2月
27日,
2010年
Googleは怖い!
Googleに入力されたキーワードですよ。
けなげな男は奥さんに関して優しい文言が多いのに、女性(と思われる)方々の検索キーワードは・・・・
「なんとオソロシイ」
2月
27日,
2010年
今朝の御嶽山
しかし北西風は強く肌寒さを感じます。
でも、雨と風でゴミが吹き飛んで視界は良好となっています。
NikonD200 Auto
γ補正
2月
23日,
2010年
「粗食が病気にならない体をつくる」
油脂や砂糖に関する記述は全く同意見です。
食品加工で隠れた砂糖や油脂に関する記述は一読に値します。
特に女性のダイエットに関する部分は重要な指摘があります・・・・
2月
23日,
2010年
今朝の朝日
あの冬の刺すような厳しい日光では無くなっています、気温も少し上がっています。
この部屋の暖房も入れていません、室温が14℃になってきました。
2月
22日,
2010年
東大寺修二会のキレイナオネエサン
奈良東大寺の修二会(お水取り)では過去帳の読み上げがあります。
以下、東大寺HPより抜粋
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二月堂での修二会の期間中、実忠忌が勤められる3月5日の夜と お水取りの行事が行われる3月12日の夜に、二月堂内陣において、 練行衆により、「東大寺上院修中過去帳」が読み上げられる。
「過去帳」とは亡くなった方の名前を書き記したもので、 二月堂の内陣に納められている過去帳のことを特に「東大寺上院修中過去帳」と呼んでいる。その中には奈良時代から現在に至る歴史上、東大寺や二月堂に関係した人々、或いは修二会に参籠した僧侶等の名前が記されており、その人たちの冥福を祈るために特に読み上げられる。
鎌倉時代、承元年間(1207-1211)に修二会中、集慶(じゅうけい)という僧侶が過去帳を読み上げていたところ、その前に青い衣の女性が現れ、「何故わたしを読み落としたのか」と、恨めしげに問うたという。集慶がとっさに低い声で「青衣(しょうえ)の女人」と読み上げると、その女人は幻のように消えていった。
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この話はかなり有名で、司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の中で紹介しておられます。
「東大寺お水取」と題名のある小学館発行の書籍にも詳しい記述があります。
現在、使用中の過去帳には、アドリブではなくちゃんと記載があるようです。
※諸説紛々ではありますが、この僧侶に
思いを寄せながら身罷った若い女性の亡霊(この場合は必ずキレイナオネエサン)の説をとりたいと思います。
検索エンジンで「青衣の女人」を検索してみてください、沢山のアップがあります
2月
19日,
2010年
伊勢湾の入り口
中央の島は三島由紀夫作「潮騒」の舞台となった神島、その右が伊良湖岬です。
冬の太平洋は波も静かで穏やかです・・・・
※写真は大きくなります
CanonG10 Auto
2月
19日,
2010年
アナログなカウント方法
この方は神宮の警護にあたるガードマン、正式には衛士(えじ)と呼びます。
手の中にはカウンターがあり、宇治橋を渡る人数をチェックしてカウントアップしています。
近くで見ると手の中が動いているのがわかります・・・
※仕事上で知り得た情報なので、これ以上は開示出来ません。
一般には公開されていませんが、内宮への参拝人数は決してアバウトでは無い証明です。
なんともまあアナログな世界ではありますが、これくらいは残しておきたい気がしますが、いかがでしょうか?
2月
19日,
2010年
伊勢の白鷹
実際の醸造は灘ですが、ここでしか販売していない純米吟醸酒があります。
「御料酒:ごりょうしゅ」と呼び、神前にお供えするお酒(神前酒)です。
ここには名物おばあちゃん(社長)がおられましたが、先年大往生されました。
ほんとに面白く、でも厳しい御婆様でした。
ここでは立呑が出来ます、半合・一合があり、お参りの帰りに「ぐい」とやるのが粋です。
2月
19日,
2010年
伊勢宇治橋の擬宝珠(ぎぼし)
橋を渡った上流側の一番端の擬宝珠には嘉永6年の刻印があります。
嘉永六年(1854)、ペリー提督が浦賀に現れた年です。
現在は彼の国へ苦も無く出かけ、米国のサーバーを利用してのWeb運用、そしてBloguruを使わせていただいています。
※橋の素材檜は新品に交換ですが、擬宝珠は使われ続けています、年号は観にくい場所にわざとあります(悪戯をされないよう)
余談ですが、伊勢神宮は一般的な呼び方、
「神宮」のみが正式な呼称、日本で神宮と言えば、ここを指します。
さらに蛇足を
神様のおかげで・・・・
のことを「ご利益:ごりやく」と言いますが、
これは仏教用語で、神道では「ご神徳:ごしんとく」と言います。