穀雨(こくう)の頃に思う。

ヒメノキシノブ〘(姫軒忍・ウラ... ヒメノキシノブ〘(姫軒忍・ウラボシ科・学名;Lepisors onoei <Fr.et Sav.> Ching〙
共存共栄の見本みたいな着生植物。


穀雨(こくう)⇒春雨ふりて百穀を生化すればなり(暦便覧より)。

昨日よりシトシトとアメが降り続く、そんな中でも飛行機の離発着音が聞こえる。
久し振りに心身を休めPCに向こうと、ブログルのみなさんは活発にアップされている。
そこで・・・己も綴って見るか^^)。
「命を守る」こんな言葉が気になる出来事が、報道されていた。
何故に殺戮が繰り返されるのだろうか。
昨今の隣接国、国レベルでも他国に圧力を掛ける。これ又、???

人間環境を地球レベルに置き換えてみると、人間は最も弱い立場と思って止まない。
人間をはじめとする動物は、生態系の唯一の「生産者」である緑の植物と
「分解・還元者」である微生物群に頼って生きている「消費者」、
正しくは緑の植物の『寄生者』であると。
消費者としての動物界にあって最も知恵者かも知れないが人間は最も弱いのでは???

日本における自然保護提唱者である、宮脇 昭博士の言葉がある。
博士は、独逸留学で自然保護( Naturschutzes)なる言葉を知り日本に紹介された。
植物社会学の第一人者。そんな師と幾度か山に入ったことがあった。

独逸における自然保護の発祥の地、
ボン近郊の山地、ジーベンゲビルゲ(7つの奇岩)という面白い地がある。

そこに在する「自然保護史財団 Stiftung Naturschutzgeschichte」が、しばらく前に
「自然・環境保護の歴史シリーズ」
 “Geschichte des Natur- und Umweltschutzes”を公刊している。
その第2巻にフリーデマン・シュモル(Schmoll, Friedemann)が
『自然についての記憶――ドイツ帝国における自然保護の歴史
Erinnerung an die Natur. Die Geschichte des Naturschutzes im deutschen Kaiserreich』
を記した。
著者は、テュービンゲン大学ルートヴィヒ・ウーラント実証的文化学研究所
(Ludwig-Uhland-Institut für Empirische Kulturwissenschaft an der Universität TÜBINGEN)
の研究員、本論考は教授資格取得論文
(独逸は、教授資格試験がありこれを取得すると、何処の大学にも着任できる)。
 前置きはさておき、「帝政期(1871-1918)ドイツにおける自然保護の近代」と題する論考、
自然保護運動の思想と実践を論証したもの。
著者によれば、1970年代以前のドイツの自然保護運動、
1970年代以前のドイツの自然保護運動は、
ナチズムの思想・体制の間に密接な関係があったにもかかわらず、
そうした事実について触れずに自然保護の歴史を政治的な局面から全く切り離すものであった。
しかし環境保護運動の高まりとともに、70年代末以降、環境史が新たに提起されると、
自然保護運動は環境保護運動の前史として位置づけられ、
そしてそれ以前の自然保護の歴史叙述自体も、再検討されるようになった、とある。
又、著者は自然保護運動の近代的な性格に着目している。
自然保護を、物質的にも非物質的にも人間と自然との関係を規制する近代社会の特有の文化的実践と捉えることで、
自然保護運動に孕まれた二面性――自然の収奪と崇拝の二極化を明らかにしようとする。
そのような性格をもつ自然保護運動の社会的な位置づけを適切に行うには、先行研究のように思想史的・心性史的な分析にとどまらずに、公的あるいは民間の諸制度の形成、そしてそのプログラムの実践を含めて、包括的に考察する必要性を主張されている。
論考の第1部「世界の新たな創造―工業化時代における自然と景観」、
ドイツにおける工業化が自然にあたえた影響につ いて。
第2部「自然の維持と文化的な記憶」では、自然保護の行政機関による制度化と、
民間、とくに市民層による様々な協会による自然保護運動を取り上げ、
その実践を正当化する自然保護活動家たちの思想が分析されている。
第3部「人間と動物」では、人間と動物の関係を理論的に考察した後、
とくにドイツで幅広く支持者を得た鳥類保護の運動を通じて、
その実践と思想が論じられている。最後に第4部「郷土と景観」では、
自然保護の協会活動の上部組織であった
「郷土保護同盟 Bund Heimatschutz」
の活動家が自然保護活動をどのように認識していたのかが論じられている(内容の仔細は略)。

近代の日本の自然保護が独逸の自然保護をモデルに発展してきた。
更には、今の文化財保護法の基になった史蹟名勝天然紀念物保存法
(しせきめいしょうてんねんきねんぶつほぞんほう、大正8年4月10日法律第44号)
も独逸がモデルである。
この法律は、東京帝大・植物学教授 三好 学が独逸留学で得た、
「文化記念物(クルトデンクマールKulturdenkmal)と
「自然記念物」(ナトゥーア・デンクマール Naturdenkmal)の分類があり、
このうちの後者の概念を取り入れた。
法律の名称が「史蹟名勝天然紀念物保存法」と長いものになった理由。

現在独逸の研究組織「自然保護・景観環境学連邦研究所 Bundesforschungsanstalt für Naturschutz und Landschaftsökologie」のように、自然保護と景観保護は一体をなすべきと感じる。
自然美・景観美という基準を模索し、保存の対象も単体だけではなく、
空間(「自然保護区域 Naturschutzgebiet」)に拡大されるべきだ。
「郷土 Heimat」と「景観 Landschaft」、「郷土保護 Heimatschutz」をフリーデマンは、
郷土保護運動が、単に景観を保存することにとどまらず、
固有の文化・自然の保存を目的とした社会全体の刷新のプログラムであり、
当時の社会改革運動と結びついたものであったと指摘する。
郷土とは、自然の秩序にもとづいた人間環境であり、
それは近代的な生活への対抗構想であった。
1904年に「郷土保護同盟」が設立され郷土保護運動が制度化されるようになったが、
それは郷土を「真の固有の文化 eine wahre eigenartige Kultur」の前提条件として保存しようとするものであり、
その意味で著者は「郷土保護」運動が文化改革的なプログラムであったと主張している。
本書は、帝政期ドイツの「自然保護」が近代化に対して退行的であるという従来の解釈に対し、
自然保護運動に内包される近代の二面性、
すなわち徹底的な合理化と自然の「タブー化」が不可分、
同時並行的に進められたことをきわめて説得的に提示していると言えよう。
また著者は、「自然保護」が単に自然の維持にとどまらずに、
オルタナティヴな社会像を提示していたとする。
そこでは、様々な社会層が有機的に結合する社会が想定されており、
その「有機的」なイメージとは、現実の社会的格差を不問にしたまま、
自然への道徳的感情に訴えかけ、社会統合を図るものであった。
ドイツの自然保護運動を垣間見ることは、
日本の環境整備を想う時不可分であり新たな施策を導く糸口でもある。
ほんのさわりだけ記して意味不明、自分だけが分かったつもりでいるのだが、
近隣諸国のことを思うと憂いを持つ。
共存共栄、真摯に歴史を見る必要もある。
帝国的ナチズム下でも自然・景観・文化は、尊重されていたと言いたいのである。

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