明美ちゃんの高校ミュージカル。
今年はShrekと言う物語で主役のFionaで出演。
歌あり踊りあり演技に没頭する2時間半のステージ。
先週からのリハーサル週は毎夜10時ごろの帰宅になるまでの猛練習を続けていた。
つい先ほど3日連続公演の最終ステージのために家を出て行きました。
自ら私のトヨタ車を運転して。
今夜も観衆を沸かし星を掴み取ってくださいな。
この写真は数ヶ月前のものです
春の我が家の写真は画像が大きすぎて載せられないとのことです
先週からの雨もようやく終わり晴れ上がった。
明日からまた下り坂になると言う。
そこで風邪気味の体を押して今季初の芝刈りに挑んだ。
数ヶ月間使用しないでいた芝刈り機のエンジンが発動するかどうかよりも
納屋のドアを開けることの方が心配だった。
先週そのドアを開けた家内が悲鳴をあげた事がある。
アライグマとにらめっこしてしまったからだった。
そこで私は納屋のドアを何度もノックし先住民がいたら隙間から退散してもらおうと図る。
なこともあって芝刈りはなかなか億劫に感じていたののだけれど、、、
結果としては「案ずるよりも産むがやすし」
〜行動一旦起こしてみれば大した障害もなくやり遂げてしまうもの〜
アライグマに会うこともなく、
エンジンはすぐに発動し、
キッパーのフンは家内が拾い上げてくれていて
楽に芝刈りを仕上げることができたのでした。
シアトルの飛行場を離陸直後
朝の6時前に自宅を出た時には、
雨がしとしとと降っていた。
このところ春とは言え雨の多いシアトル。
かといって1日中雨でもなく日中数時間は暖かい日も差して来る。
おかげで我が家の庭の芝生が伸び放題となり
芝刈りをしても良い頃合い。
妻からなんとなくそんなことを依頼されたものの
何となくやる気になれない。
その理由は愛犬キッパーのフンがあちこちに散らかっていること。それを片付けてもらわない限り芝刈り機を運転する気になれない。
先日の16歳の誕生日に運転免許証を取得した長女。
運転したくてじっとしていられないようで
とにかく運転させろと、やかましい。
この日も長男の塾あるところまで
せがまれて彼女に運転させた。
まもなく私は日本行きとなるがその間、
彼女がその車を毎朝の通学に使うこととなるらしい。
恐ろしい〜
今日だって左折する際に
直進してくる対向車と鉢合わせになりそうだったのだから。
我が家の子供たちには4連休が続いています。
先週の金曜日がセイントパトリックステイのために休校。
昨日の月曜日は教師たちの作業日のとして生徒らは休校。
この連休を利用し家内と長女がサンフランシスコへ旅行しています。
つまり私と長男との2人暮らしがしばらく続いています。
この無聊を慰めるために、友人が夕食に来てくれました。
近隣の町に住む友人ですがその子供たちの学校は連休とはならず
通常の二日間しか週末の休日がなかったそうです。
ベルビューの子供たちは損してますね。
長男曰く、ラッキーだと言うのですが。。。
ベルビューに戻ると息子のサッカーの試合があった。
前半は1対1で折り返し
後半になると彼のチームは俄然エンジンを全開し始めた。
終了15分間に3点ををたたき出して快勝。
息子もロングシュートを放ち、一点をゲットした。
本日夜、長女は家内と一緒にパスポートを持って外出しました。
海外旅行のためではありません。
就職のためです。
近所にあるバスキン・ロビンズ(日本で言うサーティーワンアイスクリーム)
でアルバイトを始めるためです。
数ヶ月前のこと、娘が1人そこへに行きアルバイトの可能性を打診しました。
「16歳になったらおいで」
と言われて引き返したのです。
今週の土曜日彼女は16歳の誕生日を迎えます。
そのために先週応募用紙に申し込みをし
面接を受け
合格通知を行いただいてから
本日の書類作成となりました。
16歳の誕生日に働き始めます。
その同じ日に運転免許の本免許が交付されます。
既に仮免許を持っている彼女は私を助手席に乗せ何度も運転をして見せています。
1段1段と親の元から巣立っていく彼女。
頼もしさとともに寂しさも感じているオヤジでした。
健康には、好-不調がある。
身体的にも精神的にもリズムがあるし、
リズムの浮き沈みの波は誰もが経験する事でしょう。
今朝起きて窓の外を見たら辺り一面は白銀の世界。
ます気になったのがスクールバスが運行しているかどうか。
ないなら学校が休みになるはず。
学校からは連絡がないので
いつも通りバス乗り場まで息子を連れて行く。
バス通りに出てみるとすでに長蛇の行列となっていて車が動いていない。
なんとか間に合って、再びそのバス通りで帰宅。
すぐに娘を高校に連れて行かなくてはならない。
週末、友人の家をはしごし寝不足が続いていたためだろうか
彼女は寝起きも悪く出発準備が整っいない。
ここで「早く早く」と急かすほど逆効果となる事は
これまでの経験から学んできた。
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天候も家族も自分自身の健康も
全ては思い通りにいかないものである。
うまくいったから機嫌よく
そうでないから不機嫌になると言うのでは
人生やっていけない。
私どもの魂は直接創造者なるお方ににつながる事が出来る。
そうしたならば私の環境にはかかわらず
変わらない絶対の安心を天から届けてくださるのです。
「わが魂よ。
なぜお前は絶望しているのか。
御前で思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私は『なおも』神をほめたたえる。
私の救い、私の神を」
(詩篇43篇5節)
この詩篇が書かれた背景はバビロン捕囚であるとされています。
故国を追われ異国人に
「お前の神はどこにいるのか」と嘲笑されているイスラエル人。
そのような絶望の淵にあって
『なおも』神をほめたたえている信仰の姿勢。
この同じ絶望の中からの一筋の光とも言うべきひらめきが
同じ言葉で42篇5節と11節に繰り返されています。
苦難のただ中にあって
『なおも』
神を神として崇める姿勢は美しいものです。
Neskowin ここのビーチは沖合遠くまで遠浅の砂浜が続いている。
午後3時半の干潮時に行って見ると、沖まで500から600メーターほど海の中から砂浜が顔出している。
午後6時直前に日の入りだから水平線に沈む太陽と黄金色に輝くビーチは絶好の撮影ポイントとなるはず。
帰路の所要時間を考えるとそれまで待つことができない。
娘からの再三の懇願を振り切り4時半ごろに海岸を後にした。
残念そうにしている娘を見るのは忍びない。
しかし何事にも選択がある。
1つを選んだら他方を失う他ない。
午後7時ごろにPortlandにある私のお気に入り日本レストラン
屋台村Maruに到着。
麺類の好きな子供たちに喜んでもらえた。
日の入りを待っていたらどこのレストランも終わっていて車内でサンドイッチをほおばることぐらいしかなかったはず。
「花より団子」である。
ある方が私どもの家族を「理想的な家族です」
と言ってくださいました。
それに対して私は以下のような返信を送りました。
【「理想的な家族」とは、私どもを一面しか見ていないところからの誤解です。
夕食の席でそれを家族に伝えたところ明美は「ダリーは偽の情報を流している」との辛辣なコメント。
それぞれの家庭には外からは見えない課題があります。
私は他者と比較して幸・不幸を決めることを止めています。
今自分が置かれた制限の中で自分にできることを自分に許されている事の中で精一杯して成長していきたく思っています。
比較するものがあるとすれば他者ではなく昨日との自分です。
相対評価(他者との競争からの偏差値)でなく創造者からの絶対評価の中に自分を置いているからです。
私から見てAさんご家族は優れたご家庭です】
私たちは他者の持ち物や賜物、人間関係を見ると優劣を感じたり
劣等感-優越感にさいなまされることがあります。
視点を水平移動から垂直移動に移してみましょう。
私たち一人一人が創造者から見てかけがえのないオンリーワン。
そこに優劣の区別なく、占有的な愛があるのみ。
「あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
『恐れるな。
わたしがあなたを購なったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ』」
イザヤ43章1節
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