ぼたん雪が舞う朝です。
気温は1℃。
湿雪と予報の通り、水分を含んだ雪でした。8時を過ぎると薄日が差して、少しずつ融け始めていたのですが、9時頃からまた降り始めました。
今日は雪の日になりそうです。
<楪〜ゆずりは>
家系が絶えることなく続くように願いを籠めた縁起のよい樹。
外出先で、橋を渡ろうとして、ふと見ると川岸にたくさんの鳩がいます。
ひなたぼっこをしているのでしょうか?
川の水は、青空を映して青く流れています。
青い川は、冬の顔。
その中にあって、川原の緑は鮮やかです。
風が強く、髪をひらひらと揺らして吹いて行きます。
朝は、ぽつぽつと雨模様だったのですが、午後からは雲の多い晴れへと変わって来ました。
風が冷たいけれど、気温は8℃です。
おひさまが顔を出したので、少し暖か気分になりました。
<弱冠>成人式の冠
生まれてから十年「幼」学問をはじめる
二十年「弱」冠をつける★
三十年「壮」妻をむかえる
四十年「強」仕官する
五十年「艾」重要な官職につく
六十年「耆」人を指揮する
七十年「老」家事をその子に教える
年末にきんかんをいただいたまま、年を越してしまいました。
shinoさんのところで、おいしそうなお節料理を見ましたので、きんかんの甘煮を作りました。
◇材料◇
きんかん 400g
砂糖 160g
リキュール酒 大さじ4杯
◇作り方◇
1.きんかんは被るくらいの水に漬けて半日置き、あくを抜く。
2.1をざるに上げ、楊枝でぷちぷちと穴を開ける。
3.鍋に2とたっぷりの水に入れて中火かけ、水を2、3回替えながら、柔らかくなるまで煮る。
4.砂糖を加えて、煮からめ、最後にリキュールを加えて2、3分煮て仕上げる。
思ったよりも簡単にできました。
<仕合せ拍子>うまく幸運に巡り合う
一年安鯛を見つけて・・・あまりの可愛らしさに帯飾りにしたい〜♪と思いましたが、少々大きいです。
それでも、友人たちは「わたしたちに会う時はご自由に」と優しく迎えてくれそうです。
干支の丑さんを探していましたが、このほのぼのさが気に入りました。
張り子の丑。
さてここで・・・丑とは・・・
農耕民族である日本人にとって、牛は、身近で重要な動物。
また、学問の神様として信仰されている天神さんのお使いとしても親しまれている牛は、「撫で牛」ともいい、自分の身体の弱いところと同じところを撫で、その手で自分の身体に触れると、その部分が不思議と治るといいます。
牛は、大願成就、学業成就等々、庶民に根付いた祥福の縁起物なのです。
<若菜摘み>
〜君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ〜百人一首
新春に食べると長生きができると信じられた七草粥。
2時間近く、山沿いの道を歩きました。
木洩れ日の陰影や様々な樹々の形にひとりで感動していました。
気温は11℃まで上がり、暖かい午後でした。
山からの大盤振舞をいただきました。
<大盤振舞>一膳の御飯から
山茶花の
花びらの
移ろいに
こころ惹かれて
見つめます。
薄紅から
白色へ
そして鶸色へ
その移ろいは
七変化。
<福寿草>
南天と合わせて寄せ植えにされる福寿草は「難を転じて福となす」の語呂合わせだとか。
人生には「五福」があるとされてきました。
一、長寿(寿命が長いこと)
二、富貴(財産に不自由がなく、地位が尊ばれていること)
三、康寧(身体は健康、心は安定していて穏やかなこと)
四、好徳(好んで徳を積むことができること)
五、善終(臨終を迎えるときに、心残りなく、安心して現世を離れることができること)
神社の大きな樹の洞は
母の子宮のよう・・・
さまざまな想いを
ゆるやかに優しく
包み込んでくれます。
<鳴き龍>
昨日の帰り道・・・
空が夕焼けで染まりはじめていました。
その夕日を受けて、山が紅く染まっていました。
光と影と紅。
山の紅い顔は、新年を祝った表情なのでしょうか?
よいお顔です。
元旦、二日と時折霙の降る寒い新年でしたが、ようやく三日の朝は、初日の出になりました。
それでも、雲に覆われた日の出です。
おひさまの光は、八方へ広がっています。
今年もおひさまとともに暮らしていきます。
本日の美人の日本語は<お年玉>
この年初めて授かった贈り物・・・この初日の出もお年玉です。
いにしえの初正月から、わたしの手元にきた羽子板を今年も年末から飾りました。
長い長い年月、わたしの手元にある羽子板は、在原行平の伝説からきた能の松風の原曲【汐汲】です。
◇羽子板の歴史を調べてみました。
羽根つきは、元来日本のものではなく「中国」から来たとする説が有力です。14世紀頃の中国では、硬貨を重りとして付けた羽根を蹴る遊びがあり、それが室町時代に日本へ伝播したのが起源とされています。
日本では独自の遊び方が考えだされ、「ツクバネ」という落葉樹の実を羽根にして、これを手でついて遊ぶようになり、その後、時代の移り変わりと共に、板を使って羽根をつくようになりました。これが「羽子板」の原形で「羽子板」は日本で誕生した日本文化だったのです。
宮中だけでなく、一般庶民の間でもいわゆる「お歳暮」として、年末に羽子板を贈って、それを自宅で飾るという形で広まりました。
桃山時代には、羽子板に、梅の花や左義長(宮中の正月儀式で魔を払う行事)などが描かれるようになり、江戸時代からは、歌舞伎が描かれるようになりました。
羽子板が遊具として用いられるだけでなく、お正月に飾られるようになったのは、邪気や悪いものをはね(羽根)のけ、福をもたらすという縁起物だったからです。
羽子板は、今の日本の大不況を跳ね飛ばし、金運、幸運をもたらす縁起のお飾りとして、まさにぴったりなのです。
また、ムクロジ(無患子)の実」というのは、羽根の先端についている黒い玉のことで、この実も非常に縁起がよく「子が患(わずら)わ無(な)い」ようにという願いがこもっています。
羽子板だけでなく「羽根」の形がトンボに似ていることも、重りにムクロジの実を使ったのも、可愛い子供の無病息災を願う、親や祖父母の深い愛情の表れでした。
先人から受け継いだ愛情を、私たち日本人はこれから先も「羽子板」を通して、子(男の子なのだけれど)へ、孫(女の子だと嬉しいけれど、いつのことか?)へと伝えてゆきたいものです。
<おめでとう>
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