ツイッターをしていると、 石垣りんさんの朗読をしている動画に出会う。 いいな、自然に朗読している。 しかも上手で聴いていてとても情景がわく。 そしてやさしい声。 めちゃ上手い。 感情を素直に表現する。 勉強になりました。 こちら、石垣りんさんの朗読されている動画。 ↓ https://youtu.be/562vKe0tTkQ
我が身のように感じながらも 握り潰したい衝動に駆られ だが壊れた夢を描くのは 決して悪の華でないことを 私は知っているのだ それは生まれた自然と朽ちてゆく 必然があるのだから 今さら驚くことではない それを真実の美しさという 社会の道徳では 埋めきれない運命の先天的生物感 立って倒れる その過程には組み込まれた 超自然が主軸となって色褪せて 握り潰す 美しい心象を求めてしまう 手のひらで一生を粉々にする 完結したい人間の潜在した衝動 自分の一生を握り潰したくて 傍観する人間社会に 手の震えが止まらない日々
今朝、詩の朗読練習をする。 詩を書くことと詩を朗読することは、脚本家と俳優の違いほどあるような気がする。そんなことを言っても芝居の世界は知らないのだが、目で文字から入ってくる感覚と耳から入ってくる感覚とでは受け入れ方も違う。表現技術や感性によって表現された作品の捉え方に差が出てくる。詩を書くだけではなく詩を朗読をし、表現できて詩人と言えるのかもしれない。私にとっては詩の新しい分野に出会った刺激になるものだった。 何を言いたいかというと朗読は難しい。詩を書くのと同じように。そして、詩の朗読初心者である私は、とてもとても人様の前で読めるほど上手くはない。ただの下手くそだ。 間、感情の入れ具合、緩急、強弱、声の大きさ、高さにそれぞれの加減。 考えたら読めなくなってしまう。ああ、明日は朗読会があるというのに…… しかし、開き直りの哲学というものがある。べつに上手く気持ちも移入し、読めなくても真面目にやれば良い。これは逃げていると言われればそうなのかもしれないが、「だってしょうがないじゃない♫」って感じだ。えっ、どんな感じだよ。と、突っ込みを入れられそうだが、そんな感じだ。 というわけでもう少し朗読の練習をしよう。それと私は父親譲りで「ひ」と「し」の使い分けが怪しい。それと「さ行」の滑舌が悪い。そのへんから、修正して行こう! やるしかないな。。。
さてさて、日曜日にはとある場所で詩をひとつ朗読することになっている。ネット詩誌MY DEARの大先輩からアドバイスを頂き、丁寧に背中を押されたので楽しみたい。自分なりに淡々と伝わるように読んでみよう。カラオケのように上手く歌おうと思ってしまったら、あれれっ、ということになのでそこは気をつけなければ。「でしゃばらないように、はしゃがらないように…」と河島英五の歌のように自然で。 初めまして齋藤純二と申します。こちらで詩を通し、皆さんとコミュニケーションを楽しめたらと思っております。何卒、宜しくお願い致します。 桜色の恋文 2030年4月 国から一通の恋文 まさか老体の私にこれが来るとは 子どもの頃 叔父の洗脳されていた話を思い出す 命を捧げることに疑問など持たなかったという 自分も国のためにバンザイと突っ込んでゆく そんな歴史を繰り返す時が来た 何てことだ 今まで社会のために骨身を削り ヨタヨタになるまで働き 家族の幸せを信じて 闘ってきたんだ そんな私にも あなたを愛しています だからもっとお国を愛しなさい 弛まない志しで弾丸になりなさい と 明日 軍隊が迎えに来る 衝撃は 恐怖に変換され 膨張し続け ことの次第を把握すれば バンッ 音を立て現れしは 怒りだ 政治に無関心だった自分への 怒りだ 手遅れの怒りだ 今まで何を勉強してきたのだろう 何のために生きてきたのだろう なぜ流されてしまったのだろう Love and Peace この国は夢の島だったのか 悲しい歴史を乗り越え 辿り着く筈だったのに 弾丸になることで 見知らぬ国のひとを苦しめ 私は何処へ行ってしまうのだろう 愚かに繰り返す殺人兵器の一部になり 桜散ることを勇敢だと讃える この国 いや違う この国の本音は 桜色の恋文に花びらを散りばめて 歴史を繰り返し遊びたいだけなんだ 今 すべての心を失う 此れ無情 明日 軍隊が迎えに来る 桜咲く頃 桜の木は一本も無い /ありがとうございました/
石垣りんさんの詩で 「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 という詩がある 炊事は女の役目で 無意識までに日常化した奉仕の姿 と言っている 時代は変わった コンビニ弁当などの中食があり 手をかけなくても食べられる しかし 手をかければ 美味しく安く上がる うちの炊事係は 俺、お父さんの仕事だ 家庭でいろいろと 事情があるわけなのだから 炊事は別に男でもいいだろう ちなみにうちは六人分のご飯を 作らなくてはいけない 仕事が遅い週の夕ご飯は たいてい前の日の夜に仕込んでおく カレー、シチュー、鍋物、 麻婆豆腐、スープなどなど 子どもらが温めれば 食べれるようにしておく カレーで言えば 千円もあればサラダ付きだ 五百円の弁当を六個買ったら 三千円となってしまう 楽をしたいこともあるが しないのが俺流だ あと 魚や肉を焼くだけなら 簡単で美味しいのだが これもけっこう高くつく たまにはいいけど 毎日だと 家計簿がアップアップしてしまう そして今夜も ビーフシチューと キュウリを切って力士味噌を作ってあえた 明日の晩御飯は準備完了だ 朝ごはんは今日の鍋で余ったつゆで おじやを作っておいた そして日本橋と彫ってある お気に入りの包丁を磨いてしまう ああ今日もお疲れさんと 自分に言いながら横になる そこで詩を書く 炊事も詩を書くことも 楽しくやるように心掛けている ため息なんてついちゃ ダメなんだなあ 料理は不味くなるし 詩は愚痴っぽくなる 石垣さん 女性が外で輝ける時代に なってきましたよ これからもっと……
あなたの すべてをなくした これから 僕のすべては生きてゆくのか あなたの すべてをなくした 僕の心はどうして あなたのすべてでないのだろうか 残されたどうしようもなさは あなたのすべてに入れて欲しかった 僕のすべてを捧げて あなたが蘇るのだとしても それはあなたが 今の僕と同じような哀しさの中に 天国であなたは 微笑んでいるのだろうか 僕のすべては それだけを信じて 生きてゆくしかないのか
仕事以外は肌身離さずのiPad 持ち歩くにはすこし大きいが いつどこでも詩を書けるよう スタンバイするのは当たり前 頭の中に描かれた風景なんて すぐに消えてしまうのだから 朝は夢の中で詩を書いている 起きたらすぐに打ち込む言葉 電車が来るまで打ち込む言葉 仕事前十分間で打ち込む言葉 昼休み早食いし打ち込む言葉 目がある手があるiPadがある 時間があれば詩の世界を収め 生きている実感を味わっては 僕は充実を糧に進む進む進む 幸福はいつも手に中にあって 世界の拡がりを止めやしない
三歳まで遡っていた 夢から覚めると それは半世紀前の記憶に気づく 父は他界して 大人たちが楽しそうに 精霊船を造っていた 小さいわたしは そのまわりで遊んでいる 「子どもは無邪気なもんだ」 そんな声が聞こえてきた わたしがとても悲しいことに 気づいてくれない 三歳でもこころは泣いていた わたしはその時に 「あーちゃんのつらいね」 そう言って抱きしめて欲しかった 今も満たされない ひとつのインナーチャイルド 小学五年生の頃 私をいじめる男の子がいた その子は転校生で なぜか私の悪口を言ったり 持ち物を隠したり捨てたり どうしてなんだろう 考えてもまったくわからなかった いじめが辛くて辛くて 毎日が嫌な思いでいっぱい とても悲しい想い出は 大人になっても 心のどこかを抓っていた そして先日 男の子がわたしをいじめる 理由がわかった気がした 男の子は母子家庭 わたしも母子家庭 運動が好きだという共通点 お互いが心が寂しく空洞化した日々 そう ふたりはとっても似ていた 男の子は自分が嫌で 似ているわたしを いじめていたことに気づく 何十年も引っかかっていた わたしのふたつ目のインナーチャイルド 知ることができると すこし雪どけをして心が流れて