昨日久しぶりに、この言葉を発した。
子どもが幼少のころは、育児をすることは子どもを育てているようだけど
実は自分が育てられていた。
特に、何事にも我慢や忍耐、そして段取り力等が鍛えられた。
一方、かなりの焦りを感じていた。
それは、社会から離れてしまう、このままなんだか埋もれてしまうのでは…
そんなことを思っていた。
独身であれば、自分のことだけで、変な言い方だけどどうにでもなる。
自由がききやすい。
でも、子ども、特に赤ちゃんの時は
全て子どもに合わせていく必要がある。
例えば、今まで駅まで靴を履き、歩けば予定通り5分で行くことができたことも、
ベビーカーに載せて出発するまで何が起こるかわからない。
5分の道のりが、荷物や準備ですでに10分くらいたっていることも多い。
食事だって、ゆっくり食べるというより
食べさせ、寝ている時間が一番食べられてゆっくりできたりする。
まわりから、そんな時はあっという間と言われたが、
そのようなさなかでは何とも同意できず、そんなばかなと内心感じていた。
でも、子どもたちも大学生になり
振り返ってみたら、あっという間だったと思う。
もう少し、ゆっくり子どもと対峙していたら
もう少し、余裕をもって話を聞いていたら
もっとがむしゃらに一緒に遊んでいたら
もっと沢山自然の中へ連れていったら
そんなきりのない気持ちになる。
全く自信のない、子育てできなかった母だったけど、
しっかり成長してくれた。
子育て=育児
でもいちばん変わるのは、親自身だと今でも思う。
育児は育自、自分を育てること。
そして、もうじき離れていく。
そうなると、育自から育志として
自分自身がどうありたいか ”志” を育てていくことが最終章な気がしている。
命をいただき、自分としての使命や志として
育志の時
まだまだ先は長い。
育てること、大人も永遠に必要だ。
- ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
ログイン
- まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
新規ユーザー登録へ