内倉憲一 ニュースレター Vol. 211 2022年12月スペシャル PSPINC のインターネット事業の始まり (2)
12月
15日
2022年12月スペシャル PSPINC のインターネット事業の始まり(2)
前回のお話で1996年のSprintLinkの方との出会いでインターネットの仕組みとお金まわりを理解することができて、SprintLinkからT1回線を会社に引き込むことになったお話をさせていただきました。当時の私にとって、インターネットというものが誰が誰にお金を払って運営されているのかを理解できたことはとても大きいことでした。SprintLinkのようなバックボーンを提供する会社は誰からお金をもらっているのか、インターネット・サービス・プロバイダは何を仕入れて何を売っているのかということを理解すれば、自分のビジネスを考えることができます。
T1を会社に引き込んだら、パソコンを繋いでインターネットに繋ぎ放題の環境ができました。これでいくら使っても、どのホームページにアクセスしても追加の費用は一切かかりません。しかもT1高速回線で快適です。そうは言っても当時はまだ動画のストリーミングサービスはありません。YouTubeが生まれるまでここから9年(2005年)かかります。当時のWeb Pageの合計が100,000程だったと言われています。私は快適な環境で恐らく存在するほとんどのWeb Pageを見たと思います。
インターネットに快適にアクセスする環境が整った後、私は自分のホームページを持ちたいと思いました。と言っても何をすれば良いのかわかりません。そこでSprintLinkの方のアドバイスを受けながらホームページを持つための準備を始めました。ホームページのホスティングをするのに「通信事業者」などの資格がいるのかと思いましたが、全く不要で自分のIPを持てば問題がないことがわかり、今では貴重ですがClass B IP Address(65534 (216-2) ) を調達しました。
このIPを使って我々は1996年にMOSHIx2.netとPSPINC.comを登記しました。PSPINC.com 結構古いドメインですよね。そしてホームページを公開するために必要なサーバーを準備しました。DNSサーバー(これが MOSHIx2.netサーバーで今でも使っています)、Webサーバー(当時UNIXの知識がなかったのでWindows NT Serverで準備)、メールサーバー(当時何を使ったのか覚えていません)。結構投資が必要でした。
この投資と技術的な苦労から、この時点でまだまだほとんどの企業がWebを持つことができていませんでした。そこで思いついたのがDomain 管理、Web+Emailの運営を代行するというサービス、今のホスティング事業でした。これが1996年です。そうPSPINCのホスティング事業は26年前にスタートしたのです。と言っても今のようにホスティング環境が整理されていたわけではなく、ページのセットアップからメールの設定まですべて手動で、しかもサーバーは数時間毎に落ちるという状態でのホスティングビジネスのスタートでした。
次回は当時のビジネスモデルについてお話をしようと思います。お楽しみに。
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内倉憲一(うちくらけんいち)
米国 Pacific Software Publishing, Inc. 代表
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米国で最初のコロナウイルス感染者が発見された2020年1月20日からの経過日数。