豊臣秀次 企画展

刈谷市歴史博物館での企画展を観てきた。
残念ながら期待した内容ではなかった。

秀次は豊臣家にとって秀長没後は極めて重要な男子であり、非凡ではないかも知れないが
後世の巷間で言われる悪人ではないと思う、不出来ならば秀吉周辺が関白には取り立てる
はずはなく、朝廷も忌避したはず。

後年、高野山での自刃や一族の処刑のみが語られるが、史実とは大きく異ると思う。
彼が一番邪魔だったのは誰か。

秀次のスキャンダルの多くは江戸時代の贋作であり、当時の資料は綺麗に消されている
関白となった人物の資料がこれほど少ないのはおかしい。

彼はやや病弱との情報がある、よってたかって罪状を着せられ、最後は自暴自棄となった
か心身症で滅亡したのではないか。その手の情報をもち、そのように追い込んだのは
誰か。

無論、秀吉ではない、石田三成も違う、ただ豊臣方で福島正則のみが不審な動きがある。
彼を操ったのは徳川家康、私はそう思っている。

気弱で普通の男だったと思う、非凡ではなく才覚も周囲への特段の配慮も出来ない、
今でも普通にどこでもいる男、叔父が大出世したばかりに、気の毒な生涯を終えた。
彼ばかりではなく、その一族はもっと悲惨だった。

彼の死を繕うため、様々な風聞を作り出したのは誰か、こうなると秀吉の晩年の伝説も
あの悪人が作り出したのでないか。

尾張の地は、英傑と称される人物が群がりでた、不思議な場所である。
現代でも名だたる大企業が出来上がっている、しかしこれも実態はどうかと思うことが
ある。


わかお かずまさ
VegaSystems

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