6月
3日,
2011年
日本国民としてお礼を述べました
「今回の我が国を襲った大震災に、貴国から莫大な援助金をいただいた、これは一日本人として感謝に絶えない、私は台湾とビジネスをする事を心から誇りに思う」
ざっと、こんな内容で、相手によっては多少の変更ができるようにしておきました。
ホテルのチェックインでも、荷物を運んでくれたポータにも、タクシーの運転手にも、友人が連れていってくれた先々、勿論Computexでのブースでも。
最初は何を言い出したかと、怪訝な顔ですが、意味が通じると、破顔となり、いや、礼には及ばない、以前台湾の地震の時に、真っ先に駆けつけ助けてくれたのは日本だ、地震に悩まされているのはお互い様だ・・・・・
異口同音にこんな返事が返ってきます、心から嬉しくなり充実感を感じました。
6月
2日,
2011年
台湾省ナンバー
これは台湾の歴史を知る上で極めて重要な意味を持ちます。
日本人なら、台湾は中国の一部で地図にも台湾省と書いて
ある、当然でしょ?
いえ、いえ、大違いです。
中華民国政府は、中国の内乱(第二次世界大戦終末期)に、
現在の中国政府(中華人民共和国)との戦いの過程で、
日本統治が放棄された台湾に逃げこみ、ここを中華民国の
本拠地とし、大陸部分もすべて中華民国の領土と宣言したのです。
今では、だれも「冗談」としか思えないのですが、当時の政府の
思想はこのようでした。
その名残が台湾省ナンバーで、決して大陸の一地方の意味では
ないのです。
台湾を知る上で極めて重要な歴史の経緯です・・・・・・・・・
キレイナオネエサンの後は、やや真面目な話で終わります。
6月
2日,
2011年
大阪弁でまくし立てるキレイナオネエサン
メモリーが飛んだ
翌朝起動不良を起こした
HDDから異音
音声回路が故障
などなど、武勇伝がイッパイ。
事前に情報を収集しておいたKUMAは事無きを得ましたが、今回も「被害者」が多数発生するかも・・・・・・