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新年を迎え

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新年を迎え
明けましておめでとうございます
本年もブログルにはお世話になり、游は日記をつけ
生きている証にしようと思っています

昨年、難しい漢字の神社「早鸕神社」をアップしました
確認をしたところ読み方は「ハヤウジンジャ」と読みます

宮崎県の「鵜戸神宮」をからの末宮だそうです
この「鵜戸神宮」の由来はコメントで見ることができます
(神宮からの引用です)

新年を迎え神社のお話で今年は始まりと致します

#アート #伝統 #文化 #芸術

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游何庵
wahootasteさんからコメント
投稿日 2007-01-01 00:54

鵜戸神宮

由緒
山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに
海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを
結ばれた。山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた
豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの
鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで産殿を造っていたが、
屋根の鵜の羽の茅も葺き合わぬうちに御子(御祭神)は
ご誕生になった。
故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」
と申し上げた。

沿革
 当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、
その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧、
光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し
同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」
と賜った。
 また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には
六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場
として、盛観を極めていた。
 そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり
後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。明治を130余年経過した今日
全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる
参拝者は、四六時絶えることなく続いている。

以上「鵜戸神宮」サイトの引用です

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