11月
23日,
2016年
再びコマンドラインの世界に・・・・・
元々、始めたのはUNIXであったため、さほどの抵抗は有りませんが、コマンドの
新規追加や、パラメータが増えたので、随分楽になりました。
問題はエディターで、Viが完全に頭から抜けているので再挑戦です。
でも、便利になりました、ChromeやAndroidでSSHAPLの優秀なモノが出揃って
います。
ゼロスタートどころか、少しやり始めると記憶が戻ってきました、私には楽しい
世界ですが、社員は白い目で見ております。
11月
21日,
2016年
HUB指数をあげよ
使用しているHUBの数で除します。(小数点は一桁)
※WiFiとRouterは除外、WiFi専用機はクライアント数から減ずる
此の値をHUB指数と呼び、これが大きほどLANの安定度は高いと言えます。
※ただしHUBは設置5年以内が条件
つまりクライアント40台を1台のHUBで接続していれば40、8台なら5となります。
クライアント数3台以下(家庭用程度)を除いて、指数が3以下の場合は要注意です。
HUBの数を減らすことは多ポートの機器を使うこととなり、多段結合が減り、機器の
総数も減ることになるので安定化となります。
ただし、指数を減じるにはLANケーブルの総延長は長くなり、工事が
面倒となりますが、今後の高速通信化には指数を下げるのが効果的です。
11月
21日,
2016年
日の出位置、さらに南下(2016.11.20)
日射角度は30度少しで、夏至の約1/3。
このため、山では日没時刻よりも早く実質的に日が沈み、気温が急激に低下
します。
11月
21日,
2016年
2016キノコ山戦記
見ると、11月20日が最終。
19日は雨、それとLAN工事があり、山行は無論ダメ。
昨日の雨での泥濘を心配しながらいつもの秘密の山に出撃。
※キノコ採りは単独は危険、登山道ではないので、行動不能の場合には
捜索以外で発見される可能性はゼロに近い、携帯は圏外。
いつものルートで入山するも、今年も不作、更にすでに採取された痕跡がある。
でも、昨年よりも痕跡が多く、少し期待が持てると思いながらも、いつもの
木々には全く無い。
諦めて帰ろうかと思いながら、帰路を周回にするか、同じ道みすか迷い。
同じ道を辿っていた時、相棒が枯れ葉に埋もれた大群を発見!!
やれやれ、ボウズは免れました・・・・・
ルートの備忘録
目印から北に入る、斜面を東にトラバース、そこから斜面を登り、稜線少し下
を東進、又になった地面の倒木が目印、そのまま木々の隙間を探しながら
北方向の稜線を辿る。
11月
19日,
2016年
LAN高速安定化の定石
でも、ケーブル工事が面倒なため、ついついHUBのカスケードにしがち・・・・
HUBは交通信号と同じです、まさかCSMA/CDなんて思ってはいませんよね。
これは半二重の方式、全二重ではS&F、メモリー搭載量、HUBnoCPU性能が
性能をl左右します。
HUBなどどれも同じ思ってはいけません、高性能HUBそれなりです。
通信を安定化させるには、とにかくHUBを減らす、これが一番です。
我が社では48ポートをすすめています、伝送回路はスター型に近くなり
速度も安定性も向上します、なによりメンテナンスが楽になります。
11月
19日,
2016年
LANケーブル人生
端末機でメインの大型機と接続されていたのが出会いです。
最初はプリンターでしたが、その後ブラウン管となりました。
UNIXのコマンドを叩いての操作です。
その後、パソコンが普及してきましたが、PCを繋ぐ事は当たり前と思っていたため、
プログラム作製の傍ら、モデムを使っての通信を模索していました。
その後、PCが増えると、外部通信よりLANが重要となり、此の分野の研究をはじめました。
同軸ケーブルによる10Base5、そしてT、その後UTPの出現で現在のLAN構築の
仕事をはじめました。
100%手探りでした、参考書もありません、部材はなんとか購入出来ましたが、
作りかもわかませんからメチャメチャでした。
その後、不思議な出会いがあり、AMP社とコンタクトが出来、一気に基礎技術が
習得出来ました、この時ほど年少時に英語を習得していたことが役に立った事を
強く実感しました。
その後はこの技術を元に、作製方を研究し、1500人以上の方々に簡単かつ
高性能なケーブル作りを指導し、それが縁で、SANWA-SUPPLYの技術顧問
となり、中国工場でのケーブル作製の指導にあたることになりました。
Cat5のケーブルの改良後、Cat6eを開発、更にCat7の製品化も行いました。
Cat7はシーモン社(ドイツ)が独自の高性能プラグを提唱していましたが、
高価であることと、すでに普及している機器との互換性の無さから、RJ45での
製作を押し通し、実質のデファクトとしました。
随分、叩かれました、技術の進歩を阻害するなど色々言われましたが、私には
高価過ぎるもの、互換性の無いものは、黎明期にはダメとの思いがあり、
強引に貫き、現在に至っています。
Cat6eも同様です、そんな規格はどこにあると聞かれ、SANWA独自ですと
何度も回答しました。
大企業は米国の規格を盲信するので困ったことが何度もありましたが、
Cat6aよりも当社の方が早く世に出したと押し切ってきました。
今度はPoEです、PoEは2017には100W通電可能な規格となりますが、
現在のプラグでは加工方法から不安が残ります。
現在のプラグは現地加工が絶対との思想で製作され、この束縛から
逃れられません。
今回、このしがらみを捨て、新しい方法でプラグ作りを考案しました。
大した内容ではありませんが、ここに至るまで何年も考え続けました。
来年には製品化し、世に出ると思います。
私や私の小さな会社では、いくら素晴らしいアイデアがあっても製品化
等は絶対に出来ません。でも、SANWAとの出会い、そして山田社長の
信念のお陰で、アイデアは具体的となり、製品となりました。
LANケーブルをひたむきに考え、とにかく細部の性能にこだわったのは
私ですが、それをサポートし、製品化のために尽くしてくれた方々は
沢山の方々です、国内は勿論、台湾・中国にもいます。
彼らがいなければ決して世にはでなかった製品ばかりです。
発明はきっかけに過ぎず、その後の育成には多くの方々の援護が
あること決して忘れた事はありません。
インターネットの時代となり、世界中で無数のLANケーブルが使われていますが、
その何割かに、いくらかの貢献が出来た事を幸せに思い、すこしばかりは役に
立った人間と自己満足しています。
新技術を世に出す前に当たり、備忘録として書き留めました