昨日はAO入試の模擬授業で大学へ出勤、そして今日もその面接で、また出勤。台風の影響で、午前中、神奈川県では大変なことになっていましたが、千葉では電車が止まるほどではなく、遅刻する受験生も特にいなく、入試に影響はありませんでした。
面接はお昼までに終わり、お弁当を食べて、台風が来るのでさっさと大学を出てバス通りに出たら、御神輿がちょうど練り歩いていました。そういえば、9月15日は大久保商店街のお祭りでした。昨年も見たかな。
続きまして、ビング&グレンダール(以下、B&G)の花瓶です。これも、ただの花瓶ではありません。ワーク番号が12番ですので、おそらく、1895年製と思われるアウグスト・ハリンのユニカです。ハリンは、1895年にロイヤル・コペンハーゲン(以下、RC)からB&Gに移り、世界で初めて、クリスマスプレートの制作を始めるのです。すなわち、クリスマスプレートは、B&Gの1895年のクリスマスプレートが一番古いのです。ロイヤル・コペンハーゲンのクリスマスプレートの初年度は1908年です。また、ハリンは、B&GにRCの釉下彩の技術を伝授するのです。すなわち、1895年からB&Gの釉下彩の技術が飛躍的に上がるのです。
これも、やはり、前回アップしたクローの大皿と同時期に売りに出されました。が、下部が少し欠けているので、ラッキーにも、今年の夏まで残っていました。欠けがあるので、これはまあまあ安かったです。
ピンクの下地に菊の花がパティ・オー・パットで、葉が緑の釉下彩で描かれています。なかなか難しいテクニックです。名品だと思います。
さて、ロイヤルコペンハーゲンの直径40cmある大皿である。ただの大皿ではない。1885年にロイヤル・コペンハーゲンの芸術主任に就任したアーノルドクローが制作した大皿である。1890年10月に制作された。とうとう、アーノルドクローのユニカを手に入れた。感無量である。
実はこの大皿、昨年の12月に売りに出された。しかし、私はすでにロストランドの白鳥の大花瓶を購入したためにお金がなく、あきらめていたのである。ところがラッキーにも、今年の夏までだれも購入しなかった。描かれたメルヘンチックな絵を見れば、まあ決してうまくない。コレクターはみな大金を払ってこれを購入したいとは思わなかったのだろう。しかし、1890年に多色の釉下彩でこれだけの大きな絵を描くのは難しかったはずである。それに、完全に日本の浮世絵の影響から脱し、デンマーク独自の風景になっている。
擬人化されたヤギが、草原に一本だけある低木のそばに立っている。夕方なのか三日月とそのそばを蝙蝠が舞っている。そして、それらが下に流れている川か湖面に写っている。何かのデンマークの童話からとったモチーフか、あるいは、当時のクロー自身の心情を表現しているのか。わからないが、とにかく、すばらしい一品だと私は思う。届いてから、さっそくケースを注文した。
先週金曜日から今週の木曜日まで、雨に翻弄された1週間でした。最後は、木曜日朝、名古屋6時20分始発のひかりに乗車しました。静岡までは順調だったのですが、ちょうど、大雨が静岡から神奈川へと移動中で、静岡到着したときには、小田原~新横浜間が運転見合わせ。これでは、一度家に帰って、着替えてから出勤では、会議に間に合わないと考え、そのまま東京まで乗っていこうと思っていたのですが、何とか新横浜に25分遅れで到着したので、とりあえず新横浜で降りて帰宅しました。10分で着替えてトイレに入り、鞄を持って、たまプラーザ駅へダッシュ。なんとか会議が始まる30秒前に会議室に飛び込み、学部長に「ぎりぎりセーフ。」と一言いわれ、会議は時間通りに始まりました。
さて、写真は札幌の近代美術館で購入したクリムト柄の傘です。UVカットもします。持っていた折り畳み傘の骨が折れてしまい、傘が欲しいなと思っていた時に、ちょうど美術館の売店に売っていたものです。うちの奥さんが好きなミュシャ柄の傘もあったのですが、クリムトだけが他の傘よりも1000円安かったので、迷わずクリムトに決めました。どうやら、クリムト展をやった時に作ったので、他の傘より安かったようです。傘そのものは同じです。なお、美術館を出た後は雨にあわずに済み、結局帰宅するまで傘は使用しませんでした。
ということで、うちの奥さんにお土産と渡したのですが、特に何も言いませんでした。なかなか良いと思うのですがね。やはり、ミュシャじゃなければ、ダメなのかな..
名古屋で新幹線から高山本線の特急に乗り換えるときに、「1時間半の時間がありますけど、どうしますか。」と、新横浜駅のみどりの窓口のお兄さんに切符を購入するとき言われた。高山本線の特急の本数が2時間に1本くらいしかないようだ。新横浜で時間をつぶしてもしょうがないので、名古屋で時間をつぶすことにしたが、どうやって時間をつぶそうか悩んだ。新幹線の中で、ipadを使い名古屋の美術館を検索したが、見たいものはやってなかったので、結局、2度目になるが、駅から近いノリタケの森へ行くことにした。
しかし、ノリタケの森の前に立った時に、「そうだ。骨董屋さんめぐりをしよう。」と思い立ち、ノリタケに入らず、近くの商店街を探索し始めた。結局、1軒しか見つけられなかったが、なんと写真の瀬戸焼の小皿5枚に出会ってしまった。裏に"Hand Printed Made in Japan"と緑の釉下彩で銘があるので、おそらく、大正末期から昭和初期に輸出用に作られたものだと思われる。
これらの絵柄は誰が見ても明らかに、ロイヤル・コペンハーゲンのブルー・フル-テッドである。これから瀬戸もコペンハーゲンのコピーものを作っていたことがわかる。1枚200円で5枚1000円で手に入れた。まあ、普通の人は買わないので、残っていたと思われるが、資料的価値はとても高い。いつか機会があれば、展覧会で展示しようかな..
ウルワツで見たケチャです。満員、すごい人!ケチャも踊りの演出も素晴らしかったです。ハヌマンが、客席を歩き回るなどサービス満杯い。終わったとの写真撮影も大人気でした。
今回は、研究の測定でお世話になったタマン・バンジャールのワヤンさんに、ときどき太鼓のレッスンを受けています。今朝もこれから3回目のレッスンを受けにいきます。いや、いままで、ほとんどが耳コピだったので、叩き方が違っていたり、細かいところが複雑で難しい。譜面があるわけではないので、全部、口伝えです。録音したものを、おさらいして、はじめて、いままで叩いていた演奏の構造が見えてきたりしています。奥が深い..
ワヤンさんは、芸術高校(SMKI)に在籍した時に、岡山で1992年に行われた国際民族フェスティバルで演奏したことがあるようです。また、弟さんは日本女性と結婚して、名古屋で自動車会社に勤めているようです。でも、日本語も英語もだめなので、私のどうしょうもないインドネシア語とたまに通じる英単語でなんとか会話しております。
なぜ、こんなに子供たちのことが気になったかというと、5年前、次男がまだ小学校6年生のときに、一緒に梅田さんのワヤンを見に行ったことを思い出したからです。当時の次男はその4に掲載した一番左の健康優良児に似ていました。そのときのことを下記のブログに書いています。
http://jp.bloguru.com/kai/72886/wayangkulit
懐かしいな。次男に話したら、「緑色のカレーを食べたときのこと?」と思い出したようです。
公演終了後も、ご覧のとおり。子供たちから人形を守るために、おじさんたちは大変!ご苦労様でした。
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