親孝行、したい時には、親は無し。
何ていう575川柳調の言葉があるけれど、
今は親も結構長生きで100歳近くまで生きるので
息子・娘が面倒を見るのが結構大変だ。
近所の何人かの先輩から話を聞くと愚痴しか出てこない。
認知症が入ってきたとか、民生委員に連絡できないとか、
病院を変えなければとか。気苦労が絶えない。
もう少し認知症が進んだら自宅で看ようかと先輩が
奥さんに話したらしいが、断固拒否されたと言われた。
そんな話を聞くと、自分は親孝行できただろうかとちょっと考える。
母親の畑仕事の手伝いは毎週、温泉にはどんだけ連れて行ったか。
それを親孝行と呼べるかはわからない。
父親の親孝行はほぼやらないでしまったと思う。
気持ちを分かってあげられなかったという事もある。
だから今になって自分の目を通して走る風景を送りつづけている。
父は走ることが好きだったが、生前はそれほど走ることに
自分は興味をもてないでいたので、その事は避けていた。
妻の両親も既に他界してしまったので、
自分たち夫婦の親4人は存在しない。気楽なものだ。
でも気楽かというとそうでもなく、何となく念というのは
残っている気がして余計に規律正しくしないとと思えてくる。
個人的な勝手な妄想だが、
他界した親の念を撫でるという作業が死後に待っている。