恵」ちゃんが、「曼珠沙華」という歌を最後に歌っておりました。
作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童
このご両人・・・ものすごい識者と映ります。
「天上界に咲く白い清らかな花、それを見る者は罪を浄められる」と。。。!
「マンジューシャカ 恋する女は マンジューシャカ 罪作り 白い花さえ 深紅にそめる」(歌詞より)
なんとも情熱的な歌詞です。
和名のヒガンバナ、時に墓地に植えられ、秋の彼岸のころに花開く。それ故か彼岸花。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』9(1806)に、「マンジユシヤケ京
シビトバナ テンガヒバナ共ニ同上 キツネノイモ同上下久世 ヂゴクバナ
カラスノマクラ ケナシイモ キツネバナ備前 サンマイバナ勢州
ヘソビ同上粥見凶年ニハ団子トナシ食用スヘソビダンゴトイフ ホソビ同上
シタカリバナ同上松坂 キツネノタイマツ越前 キツネノシリヌグヒ同上
ステゴノハナ筑前 ステゴグサ同上 シタマガリ江州 ウシノニンニク同上
シタコジケ同上和州 ヒガングサ仙台 セウゼウバナ クハヱンサウ
ワスレグサ共ニ同上 ノダイマツ能州 テクサリバナ同上 テクサリグサ播州
フジバカマ同上三ケ月 シビレバナ同上赤穂 ヒガンバナ肥前 ドクスミラ
キツネノヨメゴ共ニ同上 オホスガナ熊野 オホヰゝ マンジユサケ共ニ同上
ユウレイバナ上総 カハカンジ駿州 スゞカケ土州 ウシモメラ石州
ハヌケグサ豊後 ジユズバナ豫州 イチヤニヨロリ同上今治 ホドヅラ同上松山
テアキバナ丹州笹山 キツネノアフギ濃州 ウシオビ同上 イツトキバナ防州
ヤマベウバナ越後 ハミズハナミズ加州」と。
漢名は「蒜は根の状を以て名づけ、箭は茎の状を以て名づく」と(李時珍『本草綱目』)。
更には、一説に、『万葉集』のイチシをヒガンバナとする。
路の邊の 壱師の花の いちしろく(灼然) 人皆知りぬ 我が恋妻を
或る本の歌に曰はく、いちしろく 人知りにけり 継ぎてし念へば (11/2480,読人知らず)
イチシの花が何であるのか、旧来諸説があり、定まらない。
曰く、ギシギシ・クサイチゴ・エゴノキなど。
イチシをヒガンバナと考えたのは牧野富太郎であり、
のち松田修がその説を引き継いだ(『増訂 万葉植物新考』1970)。
『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 夏之部」に、
「さんしこ 末。花あかし。葉ハすゐせんのごとく、花の時ぶんハ葉なし。秋ニ出る」
とあるさんしこは、ヒガンバナか。次項の「唐さんしこ」はなつずいせんである。
さんしこは、山慈姑かも知れない。
曼殊沙華咲くべくなりて石原へおり来む道のほとりに咲きぬ
(1920,雲仙岳温泉神社裏の石原にて。斎藤茂吉『つゆじも』)
『妙法蓮華経』序品に、ブッダ(仏,釈尊,お釈迦様)が
ラージャグリハ(王舎城)のグリドゥラクータ(霊鷲山,りょうじゅせん)で、
多くの人々に教えを説き終わると、
「この時、天は曼陀羅華(まんだらけ)・摩訶(まか)曼陀羅華
・曼殊沙華(まんじゅしゃけ)・摩訶曼殊沙華を雨(ふら)して、
仏の上及び諸(もろもろ)の大衆(だいしゅ)に散じ」た、という。
曼陀羅華は、マーンダーラヴァ花の音写、「適意華」と意訳する。
見る者の意を喜ばせる花、の意。曼殊沙華は、マンジューシャカ花の音写、
「柔軟華」と意訳する。見る者に剛強から離れさせる花、の意。
摩訶は、マハーの音写、「大」の意。
この曼殊沙華が何の植物を指していたかは不明、少なくともヒガンバナではない。(なお、曼陀羅華はデイコの仲間、Erythrina indica)。
諸説満載・・・。一つの花から夢膨らむ・・・されど斯様な事思うは、老境の戯言か!!。
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