まだ日の昇らぬ黒い川が 通勤電車から揺れている 寒かろうに足を突っ込む 想像をしている私からは 温もりを奪う景色の強さ 世間より手前にある猶予 その時間に淀みながらも 忘れまいと己を見ている 感じる冷たさは試された 選ばれし人間なのだから まだそんな優越に溺れて 暫くは姑息に流されよう 己以外への思い微塵とて 細くも生きているこの身 捨てれる訳もなく揺れて 今朝も日が昇る己の上に (選ばれし人間/人間として生まれたという意)
ひとり息をする孤独 散らかした文字を片付けず 嫌われることより 愛する自分がいたりする 失格だろうか ひとり歩く孤独 帰る場所を知っているから 出て行く安心のもとに 笑ってしまった目的地からの 軽蔑だろうか ひとり倒れる孤独 先人も楽しんでいたように 踠いて叫ぶ詩から求め 苦しみの中を客観したのは 黄昏だろうか
風景を絵にすれば情景となり 好かれる作品であったりもする しかし、詩の場合は違う 風景だけを言葉で表し喜怒哀楽を描かなければ 情景になることは難しくなってしまった それだけの作品で終わる 私は読み手の感情移入する感性が 狭いのではないかと感じている 今まで書き手の表現未熟だと思っていたが そうではないのかもしれない 詩は気持ちの色を誘導させて見せる 喜びを伝えるように 怒りを伝えるように 哀しみを伝えるように 楽しいを伝えるように 絵や音楽は音と色でそれを伝える 「これは喜びの作品です」 と、説明しなくても充分に心が踊る 詩は嬉しくなるような風景や情景を書いても 「私は嬉しいです」と、匂わせる表現をしないと 作品としてつまらないことになる 言葉の限界がそこにあるのだろうか 私は詩を読むための感性が失われ 書き手の世界が狭くなっていると実感している 「青に白が小さく浮いている ただそれだけである」 例えばこの言葉に感情移入をできるか、できないか 詩の世界が萎縮しないためにも 私は風景や情景だけを言葉に連ねてゆく詩が もっと書かれて読まれることを夢みている
ひとりの詩 自分以外には読まれない詩 ずっとそのスタイルで外へ表現はしなかった する必要もなかった 三十年前のノートがタンスの隅から飛び出した 投げ散る字で書かれた詩は力があり生きている言葉だった 今、自分の詩は叫んでいるのだろうか 愕然 まったく意味のない詩ばかり書いている 掲示板へ詩の投稿 詩を学んだことにより失ってしまったもの こんな風に書けば纏まって完成度を上げれば 確かにひとの心へ入りやすい そうして少しは読める詩が書けるようになった だが、三十年前の自分が語っている お前はそんな詩を書くために生きているのか もう詩を書く資格は無くなっている と もう戻れやしない 戻り方など存在しないのだから仕方ない これが自分なのだから それでも生きていることは詩を書くこと 詩を書くことは生きること に、なってしまい その執着で汚れるように 詩を書いて行くしかないのだろう もう、それしかない
十八歳になり高校を卒業して就職。それまでは実家でとくに不自由なく過してきた。ただ、一人暮らしをするようになり、あの家庭にあれがあったら僕の人生は変わっていたのではないかと思うように。 父はなぜだろう、ニンニクが嫌いだった。なので、うちの家庭では必然的に餃子やパスタ、ラーメンにもニンニクが入らないのである。ニンニクの存在を知るようになったのは、高校の部活動をしていた時に試合の遠征先で食べた餃子からだった。 なんていう刺激的な匂いで、身体にパワーがみなぎってくるこの感じは、と感動したものだった。食べ終えた後に歯に詰まったニンニクの味すら美味しいと思ったくらいだった。 それからというもの仕事を終えると僕は、ラーメン屋へ毎日のように通った。ラーメンが運ばれると卓上にあるニンニクを足してガッついていた。もうニンニクのない生活なんて考えられなくなっていたんだ。風邪も引かないし、仕事もバリバリこなせる気がしていた。ニンニクパワーで。 しかし、僕の人生はニンニクで人生を狂わされてしまった。 彼女は僕がいつもニンニクを大量に食べるものだから、臭すぎると言い出したんだ。最後は私をとるかニンニクをとるか、って話まで進展してしまう。そして、ニンニクを選んでしまった。 社会人になりストレスが溜まり、ストレス発散がニンニクの摂取と繋がってしまったようだ。電車に乗ると鼻をつまみ僕から離れて行くひとがいたりして。会社でも露骨には言われないが、陰で僕のことを「ゴメン臭いの助」なんて指をさしているようだ。 でも、もうニンニクを止めることができない。中毒だ。いつもポケットにはニンニクチップが入っていて、ボリボリと止まらないのだから。完全にニンニクに人生を変えられてしまった。父のニンニク嫌いがなければ、僕はこんなことにはならなかった。もう仕事も手につかないくらいに頭の中はニンニクのことばかりだ。 そんな僕の様子を見て課長が言った。「齋藤、病院へ行って来い。暫く休んで良いから。このままでは、臭いだけの人生で終わってしまうぞ。さあ、行って来い」と。 僕はそんなわけで今、病院へ向かっている。 たぶん、父のニンニク嫌いがなければここまで執着しなかったはずのニンニク。はて僕は、これからニンニクとどう向き合って生きて行くことになるのだろう。
[4444] おっと、Suicaの残金表示が4444円だ 4が四つ こりゃ縁起が良い 4は「死」に掛けて縁起が悪いって? いやいや、そんなことはない べつに死ぬことが縁起が良いなんて言わない 武家茶道の世界では 4は「余」と書き、小判がザック、ザック、余裕、余裕 って感じになってんだよな 良い数字だろ それにバスケットボールの背番号「4」は、キャプテンの証 なっ、良い数字だろ ああ、そうそう本膳料理では 本膳、二の膳、三の膳、与の膳 うーん 本膳と与の膳が特別な感じになっている じゃあ9は「苦」でなくてなに? って、 そうそう9 は「宮」 浦島さんが行った良い所っていう意味 なっ、いい数字だろ いやいや帰ったら白髪ボーだって? いやいや、それでも 充分に楽しんだのだから 幸せってやつだろ まあ、縁起が良いってことだ 4も9も じゃあ、例の件は4649頼むよ! 6はオーメンじゃん! それは……
洋々たる朝 埃さえ輝きを得て 今日一日の目次は舞い 一つ目の作品 嬉しき朝を歌いだす 空の風が鳴いている 奏でる言葉を探り 会話をする休日には 自由を歓迎する爽快があり 寝床から飛び発とう 昨夜の曇天な心もちから 生き返ったように 希望の晴天が白の文字となり 青に気を遣いながら 自分らしい詩を綴り始める 妙なる朝にこそ 言葉を添えてみようかな その輝く希望に近づくように 楽しく飛んでみよう
疲れ果て もういいかな俺 正直に脱力する 立ち上げれないくらいに 沈んでゆく程よい痛みの中 今週の限界に軋む身体 張り詰めた神経は 細く鈍くなり逃げ場所を探る 床を染み込む緩い魂 ザルの目を通るように 容易く何処かへ染み込んでゆく もしかしたら さよならこの世界での俺 やり遂げていないけど もういいかな俺 冬の筈なのに 夏のように蝉の声が聞こえ 儚いアルペジオは音を沈めてゆき 俺 もういいかな 俺 もういいかな 俺……
知らねえなっ 俺がどんだけ腹黒いか 日々を吐き出したら吐露吐露的な 黒いモノがどんどん 溜まっていること まあ、俺がどんだけ腹黒いか って、話だ 因みにその黒いモノ って、書痴の未熟な 文字の集合体って、ところかな えっ、何を言っているか、だって そりゃ、成長の出汁が 俺を腹黒くしている って、ことだよ わかるだろ? へえ、わからねえ、って
中等学校生徒諸君 諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である 諸君はこの時代に強ひられ率いられて 奴隷のやうに忍従することを欲するか 今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば われらの祖先乃至はわれらに至るまで すべての信仰や特性は ただ誤解から生じたとさへ見へ しかも科学はいまだに暗く われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ 諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに 諸君はその中に没することを欲するか じつに諸君は此の地平線に於ける あらゆる形の山嶽でなければならぬ 宙宇は絶えずわれらによって変化する 誰が誰よりどうだとか 誰の仕事がどうしたとか そんなことを言ってゐるひまがあるか 新たな詩人よ 雲から光から嵐から 透明なエネルギーを得て 人と地球によるべき形を暗示せよ 新しい時代のコペルニクスよ 余りに重苦しい重力の法則から この銀河系を解き放て 衝動のやうにさへ行われる すべての農業労働を 冷く透明な解析によって その藍いろの影といっしょに 舞踏の範囲にまで高めよ 新たな時代のマルクスよ これらの盲目な衝動から動く世界を 素晴らしく美しい構成に変へよ 新しい時代のダーヴヰンよ 更に東洋風静観のキャレンジャーに載って 銀河系空間の外にも至り 透明に深く正しい地史と 増訂された生物学をわれらに示せ おほよそ統計に従はば 諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ 素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである 潮や風…… あらゆる自然の力を用ひ尽くして 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ ああ諸君はいま この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る 透明な風を感じないのか 『春と修羅』(1922)より