以前、東京郊外の住宅街に梅干しの手づくりをしている店があると聞き、小雨が降る中を3時間も探して行ったことがあります。
昔ながらの製法で丹念に手作りされた梅干しを買い、アメリカに戻りました。それまでは東京から新幹線で30分の小田原駅近くの梅干し屋で購入していたのですが、ワイフは手もつけませんでした。
しかし、この梅干しには「美味しい!」とすっかり病みつきの様子です。他の梅干しと比べて風味の違いが歴然です。
やはり心を込めて作られた本物は違うなぁと思いました。
梅そのものの選定が尋常ではありません。杉田という種類の梅で、その店で苗を育てて農家に栽培させています。
そしてその梅を特別の塩に一個ずつまぶし、塩漬けにしています。
その寝かせ方も、ひと工夫もふた工夫もあります。
梅干しに赤しそを入れて、ようやく完成品となります。
私が見つけた絶品梅干しです。
ロサンゼルスで日本語テレビを放映していたジャーナリストのK氏が、丁度一年前に他界されました。
彼は日本に帰国後、大学の政治学の先生として活躍していましたが、ある日、肝臓がん末期と診断され、それから闘病生活が始まりました。
彼とは、東京のマンションが同じということもあり、私が帰国する度に会っていました。
私より五歳下でしたが、彼の生き様は大変勉強になりました。
新薬をテストする『治験』を自分の治療手段に選んでいました。
一時体調が良くなられた際、ロサンゼルスを再訪され『死があって生がある』と題して講演されました。
「死ぬまでしっかり生きる!」の言葉通り、彼は頑張りました。
「死は怖くない?」と聞いたら、「どうせ人間死ぬよ。病気かもしれないし、また不慮の死だってあるじゃない。怖がってどうするの、普通に生きるだけだよ。」と、強がりでなく、淡々と言い切ったK氏の姿が私の脳裏に焼き付いています。
一日一日をしっかり生きることが大切なんだと、改めて思いました。
亡くなる二日前、K氏から「いつ日本に来るの? 美味しいところ見つけたから早くいらっしゃい!」と電話がありました。
声は元気でしたが、そのすぐ後で「実は明日から入院して手術することになった。」と付け加えました。
私は、「あなたは不死身だよ、退院できるよ!」と言って励ましましたが、これが彼との最後の会話になりました。
人間の一生に於いて『余った人生』なんてありませんから、『余生』という言葉は使いたくありません。
私は、これからの時間は『おまけ』だと考え、日々感謝して有意義に生きようと考えています。
私は、新しい物を何もかもただ単純に迎合することには反対です。人類の未来が空恐ろしくさえなります。温故知新「古きを温(たず)ねて新しきを知る」、昔の事柄を調べ直して、そこから新しい道理や知識を見出す、いう意味ですが、これを無視した進歩は、無意味な進歩としか思えません。
これから人間が生きて行く上で、今以上の技術進歩(つまり便利さ)が果たして必要でしょうか?人間を益々怠け者にするだけでしょう。更に、貧富の差を極端にし、人災に基づく自然災害が起き、食糧難や水不足に陥ること必至です。正直、もう世界のあちこちで起こっています。多くの犠牲者を出したコロナ禍の経験を無駄にしてはいけません。今こそ「世界」の進路について真剣に考える時です。世界を形成しているのは私達一人一人の人間です。その一人一人が「一日一善」を実践すれば、一日七十七億善、何と素晴らしいことでしょう!
食べ物は、人間の体だけでなく精神をも左右します。
例えば、カルシウムは精神の安定に大きく寄与しています。
昔、日本のテロリスト集団が一軒家に閉じこもって生活し、食べ物はインスタント食品だけでした。内部抗争が激しく、お互いを殺し合うことも起きました。
アメリカの著名な栄養学者が刑務官として囚人を監視していた際、囚人の食事を管理することで彼らの心身の健康が向上した記録を発表しています。
健全な食べ物を食べることは、心身の健康の維持に繋がることを実証しています。
作家サマセット・モームは「老年の最大の報酬は精神の自由だ」と言っています。
「精神の自由」とは何なのかと考えてみましたが、よく解りません。皆さんはどのように考えますか? 色々と考えた末、「我欲を捨てること」ではないかと思いました。今「断捨離」という言葉が流行っています。断捨離とは、単に不要な物を処分するだけでなく、物に囚われずに生きていこうとする考え方で、ヨガから出た言葉だそうです、私が尊敬する「世界のホンダ」を創った本田宗一郎氏は、65歳という若さで子息に会社を継がせることもなく引退しました。環境に優しい車作りのプロジェクトが進む中、社長の本田氏は「環境対策はビッグスリーと並ぶ千載一遇のチャンス!」と言ったところ、エンジニア達は「環境対策は会社の為にやっているのではない。『社会』の為にやっているのだ」と、社長の考えに異論を唱えました。それを聞いた本田氏は「いつの間にか私の発想は企業本位のものになってしまっていた。若いエンジニア達がそのことに気づかせてくれた。優秀な社員がどんどん育ってきている。自分は退き、彼らに任せた方がいい」と、引退を決意されました。凄く潔いと感動しました。
中高年の方は、睡眠中に足がつるということが良く起こります。
痛みは数分で治まることもありますが、目が覚めてしまうのが難点です。加齢とともに汗や尿と一緒にミネラルも排出されやすいため、気づかないうちにミネラルバランスが乱れていることが多く、原因の一つといわれています。
また、加齢にともなう足の筋肉量の減少や、動脈硬化による血行不良なども関係していると考えらます。 私も足がつることがありましたが、なるべく歩くようにしているのと、「アルカミネラル」という濃縮ミネラル液を料理の時にワイフに使ってもらっているせいか、今のところ大丈夫です。
睡眠中に足がつると、あわてて筋肉を伸ばそうとしがちですが、落ち着いて対処することが大切です。足の指をつかんで、ゆっくりと身体のほうへ引き寄せたり、ふくらはぎなどのつった箇所の筋肉をゆっくり伸ばすことで、痛みが少しずつ解消されますよ。
健康情報もそうですが、インターネットからの情報だけで頭デッカチの人がたくさん居ます。宣伝目的の情報も多々ありますから、得た情報を鵜吞みにしないように気を付けましょう。それよりも、自分の身体ときちんとコミュニケーションを取りましょう。自分の体調は自分が一番よく知っている筈です。多くの病気は、その人の生活習慣を聞けば、検査せずとも大体分かるものです。
子供の頃、いつの間にか我が家に住み始めた猫が居ました。動物とは賢いもので、体調が悪い時は餌も食べずにじっと丸まって体を休めていました。時々トイレに立つと、外の草をかじって癒していました。その草は、猫にとっては自然の薬だったんですね。
「薬」という漢字は、くさかんむり(艹)の下に「楽」、つまり「草を楽しむ」と書きます。人間にとっても、太古の昔から様々な草が自然の薬として利用されています。自然を破壊しないで自然と調和することが如何に大切か、このことからもご理解頂けると思います。
人生を幸せに生きるためには、なんと言っても健康でなければなりません。
特に“70歳が老化の別れ道”、そして“80歳の壁を乗り切る”必要があります。先月(7月)86歳になりました。80代半ばを過ぎた私には、今までの一年が五年のような感じがしています。ですから、自分がしたい事は躊躇せず実行するよう心がけ、悔いのない人生を送るようにしています。そのためには、体に良いことは何でも惜しまずやる事だと思います。
例えば、毎日の食生活においても自然のものを摂るように心がけたり、多少高くても品質の良いものを選ぶことなどです。そして努めて体を動かす事です。今、若い人にコロナ感染者が多いのは、外に出て感染する機会が多いこともあるでしょうが、それより体力がないからだと思うのです。ジャンクフードばかりでは免疫力は落ちていく一方です。免疫力をつければ感染を避けるだけでなく、仮に感染しても重症化しませんから。
高齢者の皆さん、健康長寿頑張りましょう! 若い方々、今が肝心です。少しの心掛けで老後は左右されますよ!
私自身、この年になっても、まだ自分の全てが分かっていない部分も多々あります。他人から見た私というのも全て把握しているわけでもありません。自己分析で有名なものに「ジョハリの窓」というのがあります。
「ジョハリの窓」は、上の図のように4つの窓があり、この4つの窓で、自分と他人の認識のズレがわかります。そのズレを理解することで、他人とのコミュニケーションを円滑にしていくことができるというのです。 自分はどんな人間かを冷静に考えてみるのに、この「ジョハリの窓」が役に立つのではないかと思います。もちろん、友人や知人に自分についてどう思っているのかを正直に答えてもらうのも良いと思いますが、少し勇気がいるようにも思います。
「ジョハリの窓」の作り方はインターネットに出てますので、「ジョハリの窓」で検索してください。
久しぶりに帰国して、コンビニエントストアーに買い物に行った時のことです。
お金を払うとしたら、店員が対応しているのにも関わらず、機械で支払わなくてはなりませんでした。機械での支払い方を聞くと「書いてある通りやってください」と言われ、その傍観的な態度に呆れました。しかし、隣のレジでは、同じように困っている高齢者に店員が丁寧に教えているではありませんか・・・親切に教えてくれれば、それ以降はスムーズに出来るのにと思いました。 ちょっぴりでも思いやりが欲しいですね。
また、何か新しいことを申し込むときには米国同様、身分証明書が必要です。私は日本の運転免許証がないため、パスポートを提示したのですが、それでは不十分で、住民票も要求されました。しかし、パスポートを取るためには住民票が必要なのです。何でそんなに複雑にするのでしょうか?そのために2度手間を強いられるのです。こうした事が多々ありました。合理化という名目なのでしょうが、相手への思いやりがなく残念に思いました。これから益々、高齢者は生きづらい世の中になっていくことでしょう。
そう思うと、今必要なのは合理化ではなく、『他人に対する、ちょっぴり親切』の気持ちをお互いが持つことではないかと思います。
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