11月
19日,
2016年
LANケーブル人生
端末機でメインの大型機と接続されていたのが出会いです。
最初はプリンターでしたが、その後ブラウン管となりました。
UNIXのコマンドを叩いての操作です。
その後、パソコンが普及してきましたが、PCを繋ぐ事は当たり前と思っていたため、
プログラム作製の傍ら、モデムを使っての通信を模索していました。
その後、PCが増えると、外部通信よりLANが重要となり、此の分野の研究をはじめました。
同軸ケーブルによる10Base5、そしてT、その後UTPの出現で現在のLAN構築の
仕事をはじめました。
100%手探りでした、参考書もありません、部材はなんとか購入出来ましたが、
作りかもわかませんからメチャメチャでした。
その後、不思議な出会いがあり、AMP社とコンタクトが出来、一気に基礎技術が
習得出来ました、この時ほど年少時に英語を習得していたことが役に立った事を
強く実感しました。
その後はこの技術を元に、作製方を研究し、1500人以上の方々に簡単かつ
高性能なケーブル作りを指導し、それが縁で、SANWA-SUPPLYの技術顧問
となり、中国工場でのケーブル作製の指導にあたることになりました。
Cat5のケーブルの改良後、Cat6eを開発、更にCat7の製品化も行いました。
Cat7はシーモン社(ドイツ)が独自の高性能プラグを提唱していましたが、
高価であることと、すでに普及している機器との互換性の無さから、RJ45での
製作を押し通し、実質のデファクトとしました。
随分、叩かれました、技術の進歩を阻害するなど色々言われましたが、私には
高価過ぎるもの、互換性の無いものは、黎明期にはダメとの思いがあり、
強引に貫き、現在に至っています。
Cat6eも同様です、そんな規格はどこにあると聞かれ、SANWA独自ですと
何度も回答しました。
大企業は米国の規格を盲信するので困ったことが何度もありましたが、
Cat6aよりも当社の方が早く世に出したと押し切ってきました。
今度はPoEです、PoEは2017には100W通電可能な規格となりますが、
現在のプラグでは加工方法から不安が残ります。
現在のプラグは現地加工が絶対との思想で製作され、この束縛から
逃れられません。
今回、このしがらみを捨て、新しい方法でプラグ作りを考案しました。
大した内容ではありませんが、ここに至るまで何年も考え続けました。
来年には製品化し、世に出ると思います。
私や私の小さな会社では、いくら素晴らしいアイデアがあっても製品化
等は絶対に出来ません。でも、SANWAとの出会い、そして山田社長の
信念のお陰で、アイデアは具体的となり、製品となりました。
LANケーブルをひたむきに考え、とにかく細部の性能にこだわったのは
私ですが、それをサポートし、製品化のために尽くしてくれた方々は
沢山の方々です、国内は勿論、台湾・中国にもいます。
彼らがいなければ決して世にはでなかった製品ばかりです。
発明はきっかけに過ぎず、その後の育成には多くの方々の援護が
あること決して忘れた事はありません。
インターネットの時代となり、世界中で無数のLANケーブルが使われていますが、
その何割かに、いくらかの貢献が出来た事を幸せに思い、すこしばかりは役に
立った人間と自己満足しています。
新技術を世に出す前に当たり、備忘録として書き留めました
ワオ!と言っているユーザー
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