「行ってきます」 僕は部屋で父の弾くギターの音色に紛れて言った。愛はきらめきの中に、っていう曲だったろうか、なんとなくせつない親心のようなものを感じながら玄関の向こう側へ。言葉少ない父はいつも悲しげな背中を見せていた。それは母が亡くなったからだろう。そして、僕が出て行ってしまった空間でこれから何の曲が流れるのだろう。聴きたくなった時には父に電話をするに違いない。「最近はどんな曲を弾いているんだい」と。 小さな世界から飛び出したかった。父に遠慮している自分も好きでなかった。 だから僕は旅に出ることにしたんだ。そのことを父に告げる。父は「ああ」と言った。らしい言葉に「そう」と返事を。いつもながら呆気ない会話。十八年も一緒に暮らしてきたのにどこまでも限りなく他人に近い親子だ。それでも僕は父に感謝をしている。叱らない、束縛しない、傷つけない。楽しい家族ではなかったが、愛は感じとっていた。ものごころのついた頃から食事をきちんと作ってくれた。凝った料理ではないが、そこには息子を思う気持ちがあった。今までありがとう。 列車の窓から田園の風景が流れる。ふと、あらためて僕は何のために旅に出たのだろうと考えた。二人という最小限の家族から離れ、ひとりになることの意味があるのだろうか。これから知らぬ土地で世界を感じてみようと思っても、たぶん自分の世界を歩いてしまうことになってしまうのではないか。でも、僕がどんな人間なのかもきっとまだまだ解ってはいないんだ。やはり、旅が必要で父からまずは離れないと何も始まらない。 最初の街にやって来た。空はいつもより広く、僕がどんどん小さく思えてくる。そこは初めて踏み込んだ知らない世界。ここから歩いて行こう。 「すみません、住み込みでアルバイトのできるところを知りませんか」