神道では死は穢れとされる。ただこの穢れは、汚いという意味のけがれではなく、親族・愛するものが亡くなったことで元気がなくなる、「気が枯れる」という意味で「気枯れ」=「穢れ」となったことだそうだ。 たしかに人が亡くなると元気はなくなります。でも100日過ぎると亡くなった人の分まで生きてゆかないとという気持ちも出てきます。後ろ向きにならないように、前向きに頑張るしかありません。 今日が、100日目になるそうです。もう神様になったのでお供えはなくなりました。