日本と韓国の国同士のお付き合いをする上で避けて通れないのが従軍慰安婦問題。
その慰安婦の記念碑建立運動が全米各地で韓国人によって広がっている今、
日本人として無関心ではいられない。
こういった微妙な歴史問題は専門家に任せるべきで、
市井のキリスト者が意見するべきでなく、
対立の構造を深めることにならないか?
そんな懸念を持っていたゆえに、あまり触れないようにして来た。
両国政府の歴史的見解がどうであろうと、
私の大切な韓国人への友情や尊敬にはいささかの変化も無いのは事実。
一方、国家の政治問題に一個人が無関係でいることが出来ないのもまた事実。
この問題を扱うにおいて、最も大切なこととは何か。
それは被害・加害感情を一先ず横に置いての、
冷静な歴史的事実を確認することからではないだろうか。
フィクションの上に友情や信頼関係を築き上げることは出来ない。
意思に反する強制的な性的虐待・奴隷搾取の蛮行が
歴史的事実としてあったのか、なかったのか?
竹島や北方領土、尖閣諸島は歴史的に見てどちらの領土に属しているのか、
つまり客観的に確証できる資料を根拠に論じなければ
どこまでも双方の言い分は平行線に終わるであろう。
この確認作業は
「信じるに値する宗教はあるのか」
という命題にも共通するものであると考える。
人はフィクションの上に、作り話や神話・おとぎ話の類の上に
己の信仰を築くことがあり得るのだろうか?
人はフィクションというウソのために殉教出来るだろうか。
私は聖書の全ての記述は、歴史的に起こった事実の記録であると考えている。
つまり聖書に記された教えも事物も「歴史」の上に乗かっている。
そうでなければ信じるに値しないし、キリスト者であることをやめるであろう。
話がそれてしまったが、
従軍慰安婦問題である。
その歴史的な検証のために、「テキサスおじさん」が活躍してくれているようだ。
その歴史性に立っての、
ウソを糾弾するための署名が10万人を突破したとのことである。
私はまだ署名をしていない。
これを機にしてみようかと思っている。
テキサス親父さんの動画、
↓
http://www.youtube.com/watch?v=ggQaYD37Jm4
絶対証拠:米軍報告書1944年
↓
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
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