記事検索

Slow Life & Trips

https://jp.bloguru.com/wabysaby

2021/06/13 今朝の「随想」

スレッド
 今朝は真夜中に一度目覚め再就寝。5時半過ぎに目覚め、朝寝坊起床。5時47 分昭和大橋。外気温度は22℃。やすらぎ堤左岸で八千代橋下流の東屋で久し振りに馴染みの人間と再会。遅いのでここから八千代橋、6時25分。帰宅は6時47分。

 土曜日・日曜日の朝は衛星放送TV視聴。マリナーズ「菊池投手」折角7回まで好投をしましたが、後続の投手が不甲斐ないプレーで逆転負け。勝ち負けは付きませんでした。

 地元紙の投稿欄に下記の内容を送信。残念乍ら「ボツ」です。専門的すぎる内容は理解不能でしょう。
 ※日報紙連載の「幕末かわら版」に以前「松下村塾・吉田松陰」「摘塾・緒方洪庵」「咸宜園・広瀬淡窓」が出てきました。180回以降に再び摘塾や吉田松陰の名前が。これらに新潟との関わりがあります。
 吉田松陰は『東北遊日記』で津川から雪道の諏訪峠を越え、新潟へ。大分県日田市の咸宜園・広瀬淡窓は四千名の塾生があったと。その名簿の中に七名の越後人が。はるばる笈を担いで九州の地へ勉学に渡る。
 緒方洪庵の摘塾も数千人の塾生が育ち、江戸末から明治に掛けて日本の蘭学の礎を築いた。ここで、緒方洪庵の次男緒方惟準(コレヨシ)の評伝『緒方惟準伝・緒方家の人々とその周辺』を書いた「中山沃(そそぐ)」氏は新潟市の西堀生まれ。蒲原宏氏の令弟です。新潟中学から新潟大学医学部を出られ、その後、岡山大学の名誉教授となりました。残念ながら同氏の著作は県立図書館には蔵されていません。また同氏の事跡資料も卒業校に存在していないでしょう。新潟と関係の深いこれらの私塾が日本の発展に大きく関わっていたとこの小説は教えてくれます。

 知らない事を知る、歴史事実が国の隆盛に寄与。明るく元気にスタートしましょう。

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり