鞆の浦 いろは丸展示館
11月
20日
時は移って昭和63年、鞆の浦の町おこし隊 「鞆を愛する会」はいろは丸の海底調査に乗り出します。有志を募り4回の海底調査をして いろは丸と龍馬の足跡を探しました。その調査を元に資料館として開館しているのが「いろは丸展示館」です。内部には沈んでいる いろは丸の状態を再現したジオラマや引き揚げた品々を展示しています。海底調査の結果 龍馬が補償交渉に挙げた積み荷の 最新式エミエール銃400丁も金塊も発見出来ませんでした。このストーリーは鞆の浦で考えられたに違いありません。海援隊の前身の亀山社中の時にも船を失っています。大洲藩より船をリースして海援隊初航海にこの海難事故を再び起こしているので龍馬は海難事故に関して色々学んでいたと思われます。大藩の紀州藩は 脱藩浪士の海援隊のゲリラ戦法に翻弄された様にも思われます。黒船来航以後 日本社会は外国文明の波による急速なパラダイムシフトが起こった時代です。今の時代にも通じる部分があるように思います。龍馬没後150年、今も龍馬が愛される所以なのでしょう。
長崎での賠償交渉中 龍馬達は丸山界隈にこんな流行歌を流行らせています。
船を沈めたその償いは金を取らずに国をとる〜
いろは丸賠償金について : http://www3.boj.or.jp/kochi/ryomatookane5.html