折角だから、久しぶりに八坂神社にも・・・と鳥居をくぐり、門に差しかかったところに猫ちゃんがいました。 えっ・・・?! わたしの足にゴロニャンと擦り擦りして、足元をくるくると回り始めました。 柔らかな毛並み・・・。 学生時代に迷い猫ちゃんを部屋に入れて、夜中耳元でゴロゴロ囁かれたことを思い出しました。 それ以来、猫ちゃんは苦手です。 だめだめ、猫ちゃん、連れては帰れませんよ。 門を出ると猫ちゃんは、そこが結界のように、お座りして見送ってくれました。 結局、神社まで行けませんでした。
朝から起動して・・・愛しいひとに逢いに行ったのに、凄い行列でした。 諦めて帰ってきました。 GW明けにまた逢いに行くことにします。 折角なので、小倉城に逢ってきました。 おひさまの光に悠然と輝いていました。 お堀では「目指せ!6,000匹こいのぼり〜まっしろなこいのぼりにウロコ模様やメッセージを描こう!」GWの催しの鯉のぼりがこちらも気持ちよさそうに泳いでいました。 愛しいひとには逢えなかったけれど、とてもラッキーな皐月はじめになりました。 ***クリックすると大きくなります*** <皐月> 白い光を放つ様子を表したもの。 「さつき」の「さ」は、神に捧げる稲に関することを表すという説が有力。 早苗、早乙女の「さ」も同じです。 早苗月、田草月、五月雨月、月見ず月、菖蒲月などの異称があります。
公園に巣を作っている烏の夫婦。 なかよく愛を育んでいます。 そろそろ雛が生まれる頃でしょうか? 二年前、小学校の近くで巣から落ちた烏の赤ちゃんを二男が連れて帰ってきました。 すぐにこの公園の烏の縄張り争いに巻き込まれてしまいました。 結局、次の日が修学旅行だったので、元の巣に戻しに行かせました。 自然の鳥は、自然の中で生きるのが一番です。 <立往生>今日は義経忌 立ったまま、息絶えてもなお敵を睨みつけて、立ちはだかる「弁慶の立往生」が語源。 1139
駐車場の曲がり角に、以前から、白い小さな花がたくさん咲いています。 小手毬・・・とずっと思っていました。 昨日の夕暮れ時に写真を撮りました。 白い花の端から、少しずつ茶色が目立ち、花の頃を過ぎつつありました。 よく見ると、通常の小手毬と違って、花びらが八重です。 少しふわふわな白い花をそよ風に揺らしています。 夕陽がほんのり紅を差していました。
この春・・・桜の写真を何枚撮ったことでしょう? 桜日記に綴りきれなかった数枚を再度綴ります。 4/ 3 カトリック教会に咲く桜 4/14 桜池の畔に咲く桜 4/14 植物公園に咲く桜 今年は、桜坂の桜、さんての桜、桜山道の桜・・・と見に行けなかった桜がたくさんありました。 来年まで、楽しみを取っておきます。 桜の緑、桜の紅葉・・・まだ今年の桜は続きます。 スライドショーを閲覧するにはジャバスクリプトが必要です。
おひさまが出ているのに霞んだ空模様・・・まさに<卯の花曇>です。 お向かいのあふれる雪柳がたくさんの星々を煌めかせています。 白い雪を降らした後に残った緑色の星々が茶色に変化して、星の砂を思わせる様相になりました。 おひさまの出ている日中でさえ、満天の天の川を連想させてくれています。 この星々の中にも、さまざまな想いがあり、それぞれの星模様が展開されているのでしょうか? わたしがこっそり覗くこの時、星たちは、何を想っているのでしょう。 地上の一番星みぃ〜つけた!! <卯の花曇> 卯の花は空木〜うつぎのこと(幹の中が空洞なので、こう呼ばれた) こぼれるように咲く白い花から・・・異称=卯月の雪、雪見草、潮見草、水晶花と呼ばれた。 どれも白色を美しく表現していますね。
庭に小さな和草がびっしりと生え始めています。 なんとも小さくて可愛い和草たちです。 生えたばかりのやわらかい草や、葉や茎のやわらかい部分を<和草>といいます。 「和し〜にこし」は、細かいという意味。「柔」という字を当てたりもします。 「にこにこ」「にっこり」もここからきているようです。 小さな小さな葉を見ていると、とても可愛らしくにっこりしてしまいます。 草取りが大変・・・そんなことを言って夢を壊さないでくださいね。 中庭の至る所に、青紫蘇の新芽の赤ちゃんが生まれています。
ゆうちゃんちのさくらんぼが届きました。 今年はあまりたくさん採れなかったようです。 この彼岸桜の樹は、ゆうちゃんのママが成人式で、市から記念にもらった樹です。 今では、さくらんぼ大好きなゆうちゃんの宝物の樹になっています。 近所のゆうちゃんの同級生に少しずつお裾分けが届きます。 甘酸っぱいさくらんぼを今年もおいしくいただきました。 ごちそうさまでした。
久しぶりにいただいて食べました。 博多の味【博多ぶらぶら】 北海道産の小豆で、求肥を包みました。 自然で素朴な風味が持ち味、自慢の博多銘菓です。 食べやすく、いくつでも食べられるのは・・・小豆の餡にちょっと塩が効いているからだとはじめて知りました。 塩豆大福を食べた時には・・・甘いものと塩辛いものは合わないという感想を持ったものでした。でも、この塩加減は絶妙・絶品です。 余談ですが・・・福岡の義兄のお土産は、何故か長崎・福砂屋のカステラです。亡き義父が好きだったのでしょうか?
スライドショーを閲覧するにはジャバスクリプトが必要です。 先日ドラマを見ていてとても感動する場面がありました。 学者と真の舞を追求する舞人との語りです。 舞人の問いに・・・ 「学者とは常に問いかけ自らもともに学ぶもの。わたしよりも遥かに立派な師がいらっしゃる。いっしょに問いかけてみよう。学者は何をするものか・・・その答えを探し求めていた頃に随分と世話になった師だ。だが、真の舞人とは何なのか、それを問いかけるおまえに答えてくれるかどうか・・・」 学者は【花茶】に湯を注ぐ。 「綺麗であろう」 「香りも素晴らしいですね」 「味もまた格別だぞ」 舞人は、湯の中でゆっくり舞いながら花開く花茶を静かに見つめます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 湯の中で甦るように花を咲かせた蕾は、私にとっても尊い師となりました。学者が問いかけ、学ぶものならば、舞人もまた同じ・・・見せるという驕りは捨てます。 干からびた花が湯を含んで再び咲くように人々の暮らしの中に根付く情緒が私の中に沁み込み、真の芸となって花開くと信じています。 けれど、美しく花を咲かせた花も飲まねば意味がありません。人々の暮らしから生まれた私の舞がいつか世に伝わることを心から願っています。 花茶の美しさが絶妙でした。 <夢見鳥>蝶 中国の壮子が、蝶になって、自由に舞い飛ぶ夢を見ました。 目が覚めてから、彼は、自分が蝶になった夢を見たのか、今、蝶が夢を見て人間になっているのか、わからなくなったというのです。 小学生の頃、わたしもよくこのことを考えていました。 今のわたしは、現か夢なのか・・・。 えっ、シンクン・・・なぜ?